権力闘争に懲りない中国、薄熙来事件は想定内 夫の失脚に一役買った谷開来〜中国株式会社の研究(158)
JBpress2012.04.13(金) 宮家 邦彦
4月10日は二重の意味でショックを受けた。1つは2月以来噂されていた薄熙来・元重慶市党書記の「政治的死」。ショックというより、「やっぱり」という感覚だろうか。
もう1つは本当のショック、深く尊敬する友人であり、中国問題の「老師」でもあった清水美和・中日新聞論説主幹の早過ぎる逝去である。(文中敬称略)
■中国問題の老師
清水美和氏は2000年から2004年まで北京における筆者の仕事仲間だった。仲間といっても、相手は中国語のプロ、確か3度目の中国勤務で中日新聞の総局長だった。
一方こちらは、学生時代に台湾短期留学こそあれ、しょせん大陸中国は初めてのアラビア語外務公務員。これでは初めから勝負にならない。
唯一彼との共通点は1953年生まれの同い年であること、それ以外は常に筆者が清水氏のご高説を拝聴してばかりいた。
彼の説得力ある中国観は、「外務省であれ、学者、ジャーナリストであれ、中国語の専門家は皆大陸中国に優し過ぎる」という筆者の先入観を根底から打ち壊してくれた。
今思い返しても、清水総局長の中国社会への「食い込み」は尋常ではなかった。特に、筆者が敬服するのは中国人に対する彼の深い洞察力だ。
1世代上の「日中友好万能」学者、ジャーナリストとは一味も、二味も違う、客観的批判精神に富んだ清水流中国論はいつも筆者の分析の参考になっている。
■薄熙来は危険な存在?
その清水論説主幹に最後にお会いしたのは3月15日。当時、彼はしきりに「薄熙来一族の腐敗は昔から有名、遼寧省政府関係者も薄熙来一族の悪行を吐き捨てるように批判していた」「共産党内で薄熙来は非常に危険な存在になっていた」と懐述していた。
一体それはいかなる意味だったのだろう。
その薄熙来について4月10日、すべての党職の「職務停止」が報じられた。これまでの噂話の類いとは異なる国営新華社通信の公式報道だ。
さらに、翌11日には人民日報がこの「党中央の正しい決定を断固として擁護する」と論評した。言うまでもなく、これは新しい中国内政ゲーム開始の「号砲」である。
これでメディアは安心して「薄熙来失脚、薄熙来一族批判」記事が書ける、と踏んだらしい。
出るわ出るわ、薄熙来個人に対する批判から、薄熙来夫人・谷開来にまつわる一連のスキャンダル、同夫人に「毒殺された」と報じられた英国人コンサルタントの経歴に至るまで、実におびただしい量の記事が流れた。
大方の報道は、今回の失脚劇を単発的なものとは見ていない。一部には、今回の事件がこれから本年10月までに予想される一連の共産党内権力闘争の始まりに過ぎないとする見方もある。
恐らく、その通りなのだろう。筆者にはそうした見方を否定するだけの材料など持ち合わせていない。
■薄熙来事件の本質
問題は先の清水氏の「薄熙来という危険な存在」の真意だ。某有力紙の記事は、「保守派から絶大な支持を得ていた」薄熙来の言動について「党中央は危機感」を抱いていたと報じた。
「一時的に党と政府が乗っ取られていた」「メディアと大衆運動による一種のクーデター」との中国筋コメントも紹介された。
ほかの有力紙では、「中国の太子党政治家、薄熙来氏の失脚は、妻が英国人殺人容疑で捕まるという奇想天外な展開になった」とのコメントが掲載された。
本当にそうなのだろうか。このニュースを聞いて、清水氏は果たして何とコメントしただろうか。悲しいかな、もう直接彼一流の分析を聞くことはできない。
仕方がないので、清水氏のこれまでの発言を基に推測してみる。筆者の見立ては次の通りだ。
●薄熙来は党中央に対し反旗を翻したのか?
前々回述べた通り、薄熙来失脚は「共青団派」対「太子党」の権力闘争の結果などではあり得ない。人一倍権力欲の強かった薄熙来に党中央への対抗意識はあったろうが、むしろ党中央に自らの存在を認めてほしかったのではないのか。
問題は薄熙来が党内で孤立し、政治的「お荷物」となったことだろう。
薄熙来が重慶で進めた「教条的急進主義」のターゲットは胡錦濤らの「党改革」と有力党員の「既得権」だった。
されば、潜在的に大衆の破壊願望をくすぐる薄熙来的「新左翼主義」は、党中央というより、党内の大勢、すなわち「共青団派」「太子党」双方にとって「危険な共通の敵」となったのではなかろうか。
●薄熙来はメディアと大衆運動を上手く活用したのか?
