小沢氏喚問を叫ぶ石原・町村・江田各氏の「政治とカネ」問題
NEWSポストセブン2012.05.11 07:00
最も恐れていた事態が現実に起こってしまった――これが永田町のホンネだ。座敷牢に入れられていた小沢一郎が無罪判決を受けて表舞台に戻ってくる。すくみ上がった与野党議員は「それでも小沢は政界追放!」とヒステリックに叫ぶが、その前に自分自身の収支報告書をじっくりと眺めることをお勧めしたい。
まずは野党。自民党の次期総裁候補の1人である石原伸晃・幹事長はこう噛みついた。
「政治的、道義的責任は重い。証人喚問を求める」
もし仮に「借入金の不記載」「期ズレ」が国会で説明すべき“犯罪”ならば、石原幹事長の「政治とカネ」はどうか。
代表を務める党支部の2003年の政治資金収支報告書では、6万8000円だった講演会の会場使用料を68万円と記載し、その後数年にわたって繰越金額も誤って記し続けた。毎年数十万円も収支が合わなければ気づいて当然だが、相当ずさんな会計をしていたらしく、外部からの指摘で誤記が発覚したのは5年後。政治資金を1円単位まで精査して公表する小沢事務所では考えられないミスだ。だが、この件も報告書の修正だけでお咎めなし。
さらに石原氏には、橋本派1億円闇献金事件(※)の日歯連から巨額の迂回献金を受け取った重大疑惑もある。2001年4月から2003年9月まで小泉内閣で行政改革・規制改革担当大臣を務めた石原氏は、日本歯科医師会の懸案だった医療規制改革にかかわる立場にあった。迂回献金の手法は、日歯連がいったん自民党の資金団体「国民政治協会」に献金。その後、党本部から石原氏(党支部)への交付金として2000〜2002年で総額4000万円が環流したというものだ。
党本部から1000万円単位の臨時交付金は異例で、計4回の献金はすべて日歯連から支出されて2週間ほどで石原氏側にわたっていた。日歯連の元会計責任者は闇献金事件の公判で、「特定の代議士に献金しても、国民政治協会から日歯連に領収証が発行された」と迂回献金のカラクリを証言している。まさに贈収賄につながりかねない疑惑だ。
小沢氏が政治資金で不動産を取得したことが問題ならば次のケースはどうか。
次期総裁選への出馬を明言している自民党の実力者、町村信孝・元官房長官は、2001年、資金管理団体「信友会」を通じて1000万円の不動産(北海道江別市)を取得し、6年後に600万円の安値で買い取って自宅にしている。不動産購入どころか、政治資金の私的流用さえ疑われるケースにもかかわらず、大メディアは報じず、捜査当局も動いていない。
無罪判決が出る前から、小沢氏を「無罪でも証人喚問すべき」と強く訴えた江田憲司・みんなの党幹事長も、代表を務める政治団体「憲政研究会」で2003年に840万円の不動産(横浜市)を購入している。小沢氏に対し、政治資金で不動産を買うこと自体がよくないと批判した政治家、メディアは多かったが、ならば彼らも厳しく追及すべきだろう。
そもそも日付や金額の間違いなど、収支報告書の修正は2011年だけでも581件に上る。そのすべての議員や会計責任者が逮捕、強制起訴され、証人喚問を求められなければ、司法府も立法府もダブルスタンダードを認めることになる。
※日歯連闇献金事件/日本歯科医師連盟から橋本派への1億円をはじめ、多くの自民党有力議員に巨額の闇献金や迂回献金が行なわれた事件。診療報酬改定など医療政策で有利な政策をとってもらうための工作資金だったとされる。
東京地検特捜部は2004年に橋本派会長代理の村岡兼造・元官房長官を政治資金規正法違反で立件(有罪確定)したが、捜査の過程で橋本派以外にも、山崎拓氏、石原伸晃氏などへの迂回献金疑惑が発覚して国会で追及され、時の小泉政権を揺るがす大きな問題となった。
※週刊ポスト2011年5月18日号
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◆KSD事件・日歯連事件の笠間治雄氏が検事総長に/ 「けもの道」の闇が更に深くなった 2010-12-28 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
〈来栖の独白 2010/12/28〉
笠間治雄氏が大林氏の後の検事総長となった。東京地検特捜時代に、KSD「事件を作った」人だ。日歯連事件にも関わった。
KSD事件の真相(概要)をみてみよう。平野貞夫著『小沢一郎 完全無罪』(講談社刊)によれば、次のようである。
p91〜
“2001年3月1日、元参議院議員の村上正邦が、KSDに絡む受託収賄容疑で東京地検特捜部に逮捕された。
