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野田総理は「時間軸の違い」という技術論に矮小化したが、官僚統治こそが「決められない政治」の根本原因だ

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「永田町異聞」
2012年05月31日(木) 官僚統治こそが決められない政治の根本原因だ 
 「増税の前にやるべきことがある。行政の仕組みを中央集権の官僚支配から地方分権に変える大改革を実行すると国民に約束した。それが緒に就いていない」
 小沢一郎は、「官僚支配体制」の解体という、政権交代時に厳然と存在した民主党の理念を野田首相に諄々と説いた。
 しかし、消費増税パラノ症候群に陥っている野田首相の耳には素直に入っていかない。
 マスコミもこれを「増税の前に行政改革」という定型句で素通りし、野田首相の言葉を借りて、「消費増税時期の時間軸の違い」という技術論に矮小化しようとする。
 官僚中央集権の統治機構こそ、「決められない政治」の根本原因である。政治家はなにごとも省益優先の官僚に依存し、「先生」とおだてられてその代弁者となり、「ご説明」にコロリと騙される操り人形に成り果てている。
 「議院内閣制」は名ばかりで、実態は「官僚内閣制」だ。
 各省庁が、天下り先の企業や業界団体の利害得失を優先した予算配分や政策を進めようとすれば、一般市民の価値観と対立するのは当然であり、そこから情報・便宜サービスによってマスコミを手なずけ世論を操作するという悪だくみも生まれてくる。
 性急な消費増税論に走るのも、停電恐怖で原発再稼働という特攻精神をあおるのも、政治家の裏で振り付けている連中の仕業である。
 国民に選ばれた政治家が「民権」を重んじず、実態として官僚組織に握られている「国権」の使い走りをやっている。
 憲法上、国権の最高機関であるはずの国会は、さながら、官僚に振り付けられた政治家踊りの舞台のようである。激しい論戦であるかのごとき質疑の多くは、地元や支持団体向けのパフォーマンスにしか見えない。
 小沢は、明治以来続いてきた骨抜き政治におさらばし、根本的に統治機構を変えたいと言っているのだ。
 これまでの統治機構の延長線上でお愛想ていどに行革をやればいいという、霞ヶ関への迎合的姿勢が、野田首相をはじめとする政権中枢の面々に見えるからこそ、検察の弾圧で疲れ切った身に鞭打って、あえてここで小沢は踏ん張ろうとしているのではないだろうか。
 それは、真の民主主義をこの国に確立したいという、多くの国民の願いと一致するはずだ。
 日本になぜ真の民主主義が育たず、官僚支配体制が続いてきたのか。
 その淵源は、大久保利通、木戸孝允、西郷隆盛らが相次いでこの世を去った明治11年以降、伊藤博文とともに政府の実権を握るようになった山県有朋が、ヨーロッパ視察でフランスの「民権」に恐れを感じて帰朝したあたりからみてとれる。
 富農層の政治参加要求がもたらした自由民権運動は、憲法制定と議会開催を求めて盛り上がり、各地の演説会場はあふれるほど聴衆がつめかけるようになった。
 山県は藩閥支配を脅かすこの運動に危機感をおぼえ、運動を弾圧するため、憲兵を設け、警官にサーベルをもたした。
 政府は明治23年の憲法施行、帝国議会開催を約束したが、それまでの間に、山県有朋は周到に、官の権力を温存する仕組みをつくりあげた。
 「天皇の軍隊」「天皇の官僚」。軍隊や官僚は神聖なる天皇のために動く。政治の支配は受けない。そんな仕組みを制度に埋め込んだのだ。
 明治18年に初代伊藤博文内閣が発足し太政官が廃止されるや、内務大臣となった山県はエリート官僚を登用する試験制度を創設し、中央集権体制を確立するために市町村制、続いて郡制・府県制を実施した。
 避けて通れないのが人心の問題だ。いかに政府の思うように大衆を引っ張っていくか。
 江戸日本人の道徳は藩主、すなわち恩ある殿様を敬い、従うという風であったが、明治になって、それに代わる忠誠の対象が必要になった。
 そこで山県を中心に考え出されたのが天皇の神格化であり、そのためにつくられたのが「軍人勅諭」や「教育勅語」である。
 山県は松下村塾以来の皇国思想をその基盤とした。天皇と国民が道徳的絆で結ばれることで日本の民族精神は確立する。そして、それは日本の古代からの伝統である、というものだ。
 ところが、記録のない古代はいざ知らず、実際にはこの国において天皇が国民と道徳的絆で結ばれて統治したという歴史はほとんどないといえる。
 壮大なフィクションで天皇統治の国体を創造し、軍や官僚を中心に西洋列強の圧迫を跳ね返す国力をつけようというのが山県のねらいだった。
