連合赤軍がうらやましい。とても屈折した言い方だけど。 森達也 リアル共同幻想論
Diamond online 2012年6月27日 森達也[テレビディレクター、映画監督、作家]
■あなたは連合赤軍の事件を知っているか?
5月13日、連合赤軍事件をテーマにしたシンポジウム『浅間山荘から40年 当事者が語る連合赤軍』に参加した。
事件からは今年でちょうど40年。なぜこのような凄惨な事件が起きたのか、この事件によって社会の何が変わったのか、そして何を教訓にすべきなのか、そんなことをテーマにして、5時間という長丁場のディスカッションが行われた。
……とここまでを書いてから、連合赤軍や彼らが起こした事件についてこの連載の読者は、どの程度の情報を共有しているのだろうかと考える。もしもあなたが60代以上ならば、基本的には説明など必要ないだろう。それほどに大きく報道された事件だった。事件当時は中学生だった僕も含めて、50代はぎりぎりかな。でも事件当時に子どもだった40代以下には、簡単な説明は必要だ。ちなみに教えている大学のゼミで学生たちに「連合赤軍の事件は知っているか」と訊ねたら、「知っている」と答えた学生はほぼ7割くらいだった。3割は初めて耳にする事件だという。そのときは「君たちは好奇心がなさすぎる」と思わず言ってしまったけれど、それも当たり前なのかもしれないと後で考え直した。何しろ40年前だ。風化することは当たり前だ。特に(後述するけれど)連合赤軍の事件に対しては、オウムと同じように「忘れたい」とする力学も働いている。目をそむけたいのだ。ずっと直視を避け続けてきた。だからこそシンポジウムの意味がある。
熱い政治の季節が終焉の時代を迎えようとしていた1971年から1972年にかけて、新左翼の赤軍派と革命左派(京浜安保共闘)が合流して結成された連合赤軍は、多くの非合法活動を行った。革命の前段階として暴力闘争を肯定した彼らは、当時は過激派などと呼ばれていた。ちなみに赤軍派は革命左派との合流前にも、よど号ハイジャック事件やパレスチナ支援のためのテロ活動など、いくつかに分派しながら多くのテロや事件を起こしているし、革命左派は銃奪取のための交番襲撃事件などを起こしている。
連合赤軍の兵士たち5人が立てこもった「あさま山荘事件」は、10日間の銃撃戦のあいだに警察官2人と民間人1人が殺害され、テレビの生中継は90%近くの視聴率をとったという。僕もその映像は覚えている。日本中が固唾をのんでいたその雰囲気も、何となく記憶にある。まさしく歴史に残る大事件だ。
■メンバー同士が互いに殺し合った山岳ベース事件
でも本当の衝撃はこの後だ。逮捕後の取り調べで、メンバー同士が総括の名のもとに互いに殺し合っていたことが明らかになった。これが山岳ベース事件だ。犠牲者数は14人。山中に埋められた遺体を掘り起こす写真は、新聞各紙に大きく掲載された(後で知ったことだけど、警察はメディアに写真を撮らせるため、掘り出した遺体をまた埋めたりしていたという)。あまりに凄惨で、あまりに意味不明で、あまりにグロテスクな状況だった。あさま山荘の段階では「学生ガンバレ」(実際には現役の学生はほとんどいなかったのだけど)的な雰囲気が多少は周囲の大人たちにもあったけれど、さすがに山岳ベース事件については、支持する人など誰もいない。もう話題にもしたくない。そんな雰囲気が一気に醸成された。
こうして日本の新左翼運動は急激に衰退する。1972年。沖縄が返還され、ニクソンがアメリカ大統領としては史上初めて中国を訪れ、田中角栄が書いた『日本列島改造論』がベストセラーとなり、大井競馬場でハイセイコーがデビューした年だ。
元赤軍派と元革命左派の兵士たち4人を中心にしたこの日のシンポジウムには、とても多くの世代やポジションの人が、パネラーとして参加した。元赤軍派最高指導者で20年近くの獄中生活を送った塩見孝也もいれば、そのライバルで共産主義者同盟叛旗派を創設した三上治、同世代で新右翼の一水会最高顧問の鈴木邦男もいる。他にも漫画家や新聞記者、弁護士や雑誌編集記者や作家などがステージに上がり、この事件について思うことを発言した。
当時の多くのメディアは、指導者の位置にいた森恒夫と永田洋子の2人が、異常な支配欲や権勢欲、さらには嫉妬や保身や残忍な加虐趣味など個人的な欲望を燃料にしながら、他のメンバーたちの心身を支配して互いに殺し合う閉塞的な状況を作りあげたなどと解釈し、裁判も大筋としては、そうした構図に合わせるかのように進行した。
それから40年の月日が流れ、主犯とされた2人の指導者は、すでにこの世にいない。森は裁判が始まる前に拘置所で自殺して、死刑判決が確定した永田は、長く脳腫瘍を患いながら、昨年獄死した。
でもこの間に、当時の山岳ベースで同志殺しに加担した元兵士たちが徐々に出所して、そのうちの何人かは重い口を開き始め、事件の全貌が様々な視点から語られ始めた。さらに森と永田もそれぞれ、逮捕後に書いた自己批判書や複数の著作を残している。つまり事件の全体像を考えるうえでの材料は、決して乏しくない。だからこそ事件から40年が過ぎる今年は、例年にない大掛かりなシンポジウムが開催された。
