「毛沢東」になれなかった薄熙来の悲劇 ついに政治生命絶たれる
WEDGE Infinity 2012年04月11日(Wed)城山英巳(時事通信北京特派員)
中国重慶市トップだった薄熙来前共産党委員会書記の完全失脚が10日夜、確定した。共産党中央は薄氏を政治局員からも事実上解任し、党中央規律検査委員会が重大な規律違反で本格調査に乗り出した。日本では「胡錦濤国家主席率いる『共産主義青年団(共青団)』と薄熙来ら高級幹部子弟グループ『太子党』の対立だ」「共青団の勝利だ」という見方が流布しているが、そう単純な構図ではない。過去30数年間にわたり国家の行方を決めた「改革」に関し、今後、政治体制にまで踏み切るのか、またはその方向性を放棄し、毛沢東時代に逆戻りするのか――。薄熙来事件の結末次第で、中国はどこに向かうのか、決まるという重大な意味を持っているのだ。
■「胡・温・習」主導で進んだ薄の解任劇
筆者が北京で複数の共産党関係者に取材したところによると、今回の解任劇を主導したのは、胡錦濤主席、温家宝首相、そして次期最高指導者としての地位が確定している習近平国家副主席のラインだ。一方、薄熙来と緊密な周永康党中央政法委書記は解任に消極的だった。
習は、薄と同じく父親が革命第一世代の高級幹部である「太子党」に属する。日本では太子党について、同じ利益を代表する一つの派閥のようにとらえられがちだが、これは大きな誤解である。トップの胡錦濤の下、縦のラインで団結する共青団に比べ、太子党の規模は大きく、親が属したグループや各自の政治路線の違いで人間関係は決して一枚岩ではない。
その証拠に、「習近平は、薄熙来の政治手法に早くから反対し、習は『反薄』を鮮明にしている」と明かすのは共産党関係者だ。
■「中国は歴史の十字路にある」
重慶で法律を無視して展開された暴力団一掃キャンペーン「打黒」の問題点を指摘する陳有西弁護士は香港誌でこう解説する。
「中国は30年の改革・開放を経過し、非常に大きな成果を獲得したが、非常に多くの問題も出現した。社会の矛盾は激化し、みんなこれから中国はどこに向かうのか気をもんでいる。戻るのか、進むのか。30年前の文革路線に回帰するのか、それとも(改革・開放への舵を切った)第11期3中全会後の市場経済・政治開明路線を継続するのか。強権の維穏(安定維持)を目的にした圧政か、経済体制改革と政治体制改革を深化させる中で問題を解決するのか。今、歴史の十字路にあり、中国は新たな選択を迫られている」(『陳有西学術網』)
中国で自由派(右派)と呼ばれる知識人らは、西側の自由・民主など普遍的価値を標榜して一党独裁を全面否定。さらに改革を阻む既得権益層を解体し、共産党に集中しすぎる権力構造を見直す政治改革を推進しない限り、今の中国にのしかかる腐敗や格差などの問題は解決しないと主張する。
一方、新左派と呼ばれる知識人らは、行き過ぎた市場経済を追求した改革の結果、平等・公平という社会主義の本質が失われたと批判し、毛沢東時代への郷愁を前面に出している。
言うまでもなく、前者の代表が温家宝であり、後者の旗手が薄熙来である。中国は「毛沢東路線の回帰」か「?小平路線の進化」かの分岐点に来ているのだ。
毛沢東を徹底的に模倣した薄熙来の政治手法
薄熙来は重慶で何を画策したのか。一言で言うと、「毛沢東を徹底的に真似る」ことだった。毛沢東の政治手法について、毛が主導し、中国社会を混乱の淵に陥れた文化大革命(1966〜76年)の研究で有名な北京の政治学者はこう解説する。
「文革初期、大衆は毛沢東を非常に支持し、毛沢東を『好』(良い)と思った。毛は大衆に劉少奇や?小平を『悪者』と思わせ、2人を打倒した」。つまり毛は民衆の絶大な支持の下で独裁政治を敷いた。
薄熙来が重慶市民の人気が高いのは事実だが、それは「重慶の毛沢東」を目指したからである。先の政治学者はこう続ける。
「『平等』『公平』と訴えて大衆の支持を得ることに成功した毛沢東に学び、そして模倣し、重慶の大衆に薄熙来を『好』と思わせた」
見逃してはいけないのは、薄熙来は、貧富の格差が深刻で、腐敗した役人や警察ら権力者が威張り散らし、それに大衆の不満が爆発している重慶社会の危険な現実を的確に把握していたことである。