 自由民権運動、政党の台頭、憲法制定という近代化の流れ。時代に逆らうことはできないと知りつつ、あたかもその推進力を形骸化するかのように、天皇の名の下に独裁に近い体制を築き上げていったのである。
 そうした軍部や官僚への政党の関与を許さない、天皇直属体制が、昭和になって統帥権の名のもとに軍部の暴走を許し、気に入らない政治家を暗殺する暴力装置として働いて、国あげての軍事態勢へと突入していった。
 そして、敗戦で過去の国家体制が崩壊し、新憲法で国民主権が謳われても、天皇の官僚は、必ずしも国民の官僚とはならなかった。
 官僚は難関の国家公務員試験をパスした者たちの集団であるがゆえに、「一般人とは違う」という、いわば「身分」のような意識が強い。
 封建的な表現でいえば、同じ身分、同じ階級の仲間共同体ができあがり、自分たちが国家を背負っているという自負心が増長しやすい。
 そこで、自分たちの身分共同体、すなわち非公式の階級を守りたいという、組織防衛の意識が異常に強くなり、それが国家国民の公益よりも優先されるようになってくる。
 そしてそのありがたい身分を老後まで守り抜きたいという思いが、共同体の掟のなかで受け継がれ、退職後の天下りやわたりの人事異動まで、出身府省の官房が世話をするという、生涯まるがかえの巨大官僚一家が構築された。
 そうした官僚独裁ともいえる権力構造の解体をめざした政権交代の理念とは裏腹に、野田首相は自民党政権時代と見紛うばかりの官僚依存に戻ってしまった。その象徴ともいえる方針転換が、内閣法制局長官の国会答弁復活だ。
 国の予算を握っているのが財務省とすれば、法の制定や解釈を左右するのが内閣法制局である。
 法解釈を盾に内閣法制局が省益を守る側に立ち、政治主導による政策遂行を妨げることがある。
 そのトップである内閣法制局長官を、民主党政権は国会で答弁する「政府特別補佐人」のなかから除外していたが、通常国会開会後の今年1月26日に復帰させた。
 そもそも、内閣法制局長官の国会締め出しは、代表時代から小沢一郎が主張していたことだった。脱官僚依存を実行するためには、この組織の権力を削がなければ話にならない。
 小沢は内閣法制局に自民党時代から何度も煮え湯を飲まされた経験がある。
 1990年、イラクがクウェートに侵攻して湾岸戦争がはじまったとき、小沢は海部内閣時代の自民党幹事長だった。国連決議で派遣された多国籍軍に協力するため自衛隊を活用すべきだと小沢は主張した。
 東西冷戦が終わり、日本も国際社会できちんと役割を果たす一人前の国家になるべきだという認識が小沢にはあった。
 その意見に強硬に反対したのが内閣法制局だ。憲法で禁じられた集団的自衛権の行使にあたるという理由だった。
 日本の石油タンカーが往来するペルシャ湾の危機に直面し、130億ドルもの巨額なカネを出しはしても、命を賭ける人的な貢献をしない日本政府に、多国籍軍に参加した各国から冷ややかな視線が向けられた。まさに外交敗戦だった。
 内閣法制局が担う役割は内閣法制局設置法で次のように定められている。「法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べること」。
 ところが、実態としては単なる意見具申機関にとどまらなかった。
 内閣法制局の判断に従って政府提出法案がつくられ、憲法などが解釈され、それに沿って政治、行政が進められてきた。各省庁は、法制局のお墨付きを得られなければ法案ひとつ作れなかった。
 積み上げてきた法解釈の連続性、整合性を、変転しやすい政治の動きから守ることこそ、自分たちのつとめだと信じて疑わないのが、内閣法制局の伝統的思想なのだ。
 法制局の言い分も分からぬではないが、それで時代の変化に対応していけるかとなると甚だ疑問である。法解釈の整合性を重視するあまり思考が硬直化し、迅速で柔軟な法案作成が必要なときには、障害になるだけだろう。
 とくに憲法解釈を内閣法制局が担うという実態には、根本的な問題がある。
 そもそも憲法は、国民から統治者へ向けた、いわば契約書である。国民が守るべきものは憲法ではなく、法律や法規範だ。つまり主権者である国民の利益に反したことをしないように、統治者が絶体に守るべき基本ルールとして定めるものが憲法である。
 その解釈を、行政サイドにある内閣の役人が担い、国民に選ばれて立法機関である国会に集まった政治家がそれに従うというのでは、国民主権と、憲法の目的からして、本末転倒なのではないだろうか。
 その本末転倒が許されてきたのは、政治家の不勉強による官僚依存、政官の馴れ合いなど、いくつかの要素が重なり、絡み合ってきたからにほかならない。
 小沢は、そうした日本政治のぬるま湯体質が、官僚の実質的支配につながり、ひいては役所や関連団体などの組織的増殖、天下りの横行を生んできたのだという問題意識を持ち続けてきた。
