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「闇サイト殺人事件」名古屋高検、堀慶末被告に対する量刑(無期懲役)不服で上告する方針

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〈来栖の独白〉
 報道によれば、名古屋市で起きたいわゆる闇サイト殺人事件で、名古屋高検は堀慶末被告(35)を無期懲役とした高裁判決(12日)を不服として、上告するようだ。1、2審とも無期懲役とされた川岸健治被告(44)については上告を見送る方針。
 被害者の母親の富美子さんは19日、上告を求める陳情書を検事総長や名古屋高検検事長に出し、「被害者が1人の事件は量刑相場で刑の重さが決まり、極刑回避の理由は後付け。検察にはどうしても上告してほしい」と話していた。
 検察上告について2点、考えてみたい。が、そのまえに些細なことながら、よく言われる「量刑相場」という言葉について。「相場」という言葉が「いのち」に関係するところで用いられることに、私はちぐはぐな感を否めない。如何にもぞんざいな感じを受け、永山判決が暗に示した死刑に対する慎重なガイドラインとも相容れない、そんな気がする私である。
1、量刑が決まっているなら裁判の必要はないか
 東海テレビの番組だったか、遺族(磯谷富美子さん)がおっしゃっていた「永山基準によって、下される量刑が決まっているのなら、裁判の必要も意味も無い」。また、2審判決後、おっしゃっていた「誰のための裁判か」。
 これは、どうだろうか。
 刑事司法は、量刑を決めるため(だけ)にあるのではない。刑事裁判は、被害者自身による報復や、被害者個人の損害回復のための制度ではなく、犯罪を抑止することと同時に犯罪を犯した人の改善更生を実現することを目的としており、被告人席に立たされた市民に対し、冤罪の危険を3度にわたってチェックする、つまり合理的疑いを入れない程度に有罪と証明されたか否かを確認し、また有罪と認定された場合には法に定める範囲内で個別事情に応じた相当な刑罰を科するのが目的である。
2、上告とは
 上告は、本来の最高裁の役割である憲法、法律の問題があったり判例違反があったりするケースが原則である。例外的に量刑などについて「著しい不正義」となる場合があるだけだ。検察官の死刑求刑が容れられず無期懲役となったことを不服として、事実上量刑を争うために最高裁に検察官が上告することはまずない。本件闇サイト殺人事件で検察が上告するなら、些か上告の趣旨に反するように思う。以下のような対談があった。
「凶悪犯罪」とは何か 光市裁判、木曽川・長良川裁判とメルトダウンする司法  
司会 97年のときに『年報・死刑廃止』で「暴走する検察庁5件連続上告を考える」(98年版、平川宗信・村岡啓一・安田好弘)という座談会をやりました。あのなかで97,98年の検察上告の5人とも無期に戻さなければということを言っていますが、1人だけ死刑が確定してしまったわけです。このことはその後、どう影響していますか。
村上 1人だけ破棄差し戻しされたんですよ。今までは、高裁で無期だったのを最高裁で破棄差し戻しするというのは、著しく正義に反しない限りは絶対にしないんです。最高裁はこの高裁の判決が無期判決で、まぁ死刑でもいいなと思っても、これは破棄しなければ正義に反すると言えない限りはそのまま上告を棄却しなくちゃいけない。正義に反するから破棄差し戻しするというのは今まで永山最高裁判決と上告5事件の広島の事件しかないんですよ。広島での事件は、強盗殺人で人を殺害し無期懲役になり、仮出獄中にまた同じ強盗殺人をやったということで、今までの裁判例の中でもやっぱり死刑なんですね。その死刑の是非は別にして、今までの裁判例の中でも上告、破棄差し戻しするときは裁判所は非常に悩みながら、それなりに理由を書いて破棄差し戻ししてきたんですよ。(略)
安田 先ほどから僕は社会全体がこういう状況になってきているんだという話もしたんですけれども、先ほどの、検察官が一斉に判例違反・量刑不当を理由に上告したのは、検察官が死刑判決がどんどん減っていくことに危機感を抱いたからだと聞いています。裁判官が死刑判決を避けようとしている、これに歯止めをかけなきゃならない、むしろ積極的に死刑判決を出すように促さなきゃならないと、そのために異例中の異例なんですけども無期懲役となった5事件を連続的に上告したわけですね。検察官がこのようなことをすればどうなるかというとですね、今までは量刑というのは高裁止りだったわけですね。高裁の判断で終わりとされていたものが、逆に最高裁まで審査されるとなってくると、量刑について検察に迎合的にならざるを得なくなるんですね。
 僕は、死刑事件に関しては、量刑というのは常に強い、つまり死刑の方向にバイアスがかかると考えてきました。実際、実感としてもそうでした。つまり、1審では死刑だと言っておいたほうが、仮に重すぎるとして高裁で破棄されるとしても、その破棄のされ方というのは、「1審の死刑判決は容認できる。しかしその後の情状あるいは状況の変化を考慮すれば、現在では、死刑にしなくてもいいではないかと思料する」という形で、原審肯定の上での原判決破棄なんですね。ところが1審が無期だった場合は、高裁で「軽きに失する」と量刑誤判だと非難されるんですよね。ですからどうしても1審の裁判所というのは、死刑と無期で迷ったときは、死刑のほうに流れやすかったわけですね。そういう流れがあった中で、検察官が連続的に5件について上告までしたということで、地裁だけでなく高裁までが、検察の意見に従わなければ最高裁まで上げられるという危機感を抱き、死刑へのバイアスがかけられる現象が作り出されたんですね。検察は、死刑を回避しようとする裁判所にタガをはめ直した。そうすることによって、検察は、死刑を治安の根幹に据えて、治安政策を組み直そうとしていると思うんです。
 それとちょうど時期を同じくするわけですけれども、光市の事件というのは1999年に起こるんですが、これは、「作られた凶悪事件」なんですね。殺害の態様とか、あるいは故意の問題にしても、被疑者が少年だったものですから、検察官によって思うがままに事件が作り上げられたんですね。(略)
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