KSDとは、理事長の古関忠男が1964年に創立した、中小企業の経営者やその家族、役員を対象とした福祉事業を行う財団法人である。
KSDの会員になると、月額2000円の会費で、業務上であるかどうかに関係なく、怪我をした場合は6000万円の総保障額の範囲内で、何回でも保障を受けることができた。また、死亡時には2000万円、入院治療は1日4000円が保障されていた。(略)一時は、共済会費などで、年間約280億円もの巨額の資金を集める事業団体にまで成長していた。
ところが、2000年を境に、理事長の古関の乱脈経営や政界工作などが表面化し、東京地検特捜部が捜査に乗り出すことになる。
古関を業務上横領、贈賄、背任容疑で逮捕するだけでなく、自民党の参議院議員であった村上正邦や小山孝雄を受託収賄容疑で逮捕し、政界スキャンダルに発展したという事件である。
KSD事件では、事件の捜査の過程で、自民党参議院選挙比例代表名簿の登載順位を上げるために組織的に自民党の幽霊党員を集めた事実や、自民党費の肩代わり、数十億円にも上る自民党の政治資金団体への迂回献金も発覚した。
村上正邦の起訴事実は、1996年1月頃に古関から「ものつくり大学」構想について、KSDに有利な代表質問を参議院本会議でしてほしいとの請託を受け、その見返りとして、1996年10月に現金5000万円を受け取ったというもの。
また、政策担当秘書と共謀して、1996年から1998年の事務所家賃2280万円の肩代わりを受けたというものである。
公判で村上は請託を受けた事実はもとより、現金5000万円の受領を一貫して否認。事務所の家賃については関与していないと主張した。
検察側の受託収賄罪の立証のポイントになったのは、古関の供述調書であった。
ところが、請託があった場所も時間もいい加減であった。後の控訴審で、当の古関が、「検事に村上の逮捕のために協力してくれと頼まれ、弁護士からも協力したほうがいいといわれたので、嘘の供述をした」 と、請託などなかったことを訴えた。
古関はこれを自民党の幹部を応援する「豊明会中小企業政治連盟」の事務総長でった中村勝彦に話していたが、この話は古関の急死で証拠とされずに終わってしまう。
結局、村上は早期保釈をしてもらう代わりに、起訴事実を否認しながらも、関係者の供述調書(検面調書)を証拠として採用することに同意する。そして、そのために有罪判決を受けることになるのだ。
2003年5月に東京地裁は懲役2年2ヵ月、追徴金約7280万円の実刑判決を言い渡し、2審の東京高裁も村上の控訴を棄却。最高裁も2008年3月に上告を棄却し、村上の実刑が確定している。
このKSD事件に絡む村上正邦の逮捕と後の有罪判決は、証拠は供述調書によるものだけ。明らかな冤罪事件としか思えないのである。(〜p93)”
次に日歯連事件である。三井環著『検察の大罪 裏金隠しが生んだ政権との黒い癒着』から、みてみたい。(本文29〜59ページより抜粋)
“この事件は、大物政治家の関わる事件の検察による捜査が途中で不可解に打ち切られ、当事者は起訴されず、当事者でない人間が起訴された冤罪事件として、特異なものである。
日歯連とは、全国の歯医者から会費を取って、運営している公益法人である。日歯連は、医者と歯医者との診療費の格差が広がる一方だと危機感を抱き、診療報酬改定を自民党議員に強く要望し、多額の裏献金を続けていた。
平成一三年一月から同一五年の間に、自民党の国会議員に約二二億円の金をばらまいたとされる。その結果、平成一四年には「かかりつけ初診料」が前年二一〇億円だったのが、一〇七〇億円に増加した。
日歯連の裏献金システムは、いわゆる「迂回献金システム」ともいわれる。日歯連は特定の自民党国会議員に金を渡すに当たり、最終的に金を渡したい国会議員を指定。まず、自民党の政治資金団体である「国民政治協会」に献金する。「国民政治協会」は献金を受け取って、領収書を発行し、協会への献金として会計処理する。最終的には指定された国会議員に金を渡す。
事件の発端は、平成一三年七月二日夜、東京・赤坂にある高級料亭「口悦」で橋本龍太郎元首相、野中広務元自民党幹事長、青木幹雄元参議院幹事長が、日歯連の臼田則夫会長らと夕食をともにし、臼田会長から橋本元首相に、額面一億円の小切手が手渡されたことから始まる。
橋本元首相はこれを受け取り、同派の政治団体「平政研究会」の滝川俊行事務局長が金庫に入れて、まもなく現金化した。