 そして、国会の論戦さえ法制局の判断に依存するという悪弊を断ち切るために、法制局長官の答弁禁止を主張し、政権交代によって実現させた。
 もちろん、法制局長官という強力な助太刀がないなかでの国会答弁は、閣僚に負担を強いることは確かである。
 鳩山内閣では枝野幸男が、菅内閣では仙谷由人が法令解釈担当として国会で答弁する役割を担ったが、昨年9月、菅から政権を引き継いだ野田首相は、早々に方針を転換し、現内閣法制局長官、山本庸幸を国会の自席の後部席に座らせた。
 失言へのガードが固い野田の性格がもろに出た手堅い変更といえるが、かつて自由党党首だった時代の小沢が、自民党との連立協議のなかで、官僚が代理答弁する政府委員制度の廃止を認めさせ、国会を議員どうしの討論の場にするよう変革を志した経緯を考えると、いささか、やるせない。
 小沢はその自自連立政権において、政府委員制度廃止とともに内閣法制局長官の国会答弁廃止も求めたが、自民党はついに首を縦に振らなかった。しかし、民主党への政権交代にともなって、ようやくそれが実現したのである。
 法案をつくるさい、各省庁は事前に法制局の審査を受け、承認を受けることではじめて閣議決定に持ち込み、国会に提出することができる。
 だが、官僚が官僚の作成した法案に権威づけをして国家運営をコントロールしているにすぎず、国民に必要かどうかを判断しているわけでは決してない。
 小沢はそういう官僚の脱政治的「職欲」とでもいうべきものを排し、政治家どうしの真剣な議論の末に法律や政策が決定される、ごくあたりまえの国会のありようをめざしてきたといえる。
 行政も、国会も、司法も、変わらなくてはならない。真の民主主義のために。
 「行政の仕組みを中央集権の官僚支配から地方分権に変える大改革を実行する」という小沢の統治機構改革が、いつの日か緒に就くことを期待したい。
 新恭(ツイッターアカウント:aratakyo)
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『小沢革命政権で日本を救え』〔1〕このまま「霞が関」が勝利すると、日本はファシズム国家になる 2010-07-01 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア 

          

『小沢革命政権で日本を救え』副島隆彦×佐藤優 日本文芸社
p1〜
 はじめに---小沢一郎が「平成の悪党」になる日 佐藤優
 「霞が関」とマスコミによって潰された鳩山・小沢政権
 2010年6月2日、鳩山由紀夫首相が辞意を表明した。同時に民主党の小沢一郎幹事長も幹事長職を退く意向を表明した。
 マスメディアの報道だけだと、普天間基地移設問題の処理を鳩山首相(当時)が誤ったため、社民党が連立を離脱し、これでは7月に予定されている参議院選挙で民主党が惨敗するという危機感が高まり、内閣が崩壊した、というストーリーしか見えてこない。もちろん、情勢論で見るならば、そのとおりである。
 しかし、それでは問題の本質が見えない。
 霞が関(中央官庁)官僚による“静かなるクーデター”が行われたことが問題の本質なのに、報道からではその姿がなかなかわからない。
 2009年8月30日の衆議院議員選挙(総選挙)による政権交代は、日本の歴史において画期的な出来事だった。国民の手によって、政権交代が実現した初めての出来事なのである。その後、わが日本では、目に見えない2つの政府が激しい権力闘争を展開している。
 第1は、国民の選挙によって選ばれた「民主党連立政権による政府」だ。
 第2は、明治憲法体制下からの連続性が強い「霞が関官僚による政府」だ。
 私自身、元外務官僚だったので、官僚の内在的論理が皮膚感覚でわかる。「存在が意識を規定する」というが、官僚の身分を離れ、文筆で生計を立てるようになってから、官僚時代の私の意識が、いかに普通の国民の意識から遊離した頓珍漢なものであったかを深く反省している。その反省の意味を込めて、官僚の国家観をここで端的に述べておく。
 官僚は国民を無知蒙昧な有象無象と見なしている。
 もちろん狡猾な官僚は、そんなそぶりは見せずに「全体の奉仕者」というような顔をしているが、腹の中では、普通の国民を「お前たちは手足だ。われわれが頭脳なのだから、手足は余計なことを考えずに、一生懸命働いて税金を差し出せ」と考えている。そして有象無象の国民から選ばれた国会議員は、無知蒙昧のエキスのようなもので、こんな連中の言うことをまともに聞く必要はないと思っている。
 それでも「全体の奉仕者」である官僚は、主権者である国民に忠誠を誓っているのではないだろうか?少なくとも、国民に奉仕するという建前を尊重しながら職務を遂行しているのではないだろうか?
