なぜ人はバーチャルな世界でネガティブに流れてしまうのか ゲームに依存して自己を見失う人が増えている
Diamond online 香山リカの「ほどほど論」のススメ
【第27回】2012年4月23日 香山リカ [精神科医、立教大学現代心理学部教授]
オンラインゲームやソーシャルゲームに依存しすぎて廃人同然の精神状態になったり、多額の借金を背負って自己破産してしまったりする人が増え始めています。
私の診察室にも、そうした悩みを抱えた患者さんが訪れます。
現実世界でうまくいかないことが続いてうつ病にかかった人にとって、家の中でひとりで楽しめるゲームは、他人との煩わしい関係を考える必要のない世界です。ところが気軽にやっているうち、思いのほかのめり込んでしまうようです。
これが依存の始まりです。やがてゲームなしではいられなくなり、多額のゲーム代を借金で埋め合わせようとお金を借りまくっていきます。その行く末が、自己破産なのです。
パソコンゲームをやろうと思えば、起き上がってパソコンに向かう元気が必要です。しかし、携帯型ゲーム端末機や携帯電話は寝転がってゲームができるので、他のことにまったくやる気が起こらない人でも手軽にできてしまいます。最近は、携帯端末や携帯電話で魅力的なゲームができるようになったので、そうした状態に陥る患者さんが増え続けているのだと思います。
私はこれまで、ゲームに対してマイナスイメージを持っていませんでした。むしろ、若い患者さんの治療の一環としてゲームを勧めたこともあります。それはこんな理由からです。
ゲームをやり続けると、経験値が上がってクリアできたという達成感を得られます。それが精神的に良い作用を及ぼすこともあるからです。また、現実世界ではどこにも居場所がなかった人も、ゲームの世界では歓迎されます。
患者さんにとってゲームをひとときの「止まり木」として位置づけ、そこでエネルギーを蓄えることができれば自信も回復し、現実世界に再び飛び出して行く勇気を持つことができるのではないかと考えていたのです。
■オンラインゲームは際限ない深みにはまる危険性も
ただし、その人のまわりの現実世界に、親でも兄弟でも友人でもいいので、ゲームの成果を評価してくれる人がいることが必須条件です。
基本的に、ゲームばかりやり続けることに対して、ほとんどの人は後ろめたさを感じるものです。それで時間をつぶしてしまうことに罪悪感も感じるでしょう。いくらゲームの中でほめられても、所詮ゲームの中で評価されたにすぎないという思いを常に持っているのです。だからこそ、周囲にいてそれとなく見守ってくれる人が必要なのです。
さらに言えば、私が想定していたのはゲームソフトとして完結しているものです。これらは、最終ステージまでクリアすればそこでゲームは終わります。だからこそ達成感が得られます。
ところが、最近のオンラインゲームには終わりがありません。向き合い方によっては限りなくレベルを上げることができるので、のめり込めばのめり込むほど達成感から離れていくという皮肉な現象すら起こってしまうのです。
また、オンラインゲームではある種の人間関係が生まれます。
オンライン上で誰かと対戦したり、仲間と協力しながら進めたりするゲームでは「あの人に負けたくない」「あの人もやっているから自分だけ抜けるわけにはいかない」という心理が働き、かえって精神的な負担が大きくなります。
また、バーチャルな人間関係で傷ついたり、女性だとわかったとたんに相手からセクハラを受けて嫌な気持ちになったりという話が聞こえてきます。人間関係に疲れた人が、ゲームというバーチャルな世界で新たな人間関係に悩むという皮肉な現象です。
■非リアルのコミュニケーションはネガティブな方向に流れる
非常に不思議なことですが、オンラインゲームのバーチャルな世界も、インターネットという非対面の世界も、コミュニケーションを長く続ければ続けるほどネガティブな情報ばかりになり、人間関係が悪化していく傾向が見られます。
具体的には「言われなき批判」「荒らし」「炎上」といった類いのものです。
サイバーカスケードという言葉がありますが、批評家でブロガーの荻上チキさんはその著書『ウェブ炎上』(筑摩書房)でサイバーカスケードを「ネット上の集団行動」と呼び、こう評しています。
「これらの集団行動は、たとえ同じメカニズムでも、その現れ方によって時にポジティブにとらえられることもあれば、炎上などのようにネガティブにとらえられることもあります。これは非常に重要な点です。サイバーカスケードのネガティブな発露について考察する際、ついつい『サイバーカスケードをなくそう』という発想をしてしまう方も多いと思われますが、そのような目論見はインターネットの長所、あるいはインターネットの性質自体を否定することになりかねません」
その言葉通り、集団で良い方向へ向かった事例もないわけではありません。
たとえば、白血病の子どもを救おうとネット上で呼びかけたことで、多額の募金が集まったというのは良い例でしょう。
しかし、こうした話は数えるほどしか耳にしません。ほとんどが誰かを叩いた、誹謗中傷した、集中攻撃されたというような悪い話が圧倒的です。どちらに転ぶ可能性もあると安易に言えないほど、ネガティブな方向へ流れてしまっているように感じます。
ある方が私に話してくれた話が印象的でした。
その方は軽度のうつ状態なのですが、好きな韓流スターのコミュニティーに入って楽しみを見つけようとしたそうです。
韓流スターに関連する楽しい情報を話そうとコミュニティーに参加したその方は、最初のうちはテレビの出演情報やファン・ミーティングなどの話題でにぎわっていたことにとても満足していたそうです。
しかし、コミュニケーションが深まる中で、ある人が「私はうつだ」と言い出します。そのとたん、話題は一気に暗くネガティブな方向へ進んでいったのです。
やがて、コミュニティーは「あなたの言い方はひどい」などという揉め事ばかりになってしまったといいます。その方は、せっかく気晴らしをしようと参加したのに、かえって嫌な気持ちになってしまったそうです。
原因はバーチャルか、それとも人間か
先日、ソフトウェア会社のジャストシステムが「Facebookの利用状況に関するアンケート調査」を実施しました。
アンケートに答えた人の68.4%が、Facebookを利用することにストレスを感じていると答えていました。
また、知人のFacebookを見て違和感を覚える人が34.4%もいるそうです。理由は「無理に作っているような感じ」「自分を良く見せようとしている」ことへの違和感だといいます。
これだけ人気を博し爆発的な広がりを見せたFacebookでも、多くの人がストレスを感じ始めています。実名を明かすことで無理やり楽しい話題を書かなければならず、正直な話を書けないことにストレスを感じているのでしょうか。
実名での人間関係においては、コミュニケーションがネガティブな方向に行かないように、必要以上に無理をしているのかもしれません。
Facebookに限らず、オンラインゲームやSNSに参加するすべての人が、最初からネガティブな話をしようとたくらんでいるわけではないと思います。
楽しもう、便利さを享受しようという理由でそれぞれのコミュニティーに参加したはずなのに、いつの間にかネガティブな話題ばかりになってしまうのはなぜでしょうか。私にはそれが不思議でならないのです。
この原因は、バーチャルリアリティーやインターネットが持つ特性によるものなのでしょうか。それとも、人間が本質的持っている特性によるものなのでしょうか。もともと、人はスキャンダルやうわさ話が好きなので、自由なコミュニケーションの機会を与えられると、すべからくネガティブな方向へ走り出してしまうのでしょうか。
私の中では、まだこれがバーチャルの特性だとは言い切れないものがあります。
↧
なぜ人はバーチャルな世界でネガティブに流れてしまうのか 香山リカの「ほどほど論」のススメ
↧