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団藤重光氏 死去「最高裁の判事になってから痛切な経験があって、確定的に死刑廃止論者になりました」

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団藤重光氏が死去 元最高裁判事 刑訴法生みの親 98歳
中日新聞2012年6月26日 朝刊
 刑事法学の第一人者で、死刑廃止を強く訴えるなどリベラル派として知られた元最高裁判事の団藤重光(だんどう・しげみつ)氏が二十五日午前五時四十八分、老衰のため東京都内の自宅で死去した。九十八歳。岡山県出身。葬儀ミサは二十九日午後一時半から東京都千代田区麹町六の五の一、聖イグナチオ教会大聖堂で。喪主は義妹勝本稔子(かつもと・としこ)さん。葬儀委員長は東大名誉教授の松尾浩也氏。
 一九三五年に東京帝大(現東大)法学部卒。四七年に三十三歳で同大教授となり、新憲法下の立法や法改正に参画。現行刑事訴訟法の生みの親として知られる。
 東大を定年で退職した後は慶応大教授を経て、七四年十月〜八三年十一月まで刑事法学者として初めて最高裁判事を務めた。
 退官後は死刑廃止の立場を鮮明に打ち出し、死刑廃止条約の批准を求める運動に加わるなど積極的に活動。人権尊重の“ハト派”として知られた。東大名誉教授で日本学士院会員。宮内庁参与にも就任、九五年には文化勲章を受けた。
 最高裁で所属した第一小法廷では再審の門戸を広げた「白鳥決定」(七五年五月)に関与。再審請求でも「疑わしきは被告人の利益に」との刑事裁判の原則が適用されるとの判断は、その後の再審事件に大きく影響した。
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中日春秋 2012/6/26 Tue.
「人殺し!」という叫びが、「刑法の父」と呼ばれた法律家の生き方を変えた。一九七六年に開かれた殺人事件の上告審判決。二審の死刑を支持する判決を最高裁小法廷が言い渡し、五人の判事が退廷する時に傍聴席から声が上がった▼直接証拠はなく一貫して否認だった。状況証拠は犯人を示しているように思えたが、陪席判事だった団藤重光さんは「本当にやったのだろうか」と引っ掛かっていた▼傍聴席からの罵声ぐらいでは驚かないが、確信を持てなかっただけに胸に突き刺さった。この経験が、立法で死刑を廃止するしかないと考える転機になった▼死刑廃止論の理論的な支柱だった団藤さんがきのう、老衰のため九十八歳で亡くなった。敗戦後、三十代で刑事訴訟法改正の重責を担い、最高裁判事時代にかかわった「白鳥決定」では、再審開始の基準を緩めた▼戦後の刑訴法の「生みの親」は、裁判員制度をどう見ていたのだろう。東大大学院情報学環准教授の伊東乾さんとの対談『反骨のコツ』で、団藤さんは明確な反対意見を述べていた▼「市民の司法参加そのものは、本当は僕、大賛成なんだけど、民衆からもっと湧き出てこなきゃ嘘(うそ)ですよ」「そういう根無し草がプカプカ浮いているだけだから、だめです」。実際に、裁判員が死刑判決にかかわるようになった今、どう考えているのか聞いてみたかった。
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死刑制度の廃止を求める  著名人メッセージ 団藤重光さん(東京大学名誉教授、元最高裁判所判事
■最高裁判事としての痛切な経験
 以前から学者として、死刑は廃止するべきだと考えてはいましたが、最高裁の判事になってから痛切な経験があって、確定的に死刑廃止論者になりました。
 それはある事件の裁判でのことです。
もっとも裁判官として、自分が扱った事件をとやかく言うことはできませんから、少し抽象化して申しますので、ご了承下さい。
 その事件はある田舎町でおきた毒殺事件でした。
 事件の被疑者としてある男が捕まったのですが、彼は逮捕以来ずっと否認を続けていました。
直接証拠は何もないのです。指紋も残っていませんでしたし、他にも直接証拠は何もなかったのですが、状況証拠から言いますと、この人がやったと疑わせるに十分な証拠がありましたので、一審二審ともに死刑判決を受けていたのです。
 ところが弁護人の主張によりますと、警察は町の半分くらいを調べただけで、この男を被疑者として逮捕したようです。
そのため弁護人は、「残り半分の地域を調べたら、同じような状況にある人間が出てきた可能性がある」と主張しました。
 それはもっともな話です。けれども、それだけで一審二審の死刑の判決を覆すだけの理由があるかというと、個々の状況証拠は動きませんから、それは難しいのです。
 判決に影響を及ぼす重大な事実誤認があるときは、下級審の判決を破棄できますが、この程度のことでは破棄できません。私も記録をずいぶん詳しく調べたのですが、合理的な疑いをこえる心証が取れれば有罪というのが刑事訴訟の建前ですから、そのまま判決を確定させることになったのです。
 いよいよ死刑判決を言い渡す日になりました。
裁判官がみんな席に着き、裁判長が「本件上告を棄却する」と言いました。棄却するということは死刑が確定するということです。
 そして裁判官専用の出入り口から私たちが退廷し始めたその時です。
「人殺し!」という声が法廷中に響いたのです。罵声です。私たちが罵声を浴びせられたのです。
 私はいつもでしたら傍聴席のこんな罵声くらいで驚きはしませんが、正直なところ、「本当にこの人がやったのだろうか」という一抹の不安を持っていましたので、このときの「人殺し!」という声はこたえました。その声は今でも忘れられません。
