チャイナ・ウォッチャーの視点
薄熙来夫妻に極刑も 政治改革は凍結
「時限爆弾」抱える中国共産党
WEDGE Infinity isMedia 2012年05月01日(Tue)森保裕(共同通信論説委員兼編集委員)
中国共産党は直轄市、重慶のトップとして権力をほしいままにした薄熙来・前同市党委員会書記(62)について、党政治局員と党中央委員の職務を停止し、「重大な規律違反」の疑いで本格的な取り調べを始めた。また、中国の警察当局は、昨年11月に重慶市で知り合いの英国人男性を殺害した容疑により、薄氏の妻で弁護士の谷開来容疑者(53)を送検した。
「薄夫妻が不正に蓄財した巨額の資産を海外に送金」「薄氏は妻の殺人事件をもみ消すため捜査員を殺害」「殺された男性は英国のスパイ」「薄氏が胡総書記を盗聴」との海外報道も出ており、薄氏の失脚劇は、中国共産党中枢の政治局員夫妻をめぐる前代未聞のスキャンダルに発展した。
今後、薄夫妻の巨額収賄や殺人事件への関与が事実と認定されれば、2人に対する死刑あるいは執行猶予付き死刑(事実上の無期懲役)の判決もあり得る。胡錦濤・共産党総書記(国家主席)を中心とする指導部は薄氏切り捨ての影響を最小限にとどめようと、守りの姿勢を強め、温家宝首相が訴えていた本格的な政治体制改革は「凍結」したままだ。
■欧米メディアの活発な報道
今回のスキャンダルが明るみに出るきっかけとなったのは、今年2月、重慶市の王立軍副市長が四川省成都市の米総領事館に駆け込んだ事件。王氏が何の目的で総領事館に入り、館員に何を話したかは、明らかになっていない。しかし、米英や香港など海外メディアはこれまで、王氏の行動の“輪郭”を伝えてきた。
4月24日付の米紙ワシントン・ポストによると、かつて薄氏の腹心だった王氏は今年初めから薄氏と対立。総領事館に対し、英国人ビジネスマン、ニール・ヘイウッド氏が心臓発作に見せ掛けて殺害された事件の詳細な記録を提出した。
ヘイウッド氏はコンサルタント業のかたわら薄氏の息子、瓜瓜氏=米ハーバード大学ケネディ政治大学院在籍=の家庭教師も務めた。谷容疑者は多額の資産を海外に移した可能性があり、一家の海外資産の運用を手伝ってきたヘイウッド氏と谷容疑者の関係が悪化。谷容疑者は昨年11月、薄家の使用人と共謀してヘイウッド氏を殺害した疑いが持たれている。
同紙によると、王氏が米国への「亡命」を求めたかどうかは確認されていないが、王氏は自らの身の安全を守るため、北京の党中央指導部に連絡。薄氏が派遣し、総領事館を包囲した地元警察官から逃れ、北京への安全な脱出方法を確保した後、駆け込みから30時間後に総領事館を離れたという。
■「監視」する米英 中国指導部に求められる情報公開
英国人が被害者であり、秘密を握るキーパーソンが米総領事館に駆け込んだこともあって、欧米メディアは極めて活発な報道を展開。薄氏や谷容疑者の親族、親戚のビジネス展開や相関図を大きく掲載し、日本のメディアが後を追う形だ。
米英両国は薄氏失脚や殺人事件の捜査について、内政干渉はしない立場を固く守ってはいるが、「監視」は続けていく構え。欧米メディアの目も光っており、中国指導部も情報公開を迫られている。
ただ、党指導者の家族や親戚が企業を経営し、特権を使って巨額の富を築くことは、けっして珍しいことではない。薄氏を「スケープゴート」として、その悪事を詳細に暴露して一罰百戒の効果を狙うか、ほかの指導者に累が及ばないよう薄夫妻の捜査や結果の情報公開に手心を加えるかは、党指導部の意向次第である。
■党大会に向けて「安定志向」
