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「死刑になりたかった。誰でもよかった」大阪ミナミ通り魔事件/「自分で死ねよ」=酷すぎる松井府知事の発言

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逮捕の男“何人も殺せば死刑に”
NHK NEWS WEB 6月11日 5時0分
 大阪・ミナミの繁華街で10日、男女2人が男に包丁で刺されて死亡した事件で、逮捕された男は「人を多く殺せば確実に死刑になると思い、人通りが多い所を目指して現場に来た」と供述していることが分かり、警察は通行人を無差別に狙った動機などについて調べを進めています。
 10日午後、デパートや飲食店が建ち並ぶ大阪・中央区東心斎橋の路上で、東京・東久留米市に住むイベント会社のプロデューサー、南野信吾さん(42)と大阪市内の60代とみられる女性が、男に相次いで包丁で刺されて死亡しました。
 逮捕された住所不定・無職の礒飛京三容疑者(36)は、先月下旬に刑務所を出所したあと、出身地の栃木県に立ち寄っていたとみられ、警察の調べに対し「おとといの夜、大阪に来て、自殺しようと現場近くで刃物を買ったが死にきれず、人を殺したら死刑になると思った。誰でもよかった」と容疑を認めているということです。 また「人を多く殺せば確実に死刑になると思い、人通りが多い所を目指して現場に来た。包丁は直前に買った」と供述しているということです。
 警察は礒飛容疑者が通行人を無差別に狙った動機や、大阪に来たいきさつについて調べを進めています。
死亡した南野さんの同僚“音楽の力信じていた人”
 死亡した南野信吾さんは、東京のイベント会社のプロデューサーを務めていて、10日は現場近くのライブハウスで夕方から行われる音楽イベントに参加する予定だったということです。
 会社の同僚の28歳の男性は「南野さんはイベントの責任者で9日の夜、名古屋でイベントを終えて大阪に来ました。しかし、きのうの夕方になっても連絡がないため、携帯電話に電話しましたが、出ませんでした。ムードメーカーでみんなを励ましてまとめてくれる仕事熱心な人で、『いい音楽は人に伝わるし、世界を変えることもできる』と音楽の力を信じていた人でした。このような事件に巻き込まれ、無念でなりません」と涙をこらえながら話していました。
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ミナミ通り魔、出所数週間後の凶行 「家も仕事もなく」供述
中国新聞'12/6/11
 大阪・ミナミで男女2人が刺殺された通り魔事件で、逮捕された礒飛(いそひ)京三(きょうぞう)容疑者(36)は「5月下旬に新潟刑務所を出所した。住む家も仕事もなかった」と供述している。出所してからわずか数週間。再犯防止の難しさがあらためて浮かび上がった。
 法務省の2011年版犯罪白書によると、成人の再犯者は犯罪総数の28・2%で、殺人事件だと30・6%と、平均を上回る。また、再犯者の約7割が無職というデータもあり、出所後の雇用が課題となっている。
 堺市で昨年12月、元象印マホービン副社長が殺害された事件で、強盗殺人罪などで起訴された西口宗宏(にしぐち・むねひろ)被告(50)は、事件の数カ月前に仮釈放されたが知人女性宅に身を寄せ、仕事はしていなかった。
 また千葉市で09年10月に起きた女子大生殺害事件で強盗殺人罪に問われ、一審で死刑判決を受けた竪山辰美(たてやま・たつみ)被告(51)=控訴=も、満期出所して約1カ月後の犯行だった。職も住まいもなく、都内の入浴施設で寝泊まりしていた。
 法務省は出所者を雇う意思がある事業主に全国の保護観察所に登録してもらう「協力雇用主」の拡充に力を入れており、昨年までに約9300社の協力を得た。宮城県や兵庫県は協力雇用主に対して公共工事の入札で優遇するなど、独自の対策を進めている。
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ミナミ通り魔に大阪知事「自分で死ねよ」
中国新聞'12/6/11
 松井一郎大阪府知事は11日、大阪・ミナミで男女2人が刺殺された通り魔事件で逮捕された容疑者について「『死にたい』というのなら、自分で死ねよ。本当にむかむかくる。人を巻き込まず自己完結してほしい」と述べた。府庁で記者団の質問に答えた。
 全国的に自殺予防対策が進む中、行政のトップによる自殺容認とも受け取れる発言で、波紋を広げそうだ。