 違う。断じて違う。刑事憲法下の「官吏服務令」を少しだけ変形させたルールで官僚は動いている。
 恐るべき検察官僚と外務官僚の「集合的無意識」
 官吏服務令において、官僚は国民でなく、天皇に対して忠誠を誓っていた。あの戦争に大日本帝国が敗北したことによって、天皇は国政に対する権能を失った。それにともない官僚は、天皇なき抽象的日本国家に対して忠誠を誓って行動している。官僚は、国家のために必要と考えるとき、国民を平気で切り捨てる。そのことに良心の痛みなど、まったく感じない。
 官僚は、国家公務員試験、司法試験などの難しい国家試験に合格した偏差値エリートによって日本国家が支配されるべきと考える。そうでないと、「食うか食われるか」の激しい競争が展開される国際社会で日本が生き残っていくことはできない。結果として、偏差値エリートによる支配のほうが下々の国民にとっても幸せなのだと思っている。(略)
 自民党政権時代には、名目的権力は政治家、実質的権力は官僚という棲み分けができていた。しかし民主党連立政権は、本気で政治家が日本国家を支配することを考えている。この「暴挙」を、ありとあらゆる力を結集して阻止するというのが官僚の「集合的無意識」だ。
 集合的無意識だから、特定の官僚が鉛筆をなめて、鳩山首相や小沢幹事長(当時)を失脚させるシナリオを書き、そのシナリオに基づいて謀略工作を行ったということではない。無意識のうちに、検察官僚は腐敗政治家・小沢一郎を叩き潰す役割、外務官僚と防衛官僚は日米同盟を破壊する鳩山由紀夫を封じ込めるという役割をそれぞれ分担して戦った。
 インターネットにおける「炎上」に近い現象が官僚の世界で起きて、「霞が関」が鳩山・小沢政権潰しに走ったのだ。
 マスコミも、この炎上に意図的もしくは無意識のうちに加担している。そして、日本全体が催眠術にかけられたような状態になっている。催眠術をかけることは、素人にでもできる。難しいのは、催眠術を解くことだ。
 このまま「霞が関」が勝利すると、日本はファシズム国家になる
 私と副島隆彦氏は、「日本国家を誰が支配すべきか」をめぐって、鳩山・小沢政権と霞が関官僚の間で、深刻な、生死を賭した権力闘争が展開されているという見方で一致した。
 副島氏が、共謀理論に基づき、官僚・政治家・財界人・アメリカの特定の有力者の自覚的な連携によってこの権力闘争が展開されていると考えるのに対して、私はそれぞれの利害関係者の集合的無意識を重視する。
 特にアメリカに関しては、実際の米国政府の動きよりも、日本の外務官僚や、日米安保利権屋が、実際には存在しない「アメリカの意向」を煽動し、情報操作を行っているという点を重視する。
 いずれにせよ、私と副島隆彦氏は、「この闘争で官僚が勝利すると、日本にファシズム(コーポラティズム)国家が生まれる」という危機感を共有している。この危機感に基づき、私たちは討論を積み重ねてきた。
 当初、私たちはこの本を2010年の秋に出版する予定にしていた。7月に予定されている参議院選挙で、民主党が大敗し、検察官僚が小沢一郎氏を政界から放逐し、外務官僚が鳩山由紀夫氏を統制下に置くクーデターを今年末(特に11〜12月に予定される沖縄県知事選挙をにらんで)に行うと見ていたからだ。
 目に見えない権力闘争の姿を、普通の国民に伝え、日本がファッショ化することを何としてでも阻止したいと思い、本書を準備していた。
 しかし、事態は予定よりも早く進捗している。そこで、本書を緊急出版することにした。菅直人氏が第94代目の内閣総理大臣に就任し、闘争はますます深刻化している。
 現在、官僚たちは、菅直人氏が合理性を重視する構築主義者なので、うまく操ることができると考えている。「政治とカネ」や、「党と政府の二重構造」という問題を打ち出すことによって、小沢一郎氏の息の根を止めることが官僚たちの最優先課題だ。
 その後、小沢一郎氏の下でつくられた民主党という「権力の器」を官僚階級が奪取する。その役割を進んで引き受ける官僚的体質の民主党国会議員は、山ほどいる。
 しかし、そうした官僚の目論見はうまくいかないと私は見ている。それは、沖縄問題に関して、菅直人新首相が官僚の思惑と異なる方向に動き始めているからだ。そのヒントがある。
 6月4日、国会における首相指名後の会見で、菅直人氏は「数日前から『琉球処分』という本を読んでいるが、沖縄の歴史を私なりに理解を深めていこうとも思っている」と述べた。