2007年の共産党大会で政治局員に昇格したが、希望した副首相に就任できず、重慶に飛ばされる屈辱を味わった薄熙来は、「地方で全国的な実績を収めることで5年後の党大会で最高指導部・政治局常務委員会に入ることを狙った」(中国紙編集幹部)。「矛盾が詰まった重慶ならば毛沢東のやり方が通用する」と思ったのも間違いない。
■「重慶モデル」の宣伝で市民を惹きつける
そして「打黒」「唱紅」「共同富裕」という「重慶モデル」という政治キャンペーンを展開するのである。
自分の政敵を、大衆の忌み嫌う「腐敗幹部」として「打黒」の対象とし、法を無視してでも打ちのめす。大衆を動員し、毛沢東時代の革命歌(紅歌)を熱唱する「唱紅」では熱狂的雰囲気の中で、大衆に嫌な現実を忘れさせる。格差是正や平等・公平という政治スローガンを唱える「共同富裕」では毛時代に郷愁の念を抱く大衆を引きつけていく――。
重慶で薄が強調したように、農民を新市民にする戸籍改革が軌道に乗り、貧困層に安価な住宅が行き渡ったのかは定かではない。しかし新聞などメディアを支配下に置いた毛沢東さながらの巧みな「宣伝」が効果を発揮したのは確実だろう。
毛と薄の違いは何なのか。「日本など外資を積極的に導入したことだ」と指摘するのは薄に批判的な北京の中国筋。薄は年16%を超える超高度経済成長をつくり上げ、「庶民に発展の恩恵を実感させた」(重慶の外交筋)点で薄は毛より優れていたかもしれない。
こうして重慶という「独立王国」で、強力なリーダーシップとカリスマ性を持った薄熙来は「ミニ毛沢東」となった。
改革派知識人たちは、打黒の過程で、無罪の者を有罪にしたり、死刑に値しない者も処刑したりするなど、法を無視した捜査に最大の問題があると指摘するが、薄熙来は毛が文革時に実践したように、法やルールより、大衆からの喝采を重視した。
逆に大衆から見れば、かなり強引でも「豪腕」を自分たちに示せる指導者でないと、社会矛盾を抱えた中国を統治することは難しい、という現実を知らしめたのが、毛沢東であり、今の薄熙来ではなかったのだろうか。
薄は「文革の誤りの遺毒」 温首相発言の真意
今の中国共産党指導部は何よりバランスを重視する「集団指導体制」。「ミニ毛沢東が最高指導部に入れば党内はゴタゴタする」というのが、胡錦濤や温家宝、習近平らの結論だった。大衆を煽る文革さながらの薄の動員型政治を拒否したわけだ。
しかし薄が解任された直後、機関紙・重慶日報には、こんな市民の声が掲載された。「多数の市民は中央の決定を擁護し、(薄の後任の)張徳江同志(副首相)の重慶での仕事を心から歓迎している」。
ほとんど「やらせ」に近い宣伝だが、「大衆動員型」政治の切り崩しには、「大衆動員型」で対抗する以外に方法がないのも、中国社会の危険な現実だろう。さらに中国政治の世界では大衆を味方に付けないと、権力闘争に勝てない。薄熙来は毛沢東時代から少しも変わらない事実を熟知し、引き継ごうとした。
温家宝首相は薄熙来解任前日の記者会見で「文革の誤りの遺毒(いまだ残る有害思想)が完全に取り除かれていない。政治体制改革を進めないと、文革の歴史的悲劇を繰り返す」と訴えた。「遺毒」とは「薄熙来」のことを指し、この時点で既に内部決定していた薄解任を事実上予告したわけだが、「今、薄熙来を倒さないと、再び悪い毛沢東が登場する」とも読める発言だと言えよう。
■薄熙来の原点は文革時の迫害にある
こうした薄熙来の政治的嗅覚はどこで身に付けたものなのか。
実は文革にまで遡ってみると、薄の原点が見えてくる。最近、中国のサイト『中国選挙與治理網』に掲載された彭勁秀「“文革”中的薄家」の記載が正確なので、これを主に引用してみたい。
1989年天安門事件などの際、八大元老の一人として影響力を保持し続け、07年に死去した薄熙来の父親・薄一波は、1931年、国民党に逮捕され、8年の懲役刑を受け、北平(北京)の草嵐子監獄に収監された。35年には反省を拒絶したとして薄一波ら共産党員12人に死刑が内定したが、国民政府は執行しなかった。
こうした中で36年、華北地方を管轄した劉少奇は、獄中で不屈の闘争を続けた薄一波らを救出できれば、弱体化した華北地区の増強につながると判断。「転向」させることで出獄させようとしたのだ。