 松井知事は「報道で見た範囲だが、自分がそういう状況に置かれているなら、自殺対策の窓口は大阪府にもあるので、窓口にくればいい」と述べる一方、「どうしても行政の支援も受けたくない、この世からいなくなりたいというのなら、止めようがない。人を巻き込まずに、自己完結すべきだ」と述べた。
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<来栖の独白2012/6/11>
>「自分で死ねよ」
 これは、ひどい。被害者と遺族の心情に配慮して言ったものかもしれないが、為政者としてはこんな底の浅い視点では困る。浅慮にすぎる。こんな考えでは、自殺者も殺人事件もなくなりはしない。もっと悲惨な社会になる。やはりこの程度の人だった。
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秋葉原通り魔事件と安田好弘著『死刑弁護人』 2008-06-09 | 秋葉原無差別殺傷事件 
 「誰でもよかった」過去にも=社会を逆恨み?−通り魔事件で容疑者
(時事通信社 - 06月08日 21:01)
 「誰でもよかった」。東京・秋葉原の通り魔事件で、7人を殺害した加藤智大容疑者(25)はこう語ったとされる。過去の無差別殺傷事件の容疑者も同様の供述をしている。
 今年3月に茨城県土浦市のJR荒川沖駅前で8人が殺傷された事件で、逮捕された男は「人を殺したかった。誰でもよかった」と説明。「複数殺せば死刑になれると思った」とも供述しており、検察側は精神鑑定をしている。
 JR岡山駅で同月、岡山県の男性職員がホームから突き落とされ殺された事件では、当時18歳の少年が「人を殺せば刑務所に行ける。誰でもよかった」と供述した。
 1999年12月の東京・池袋の通り魔殺傷事件で、死刑が確定した男も「誰でもよいから人を殺して世間を驚かせてやろう」と犯行を決意したとされた。
 東京の繁華街での無差別殺傷という点で今回と共通点があるが、男は日ごろから「自分が社会で正当に評価されていない」と不満を持っていた。
 一方、加藤容疑者は「世の中が嫌になった」と供述しているという。
 8日は大阪教育大付属池田小の児童殺傷事件からちょうど7年。名門小学校を襲った宅間守元死刑囚=執行=は、元妻への恨みを社会全体に転化したとされた。
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「秋葉原で人を殺す」と書き込み=携帯電話掲示板に犯行予告?−秋葉原通り魔
6月8日21時31分配信 時事通信
 秋葉原の通り魔事件をめぐり、携帯電話のネット掲示板で、事件発生の約7時間前に「秋葉原で人を殺します」などと犯行予告とも取れる書き込みがあったことが8日、分かった。
 書き込みは、8日午前5時20分に「秋葉原で人を殺します」とのタイトルで記載。「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら」と書かれており、事件に酷似した内容だった。
 別のインターネット掲示板「2ちゃんねる」では、5月27日の書き込みで「秋葉原で大惨事」とのタイトルとともに、「6月5日以降絶対事件起こるだろうから先に立てとくね」との記述も見つかっている。  
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〈来栖のつぶやき 2008/06/09/09:10〉
 突然に肉親、友人を亡くされた方の言葉を聴いた。事件発生瞬間の悲しみは、時を経て(何が起こったのか認識できるようになるにつれて)、更に深い底なしの悲しみに変わる。昨日、大事な人を失ったのに、或いは大事な人が救急のベッドに横たわっているのに、夜は訪れ、日は昇って朝は来る。何ということだ・・・。
 「複数殺せば死刑になれると思った」、「人を殺せば刑務所に行ける。誰でもよかった」、「誰でもよいから人を殺して世間を驚かせてやろう」等、類似の事件が続発している。
 安田好弘さんの著書『死刑弁護人』の「まえがき」の一節が思い起こされた。次のように言っている。
 “ひとりの「極悪人」を指定してその人にすべての罪を着せてしまうだけでは、同じような犯罪が繰り返されるばかりだと思う。犯罪は、それを生み出す社会的・個人的背景に目を凝らさなければ、本当のところはみえてこない。その意味で、1個人を罰する刑罰、とりわけ死刑は、事件を抑止するより、むしろ拡大させていくと思う。”
 「死刑とは、白昼堂々、人を殺すこと」だ、と或る元刑務官(故人)は言った。生前、名古屋拘置所で処刑に携わった人だ。