 明治初期に琉球王国が日本に強制的に統合された「琉球処分」を基点に、菅直人新首相が普天間基地移設問題の解決に取り組めば、沖縄の人々の理解を得られる道が必ず生まれる。
 しかし、そのとき菅直人政権を打倒すべく、官僚の集合的無意識が再び動き出す。5月28日の日米合意だは、名護市辺野古における海兵隊新基地の具体的姿が8月末までに決定されることになっている。これに沖縄の人々は猛反発する。
 今、小沢一郎は静かに「悪党」を組織せよ
 いずれにせよ、9月に官僚は、菅直人首相を統制下に置くか、それとも打倒するか、国家の支配権を官僚の手に完全に帰すようにするための勝負をかける。
 私の見立てでは、そのとき小沢一郎氏が官僚との戦いに再び立ち上がる。鳩山・小沢政権の崩壊で、小沢一郎氏は「平成の悪党」になった。ここでいう「悪党」とは、犯罪者という意味でない。南北朝時代(1336^1392)の南朝の忠臣・楠木正成が悪党と呼ばれたことを念頭に置いている。
 手元にある『岩波古語辞典』(1974年版)で「悪党」を引くと、〈中世、荘園領主や幕府の権力支配に反抗する地頭・名主などにひきいられた集団〉と説明されている。「悪党」とは、既成権力に対抗する強い武士の集団のことだ。
 南北朝時代、日本国家は南朝と北朝という2つに分裂した。足利尊氏によって代表される武士(軍事官僚)による北朝が、京都に偽王朝を置いていた。
 これに対して後醍醐天皇によって開始された建武の中興(国家の建て直し)を断固支持する集団は、奈良の吉野に南朝(吉野朝)を置いた。武士では新田義貞が後醍醐天皇側について戦ったが、足利尊氏によって打ち負かされてしまった。そこで、悪党の楠木正成が登場し、大暴れする。
 今、小沢一郎氏は静かにして、悪党を組織化することが重要だ。今は決戦のときではない。今ここで戦っても、現代の北朝=霞が関官僚の術策にはまるだけである。
 参院選における民主党の大敗を阻止し、2010年秋以降の政局で、民主党が官僚階級と戦うことのできるすべての勢力が結集し、社会の力を強めていくことが必要と思う。
 私は公明党と社民党が民主党連立政権に加わり、権力の内側で、社会の側に立つ人々の力を結集していくことが日本を救うための具体的処方箋だと考える。
 そのためには「平成の悪党」が大暴れし、傲慢な官僚たちの鼻をへし折ることが不可欠だ。今後、天下が大いに乱れる。
 2010年6月6日  佐藤優(作家・元外務省主任分析官)

p247〜
 終わりに---国民民主革命を妨げる官僚とアメリカに抗して 副島隆彦
 鳩山・小沢の「差し違え失脚」報道は、官僚、マスコミの捏造か
 佐藤優氏と私の、この緊急出版の本は、前者『暴走する国家 恐慌化する世界』(日本文芸社、2008年12月刊)に続く2冊目の対談本である。
 この本の「はじめに」で、佐藤氏がいみじくも書いてくださったとおり、現在、日本で繰り広げられている「この闘争で官僚が勝利すると、日本にファシズム(コーポラティズム)国家が生まれる」という危機意識を、佐藤氏と私は強く共有している。
 私たちは、なんとしても卑劣きわまりない日本官僚機構(驚くべきことに、民主党若手議員の形で政権の内部に多数潜り込んできている)との闘いに勝たなければならない。鳩山政権を打ち倒したのは、アメリカと深く連携する売国若手官僚たちである。
 佐藤氏が書くごとく、2010年6月2日に起きた鳩山辞任は、まさしく「霞が関(中央官庁)官僚による“静かなるクーデター”が行われたことが問題の本質」である。この事実を他の理屈にすり替えるいっさいの言論は虚偽である。撃滅されなければならない。
 そして2010年の年初の緊迫の事態へとつながった。1月15日深夜に、国民政治家・小沢一郎の元秘書で現職の衆議院議員の石川知裕氏らへの、東京地検特捜部による突然の違法で邪悪な逮捕・起訴という事件となり、「小沢(および日本国民VS検察(オール霞が関官僚)の熾烈な闘いとなった。まさしく「政治主導か、官僚主導か」の闘いだ。
 2月4日に、“違法集団”検察庁は、小沢一郎を逮捕・起訴することを断念した。その2日前の2月2日に、カート・キャンベル米国務次官補とジョン・ルース駐日大使は、国会内の小沢幹事長(当時)との会談で「米側はお前を投獄の危機から救ってやった。だから、以後、アメリカの言うことを聞け」と迫った。しかし小沢一郎はこの恫喝に屈しなかった。