中国指導部の薄氏切り捨ては、3月15日の重慶市党委員会書記からの解任発表。4月10日の政治局員・中央委員の職務停止と谷容疑者の送検の発表−という2段階で公表された。
11日付の中国共産党機関紙、人民日報の紙面を見ると、指導部の意向がよくみてとれる。同紙は第1面左中央の目立つ位置に(1)「党中央の正しい決定を断固擁護する」(評論員論文)(2)「薄熙来同志を重大な規律違反で調査−中共中央が決定」(3)「ヘイウッド死亡事件を法に基づき再捜査」−の3つの記事を並べた。
評論員論文は王立軍事件、ヘイウッド死亡事件、薄氏の規律違反の3つを列挙して、「党と国家のイメージを著しく損なった」と強く批判。「事件の捜査と厳正な処理を行い、速やかに発表する」という党中央の決定をたたえ、法治の重要性を強調し、「優秀な成績で、第18回党大会を迎えよう」と結んだ。
薄氏に対する規律違反の調査と、殺人事件の捜査は法に基づいて粛々と行うが、指導部は結束して、重要な党大会を迎えなければならない、という安定志向が色濃く浮かぶ。薄氏の失脚をきっかけとした連鎖的な権力争いや路線闘争は避けたいということだ。
海外メディアは、党内序列9位の周永康政治局常務委員(治安担当)が薄氏をかばったため、指導部内で窮地に立たされていると報じた。しかし、4月24日付の人民日報は、第3面に胡総書記を中心とする指導部に忠誠を誓う周氏の論文を掲載。事実上、周氏失脚の観測を否定した。
■難題はすべて先送り
薄氏は暴力団一掃運動を強力に推進する一方、「唱紅歌」(革命歌を歌う運動)など、文化大革命を思い起こさせる大衆動員で、大々的な反腐敗キャンペーンを展開し、多くの重慶市民から支持を受けた。今秋の党大会で最高指導部入りも取りざたされた薄氏は今回の事件で完全に失脚した。
権力・路線闘争の面を見れば、胡総書記を中心とする指導部は、中央の方針と異なる左派路線をとっていた薄氏を切り捨てた。毛沢東にも例えられた薄氏への個人崇拝や、暴力団や汚職官僚への強引な取り締まりの違法性も指摘されていた。
温家宝首相は3月14日、全国人民代表大会(全人代=国会)閉幕後の記者会見で、政治体制改革の重要性を強調した際、「文化大革命の誤りと封建的な影響はなお完全に除去されてはいない」と薄氏を暗に批判。王立軍事件に関連し「現在の重慶市の共産党委員会と政府は事件を反省し、教訓をくみ取らなければならない」と語気を強めた。
温首相は汚職の横行や貧富の格差などの解決には政治体制改革が不可欠だとし「政治体制改革の成功がなければ、経済体制改革も徹底できない。特に党と国家の指導制度の改革を推進しなければならない」と強調した。しかし、党大会を前にして安定志向に傾く指導部の中で、温首相は明らかに孤立している。
深刻化する汚職や貧富の格差への対応という点からみれば、薄氏の左派路線を否定したのだから、温氏の右派路線を行くべきだが、指導部は安定維持を口実として、難題はすべて先送りする構えだ。
■批判から一転 胡総書記に忠誠の北京日報
北京市党委員会の機関紙、北京日報は3月31日付の紙面で「総書記は党の最高指導職務だが、最高指導機関でない」として、総書記への過度の権力集中に反対し集団指導を重視すべきだとの論評を掲載した。
江沢民前国家主席に近い劉淇北京市党委書記の意向を受け、胡錦濤総書記をけん制したとの憶測も出た。正面から受け止めれば、党政分離の政治体制改革を訴える温首相の主張を支持する改革派の論文とも読める。
いずれにせよ、北京日報の編集局は党指導部から大目玉をくらったらしく、4月5日付紙面の第1面トップに「総書記の付託を銘記せよ」と題した評論員論文を掲載し、胡総書記への忠誠を誓った。