平成一四年三月が提出期限となっている同一三年分の政治資金収支報告書に、一億円の献金の事実を記載しないで裏金として処理したという。まぎれもない政治資金規正法違反事件なのである。
東京地検特捜部が、政治資金規正法違反の情報を入手したのは、平成一五年になってからである。同年八月に滝川事務局長を逮捕、起訴。同人の証言を唯一の根拠として、平成一五年三月一三日、村岡兼造元官房長官を在宅起訴した。現場にいた橋本龍太郎元首相、野中広務元自民党幹事長、青木幹雄元参議院幹事長の三人は、起訴せずにである。
なぜ、このようにゆがんだ捜査となったのか。
結局、村岡は一審で無罪となった。その判決理由は、「滝川事務局長の証言は橋本氏ら派閥の幹部や自民党全体に累が及ばないよう」虚偽証言をした可能性があるというものだった。
しかし東京高裁は逆転有罪とし、「禁固一〇月執行猶予三年」の判決を下した。その判決理由の中で「他の派閥幹部も起訴する処理も考えられた」と述べ、検察捜査に異例の注文をつけた。
また、東京第二検察審査会は、平成一七年一月一九日、橋本、青木、野中の三人を起訴しなかった検察の判断につき、「不起訴不当」の議決をした。しかし特捜部は三人とも「不起訴処分」の判断を下している。
この事件の検察捜査は、きわめて不透明な形で幕引きがはかられたことで、多くのジャーナリストの見解が一致している。
「本来裁かれるべき巨大な不正の痕跡にはふたをし、引退した老政治家にすべての罪を押しつけるかのような捜査からは、政治と検察との間に沈殿する腐臭すら漂ってくる」
と評するのは、ジャーナリストの青木理氏だ。
まず、同違反の事実についてみる。
一億円の金を、いったい何に使ったのか。それが捜査の最大の争点である。当時は参議院選挙の直前であった。平政研究会には約一〇〇人の議員がいた。それらの議員の選挙活動資金ではなかったのか? そうであるなら、公職選挙法違反事件へと発展する。
また、当時は診療報酬改定にむけ、日歯連は奔走していた。その依頼の趣旨の金ではなかったのか? そうであるなら、贈収賄事件へと発展する。
領収書を発行しないで裏金処理したのは、犯罪性があるからではなかったのか? 当然これらの点が、重大な捜査の対象となる。
ところが、なんらその使途についての捜査をした形跡が認められない。
橋本元首相は取り調べ時、「一億円の小切手をもらった記憶がない」と供述したが、それ以上突っ込んだ取り調べはなされていない。「記憶がない」というのは、木で鼻をくくるようなことではないか。結局はお茶をにごした捜査だったのだ。その巨大な闇にすべてのふたをしてしまった。通常ではあり得ない、信じがたい捜査なのだ。
小沢幹事長をめぐる土地疑惑事件では、四億円の原資を追及するため、石川議員らを逮捕勾留した。小沢幹事長を狙った捜査と対比すれば、いかに異常な捜査であるかがわかる。
日歯連事件は本来、献金を自ら受け取り、秘書が政治資金収支報告書に不記載としたことの監督責任があった橋本龍太郎が主犯格であり、野中、青木も同席したことで関与の責任を問われ、逮捕、起訴を免れ得ない、闇献金事件なのである。
巨大な闇にすべてふたをした理由は、いったい何だったのだろうか? その回答はやはり、政権と検察との「けもの道」にある。
実は、私のでっちあげ逮捕直前の平成一四年三月末、京都駅前にある新都ホテルにおいて、私は野中広務と会ったことがある。京都の野中の事務所の青木秘書から、裏金問題で野中が会いたいと言っているという連絡があった。そこで私が新都ホテルに行くと、青木秘書ともう一人の秘書が出迎えてくれて、エレベーターに乗り、だいぶ上の階だったと記憶しているが、ホテルの部屋に行った。そこに野中が待っていてくれた。
その部屋はホテルを事務所に改築したもので、一対一で一時間くらい裏金作りの実態と、「けもの道」の話をした。
野中は「裏金問題は改革しないとダメだ」と言われた。当時は鈴木宗男議員の疑惑報道がなされていた。野中は、「北方領土問題解決のためには鈴木宗男は必要な人です。彼がいないと解決できない」と話されたのをよく覚えている。
このように、野中は法務検察の組織的な裏金作りの実態と、政権と検察がゆ着した「けもの道」を知っていた人物の一人である。
当時の政権は、平成一三年一〇月末の「けもの道」のやりとりのときと同じ、小泉政権である。検事総長は、「けもの道」当時の法務事務次官であった松尾邦弘検事総長であった。当然、橋本元首相、青木参議院幹事長らも、「けもの道」のやりとりを知っていたものと思われる。
東京地検特捜部は、野中と村岡元官房長官の二人を起訴したい方針であった。だが、松尾邦弘検事総長は一人でいいと指示し、結局、野中は起訴猶予処分となった。
