Quantcast
Channel: 午後のアダージォ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 10100

「従軍慰安婦」抗議から見える/米は日本国憲法制定を手始めに「罪意識扶植計画」等により日本を属国に

$
0
0

ニッポンの紛争地帯をゆく:「従軍慰安婦」抗議からみえる、日本で起きるデモの未来
抗議デモを「参加者目線」でレポートしていく本連載。4回目は「従軍慰安婦」問題へ抗議する人々に密着する。テレビでは「右翼団体ら」と報じられた彼らの姿から、「日本の抗議デモ」の未来がみえてきた。
2012年01月18日 08時02分 UPDATE[窪田順生,Business Media 誠]
■「従軍慰安婦」とともに抗議をする日本人
 ちょっと前、ソウルの日本大使館前に「従軍慰安婦」のブロンズ像が建ったというニュースが流れたのを覚えているだろうか。
 かなり繊細なテーマなので詳しくはご自分で調べていただきたいのだが、「従軍慰安婦」とは「日本軍に強制連行され、性行為を強要された」と訴える女性たちのことである。韓国政府は日本に謝罪して賠償せよと迫っているが、政府は「問題は解決済み」というスタンスであるため、報復として大使館の目の前に「被害者」を立たせたというわけだ。
 KARAの脚線美や女優キム・テヒの美貌に鼻の下を伸ばしていた“親韓”な人からすればあまり聞きたくもない話だろうが、この問題に対するかの国の反日ぶりはすさまじい。
 李明博大統領は野田首相に対して「誠意」をみせないと韓国中に従軍慰安婦像が建つぞと恫喝。「従軍慰安婦」だったという老婆たちは、日本大使館前で1000回にものぼる座り込み抗議を続けたあげく、ブロンズ像が設置される日に合わせて御年89歳の老婆が抗議のために車椅子で来日し、外務省へ乗り込んだのだ。
 国家にはそれぞれ外交戦略というものがあるので、いたしかたないとして、これに合わせて日本特有の現象が起こっている。
 なんと韓国の人たちだけではなく、「従軍慰安婦」に謝罪せよ、賠償せよとたくさんの日本人まで外務省に押しかけたのである。
■「右翼団体ら」で片付けられた人々
 なんで日本人が「反日」をと理解に苦しむかもしれないが、外務省に押しかけたのは「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動2010」をはじめとする日本軍の戦争責任を追及する団体や女性人権団体である。ネット上では「反日左翼」と呼ばれるこれらの市民活動家のみなさんが、外務省に集結し手をつないで取り囲む「人間の鎖」という抗議を展開したのだ。
 反原発運動で経産省や東京電力に対しても行われている例のアレである。
 もちろん、このような動きに対して保守系の「市民」も黙っていない。そもそも従軍慰安婦など存在しない、歴史的捏造だと訴える1000人以上の人々が反撃にでた。
 つまり、実にややこしい構図だが、「従軍慰安婦」と“人間の鎖”のみなさんがタッグを組んで日本政府を抗議し、それに対して保守系のみなさんからの抗議が行われたのだ。
 この様子は、ニュースで「人間の鎖VS. 右翼団体」などと報じられたのでご覧になった人も多いだろうが、案の定というか、大手マスコミはかなり偏った伝え方をしていた。
 「元従軍慰安婦」の老婆や、“人間の鎖”をつくる「市民」には積極的にインタビューで放映するものの、保守系の「市民」は遠目に撮影し“雑観”扱いで、その主張はスルー。某ニュース番組は「右翼団体ら」の一言で片付けていた。
 そこで、マスコミが現場にいながらもガン無視したこの冬一番アツいガチンコ対決の一部をここでご紹介していこう。
■「在特会」の挑発を無視する「左翼」