一方、温首相は中国共産党の政治理論誌「求是」(4月16日発行)に「権力は陽光の下で行使せよ」と題した論文を掲載し、政府改革の推進と反腐敗を訴えたが、民主化につながる本格的な政治体制改革に着手する気迫は感じられなかった。
■バブル崩壊で国民の不満爆発か
しかし、政治体制改革の先送りは、いずれは大爆発を起こす国民の不満という「時限爆弾」を体制内に抱え込み続けているようなものだ。汚職の横行や貧富の差の拡大のほか、強制的な土地収用や低賃金への庶民の不満が膨らみ続けており、全土で連日のように抗議行動が起きている。
日中産学官交流機構特別研究員の田中修氏は共同通信が4月18日配信した評論記事で、中国のバブルが2010年代後半に崩壊する危険性を指摘した。田中氏は、高成長期にあり政府の金融コントロールが強い今は「住宅バブルのソフトランディングは可能」と分析。しかし、成長が鈍化し、金融の自由化・国際化が進む10年代後半は「日本が深刻なバブル崩壊を経験した1980年代後半と酷似」し、危険な状態に陥るという。
今秋の党大会後に習近平総書記を中心とした新指導部が発足する見通しだが、習指導部が2017年の第19回党大会を経て、2期目に入った後、経済危機を迎えるとの予測だ。このバブル崩壊が「時限爆弾」を誘爆する恐れは十分にある。
■薄事件の全容解明と公表を
今後の焦点は、薄氏の殺人事件への関与の度合いと、谷容疑者が海外送金したとされる巨額資産の性格だ。薄氏は今のところ、党の規律違反で調査を受けているが、刑事責任は問われていない。香港誌「亜洲週刊」は、ヘイウッド氏殺害事件を調べていた地元警察の捜査官5人が薄氏の指示で拘束された後に拷問を受け、うち3人が死亡したと伝えた。薄氏自身がヘイウッド氏殺害を指示したとの報道もあった。
これが事実だとすれば、薄氏自身が殺人や傷害致死などの罪に問われることになろう。また、巨額資産が薄氏や谷容疑者の収賄や横領など不正な蓄財によるものだと認定されれば2人の罪状は極めて重くなる。
大型汚職事件に絡む政治局員の失脚例としては、1995年の陳希同・元北京市党委書記と、2006年の陳良宇・元上海市党委書記がある。陳希同・元書記は1998年に収賄罪などで懲役16年、陳良宇・元書記は2008年に同罪などで懲役18年の判決を受けた。
■中国の量刑は「見せしめ」
覚せい剤犯罪で日本人が処刑されたのをみても分かるように中国の量刑は「見せしめ」のため、とても厳しい。薄夫妻について、殺人罪に加え、巨額収賄が認定されれば、死刑判決(執行猶予付きを含む)もありうるだろう。
外国人が被害者でもあり、中国指導部は事件の全容を解明し、速やかに内外に公表するべきだ。これとは別に、薄氏が重慶市を「独立王国」とし左派路線を推進したことについての政治的な総括もきちんとなされなければならない。
薄夫妻のスキャンダルは奇しくも、中国が抱える党指導者ら特権階級の腐敗と横暴、貧富の格差という社会問題の深刻さを浮き彫りにした。こうした問題を解決するには、本格的な政治体制改革を推進するしかない。政治体制改革を訴え、孤軍奮闘を続ける温首相の有言実行を期待したい。
・著者
森 保裕(もり・やすひろ)共同通信論説委員兼編集委員
1957年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。81年共同通信入社。91〜95年北京支局記者。98〜2001年中国総局長、05〜08年台北支局長を経て現職。
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