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記憶のフラッシュバック:小沢氏の消費税増税を巡る「方針転換」

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記憶のフラッシュバック:小沢氏の消費税増税を巡る「方針転換」
WSJ Japan Real Time 2012/7/5 20:18
 いつか見た光景だった――。小沢一郎氏が消費税増税を巡って野田佳彦首相と争うことになった先月のゴタゴタ劇は1993年当時の光景とオーバーラップする。ただし、1つだけ異なる点がある。前回、小沢氏は当時の首相が躊躇(ちゅうちょ)する消費税率の引き上げを求めていたのだ。
 記者は最近、細川護熙元首相の「日記」を読み直してみた。細川氏は、小沢氏が長期にわたり政権を担ってきた自民党から劇的に離党した後、小沢氏がまとめた8党派連立政権を率いて首相になった人物だ。自民党はその際、野党への転落を余儀なくされた。
 当時は新進党を結成していた。(1997年2月26日)『内訟録』―“自省”の意味――と題された細川氏の「日記」には、党派間の政策の違いを調整する上で、いかに細川元首相が小沢氏の采配に頼っていたかが記されている。元首相は夜中に小沢氏を公邸に頻繁に呼んでは相談していたという。
 そのなかの1つが消費税増税問題だった。
 「日記」には小沢氏による社会党の説得が失敗に終わったことも書かれている。これは細川氏が真夜中という不自然なタイミングで記者会見を開き、3%から7%へ税率を上げると発表したものの、社会党やほかの連立パートナーから強い反対に遭い、翌日には撤回するという失態を演じた際の話だ。
 「日記」はまた、いかに財務省の事務次官が小沢氏と密接に連絡を取り合い、消費税増税に動いたかを示している。
 これは当時、驚くべきことではなかった。小沢氏が著した1993年のベストセラー『日本改造計画』では、所得税減税を訴える一方、消費税率を10%に引き上げることを提案していたからだ。
 日本の消費税率――当時は3%――が他の先進国と比較していかに低いかを指摘しながら、小沢氏は消費税率を上げる余地はかなり大きく、所得税の減税分を一部相殺するとしていた。
 「現在3パーセントである消費税の税率を、欧州諸国と米国の中間の10%とするのである」と、小沢氏は著作の中で述べている。
 財務省の官僚らも税制改革の必要性を強調していたが、一方の細川氏はそれほど熱心ではなかったことを「日記」で明かしている。
 あるとき細川氏は、仮に機が熟す前に消費税増税を持ち出せば、壊れやすい連立政権は「崩壊する」として、財務省の役人たちをひどく叱った。そして確かに、細川氏の求心力は弱められた。1994年4月、首相に就いてから10カ月も経たないうちに細川氏は辞任した。消費税を巡り失態を演じた2カ月後のことだった。
 2012年に急いで戻ってみよう。小沢氏は自身の尽力もあり晴れて政権与党になった民主党を離党した。消費税率を現行の5%から10%に引き上げる政策に反対したためだ。小沢氏らの造反は消費税増税法案が衆議院を通過するのを阻止できなかったが、小沢氏はこれを「国民への背信行為」と呼び、民主党と袂を分かつことで「国民を守る政治家としての使命」に従っているだけだと主張する。
 小沢氏は離党声明の中で、小沢氏は「官僚の言うがままに消費増税の先行を(民主・自民・公明の)3党合意で押し通すことは国民から政策を選ぶ権利を奪うことだ」と述べた。
 離党組議員によると、小沢氏は次期選挙での勝利を確信し、消費税増税反対派による「統一戦線」を作る意向だという。
 細川元首相の秘書官を務めた成田憲彦氏は、小沢氏の消費税に対する方針転換は、8党連立政権が崩壊した1994年以降、野党を長く経験した結果だと指摘する。
 現在は野田政権の内閣官房参与を務める成田氏は、選挙で増税の話がいかに逆風になるかを小沢氏は目撃してきていると指摘する。2010年に当時の菅直人首相が突然、選挙前に増税案を打ち出し、参議院選挙で敗北したことは記憶に新しい。この「ねじれ国会」は続く2年間の政権運営を著しく困難にした。
記者:George Nishiyama
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