 「人を殺すに足る特段の事情があるなら、殺してもよい」と、人殺しを公認しているのが死刑制度であり、実際に国家がそれをやってみせて(執行して)いる。「どんなに悔しくても、どんな理由があっても、殺すことは絶対にいけないよ」とは言っていない。最近は、法務大臣による「理由あり殺人」執行命令が頻発している(その前段階として下級・上級を問わず、裁判所において「理由あり殺人」判決の乱発がある)。このような国で、殺人事件が増えないはずがない。ブログを通じての知人Eさんの言われたことだが、「人を殺すこと(死刑も)は、いけない。それには、どんな例外もない」。同感である。人を殺してはいけない。どんな理由も、例外も、認めてはならない。死刑制度(殺人容認)の「世の中」では、人の心は、どこまでも荒んでいく。

安田好弘著『死刑弁護人 生きるという権利』講談社α文庫
p3〜
 まえがき
 いろいろな事件の裁判にかかわって、はっきりと感じることがある。
 なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や被害者になるのは、たいていが「弱い人」たちなのである。
 他方「強い人」たちは、その可能性が圧倒的に低くなる。
 私のいう「強い人」とは、能力が高く、信頼できる友人がおり、相談相手がいて、決定的な局面に至る前に問題を解決していくことができる人たちである。
 そして「弱い人」とは、その反対の人、である。
 私は、これまでの弁護士経験の中でそうした「弱い人」たちをたくさんみてきたし、そうした人たちの弁護を請けてきた。
 それは、私が無条件に「弱い人」たちに共感を覚えるからだ。「同情」ではなく「思い入れ」と表現するほうがより正確かもしれない。要するに、肩入れせずにはいられないのだ。
 どうしてそうなのか。自分でも正確なところはわからない。
 大きな事件の容疑者として、連行されていく人の姿をみるたび、
「ああ、この人はもう一生娑婆にはでてこられないだろうな・・・」
 と慨嘆する。その瞬間に、私の中で連行されていく人に対する強い共感が発生するのである。オウム真理教の、麻原彰晃さんのときもそうだった。
 それまで私にとって麻原さんは、風貌にせよ、行動にせよ、すべてが嫌悪の対象でしかなかった。宗教家としての言動も怪しげにみえた。胡散臭いし、なにより不遜きわまりない。私自身とは、正反対の世界に住んでいる人だ、と感じていた。
 それが、逮捕・連行の瞬間から変わった。その後、麻原さんの主任弁護人となり、彼と対話を繰り返すうち、麻原さんに対する認識はどんどん変わっていった。その内容は本書をお読みいただきたいし、私が今、あえて「麻原さん」と敬称をつける理由もそこにある。
 麻原さんもやはり「弱い人」の一人であって、好むと好まざるとにかかわらず、犯罪の渦の中に巻き込まれていった。今の麻原さんは「意思」を失った状態だが(これも詳しくは本書をお読みいただきたい)、私には、それが残念でならない。麻原さんをそこまで追い込んでしまった責任の一端が私にある。
 事件は貧困と裕福、安定と不安定、山の手と下町といった、環境の境目で起きることが多い。「強い人」はそうした境目に立ち入らなくてもじゅうぶん生活していくことができるし、そこからしっかり距離をとって生きていくことができるが、「弱い人」は事情がまったく異なる。個人的な不幸だけでなく、さまざまな社会的不幸が重なり合って、犯罪を起こし、あるいは、犯罪に巻き込まれていく。
 ひとりの「極悪人」を指定してその人にすべての罪を着せてしまうだけでは、同じような犯罪が繰り返されるばかりだと思う。犯罪は、それを生み出す社会的・個人的背景に目を凝らさなければ、本当のところはみえてこない。その意味で、一個人を罰する刑罰、とりわけ死刑は、事件を抑止するより、むしろ拡大させていくと思う。
 私はそうした理由などから、死刑という刑罰に反対し、死刑を求刑された被告人の弁護を手がけてきた。死刑事件の弁護人になりたがる弁護士など、そう多くはない。だからこそ、私がという思いもある。
 麻原さんの弁護を経験してから、私自身が謂われなき罪に問われ、逮捕・起訴された。そういう意味では私自身が「弱い」側の人間である。しかし幸い多数の方々の協力もあり、1審では無罪を勝ち取ることができた。裁判所は検察の作り上げた「作文」を採用するのでなく、事実をきちんと読み込み、丁寧な判決文を書いてくれた。
 多くの人が冤罪で苦しんでいる。その意味で、私は僥倖であった。
 この国の司法がどこへ向かっているのか、私は今後も、それを監視しつづけていきたいと思っている。「弱い人」たちに、肩入れしつづけていきたいと思っている。(〜p5)