野中が「裏金を公表しようかね」とさえ言えば、自らの起訴は免れたであろう。いや、そこまで言わなくとも、匂わせさえすれば十分だ。また、橋本元総理、青木元参議院議員幹事長らに対しても、起訴することはできなかったと思われる。
どうしてか。
起訴すればその報復として、法務検察の裏金問題が公表されるかも知れないからだ。そのため、その巨大な闇にすべてふたをしたのではないか。私はそれ以外の理由はないと考えている。
日歯連事件は、約八ヵ月にわたって捜査が遂行され、大々的に報道された事件である。国会議員一人だけは何としても起訴しないことには、検察のメンツ丸つぶれである。だが、中心人物は「けもの道」により守られ、起訴できない。そこで、目を付けられたのが村岡であった。議員を辞めており、「けもの道」のなんたるかすらも知らない村岡は、いわば「けもの道」の犠牲者である。
迂回献金捜査の打ち切り
特捜部は政治資金規正法違反の捜査の過程で、日歯連から約五億円が、診療報酬改定をめぐって自民党議員約二〇人に渡っているとの確証を掴んだ。贈収賄事件などの大疑獄事件へと発展する様相を呈した。
そのまま捜査が進展したなら、小泉政権そのものに大きな打撃を与えただろう。自民党政権が崩壊する危険性もあった。
ところが、捜査の最終局面において、松尾検事総長が捜査の打ち切りを指示したと言われる。それに反発した特捜検事の一人が辞職したという。検事総長が特捜部の捜査の打ち切りを指示する。通常ではあり得ない。
松尾検事総長は若手検事の頃から、贈収賄事件などの独自捜査を遂行した。以前は現金による贈収賄事件のみの立件しかなかった。飲食接待の贈収賄事件は立件することもなかった。大蔵省のいわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ接待」を、初めて立件逮捕起訴した人でもある。清廉潔白な人で、大疑獄事件に発展するような政界の大贈収賄事件の捜査を、途中で打ち切るような人ではない。
というのも、以前、松尾検事総長の松山地検検事正時代に、私は氏と手紙のやりとりをしたことがあるからである。平成一二年四月一七日に送られた手紙には、彼の独自捜査の経験や検察官の心構え、使命感について書いてあった。少し長いが、引用させていただく。
独自捜査の過程で困難に直面し、安易な道を往けばよかったと、一度ならず思ったものでしたが、そうしたことに懲りずに同じ道を往き、一度は辞表を書くまでに至った こともありますが、このときは検事正、先輩に助けられ、職に止まることになりました。
大切なことは、事件にきちんと向き合う姿勢を堅持することにあるように思います。送致事件であれ、独自捜査事件であれ、事件の捜査の終局処理を国民から託されている検察官としての誇りを心の底にしっかりと持つことが大切だと思います。
力強くしたためられた文字を見る限り、彼の本心の言葉であると私は確信している。
そんな松尾検事総長が、独自の考えで打ち切りを指示したものでない。断じてそれはあり得ない。松尾検事総長は涙ながらの苦渋の決断をしたのだと、私は考えている。検察首脳が「けもの道」という最悪の選択をしてしまったために・・・。
他方、特捜部では一人の若手検事が辞表を提出し、退職した。彼は「将来の特捜部を背負っていく存在」とまで言われた優秀な人材だったという。退職の本当の理由は定かではないが、「日歯連事件の捜査方針が納得できない」と周囲に漏らしていたという話だ。彼はなぜ捜査が打ち切られたのか、まったく知らないはずだ。
松尾検事総長が下した判断の「本当の意味」を知っている法務検察幹部は、ごく一部である。特捜部の連中は多分知らないだろう。この事件はそれぞれの立場で苦悩し、人生を歪めた事件だった。
それではいったい、何があったのか? 打ち切りの闇には何があるのか。
それは、検察が抱える自らの大罪、つまり政権へのすり寄りという「けもの道」以外にないのではないか。それ以外の理由では、政治資金規正法違反事件において、一億円の闇献金の捜査をしなかったことを説明することはできない。迂回献金疑惑の捜査を打ち切ったことも、説明することができない。
法務検察は日歯連事件の真相解明よりも、解明をした場合の小泉政権による反撃が恐ろしかったのであろう。個人が犯罪を犯したとき、ひた隠しにする。いつ発覚するかもしれない恐怖を持ち続ける。それは、法務検察組織もまったく同じではなかったろうか。”