 アメリカに対して、我が身を滅ぼす覚悟でここまで浩然と刃向かい、豪胆にして悠然たる態度をとった日本の指導者は初めてである。
 小沢一郎は、「検察の現場が、旧日本陸軍の青年将校のようになって自分に向かってくる。連中は諦めないだろう」と、2月25日に、佐藤優氏と鈴木宗男氏に語ったと、本書の37ページにある。要するに小沢一郎は、自分が検察に逮捕されることを覚悟していたのである。これはのちのち歴史の証言に属する驚くべき事実であり、本書の価値を高くするものだ。
 そして、6月2日(水)午前9時半に、鳩山由紀夫首相が突然の辞任を発表した。アメリカ海兵隊(マリーン・コー)の普天間基地の「県外・海外への移転」の外交交渉に失敗して膝を屈しての引責辞任だったろう。
 鳩山前首相にかけられた多くの苦難と理不尽な各所からの重圧に、私は深く同情申し上げる。鳩山由紀夫をいじめ抜いた日本のテレビ(6局)・新聞(大手5社)は、やがて日本国民から正しく裁かれるだろう。
 これほどの偏向報道の嵐を執拗に続けて、今や日本国民に向けられた“刃物”になっている新聞・テレビ(マスゴミ)が、鳩山と小沢の「差し違え(道連れ)」での「2人ともども失脚」への筋書きを官僚たちと連携して深く企てた。さらに大きく上からアメリカの対日本謀略部隊が指揮している。私はずっとこのように自著の諸本やインターネット上で書き続けてきた。
 小沢一郎を指導者として目下、推し進められている「国民民主革命」(別名、無血革命)を妨害し破壊しようとしている、オール霞が関官僚たち(1.特殊な宗教勢力に操られた法務・検察官僚たち。2.普天間基地問題で首相を封殺した、アメリカの手先となって動いた防衛・外務官僚および官邸のスパイ高官たち。3.そして日本国民の大切な資金をアメリカに貢ぎ続ける財務省、総務省、金融庁の官僚たち)の政権打倒のクーデターの企てが、今度の鳩山辞任で一旦は成功したかに思われた。(以下略)
 2010年6月6日  副島隆彦
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小沢一郎氏 法制局長官の答弁復活を批判「旧体制下と同じ」 「政治塾」で講義 2012-02-13 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア 
 小沢氏 法制局長官答弁復活を批判
NHK NEWS WEB 2月13日15時8分
民主党の小沢元代表は、みずからが主宰する政治塾で講演し、政権交代のあと、認めていなかった内閣法制局長官の国会答弁を政府が復活させたことについて、「政治主導とは到底言えない」と述べ、批判しました。
この中で、小沢元代表は「われわれは『政策決定などあらゆる面で政治家が責任を持つ体制を作る』と主張し、それを国民が受け入れて政権を与えた。これが実現できていないことが、国民の民主党政権に対する最大の疑問点や不満のもとになっている」と述べました。
そのうえで、小沢氏は、政府が今の通常国会から内閣法制局長官の国会答弁を復活させたことについて、「官僚の答弁は国会ではやめようと制度化したが、すべて元に戻り、旧体制下の国会運営になっている。立法府における論議こそ政治家自身が行わなければ、政治主導とは到底言えない」と述べ、批判しました。
また、小沢氏は「自民党と同じ体制でやっていて金がないのは当たり前だ。地域の実情にそぐわず、霞が関のマニュアルでしかお金が使えないところに膨大なむだが生じており、地域主権を進めるなかで、地域にお金や権限を移すべきだ」と述べ、消費税率の引き上げよりもむだの削減を優先させる必要があるという考えを示しました。
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小沢氏、法制局長官の答弁復活を批判「旧体制下と同じ」 「政治塾」で講義
産経ニュース2012.2.13 11:40
 民主党の小沢一郎元代表は13日午前、都内で開かれている「小沢一郎政治塾」で講義を行い、野田佳彦政権が今国会から復活させた内閣法制局長官の国会答弁について「旧体制下の国会運営とまったく同じになっている。立法府における論議こそ、政治家自身で行わなければ政治主導とは到底いえない」と批判した。
 民主党は鳩山、菅両政権で法制局長官を国会審議で答弁する「政府特別補佐人」から外していた。