 12月14日午前11時。「人間の鎖」に参加する市民たちの集合場所となっている日比谷公園霞ヶ関口に行ってみると、さっそく直接対決が始まっていた。
 一列に並んだ警官隊に隔てられ、2つの集団がわずか十メートルほどの距離でにらみあっているのだ。
 左側はもちろん「人間の鎖」のみなさん。そして右側は「在日特権を許さない市民の会」、略して「在特会」。前回、フジテレビデモに参加していた十代と二十代の若い女性が「イケている」と評していた保守系市民団体だ。
 「20万人の婦女子が日本の官憲に連れていかれたといいますけど、じゃあその時、朝鮮人は何をしていたんですか? みなさんはその問いに答えられないでしょう? 朝鮮人は家族思いなんですよ。目の前で自分の家族が日本兵に連行されてるのをただ指をくわえて見ているわけがないんですよ!」 
 日章旗が立ち並ぶなかで、「在特会」の男性が拡声器で「人間の鎖」に厳しい口調で語りかける。彼のいわんとしていることはよく分かる。
 私事で恐縮だが、かつて「朝鮮人女性を強制連行した」と証言し、「従軍慰安婦」問題のきっかけとなった吉田という元日本兵の取材をしに下関まで行った。そこで分かったのは、彼が共産党から出馬し、旧ソ連の友好団体に属するなどバリバリの左であり、地元でもかなりうさん臭い人物として知られていたということ。
 事実、吉田某は後に「あれは創作でした」と認めている。このように「従軍慰安婦」にはぶっちゃけ、怪しいネタ元が多いのである。
 とはいえ、そこは「左翼」のみなさんである。ロマンスグレーのご年配やインテリっぽい人たちが多いし、きっとこんな話を一蹴するような理論武装をしていらっしゃるに違いない。
 期待に胸を膨らませて、「人間の鎖」側の反論を待つが、彼らの多くはまるで目の前に「在特会」など存在しないかのように談笑をしたり携帯をカチカチいじったりしている。なかには、仁王立ちをして「在特会」メンバーにメンチをきっている人もいるが、基本的にはシカトなのである。
 なんだ、これは?
「おい! そこのおまえ!」
 やがてトレンチコートの男性が、拡声器を持った。「在特会」の桜井誠会長である。
 「もう学術的には慰安婦問題は決着がついているんだよ! それを今になって強姦だった強姦だったってね。これを許したら50年後に必ず、今新宿とか鴬谷とかで股を開いている朝鮮人ね、あれは強姦だったと言い出しますよ! 今みなさんの子ども、孫が我々のように罵られる。だから絶対にここで止める!」
 集団から「そうだ!」「うそつきは死ね!」などど罵声が次々とあがる。桜井会長はたたみかけるように「おまえらも自分たちの名誉をかけて日本を罵るんだろ? だったら逃げるなよ」などと挑発するも、「人間の鎖」のみなさんは相変わらずノーリアクション。
 これはいったいどういうことかと「人間の鎖」側の様子をうかがっていると、ひとりの若者が私を横目で見ながら、隣の長髪男性にヒソヒソとやっている。
 「おい! そこのおまえ!」
 「はい?」
 長髪男性がものすごい怒りの表情で私に向かって突進してきた。瞬時に、警官が取り押さえる。気が付けば、なぜか私も若い警官に取り押さえられている。
 「ね、ね……あちらもかなり気がたってますから。撮影は止めてあげてください」
 耳元で必死に説得する若い警官。うーむ、「左翼」のみなさんはいろんな活動をされている人も多いので、「取材お断り」が多いのはもちろん知っていたが、ここまでピリピリしているとは。
 「在特会」の挑発など気にかけてないように見えたが、実はいつブチキレしてもおかしくない状況なのかもしれない。
 激しい言動とともに怒りを全面に押し出す「右翼」。内にマグマのように怒りをたぎらせる「左翼」。この2つが直接衝突したらいったい何が起きるのか?