そして「国民党の規定」に基づき、薄一波らは出獄。毛沢東も薄らの5年間半に及ぶ獄中闘争を称賛し、薄は45年の共産党第7回大会で中央委員に選出され、副首相まで上り詰めた。
だが、文革の嵐が66年暮れから吹き荒れると、国家主席・劉少奇を追い落とそうと企む秘密警察・康生(中央文革小組顧問)らが、薄一波らの出獄を疑問視した「61人叛徒集団問題」を提起。薄一波らは裏切り者とされ、67年元旦には紅衛兵によって療養中の広州から北京に引きずり出された。紅衛兵は「お前は国民党の犬の穴から這い出てきたのだろ」と批判し、同年3月には「劉少奇叛徒集団主要分子」として監獄行きとなった。
■父親と自分の悲劇を重ね合わせる薄
薄一波の娘・薄小瑩は中国誌『環球人物』(11年11月)に当時の様子をこう語っている。
「父は決して屈服しなかったので、『武力批判』は日常茶飯事だった。12年間に及ぶ迫害のうち、8年間は独房で孤独の身となり、家族との音信も途絶え、当時70歳近い老人だったが、ののしられ、侮辱され、殴られた」。薄一波の妻、つまり薄熙来の母親は北京に護送されてくる汽車の中で迫害され、死亡するという悲劇が起こった。
少年・薄熙来は文革初期、紅衛兵だった。しかし父親の失脚に伴って「狗仔子」(子犬め)と蔑視された。そして68年1月、19歳にも満たない薄熙来は父親に連座し、5年近く自由を奪われる生活を送ったとされる。
娘・薄小瑩の回想によれば、薄一波は人民日報の切れ端にその日考えたことを書き連ねて「日記」としていたが、67年2月5日にはこう記していた。
「ここ数日間、妻の死を除き、子供たちはどんな生活を送っているか、ということばかり考えている」。その直後も「私の頭の中は絶えずあなたたち(家族)だけのことを思っている」と綴っている。
薄一波は、文革中に相次いだ自殺を拒み、頑強な精神を持ち続け、77年には子供たちに「心にやましいところは全くない」と手紙を送っている。結局、改革・開放が始まった78年暮れになってようやく名誉回復を果たした。息子・薄熙来が北京大学に入学したのも78年2月で、既に28歳になっていた。
解任後、党中央規律検査委の調査を受ける薄熙来は、権力闘争で失脚した父親のことを考えているに違いない。そして政治闘争の渦中にいる自分と父親を重ね合わせているだろう。
文革の悲劇を痛いほど知る薄熙来がなぜ、重慶で文革を想起させる政治手法を取ったのか明らかではないが、前述した通り、毛沢東の政治手法を模倣するための意味しかなかった、というのが大半の見方である。
■刑事訴訟法改正 「秘密拘束」規定という矛盾
今回の全人代の閉幕記者会見で温家宝首相は、「文革の悲劇を繰り返す」と政治体制改革の必要性を訴えたが、その同じ日、同じ人民大会堂で、刑事訴訟法改正案が92%の賛成票を得て採択されたことに、矛盾を感じた知識人や弁護士たちは多かった。
刑訴法改で焦点となった「第73条」が文革時代を思い起こさせる「悪法」(中国司法学者)だからだ。国家安全に危害を与える容疑などを対象に、当局指定の秘密の場所に拘束することを可能にしたものであり、こうした容疑で拘束された場合、容疑者の家族に通知しなくてもいい「秘密拘束」規定も明記されたのだ。
胡錦濤指導部が主導した刑訴法改正が採択された翌日、公から姿を消し、秘密の場所に連れて行かれたのが薄熙来というのは、皮肉と言う以外にない。文革で迫害された薄一波らかつての指導者もこうやって闇に消えていった。結局、反体制的な人物を打倒する手法は、文革終結から36年が経っても変わっていないばかりか、今回は合法化されてしまったのだ。
■政治改革唱えても人権侵害・法治無視が横行
前出・北京の政治学者はこう問題提起する。「多くの人は、薄熙来が法制を踏みにじったと批判するが、同時にわが国では薄熙来のほかにも、現在の共産党自身が法制を踏みにじっているではないか」。
薄熙来の解任で、薄が重慶で実践した「重慶モデル」(打黒、唱紅、共同富裕)は「崩壊」したと宣伝されているが、「胡錦濤の『中国モデル』と薄熙来の『重慶モデル』は一体どこに違いがあるのか」というのが前出・学者の見解である。
いくら温家宝が政治体制改革を唱えようが、現実の中国社会では人権が侵害され、法治は無視され、「維穏」(安定維持)の名の下に反体制的な動きは弾圧されている。薄熙来を支持してきた保守系サイト『烏有之郷』や前出『中国選挙與治理網』などは政府に封鎖を命じられ、当局の意に添わない言論を弾圧する手法も健在だ。