大躍進から文化大革命、西部大開発から反日デモ行進まで、中国政府の政策でメディアと大衆運動を利用しなかった例はない。
薄熙来のいわゆる「唱紅打黒」キャンペーンもその伝統に倣っただけ、それを「クーデター」などと形容するのは、本当のクーデターが何たるかを知らない学者の空論である。
問題の本質は、薄熙来のメディア・大衆戦略なるものが真の意味で一般庶民に根づかなかったことだ。だから、本年2月以降の薄熙来は党中央によるメディア・キャンペーンに対し脆弱だった。
当然彼を擁護する大衆運動も起きなかった。これが権力の亡者たる薄熙来型キャンペーンの限界だったのか。
●薄熙来の失脚は奇想天外な展開なのか?
奇想天外どころか、今回の失脚劇は中国共産党内の典型的権力闘争のパターンそのものではないか。特に、興味深いのは、この騒動で谷開来(薄熙来夫人)が果たした役割だ。
谷女史は美人で英語に堪能、弁護士で共産党高級幹部の妻という、テレビドラマを地で行くような人物である。
4月10日の新華社電は、薄熙来失脚に合わせ、谷女史が薄一族の英国人コンサルタントだったニール・ヘイウッド氏の死に関与した疑いがあるとして身柄を拘束され、司法当局に送られたとも伝えている。
谷開来についてはウォールストリート・ジャーナルの記事に詳しい(真偽のほどはともかく、日本語で読めるので、ご一読をお勧めする)。
■薄熙来後の中国
確かに谷女史は特異な存在だったかもしれない。しかし、筆者が在勤した2000年頃、既に北京には若く、聡明で、英語が堪能な多くの中国女性が外国企業のコンサルタントとして活躍し始めていた。
筆者の知る限られた例だけでも、彼女たちの多くは高級幹部や有力軍人の子女だった。
つまり、今の中国には無数のミニ「谷開来」たちが、党有力幹部の子弟や閨閥こそないが優秀な共産党員の夫人に収まり、政治的、経済的に大活躍していると考えるべきだろう。
これこそ、改革開放時代の中国で、高学歴の共産党員夫婦が合法的に美味しい金儲けができる典型的パターンだと思っている。
あの薄熙来とこの谷開来、共に才能溢れる2人は政治上の同志でもある。例えは失礼かもしれないが、筆者には彼らこそ中国版のビル&ヒラリー・クリントン夫妻に思える。
両夫妻の違いは、政治的逆境でヒラリーはビルを支えたのに対し、谷開来は逆に薄熙来の足を引っ張ってしまったことだろう。
ウォールストリート・ジャーナルは谷女史を「中国のジャッキー・ケネディ」に例えていたが、筆者は谷女史こそ現代の「江青(毛沢東夫人)」になり損ねた悲しい女性だと考え、心から同情している。
あの薄熙来に出会わなかったら、聡明なる谷女史はもっと幸せな一生を送れたかもしれないからだ。
こんな勝手なこと書いても、もう清水論説主幹とは中国内政について意見交換すらできない。最近は毎月の勉強会で彼の話を聞くのがいつも楽しみだった。
同世代の優れた中国専門家を失った穴はあまりにも大きく、残念でたまらない。清水美和氏のご冥福を心よりお祈り申し上げる。
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薄氏の妻、殺人で死刑の見通し=中国・重慶の疑惑で香港メディア
【香港時事】先に失脚した前中国共産党重慶市委員会書記の薄熙来氏をめぐる疑惑で、香港のニュースサイト・明鏡新聞網は13日、消息筋の話として、故意殺人容疑で司法機関に送致された谷開来容疑者(薄氏の妻)が死刑になる見通しだと報じた。これに関連して、薄氏自身も起訴されて執行猶予付きの死刑か無期懲役の判決を受ける可能性があるという。
同サイトによると、谷容疑者は取り調べで、薄氏を支持してきたとされる周永康党中央政法委員会書記(政治局常務委員)の不正について供述し始めた。胡錦濤国家主席ら党内主流派と対立しているといわれる周書記を告発することで自分の刑を軽くするためとみられるが、死刑を免れる望みは今のところないという。
中国の公式報道によれば、谷容疑者は昨年11月に重慶で起きた英国人殺害に関与した疑いが持たれている。このほか、一部の香港メディアは、薄氏が遼寧省で大連市長などを務めていた時期にも、谷容疑者が複数の殺人事件に関わった可能性があるとしている。(時事通信2012/04/13-20:52)
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焦点:薄熙来氏の失脚、中国指導部の改革意欲後退させる恐れ
2012年04月13日15:10 JST[北京12日 ロイター]
中国で起きたここ何年かで最も生々しい政治権力闘争で、これからさらに犠牲が出る恐れがある。それは、困難は伴うが、高まりつつある経済の成長や安定に対するリスクを取り除く上では必要な諸改革をしっかりと進めていくという、政治的な大胆さが失われるということだ。