■「死人が出るかもしれませんよ」
 「取材するなら気をつけてやってくださいね。今日は本当にヤバイですからね。死人も出るかもしれませんよ」
 「在日特権を許さない市民の会」、略して「在特会」の桜井誠会長から、そのように声をかけられた。確かに。ネット上で「反日左翼」と呼ばれる市民活動家の1人は、先ほど私に向かって怒りをあらわにして突進してきた(関連記事)。市民活動のみなさんは全員が手をつなぎ、いわば「人間の鎖」状態。そんな彼らと、過激な発言で挑発をする「在特会」のメンバーが衝突したら……どちらかが手を出した途端、数十人規模の大乱闘に発展する恐れは十分にある。
 なんて思っていたら、「人間の鎖」の人たちは外務省前へ。それを追いかけるように「在特会」も移動していく。
 が、追跡は外務省前をとおる国道1号線(桜田通り)までだった。「人間の鎖」の人たちは、横断歩道をわたって、ゆうゆうと外務省にたどりついたが、「在特会」をはじめ保守系市民団体は、横断歩道を渡ることを許されず、警官隊に足止めを食っているのだ。同じ「市民」でこの待遇の違いはいったい……。
■警察の封鎖をかいくぐって外務省前に“上陸”
 外務省正門前ですでに「従軍慰安婦」の老婆が記者会見を開いていた。朝日新聞に共同通信、NHKに韓国メディア……30人以上の記者に取り囲まれている。思っていた以上にご高齢で、こんな場所にして大丈夫かと心配してしまうほどヨボヨボだった。
 「7年もの慰安所生活を中国で強制された後、日本軍兵士にダマされて日本にわたって来ました。日本でも半世紀、在日朝鮮人としてあらゆる差別を一身にうけながら中国の慰安所時代に関しては沈黙し語ることはできませんでした。語り始めたソンさんは10年間、日本政府を相手に裁判を闘いました。しかし、司法の厚い壁は崩すことはできませんでした」
 支援者の女性が時おり涙で言葉をつまりながら訴えているのを聞いていると、外務省前の地下鉄のあたりが大騒ぎになっていることに気付いた。
 見れば、「在特会」が地下鉄霞ヶ関駅の地下通路を経由して、車道の向こう側からわたって来たのである。地下鉄出口の階段から続々とあがってくる日章旗を掲げた一団。それを阻もうとする警官隊。目と鼻の先では、ロマンスグレーのおばさまや、若い女性たちが手をつないで「人間の鎖」をやっており、不安そうな表情を浮かべている。
 これは……えらいことになったぞ!
■あわや「将棋倒し」の大事故に?
 「朝鮮人は日本からひとりのこらず出ていけー」
 警官隊にもみくちゃにされながら男性がマイクで叫ぶ。「従軍慰安婦」の会見場までおよそ200メートル。異常事態に気付いた「人間の鎖」のメンバーたちも、これ以上進ませないように地下鉄出口周辺に集まってきた。日比谷公園で私に怒声を浴びせた長髪男性も、外務省前に“上陸”を果たした「在特会」を憎々しげに睨んでいる。
 「かーえーれ! かーえーれ!」
 コールとともに「在特会」が警官たちを退けていく。若い警官たちがさらに押し返す、ってアブないって!
 「在特会」の後ろの人たちが階段をのぼっているところだ。このまでは将棋倒しで大事故になるぞ!
 とヒヤッとしたところで、「鬼軍曹」っぽいベテラン警官が颯爽(さっそう)と現れ、群衆を押し返している制服警官たちを次々と襟首をつかんで後ろに引きずる。
 「聞け! オレの話を! 壁をつくれ壁を!」
 なるほど、少し後退して駅の出口を取り囲むように壁をつくってそこから進ませないわけね。「在特会」とおしくらまんじゅうをしていた若い制服警官らの目は完全に泳いでいたが、さすがベテラン。冷静な判断である。
■「外務省の前で、反日極左にやりたい放題やらせるからだろ!」
 ステンカラーコートを身にまとった中年の私服警官が、「鬼軍曹」の背中に心配そうに声をかける。
 「どうすんだよ? あけんの!? あけんの!? これ」
 ここを突破されたら「人間の鎖」のみなさんとの衝突は避けられない。「在特会」のテンションなら、マスコミに囲まれて会見をしている「従軍慰安婦」のとこにも突っ込んでいくだろう。これは外交問題にも……つーか、警察のみなさん、こんないきあたりばったりで警備計画、大丈夫?