 また、小沢氏は首相が進める消費税増税路線を念頭に「(現政権は)カネがないと言うが、自民党と同じことをやっててカネがないのは当たり前だ。(予算の使い方を)変えずにカネがないというのはいただけない」と重ねて苦言を呈した。
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民主党大会 小沢氏演説=この理念に沿った政治をこの国が渇望しないはずがない2010-09-15 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
 民主党代表選に於ける小沢一郎氏演説
〈前段略〉
 さて、今回の立候補にあたっては、今日の危機的な政治経済事情の中で、果たして自分にその資質があるだろうか、政治の最高責任者として国民の生活を守るというその責任を果たすことができるだろうか、と本当に悩み、自問自答いたしました。それにもかかわらず立候補を決意をしたのは、今、政治を変えなければもう間に合わないという、私の切実な思いを正々堂々、世に問いかけたかったからであります。
 思い起こせば、私は27歳で衆議院議員に初めて立候補した際、選挙公報にこうつづりました。「このままでは日本の行く末は暗澹たるものになる。こうした弊害をなくすため、まず官僚政治を打破し、政策決定を政治家の手に取り戻さなければならない」と。意志なき政治の行き着く先には国の滅亡しかありません。日本は敗戦を経て本質は変わっていないのではないか。若かりしころの、感じたその思いは初当選以来、いまなお変わっておりません。
 今日、わが国はデフレによる経済の収縮、少子高齢化の既存の社会制度のギャップによる不安など、経済も社会も危機的な状況に陥っております。
 世界で最も層が厚かった中間所得層が解体され、ごく少数の富裕層と数多くの低所得層への分化が急速に進んでおります。日本が誇った社会保障制度も崩れつつある中、2年後には団塊の世代が年金受給者となる日を迎えます。
 今、日本は、最も大事にされなければならないお年寄りがいなくなっても誰も気づかず、また、就職できない多くの若者が絶望感にさいなまされ、若い親が育児を放棄しわが子を虐待する。もはや高度成長がいろいろな問題を覆い隠してくれた時期はとうに過ぎ去って、社会の仕組みそのものが壊れています。そしてまた、日本人の精神風土も興廃し始めていると思います。
 今、ここで政治を見直し、行政を見直し、国のあり方を見直さなければ、もう日本を立て直すことができないのではないかと思います。多くの国民の皆さんも同じように感じていたのだと思います。昨年、われわれ民主党に一縷の思いを託し、政権交代を実現させていただきました。しかしもう1年が過ぎ、残された任期はあと3年であります。
 私たちは今、直ちにこの3年間を国の集中治療期間と位置づけ、徹底した改革を断行し、実行していかなければなりません。しかしその改革は明治維新以来140年続く官僚主導の政治を、根っこから国民主導、政治主導に変えなければとても成し遂げられるものではありません。私の頭の中を占めているのはその思いなのであります。
 しかし、私は官僚無用論を言っているわけではありません。日本の官僚機構は世界に冠たる人材の集まっているところであると考えております。問題は政治家がその官僚をスタッフとして使いこなし、政治家が自分の責任で政策の決定と執行の責任を負えるかどうかということであります。
 私は40代でたまたま国務大臣、自民党幹事長に就任するという機会があり、国家はどう運営されているのか、その実態を権力の中枢でつぶさに見続けて参りました。そこで見た官僚主導の、例えば予算作りでは、各省のシェアが十年一日のごとくほとんど変わることがありませんでした。官僚組織というのはそういうものであります。
 その中で私は、自民党の中にいながらこの改革は無理であることを骨身に染みて分かりました。だからこそ、政権与党である自民党を飛び出して、真にしがらみのない政党を作り、政権を変えるしかないという決意をもってこの17年間、政治活動を続けて参りました。
 改めて申しあげます。昨年、政権交代が実現したのは、こんな日本を何とか変えてくれ、という国民の悲痛なまでの叫びからだったはずであります。この声に応えようと、菅総理大臣始め閣僚の皆さんが一生懸命に取り組んでおられることを否定をするものではありません。
