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「もう大臣がいません」そそくさと退席 細野・枝野大臣/「もう帰るんですか」大臣にとって被災地は他人事

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細野・枝野大臣 全国原発市町村協議会を「国会ある」と中座
NEWSポストセブン2012.05.21 07:00
 悲痛な叫びだった。
 福島第一原発事故の発生から1年以上、町民の大半が避難生活を強いられている福島県双葉町の井戸川克隆・町長がスピーチの途中で堪えかねたようにこう切り出した。
「もう大臣がいません、もう帰って……。もう、向きを変えたいと思います」
 5月11日、国会議事堂にほど近い東京・永田町の全国町村会館で開かれた全国原子力発電所所在市町村協議会の総会での出来事だ。
 総会には枝野幸男・経産相と細野豪志・原発担当相が出席したが、2人とも冒頭の挨拶だけ済ませると、「国会がある」とそそくさと中座した。原発の不安を抱え、政府の意見を聞こうと全国から集まった市町村長の前にはもぬけの殻の2つの大臣席が残された。
 そこから異様な光景が出現した。井戸川町長は空の大臣席にくるりと背を向け、首長たちが並ぶ席の方に向き直って抗議のスピーチを続けたのである。
「細野大臣は、『しっかり責任をとる』なんて簡単にやさしい言葉を皆さんの前でいってますけれど、我々にとってはとんでもない、今置かれている姿は、棄民であります。棄てられた国民であります。(中略)県内の各市町村は、泣く泣く除染作業しておりますが、効果が出ておりません。子どもたちが被曝しながら、毎日生活しております。法律には、管理区域の中では飲み食いをしてはいけない、あるいは10時間以上滞在してはいけない、1ミリシーベルトが限界、となっていても、多くの県民が、そのような中で毎日暮らしてるんです」
 枝野氏と細野氏は原発事故直後、SPEEDI情報(※)を隠して「安全デマ」を流して被害を拡大させ、双葉町はじめ被災地の住民に今なお塗炭の苦しみを強いている張本人だ。それなのに町民とともに避難生活を続ける町長の訴えに耳を塞いで逃げ回り、いまや全国の原発立地自治体の首長たちの意見も聞かずに電力会社や経産省の電力マフィアと一体となって原発再稼働に邁進している。
 大臣席に背を向けた井戸川町長の姿は、国民の生命を虫けらのように扱うこの政権、2人の大臣への国民の怒りそのものだった。
※SPEEDI/原発事故発生の際に稼働する「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」のこと。文部科学省所管の財団法人「原子力安全技術センター」が運用し、そこから専用回線で政府の原子力安全委員会、関係省庁などにリアルタイムで情報が送られる。
※週刊ポスト2012年6月1日号
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「もう帰るんですか!」詰問の夫妻 「拍手で見送りたい」
産経ニュース2011.8.26 21:24
 4月に菅直人首相が福島県内の避難所を訪問した際、「もう帰るんですか!」と首相を詰問した夫妻は「菅首相にとって被災地は他人ごとのようだった。退陣は歓迎。拍手で見送りたい」と胸の内を明かした。
 夫妻は、福島第1原発事故で全域が計画的避難区域に指定されている葛尾村の東海林富司夫さん(51)とみゆきさん(51)。現在は避難所を出て仮設住宅で暮らしているが、建設業の富司夫さんは仕事が激減し、失業保険を受給しているという。
 みゆきさんは「テレビで『やるべきことはやった』と笑顔で話す首相を見て、怒りを覚えた。何もやってないでしょうって」とあきれ顔。富司夫さんも「多くの被災者が先の見えない不安と闘っているのに、菅さんは政局や点数稼ぎに奔走しているだけにみえた」と改めて批判した。
 富司夫さんは当時の状況を「菅首相と話す避難者があらかじめ決められていた。それは納得できるが、その人たちと話してすぐに帰ろうとした姿を見て、パフォーマンスにすぎないんだなと、悔しさや怒りがこみ上げた」と振り返る。
 テレビでは詰問する場面だけが放送され、一部の避難者から「あの態度は何だ」と批判も受けた。しかし、7割は「よく言ってくれた」「自分も同じ気持ちだ」と好意的な意見だったという。夫妻は「多くの被災者の声が最後まで菅首相に届かなかったと思うと残念」と話した。
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「やるべきことはやった」(26日夕)
産経ニュース2011.8.26 18:36
 菅直人首相が26日夕、首相官邸で行った退陣会見の詳報は以下の通り。
 「国民の皆さんに私からご報告をすることがあります。本日、公債特例法、そして再生可能エネルギー促進法が与野党の皆さんの努力によって成立しました。これで第2次補正予算を加え、私が特に重要視していた3つの重要案件がすべて成立したことになります。これにより以前から申し上げておりましたように本日をもって民主党の代表を辞任し、そして新代表が選出された後に首相の職を辞することといたします」
 「まず国民の皆さんに申し上げたいと思います。昨年の6月8日に首相の職に就いて以来、国民の多くの皆様から多くの叱咤激励をいただきました。温かい激励、厳しい批判、そのすべてが私にとってありがたく、うれしいものでありました。国民の皆様には心から感謝を申し上げます。また、ともに新しい政治への変革に挑戦してきた皆さんにも感謝を申し上げます。閣僚をはじめ政務三役、政府職員、与野党の国会議員、そして全国の党員サポーターの皆さんの支えがなければ、菅政権は一歩も進むことができませんでした。政権スタートの直後、参院選の敗北により、国会はねじれ状態となりました。党内でも昨年9月の代表選では全国の党員をはじめ多くの方々からご支持をいただき再選させていただきましたけれども、それにもかかわらず、厳しい環境が続きました。そうした中で、とにかく国民のために必要な政策を進める、こういう信念をもって1年3カ月、菅内閣として全力をあげて内外の諸課題に取り組んできました」
 「退陣にあたっての私の偽らざる率直な感想は、与えられた厳しい環境のもとで『やるべきことはやった』という思いです。大震災からの復旧・復興、原発事故の収束、社会保障と税の一体改革など内閣の仕事は確実に前進しています。私の楽観的な性格かもしれませんが、厳しい条件の中で内閣としては一定の達成感を感じているところです。政治家の家に生まれたわけでもなく、市民運動からスタートした私が首相という重責を担い、やるべきことはやった、と思えるところまで来ることができたのは、国民の皆さん、そして特に利益誘導を求めず応援してくれた地元有権者のおかげです。本当にありがたいと思っています。私は首相に就任したとき、最小不幸社会を目指すと申し上げました。いかなる時代の国家であれ、政治が目指すべきものは国家、国民の不幸を最小にとどめおけるか、という点に尽きるからであります」
 「そのため、経済面では雇用の確保に力を注いでまいりました。仕事を失うということは経済的な困難だけではなくて、人として人間としての居場所と出番を失わせることになります。不幸に陥いる最大の要因の一つであります。私が取り組んだ新成長戦略も雇用をどれだけ生み出すか、ということを、そうした観点を重要視してつくりあげたものです」


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