 と、その時、もみあう警官たちと「在特会」の中から「全員、静まれ!」という叫び声があがった。桜井会長である。
 「下げることは下げるけど、君たちだってこうなった原因は最低限考えろ。外務省の前で、反日極左にやりたい放題やらせるからだろ! 警察もあっちを取り締まりなさいよ。だったら、私たちだってここまでこないよ!」
 これは確かに一理ある。「人間の鎖」の参加者はノーチェックでこちらに渡れるが、保守系市民団体のみなさんは立ち入り制限。車道を隔てた農林水産省前あたりから、声を枯らせて叫んでいる。近づけたらケンカになるのであれば、せめて門の左と右に分けるとか。こういうえこひいきをすると、怒りが増すだけだと思うのだが……。
 その後、多少の小競り合いはあったものの、「在特会」は道の向こうへと後退。車道を挟んだ場所から、「主権回復を目指す会」や、日本を愛する女性たちの団体「なでしこアクション」「頑張れ日本! 全国行動委員会」などの保守系市民団体と並び、1時間以上も声を枯らせてシュプレヒコールをしていた。
■「外務省の前で、反日極左にやりたい放題やらせるからだろ!」
 ステンカラーコートを身にまとった中年の私服警官が、「鬼軍曹」の背中に心配そうに声をかける。
 「どうすんだよ? あけんの!? あけんの!? これ」
 ここを突破されたら「人間の鎖」のみなさんとの衝突は避けられない。「在特会」のテンションなら、マスコミに囲まれて会見をしている「従軍慰安婦」のとこにも突っ込んでいくだろう。これは外交問題にも……つーか、警察のみなさん、こんないきあたりばったりで警備計画、大丈夫?
 と、その時、もみあう警官たちと「在特会」の中から「全員、静まれ!」という叫び声があがった。桜井会長である。
 「下げることは下げるけど、君たちだってこうなった原因は最低限考えろ。外務省の前で、反日極左にやりたい放題やらせるからだろ! 警察もあっちを取り締まりなさいよ。だったら、私たちだってここまでこないよ!」
 これは確かに一理ある。「人間の鎖」の参加者はノーチェックでこちらに渡れるが、保守系市民団体のみなさんは立ち入り制限。車道を隔てた農林水産省前あたりから、声を枯らせて叫んでいる。近づけたらケンカになるのであれば、せめて門の左と右に分けるとか。こういうえこひいきをすると、怒りが増すだけだと思うのだが……。
 その後、多少の小競り合いはあったものの、「在特会」は道の向こうへと後退。車道を挟んだ場所から、「主権回復を目指す会」や、日本を愛する女性たちの団体「なでしこアクション」「頑張れ日本! 全国行動委員会」などの保守系市民団体と並び、1時間以上も声を枯らせてシュプレヒコールをしていた。
*窪田順生氏プロフィール:
1974年生まれ、学習院大学文学部卒業。在学中から、テレビ情報番組の制作に携わり、『フライデー』の取材記者として3年間活動。その後、朝日新聞、漫画誌編集長、実話紙編集長などを経て、現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌でルポを発表するかたわらで、報道対策アドバイザーとしても活動している。『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。近著に『死体の経済学』(小学館101新書)、『スピンドクター “モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)がある。
=========================================
米の慰安婦碑 撤去の請願署名受理必要数満たす/日本国内にも「全部日本が悪かった」と信じる一定の勢力 2012-06-11 | 政治〈領土/防衛/安全保障〉 
米の慰安婦碑、撤去の請願署名が受理必要数満たす
J-CASTニュース2012/6/11 12:08
 米ニュージャージー州パリセイズパーク市の公立図書館に設置された慰安婦の碑について、その撤去を求めるホワイトハウスホームページの請願コーナーの署名数が、受理に必要な2万5000件を超えたことが2012年6月11日までに分かった。