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◆ 死刑になりたい:なぜ?犯行動機で供述 ・ 秋葉原通り魔「誰でもいい」の不気味 2008-06-17 | 秋葉原無差別殺傷事件 
 死刑になりたい:なぜ?凶悪事件、犯行動機で供述(上)
 「死刑になりたかった」と、容疑者が犯行動機を供述する事件が続いている。なぜ、「死刑願望」とも言える供述が相次ぐのか? これらの事件が意味するものは? 著書「死刑」(朝日出版社)を出版した映画監督で作家の森達也さんらと考えた。【中川紗矢子】
◇「死刑願望」の「なぜ?」−−生かす方が罰の矛盾
 オウム真理教の信者側からの視点で事件や世間をあぶり出したドキュメンタリー映画「A」など、第三の視点からの作品でたびたび議論を起こしている森さんは、黒のパーカ姿で現れた。ひょうひょうとした雰囲気に淡々とした口調。ストイックなほどにテーマを徹底的に掘り下げる仕事ぶりからは意外なほど、脱力した印象だ。
 「僕は、(供述を)額面通りに受け取らない方がいいんじゃないか、という気がしています。まったくウソではないでしょうし、そういう要素もあると思いますが、人の心は揺れますから。死刑制度があるから、死刑になりたいが故に罪を犯した、というふうに短絡的に考えない方がいいと思うんです」
 相次ぐ事件は、死刑制度に関する議論の発火剤となった。その一つが、死刑制度維持の理由として挙げられる、犯罪の抑止効果だ。
 「心情分析をしても、犯人の本当の気持ちは分かるはずはないですから、抑止効果があるかどうかは、統計で見ていくしかない。ヨーロッパは死刑を廃止した後、犯罪はほとんど増えていません。減っている国もあるくらいです。最近、米ニュージャージー州で死刑を廃止しましたけど、その理由の一つも抑止効果がない、ということでした。データから見て、抑止効果はありません」
 森さんは著書の中で、死刑制度の密室性の問題を一貫して指摘している。死刑の実情が知らされていないことが、こうした犯罪を誘発している可能性はあるだろうか?
 「仮に、死刑を望んで罪を犯す人が本当にいるとすれば、その可能性はあるでしょうね。日本は自殺が多い国ですから、そういう意味では、自殺と他殺はそんなに距離は無いと思うんです。もしかしたら死刑を求めて人を殺す人がこれから増えてくるかもしれない。そうであれば、やっぱり死刑制度というものを、もうちょっと考えるべきだと思いますよね」
 死刑になりたい人が、そのために罪を犯して、望み通りに死刑になることに違和感を覚える人は少なくないだろう。この矛盾は、どう受け止めたらいいのだろうか?
 「ねじれてしまいますね。生きていてほしくないけど、死刑はその人の望みをかなえてしまうことになる。刑罰って何だ、罪と罰とは何か、ということを考えた方がいい。日本の刑法は、刑を受けて、改悛(かいしゅん)して、改めて社会に復帰する、ということを前提にした教育刑です。それに対して、死刑は応報刑なんです。応報という考えからすると、本人の嫌がることをするのが刑罰。死を望む人に対しては、生かすことの方が、たぶん罰になるわけです」
 死刑になりたい:なぜ?凶悪事件、犯行動機で供述(下)
8人が刺され死傷したJR荒川沖駅前。中央の通路で結ばれた左側が駅、右側がさんぱる長崎屋=茨城県土浦市で23日午後4時43分、本社ヘリから須賀川理撮影 死刑を求めて罪を犯し、罰として望み通りに死刑になった典型的な例が、大阪教育大付属池田小乱入殺傷事件で、児童8人を刺殺した宅間守元死刑囚。弁護にあたった戸谷茂樹弁護士によると、宅間元死刑囚は犯行前2〜3カ月の間に2度、自殺未遂をしている。そして、判決確定から1年弱という異例の早さで望み通りに死刑を執行された。戸谷弁護士は死刑の執行を聞いたとき「本望を遂げたな」と思ったという。
 「彼は、本当に死刑になりたくて犯罪を実行した、と言っていいと思います。彼にとって死刑は、罰ではなかった。望んでいる人に対する死刑は、罰としては機能しない」戸谷弁護士は続けた。
 「(『死刑になりたかった』と供述する)犯罪は、自殺願望の裏返しである場合が結構あると思う。自殺願望の原因はいろいろですけど、いずれにしろ、生きる価値がない、と結論を出した。そういう人が年間3万人いる。その中に、死刑を望んで罪を犯す人がいてもおかしくない。それを避けるためには、どうやって生きる望みを味わうことができる社会にするか、っていうことだと思うんです。宅間に対する支援者がたくさん出てきたのは、『私もかつて同じような状況だった』とか、彼の思いや行動が理解できる人が相当数いたからです。世の中複雑になればなるほど、格差社会になればなるほど、そういう人が出てくる」