 しかし、政治と行政の無駄を徹底的に省き、そこから絞り出した財源を国民の生活に返すという、去年の衆院選挙マニフェストの理念はだんだん隅においやられつつあるのではないでしょうか。実際に来年度の予算編成は、概算要求で一律10%カット。これではこれまでの自民党中心の政権と変わりません。財政規律を重視するという、そういうことは大事なことではありますけれども、要は官僚の抵抗で無駄を削減できず、結局マニフェストを転換して国民に負担をお願いするだけではないでしょうか。これでは本当の意味で国民の生活は変わりません。
 私には夢があります。役所が企画した、まるで金太郎あめのような町ではなく、(※)地域の特色にあった町作りの中で、お年寄りも小さな子供たちも近所の人も、お互いがきずなで結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と大勢の人たちが集う都市が調和を保ち、どこでも一家だんらんの姿が見られる日本。その一方で個人個人が自らの意見を持ち、諸外国とも堂々と渡り合う自立した国家日本。そのような日本に作り直したいというのが、私の夢であります。
 日本人は千年以上前から共生の知恵として、和の文化を築きました。われわれには共生の理念と政策を世界に発信できる能力と資格が十分にあります。誰にもチャンスとぬくもりがある、豊かな日本を作るために、自立した国民から選ばれた自立した政治家が自らの見識と自らの責任で政策を決定し実行に移さなければなりません。
 そして、霞ヶ関で集中している権限と財源を地方に解き放ち、国民の手に取り戻さなければなりません。そのため、国のひも付き補助金を順次すべて地方への一括交付金に改めます。これにより、地方では自主的な町作りやインフラ整備が可能になります。国、地方を通じた大きな節約効果と、そして地域経済の活性化が期待できます。また、地域での雇用が生み出され、若者がふるさとに帰り、仕事に就くこともできるようになります。
 国民の皆さんにご負担をお願いするのは、ここにいる皆さんがありとあらゆる知恵を絞って、できることすべてに取り組んでからでいいはずであります。そしてそれが、昨年の総選挙で民主党と国民との約束でなかったでしょうか。
 衆議院の解散総選挙はこうした改革に与えられた任期を費やして、その結果を出してからのことであります。官僚支配の140年のうち、40年間、私は衆院議員として戦い抜いてきました。そしてようやく官僚機構と対立できる政権の誕生にかかわることができました。われわれは国民の生活が第一の政治の幕開けにやっとこぎつけたのであります。
 官僚依存の政治に逆戻りさせるわけにはいきません。それはとりもなおさず、政治の歴史を20世紀に後戻りさせることになるからであります。私は代表になってもできないことはできないと正直に言うつもりであります。しかし、約束したことは必ず守ります。
 こう断言できるのは官僚の壁を突破して、国民の生活が第一の政治を実行するのは、最後は政治家の志であり、改革のきずなで結ばれている皆さんとなら、長い時代の壁を突破できると信じるからであります。そして私自身は、民主党の代表すなわち国の最終責任者として、すべての責任を取る覚悟があります。
 今回の選挙の結果は私にはわかりません。皆さんにこうして訴えるのも、私にとっては最後の機会になるかもしれません。従って最後にもう一つだけ付け加えさせてください。
 明治維新の偉業を達成するまでに多くの志を持った人たちの命が失われました。また、わが民主党においても、昨年の政権交代をみることなく、志半ばで亡くなった同志もおります。このことに思いをはせるとき、私は自らの政治生命の総決算として最後のご奉公をする決意であります。そして同志の皆さんとともに、日本を官僚の国から国民の国へ立て直し、次の世代に松明を引き継ぎたいと思います。
 そのために私は政治生命はおろか、自らの一命をかけて全力で頑張る決意であります。皆さんのご指示、ご理解をお願いいたしまして、私のごあいさつといたします。ありがとうございました。
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※憲法第13条
 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」
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