 この請願は、5月10日にヤスコ・Rの名義で署名受け付けが始まった。慰安婦の碑について、「誤った非難で日本人は何十年も辱めを受けてきた」として、オバマ大統領に碑の撤去などを求めている。この碑は、10年10月に韓国系アメリカ人団体の支援で設置されていた。
--------------
慰安婦問題、敗北主義に陥るな 外務省「韓国は確信犯的にやっている」
産経ニュース2012.6.9 09:42[歴史認識]

    

米ニュージャージー州パリセイズパーク市の公立図書館脇にある従軍慰安婦の記念碑。パリセイズパーク市は人口約2万人のうち、半数以上が韓国系だ=5月18日(共同)
 韓国による慰安婦問題での対日攻撃がやまない。韓国系団体は今や、米国内にも全く史実に反した慰安婦記念碑を建てるなど、海外に向けた日本をおとしめる宣伝戦も仕掛けている。もう、なあなあで済ませている場合ではない。
■水面下で静かに
 政府は8日の閣議で、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が昨年12月にソウルの駐韓日本大使館前に建てた「慰安婦像」について、「ウィーン条約に規定する公館の威厳の侵害に関わる問題だ」とする答弁書を決定した。
 その認識は正しいが、それでは韓国側に対しどんな申し入れや対策をとったかは明かさない。とにかく波風を立てずにやり過ごそうとする姿勢がみえる。
 昨年10月には、韓国系住民が過半数の米ニュージャージー州パリセイズパーク市で、公共図書館の敷地に慰安婦記念碑が建てられた。
 碑には「日本帝国政府の軍によって拉致された20万人以上の女性と少女」と荒唐無稽な碑文が刻まれている。在米の韓国系団体は、こうした碑を全米で20以上建てる計画だとされる。
 自民党の山谷えり子参院議員によると、こうした韓国側のプロパガンダの影響で在米日本人子弟が「下劣な先祖を持つ子孫」「レイプ魔の子孫」などといじめに遭いつつあるという。
 にもかかわらず、政府の対抗措置の動きは目に見えない。このままでは日本のイメージは悪化し、将来的には大きく国益を損ないかねない。
 5日に開かれた超党派の「日本の名誉のため行動する国会議員の会」(会長・たちあがれ日本の平沼赳夫代表)会合では、外務省担当者がこう弁明した。
 「先方(韓国系団体)は確信犯的にやっている。放っておいていいことではないし、政府としては、主張すべきことは主張する。ただ、よい結果をもたらすには水面下で静かに活動した方がいい」
 だが、政府が長年にわたり、ひたすらことを荒立てまいと静かにしていた結果、今日の事態を招いたのではないか。
■「内なる敵」
 2007年6月、政治評論家の屋山太郎氏ら民間有志と自民、民主両党の国会議員有志が米紙ワシントン・ポストに「慰安婦の強制連行を示す文書はない」などとする意見広告を出した。これについて、ある外務省高官はこう述べていた。
 「残念だが、慰安婦問題ではもう勝敗は決している。今さら強制連行はなかったと主張しても、米国では悪質な言い訳か歴史修正主義と受け取られ、かえって逆効果だ。話を蒸し返さない方がいい」
 これが日本外交の基本姿勢だったのだろう。とはいえ、このやり方もうまくはいっていない。日本が過去の話として自己主張もせず封じ込めようとしても、韓国側が大々的にキャンペーンを張っているのだから何の意味もない。
 確かに当時、意見広告は米国内で感情的な反発も呼んだ。だが、日本の立場・主張はある程度伝わったのではないか。どうせうまくいきっこないと決めつけるのは、外交上の敗北主義だろう。
 もちろん、立ち向かうべき相手は韓国側だけではない。日本国内には「とにかく全部日本が悪かった」という不勉強・思考停止状態に安住し、諸外国の反日団体と連携することを良心的だと信じる一定の勢力がある。
 今年5月にソウルで開館した「戦争と女性の人権博物館」(慰安婦博物館)建設を主導したのは、挺対協と日本に組織された「日本建設委員会」だった。