〈来栖の独白 続き〉私は大林氏の辞任が、村木事件の不祥事によるものではないと考えてきた。政権との絡みもあるだろう。いや、さらに複雑な権力闘争があるに違いない、と考えてきた。笠間氏就任は、そのことを暗示している。闇が、さらに深くなった。
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平成22年12月21日
躍進日本! 春風の会
日本の司法を正す会
村上正邦
新聞報道によれば、大林宏検事総長が、大阪地検特捜部の証拠改竄・犯人隠避事件の責任をとって辞任し、政府は後任の検事総長には笠間治雄東京高検検事長を充てる人事を固めたとのことである。
大阪地検特捜部の事件を「検事個人の不祥事」にとどめず、組織全体の問題として受け止め、最高責任者たる検事総長が責任をとること事態は評価したい。
しかし、今回の事件を検事総長の辞任で終わらせるようなことがあってはならない。いま国民が求めているのは、厳しい批判に晒された特捜検察の在り方そのものを根本から変革することではないのか。
今回の大阪地検特捜部の事件をはじめ、一連の国策捜査を生んだ特捜検察そのものの病根を剔抉することなく、東京地検特捜部長経験者である笠間治雄氏を後任の検事総長に就かせる人事、つまりトカゲのシッポ切りのくり返しには大いに疑問がある、と言わざるを得ない。
2001年3月、私はKSD事件で受託収賄容疑で逮捕・起訴されたが、当時の東京地検特捜部長が、今回検事総長に擬せられている笠間治雄氏であった。
当時、東京地検特捜部は、「ものつくり大学」設立を目指していたKSD創立者の古関忠男氏が代表質問で取り上げるよう私に請託し、見返りに5000万円を供与したというストーリーを作り、ストーリー通りに調書を捏造したのだ。
請託の事実がないにもかかわらず、請託の日時・場所を「作り上げ」、古関氏には執行猶予を条件に嘘の自白調書にサインさせたのである。
私は終始一貫無罪を主張、古関氏も公判廷で「請託の事実はない。このままでは死にきれない」と証言したが、東京地裁で2年2月の実刑判決を受けた。私は直ちに控訴したが、控訴棄却、最高裁も上告棄却で実刑が確定した。
私は自ら身の潔白を証明するため、今後再審請求を行ってゆく決意だ。
この他にも笠間氏は東京高検次席検事の時、日歯連闇献金事件を担当した。
この事件も不可解な経過をたどった。
1億円の小切手を受け取った時に現場にいた橋本龍太郎元総理、青木幹雄参院自民党幹事長の両氏は証拠不十分で不起訴、野中広務元自民党幹事長は起訴猶予となったが、現場にいなかった村岡兼造・元官房長官が在宅起訴された。 この検察の処分について検察審査会が「起訴猶予は不当である」とする議決を行ったように、当時の特捜検察の捜査、処分には幾多の疑問が残る。
この事件を担当したのが笠間氏であったことを、ここで明記しておきたい。村岡氏は一審では無罪だったが、東京高裁では逆転有罪となり、上告棄却で有罪判決が確定した。
笠間氏の検事総長就任人事を報ずる新聞各紙は、笠間氏は特捜検察の経験が長く、東京地検特捜部長として辣腕をふるい、4人もの政治家を逮捕したことを「実績」として高く評価している。
しかし、この「実績」に問題があるのだ。笠間氏自身が、いま国民の批判に晒されている特捜検察の捜査手法を駆使し、ストーリーありきで幾多の事件を作り上げてきた中心的存在の人物なのではないか。
いま我が国の検察が直面しているのは、今回の大阪地検特捜部の「事件」が何故起きたのか、そしてその根本にある「検察文化」とは一体、如何なるものだったのかを、自ら真摯に問うことである。
あわせて、笠間氏が指揮をとった全ての「事件」の検証があってしかるべきことは、論をまたない。
以上、笠間氏の検事総長就任に異議を申し立てる所以である。
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◆大林検事総長「僕の心の内までは誰も分からないでしょう。いつか説明する機会があると思う」 2010-12-17
◆来年民主党大会前日(2011/01/12)小沢氏起訴との情報(=官邸の党大会対策) 平成ファシズム2010-12-17 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆小沢排除は三権協調して行われた/森英介元法相「小沢事務所の大久保秘書逮捕=あれは私が指示した事件だ」
◆暴走検察の果て 「罪なき罪」をつくる検察の大罪
◆暴走する「検察」
◆検察を支配する「悪魔」(田原総一朗+田中森一)
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