胡錦濤政権下では共産党主導で民主手続きを経ないまま政策決定が行われ、権力にすり寄った国有企業の経営者らの権限が膨張している。これこそ中国独特の統治スタイル「中国モデル」の危険な現実だ。国営新華社通信の元記者で、現代史専門誌『炎黄春秋』副社長・楊継縄は中国モデルの実態を「権力市場経済」と言い切る。
「権力が制約を受けず、権力と資本が『悪性結合』し、民衆を搾取する。(権力と資本が結びついた)『権貴階層』に対し、民衆は非常に大きな不満を持っている」
内外の研究者らが、胡錦濤時代の国家統治の特徴を枠組み化したものが「中国モデル」であり、胡錦濤自らがこれを喧伝することはない。一方、「重慶モデル」についてはその核心である「唱紅打黒」や「共同富裕」は薄によって高々と宣伝されたため注目を浴びた。ただ「中身は五十歩百歩」(前出・学者)だ。
■共産党を二分するかもしれない「危険な賭け」
一部の人たちが先に豊かになり、いわば格差社会を許容した論理とされる?小平の「先富論」。「共同富裕」を唱える薄熙来はこれを否定し、「社会主義の最大の優越性は共同富裕であり、これは社会主義の本質を体現したものだ」と主張している。その結果として薄は重慶で貧困層から絶大な支持を得たが、彼を否定することは「平等や公平を基礎とする社会主義の正統性を否定するものではないか」(北京の大学教授)という声が出ているのも事実である。
「ここで注目しなければならないことは何か」と筆者に切り出した中国人研究者はこう解説してくれた。
「結局、政治局常務委員が薄熙来解任でまとまっても、政治体制改革の推進を声高に訴えるのは温家宝だけということだ」
何よりバランスを重視する指導者である胡錦濤も習近平も、改革を阻む既得権益層(「権貴階層」)を打破する勇気はない。共産党そのものが既得権益層として重くのしかかっているにもかからず、これを放置する選択肢しか持っていないようである。
唯一の例外とされる温家宝さえも実は、既得権益層の「象徴」だと知る国民も多い。息子・温雲松は最近、「中国衛星通信集団」という巨大国有企業の会長に就任。めったに公に姿を見せない夫人は宝石商として悪名が高い。
「薄熙来は実は、平等・公平という社会主義の本来の姿を取り戻そうとした『改革派』であり、演説もうまく、人気も実行力もある。温首相も含めた胡錦濤指導部にすれば、指導部の安定を損なう厄介な存在とみなして切り捨てた結果だろう」と解説するのは、北京の有名大学教授だ。
抗日戦争、新中国建国、文革……。共産党の苦難と栄光、挫折を経験した薄一家を支持する幅広い長老、幹部、庶民がいることを胡錦濤も習近平も熟知している。薄熙来をさらに追及することは、共産党を二分してしまいかねない「危険な賭け」であるが、既に薄の政治生命は完全に絶たれ、一心同体だった妻・谷開来も英国人実業家殺害に関わった疑いで送致されるなど「華麗なる一族」として知られた薄一家は転落してしまった。 *強調(着色)は来栖
・著者
城山英巳(しろやま・ひでみ)
時事通信北京特派員
1969年生まれ、慶應義塾大学文学部卒業後、時事通信社入社。社会部、外信部を経て2002年6月から07年10月まで中国総局(北京)特派員。外信部を経て11年8月から北京特派員。11年、早稲田大学大学院修士課程修了、現在、同大学院博士後期課程在籍中。著書に『中国臓器市場』(新潮社)、『中国共産党「天皇工作」秘録』(文春新書、「第22回アジア・太平洋賞」特別賞受賞)、近著に『中国人一億人電脳調査 共産党より日本が好き?』(文春新書)がある。
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◆早くも躓く「中国次期皇帝」習近平/ 失脚した幼なじみ 薄熙来 2012-04-18 | 国際/防衛/中国
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「毛沢東」になれなかった薄熙来の悲劇/現在の共産党自身が法制を踏みにじっているではないか
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