中国は、輸出頼みで環境にも悪影響を及ぼす今の成長モデルが、賞味期限を迎えている。政府は新たな成長促進には、より抜本的な改革が必要だとずっと示唆してきた。
しかし共産党内の保守派で、将来の指導部入りが有力視されていた薄熙来氏が失脚したことで、保守派と改革派の双方が厄介な問題へ積極的に取り組もうとしなくなる可能性がある。今年秋に指導部交代の決定が控えている事情があれば、なおさらだ。
アナリストによると、薄氏は注目を浴びることが好きで向こう意気が強く、他の指導者に刺激を与えて政策を競わせるような人物だった。
政治評論家のChen Yongmiao氏は、薄氏がもし指導部入りすることになっていたら「改革派は彼の影響力に対抗するために、より強硬にならざるを得なかっただろう。しかし彼が追放され、インセンティブがなくなったことで改革派の踏み込みは弱まる可能性がある」と話した。
共産党は今週、薄氏の党政治局員と中央委員の職務を停止すると発表した。薄氏は既に重慶市共産党委員会書記を解任されており、薄氏の妻には英国人ビジネスマンの殺害容疑がかけられている。
もっとも中国政府高官と親しいあるメディア関係者は、胡錦濤国家主席は薄氏の解任が発表される前から、金融面と政治面で大幅な改革を求める声が出ている中で慎重な姿勢を示してきたと指摘した。これらの改革は、指導部と政府の権限を縮小させることになる。
このメディア関係者によると、胡主席が最近になって「一部の重要な分野では、今は改革を検討する適切な時期ではない」と述べた。これは。強力な国営企業が握る権益に挑戦するような政治改革には、手を出さないことを意味しているという。
しかし政策アドバイザーや知識層の間からは、改革を行わなければ、経済成長と政治的な安定性が危うくなりかねないという差し迫った警告の声が増える一方だ。
中国人民大学のTao Ran教授(経済学)は「(2013年初めの)新指導部体制移行後まで待っても良いが、それまでにもう危機的な状況になっているかもしれない」と語る。
<改革実行の可能性>
中国においては、指導部交代の年に大きな変革を推進するのは、常にたやすくは行かなかった。国営企業の独占状態を崩したり、金融改革を実行すれば、権力を円滑に移行させようとしている共産党が最も避けたい混乱を生み出す恐れがある。
一方で薄氏の失脚で露呈した指導部内の亀裂で、新体制発足後も、国営企業や銀行のような既得権力を持つ勢力に対抗するのに必要な指導部内の合意形成は難しくなる可能性があることが示された。
先のメディア関係者は「改革に必要なのは、イデオロギー上の合意か、故?小平氏のような強力なリーダーから発せされる決定的な意思だが、それは見当たらない。党権力が何よりも優先しているのは政治的な安定で、政治的安定に影響を及ぼさない改革などないのだから、より抜本的な改革を実行しようという意思は存在しない」と嘆いている。
一部では改革はわずかに進展している。温家宝首相は先週、これまで国営銀行が見向きもしなかった民間事業を小規模な金融機関が支援することを奨励する試験的な計画を発表。、また政府は近年、人民元の完全自由化に向けた重要な一歩となるオフショア元市場の拡大にも努めてきた。
しかしこうした措置は、先送りされてきたより大きな改革の代わりにはならないとの批判が出ている。
元世界銀行のエコノミストで現在は香港のFung Global Institute に在籍するLouis Kuijs氏は、中国政府が経済の均衡を取り戻すために打ち出す措置に、民間企業にも国営企業と同じ条件を当てるといったような痛みの伴う改革が含まれていないと、成長率は大きく低下するかもしれないと警鐘を鳴らす。
指導部交代前に大幅な改革が行われることについて、希望の光を見出す向きはほとんどいない。だが、薄氏の存在と彼の強引さ、さらに彼が用いてきた毛沢東時代の言い回しが一掃されて、新指導部が改革に向けた合意を築きやすくなる可能性は残っている。
(Don Durfee、Chris Buckley 記者)
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◆訃報:清水美和さん=中日新聞東京本社論説主幹 2012-04-12 | メディア
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◆文革の再来 警鐘「温家宝首相」/ 一枚岩とはほど遠い中国共産党 薄熙来氏の解任劇で露呈した権力闘争 2012-03-22 | 国際/中国
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