 建設委のホームページの募金者一覧をみると、「大阪市職労」「JR東労組」「自治労」「ピースボート」「広島県教組」…とおなじみの顔ぶれが目につく。
「内なる敵」の動向を見極め、なるべく背後から矢を射かけられないよう注意も必要だ。(阿比留瑠比)  *強調(太字・着色)、リンクは来栖
=======================================
 『日本人の誇り』藤原正彦著(文春新書)
p58〜
 「明治・大正・昭和戦前は、帝国主義、軍国主義、植民地主義をひた走り、アジア各国を侵略した恥ずべき国。江戸時代は士農工商の身分制度、男尊女卑、自由も平等も民主主義もなく、庶民が虐げられていた恥ずかしい国。その前はもっと恥ずかしい国、その前はもっともっと・・・」
 占領後、アメリカは米軍による日本国憲法制定を手始めに、言論統制、「罪意識扶植計画」等により、日本をアメリカに都合の好い属国に造り替えてゆく。
p63〜
 GHQすなわちアメリカはまず新憲法を作り上げました。GHQ民生局が集まり1週間の突貫工事で作ったのです。憲法の専門家はいませんでした。まず前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書きました。アメリカは他国の憲法を自分達が勝手に作るというハーグ条約違反、そしてそれ以上に恐るべき不遜、をひた隠しにしましたが、この文章を見ただけで英語からの翻訳であることは明らかです。「決意した」などという言葉が我が国の条文の末尾に来ることはまずありえないし、「われら」などという言葉が混入することもないからです。いかにも日本国民の自発的意志により作られたかのように見せるため、姑息な姑息な偽装を施したのですが、文体を見れば誰の文章かは明らかです。そのうえ、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と美しく飾ってみても、残念なことに「国益のみを愛する諸国民の権謀術数と卑劣に警戒して」が、現実なのです。
 ともあれこの前文により、日本国の生存は他国に委ねられたのです。
 第9条の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」は前文の具体的内容です。自国を自分で守らないのですから、どこかの国に安全保障を依頼する以外に国家が生き延びる術はありません。そして安全保障を依頼できる国としてアメリカ以外にないことは自明でした。すなわち、日本はこの前文と第9条の作られたこの時点でアメリカの属国となることがほぼ決定されたのです。この憲法が存在する限り真の独立国家ではありません。中国に「アメリカの妾国」と馬鹿にされても仕方ないのです。(〜p64)
p104〜
 南京大虐殺の不思議
 「南京大虐殺」も実に不思議な事件でした。1937年12月13日に南京を陥落させた日本軍が、その後6週間にわたり大規模な虐殺行為を行ったというものです。
 1997年にアメリカで出版された五十万部を超えるベストセラーとなった、中国系アメリカ人アイリス・チャンによる『ザ・レイプ・オブ・南京』によりますと、「ヒットラーは6百万人のユダヤ人を殺し、スターリンは4千万以上のロシア人を殺したが、これらは数年をかけて行われたものだ。レイプ・オブ・南京ではたったの数週間で市民30万人を殺し、2万人から8万人の女性を老若かまわず強姦し豚のように殺した、という点で史上最悪のものだ。天皇を中心地した日本政府がこれを仕組んだ」という内容のものです。「日本兵は女性の腹を裂き、胸を切り刻み、生きたまま壁に釘づけにした。舌を鉄の鉤に吊るしたり、埋めてセパードに食い散らかせた」などとも書いてあります。
 私達の父や祖父達がこんなことを組織的にしていたとしたら、私たち日本人は百年は立ち上がれないでしょう。祖国愛や誇りを持つなどということもあり得ないことです。
 そのためにも事実を明らかにし、東京裁判史観に染まった国民にどうしても真実を知ってもらう必要があります。