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 米国では、以前から死刑願望者による事件が起きている。「死刑の大国アメリカ」(亜紀書房)の著書がある宮本倫好・文教大学名誉教授(米国近代社会論)によると、州ごとに死刑制度の有無が異なる米国では、わざわざ死刑制度のある州で、無差別に殺人を犯すケースがいくつも存在するという。
 宮本教授は「日米各ケースの内容は千差万別だと思う」とした上で、「強いて共通点を探すとすれば、やっぱり若者の間の絶望。米国の格差は日本とは比べものにならないくらいひどいけれど、両国とも今は暗くて閉塞(へいそく)感がものすごい。格差社会はますます徹底しているし、日本も、アメリカ型社会の後をある程度追っているんじゃないか、ということが言えると思いますね。心の弱い希望のない若者が犯罪に走ったり、死のうとする。絶望の中に、犯罪の種が生まれるというのは分かる気がします」
 ■
 著書「死刑」での森さんの結論は、死刑廃止だ。それでも、死刑願望からの犯罪を防ぐことを理由に死刑制度廃止を唱えるのには懐疑的だ。森さんは「大切なのは、死刑に関する情報公開と共に、罪と罰とは何か、を考えること」と強調する。
 「だって僕ら、国民一人一人が、認めて、払った税金で(死刑は)行われていることなんですから」
 相次ぐ事件は、目をそらしがちな死刑という制度と格差が広がる社会に、向き合う時機が来ているという、一つのサインなのかもしれない。
 ■今年すでに3件
 死刑願望を動機として供述した事件は今年、少なくとも3件起きた。2月、東京都新宿区の公衆トイレで見ず知らずの男性の頭を金づちで殴り殺人未遂容疑で逮捕された男(31)▽3月、茨城県土浦市のJR荒川沖駅の8人殺傷事件で逮捕された男(24)▽4月、鹿児島県姶良(あいら)町のタクシー運転手殺人事件で逮捕された男(19)の各容疑者が、死ぬことを目的に、無差別で犯行に及んだと供述している。2008年5月28日毎日新聞
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【社説】秋葉原通り魔 「誰でもいい」の不気味
中日新聞 2008年6月10日
 「誰でもよかった」とは、これまでの連続殺傷事件と同じ言葉だ。日曜日の昼、日本最大の電気街、東京・秋葉原の歩行者天国は惨劇の場と化した。二十五歳の若者を凶行に走らせたのは何か。
 六月八日は七年前、大阪教育大学付属池田小で男が児童八人を殺害し、教諭ら十五人を負傷させた日だ。同じ連続殺傷事件が、最近ではゲームやアニメ商品を求める人たちの街「アキバ」としても知られる東京都千代田区の秋葉原電気街で起きた。
 池田小事件は現場が学校という閉鎖空間だったが、今回は歩行者天国という開放空間だ。繁華街という点では一九九九年九月の東京・池袋通り魔事件と共通する。
 車を暴走させてから刃物で人に襲いかかった犯行の経緯は、池袋事件から三週間後に起きた山口・下関駅通り魔事件と類似する。
 いずれも無差別殺人であることに変わりない。買い物先で理由なくナイフで刺されては救われない。被害者や家族のやり切れない気持ちは察するにあまりある。
 容疑者の男は静岡県から二トントラックを運転してきた。途中でインターネットの携帯電話サイトの掲示板に「人を殺します」などと書き込んでいたという。
 「誰でもよかった」と十七人を殺傷した引き金になったのは何なのか。警察は犯行の動機を徹底解明してほしい。それが予防につながる可能性があるからだ。
 男の境遇は事件と無関係ではなかろう。青森県で有数の進学高校を卒業後、岐阜県内の短大に進んだ。その後、静岡県内の自動車部品製造会社の工場で働いていた。進路への挫折はなかったのか。
 男と同じワンルームマンションの住人は「おとなしい印象」と話している。見知らぬ土地で交友関係はどうだったのか。犯行への行動を掲示板に書く行為は存在を誇示したい表れか。同時に、表現したい相手が掲示板しかなかったとしたら、孤独感が漂う。
 男は勤め先で派遣社員という立場だ。収入や身分保障が不安定で、ワーキングプア状態から脱出できない問題がクローズアップされている。男は「生活に疲れ、世の中が嫌になった」と供述しているという。
 不遇から抜け出せない若者の、やり場のない怒りの矛先が無防備な歩行者や買い物客に向けられたのなら、凶行は繰り返されるおそれがある。格差や貧困の広がりを食い止め、若者が希望を持てる社会を築かなくてはならない。


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