 その事件で私が感じたわずかな不安というものは、多分に主観的なもので、人によって違うと思います。その小法廷の5人の裁判官の中でも、そういう不安を持ったのは、おそらく私だけだったでしょう。残り4人の裁判官は、自信を持って死刑判決を言い渡したと思います。
 でも私には、わずかに引っかかるものがありました。
 しかし現在の司法制度の下では、このようなケースで判決を覆すことはできません。そして死刑制度がある以上、この事件で死刑が確定したことはやむを得ない結果でした。
 私はこの経験を通して、立法によって死刑を廃止する以外には道はないとはっきり確信するようになりました。
■再審への道を広げた「白鳥決定」と、死刑事件における誤判の可能性
 それと前後しますけど、私は「白鳥事件」という事件の審理を担当し、「白鳥決定」と呼ばれる判決を下しています。これは再審の基準に関する裁判です。
 詳しく申しますと、今までは無実の証拠がなければ再審は認められませんでした。それをこの裁判では、無罪判決になるような新たな証拠が示されれば再審を認めてもよいことにしたのです。つまり再審の基準を緩やかにしたわけです。
 刑事訴訟法では、有罪か無罪か分からないような場合は、合理的に考えて有罪の判決に疑いの余地があれば無罪になります。これは刑事訴訟法の鉄則です。私たちは再審の場合にもそれを適用すべきであると考えました。
 ですから原判決で認定した事実に疑いを持たせるような証拠が出てくれば、それで再審の開始ができるようにしたのです。
 これはかなり大きな前進でした。
 「白鳥事件」そのものは棄却されましたが、この裁判の作った基準が後にあたえた影響はとても大きくて、ご承知のようにその後すぐに4つの事件が、再審で次々に無罪になりました。
 その中の免田事件と財田川事件は私の小法廷に来ましたから記録も読みましたが、これはやっぱり再審開始が当然だという事件でした。
しかしそういう事件でさえも、今までの古い基準では再審を開始できなかったのです。
 新しい基準にしてから短期間で、4人が再審で無罪になったわけですから、私たちも相当ショックでした。「白鳥決定」を出していなければ、4人はおそらく無実のまま死刑を執行されていたでしょう。そして「白鳥決定」以前に、再審の請求をしたにも拘わらず棄却されて死刑になってしまった人は、相当な数いるのではないかと思います。明治以来の事を考えたら大変な数になると思います。
 誤判の問題が死刑廃止論の大きなポイントになることは昔から言われていますから、私も学者としてもちろん知ってはいました。しかしまだ身につまされて感じていたわけではありませんでした。
 でも死刑の問題は、身につまされて感じなければ本当にはわからないのです。頭だけで死刑が良いとか悪いとかは判断できないはずです。
 私は最高裁の審理で、先に述べた事件にぶつかって初めて、この問題を身に沁みて自分のこととして考えるようになりました。
 それ以来、私は誤判の問題は決定的な問題だと考えるようになったのです。
 人間は神様ではありませんから間違うのは当たり前です。おそらくどんな人でも、死刑存置論の人でさえも、誤判の可能性を否定する人はいないと思います。
それをある程度仕方がないと考えるか、絶対に許せないと考えるか、それはもう人間的な感覚の違いです。
 私は結局のところ、死刑存廃の問題はそういう感受性の問題だと思います。
 無実の人が「自分がやったのではない」と絶叫しながら死刑に処されていく姿を想像してみて下さい。それがどんな不正義であり許されないことであるか。
 頭で考えているだけでは、そう思わない人もいるかも知れません。しかし心で感じるととうてい許せないことです。それだけで私は、誤判論が死刑廃止論の大きな柱になると思うのです。
■日本における死刑制度廃止の展望
 死刑制度が存続している以上、死刑判決をなくしてしまうことは難しいと思います。しかし死刑を適用する基準を少しずつ厳しくしていき、死刑判決の数を少なくしていくことは可能であると思います。
 以前、「永山事件」の控訴審で船田裁判長は、日本中の裁判官が一人残らず死刑を言い渡すような事件でなければ死刑は適用できないと言い、一審の死刑判決を無期懲役に変更しました。いわゆる「船田判決」です。
 最高裁はその後、この判決を破棄し高裁へ差し戻しましたが、私は審理を担当した小法廷の判事から相談を受けたとき、あの形で確定するのは難しいが、船田判決の精神をできるだけ生かして欲しいと伝えました。
そして最高裁の判決をよく読んでみると分かりますが、「船田判決」の精神は十分に生きているのです。
 しかしその後、どういう理由か、下級審では以前に比べて簡単に死刑判決が下されるようになってしまいました。その点に関しては、私は今の裁判官に、もっと頭を切り換えてもらいたいと思います。
 感情に流されたら裁判は成り立ちませんが、しかし感情を抜きにした血も涙もない判決というのは、司法の精神を殺してしまいます。血も涙もある、しかし法律はちゃんと守るというものにして欲しい。そうすれば死刑判決はもっと減ると思います。
 そして死刑判決が減れば、死刑を廃止しても影響が少なくなり、廃止する際の抵抗もなくなると思います。
(この原稿は、アムネスティの死刑廃止入門ビデオ「死刑廃止を考える」作製のため、1998年2月18日に行われたインタビューの一部を、読みやすく書き直したものです。)


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