ただしシンポジウムのタイトル『浅間山荘から40年 当事者が語る連合赤軍』が示すように、連合赤軍といえば普通はあさま(正式名称は浅間)山荘を連想する。社会に与えた影響の本質があるのは山岳ベース事件だけど、事態があまりに凄惨すぎるため、多くの人々は当時も今も、山岳ベース事件からは目をそむけようとする傾向がある。数年前にNHKの『プロジェクトX』で連合赤軍をとりあげたときも、あさま山荘ばかりで山岳ベース事件への言及はほとんどなかった。まあ番組のコンセプトとしては、仕方がないのかもしれないけれど。
■組織共同体を暴走させる負のメカニズム
なぜ事件は起きたのか。
なぜあなたたちは同志への総括を続けたのか。
あなたたちが処刑されなかった理由は何なのか。
森や永田に対して今は何を思うのか。
これらの質問に対して4人の元兵士たちは、マイクを手に絶句する。あるいは考えこむ。互いに意見が食い違う。必死に記憶を振り絞る。
赤軍派の元兵士だった植垣康博によれば、脱走者に対する初めての処刑(印旛沼事件)が革命左派によって行われたとき、迷っていた永田洋子は森恒夫にどう対処すべきかを訊ね、森は「処刑すべき」と即答し、永田たち革命左派は実践した。ところがその報告を聞いた森は動揺し、側近だった坂東国男に「まさか本当にやるとは……」的なことを口走ったという。
森や永田に支配され一方的に強制されたのではなく、むしろ自分たちが森や永田を相互作用的に追い込んだ要素もあるのかもしれないと語りながら、元兵士たちはつらそうだ。でも必死に語る。自己弁護はしない。聞きながら、2カ月ほど前に上祐史浩(ひかりの輪代表)から聞いた話を思いだした。1990年に起きた波野村騒動の際に、熊本地検のやりかたに腹を立てた麻原彰晃が、トラックで地検に突っ込めと側近たちに指示をしたという。その後に上祐が麻原に対して「そんなことはやめてください。オウムがつぶれます」と覚悟を決めて言ったら、麻原はほっとしたように「おまえの言うとおりだ」とあっさりと指示を撤回したという。
「そのときは彼がお風呂に入っていて、自分はガラス戸越しでした。一対一だったから、あんなことを言えたのかもしれないですね」
少しだけ苦笑しながらそう言ったあとに上祐は、「もしも他の幹部たちがいたら、制止はなかなかできません。より過激なことを提案するほうが修行になるかのような雰囲気がありました。麻原と(自分をも含む)側近たちとの相互作用によって、事件がエスカレートしたことは確かです」とつぶやいた。
中枢の意志を過剰に忖度する周辺。そして周辺の意志を過剰に忖度する中枢。互いに忖度し合いながら集団は暴走する。一人称の主語を喪うからだ。特にオウムの場合は、教祖がほとんど失明状態でテレビや新聞を見たり読んだりすることができないため、弟子たちのメディア化が促進された。つまり米軍が攻撃してくるとか自衛隊が集結しているなどと、麻原の危機意識を煽り続けた。
連合赤軍やオウムだけではない。ナチスやポルポトや大日本帝国など、すべての組織共同体が引き起こす壮大な失敗の背景には、この負のメカニズムが絶対に働いている。
■もしも連合赤軍事件がオウム後に起きていたら……
壇上でマイクを握りながら、当事者である4人の口は重い。彼らは被害者でもあるし加害者でもある。アイスピックで何度も仲間の胸を突き刺している。縛った仲間の腹を内臓破裂するまで蹴ったり殴ったりしている。凍死するまで放置している。できることなら、その記憶から逃げたいはずだ。忘れ去りたいはずだ。だからじっと俯いている。唇を噛みしめている。でもこの場からは逃げない。沈黙しない。必死に記憶をたどっている。言葉を紡ごうとしている。要約しない。まとめない。
そんな光景を眺めながら、地下鉄サリン事件から40年が過ぎたとき(つまり2035年だ)、このようなシンポジウムが行われるだろうかと考えた。間違いなく不可能だ。だってオウムの場合は、主要な事件の当事者のほとんどに対して、死刑判決が下されているのだから。精神が崩壊したまま被告席に座らせられ続けた麻原も含めて、質問に答えられる人がいない。
もしも連合赤軍事件がオウム後に起きていたら、彼ら革命兵士の多くは、当然のこととして死刑判決を受けていたはずだ。 厳罰化はそれほどに進んでいる。それによってこの社会は、学んだり考えたりする機会を失い続けている。
とても屈折した言いかただけど、連合赤軍がうらやましい。そんなことを思いながら、会場を後にした。
===========================================
◆連合赤軍 あさま山荘事件 40年 / 「生の声 残したい」元活動家 / 坂口弘死刑囚 支援者に反省の手記 2012-02-28 | 死刑/重刑/生命犯 問題
◆<正義のかたち>毎日JP
正義のかたち:死刑・日米家族の選択/6 連合赤軍死刑囚支えた母
2012-06-28 11:48:45