 1937年12月、南京攻略を決めた松井石根大将はとても神経質になっていました。日露戦争に従軍したことのある松井大将は、かつて世界1規律正しいと絶賛された軍隊でロシアと戦ったことを誇りに思っていました。
 そこで攻勢前に兵士たちに、「首都南京を攻めるからには、世界中が見ているから決して悪事を働いてはならぬ」という趣旨の「南京攻略要綱」をわざわざ兵士に配り、厳正な規律を徹底させました。これ自体が稀な行為です。そのうえ、還暦を目前に控えた松井大将は、陸軍大学校を首席で卒業した秀才ですが、若い頃からアジアの団結を唱える大アジア主義に傾倒していて根っからの親中派でした。孫文の革命を支援したばかりか、若き蒋介石が日本の陸軍士官学校に留学した時は親身で面倒まで見てやった人です。運命のいたずらで愛弟子と戦わざるを得なくなり、せめて規律だけは保たせようと思ったのでしょう。そして、攻略を始める前日の12月9日、南京包囲を終えた松井大将は中国軍に対し、民間人の犠牲を避けるため10日正午までに南京を解放するよう勧告しました。蒋介石をはじめ政府と軍の首脳はすでに7日に首都を放棄していました。続いて役人、警察官、郵便局員と姿を消したため、水道は止まり電気も消え、無政府状態となりました。
p106〜
 ほとんどの戦争では、中国でもヨーロッパでも、市民を巻き添えにしないため軍隊は市内から出るものです。第2次大戦でパリはドイツに占領され、後に連合軍に占領されましたが、どちらの場合も軍隊は市街を出たので美しい町が保たれたのです。北京や武漢でも中国兵は町から出たので市民巻き添えという混乱はありませんでした。
 南京守備軍の唐生智司令官はこれを無視しました。「首都と運命を共にする」と広言していた彼は、日本軍の猛攻を受け陥落寸前というときに撤退命令を出すや、逃げ出してしまいました。指揮系統はすでに失われていたので数万の兵に撤退命令は伝わりませんでした。大混乱の最大原因です。降伏命令だったら何も起きなかったからです。
 『「南京事件」の総括』(田中正明著、小学館文庫)に、軍服を脱ぎ捨てた数千の中国兵が安全区に入ってきてからの混乱が詳述されています。南京市は首都といっても面積は世田谷区の3分の2ほどの狭さです。日本軍の攻撃の迫った12月1日、南京市長は全市民に対し、安全区、すなわち国際委員会が管理する地区に避難するよう命令します。安全区は、狭い南京の一角に作られた2千?四方程度の最小の地区です。日本軍が攻略を始めた12月10日には、すでに揚子江上流に避難した中上流階級の人々を除く、全市民がここ安全区に集まっていました。 資料により異なりますが、この段階における安全区人口は12万から20万の間です。「惨劇」があったとしたら、すし詰めとなったこの安全区で起きたはずなのです。
 ところが不思議なことに、南京に入城した幾万の日本兵も、共に入城した百数十名の日本人新聞記者やカメラマンンも誰一人そんな惨劇を見ていないのです。皆が一糸乱れぬ口裏を合わせているのでしょうか。こんな狭い所で大虐殺が行われたというのに、そこに住んでいた国際委員会の外国人や外国人記者も目撃していません。
 日本軍が入城した12月13日から翌年2月9日までに、国際委員会は日米英の大使館に61通の文書を提出しており、そこには殺人49件、傷害44件、強姦361件(うち被害者多数3件、被害者数名6件)などがありますが、大虐殺と呼べるものはありません。この数字自身も、国際委員会書記スマイス教授が認めたように、検証されたものではなく中国人からの伝聞によるものでした。また国府軍側の何應欽将軍が直後の1938年春に提出した大部の報告書にも、南京での虐殺を匂わせるものはいっさいありません。無論、市民虐殺を示唆する日本軍の作戦命令も存在しません。
 当時、中国に関して最も権威ある情報源とされていた「チャイニーズ・イヤーブック」と呼ばれる年鑑がありました。上海で英国系新聞が出版していたものです。これにも虐待の影はありません。
 一口で言うと、虐殺を示す第一次資料は何一つないということです。(〜p108)
p110〜
 東京裁判で再登場した
 「南京大虐殺」が再登場したのは、南京戦後8年半もたった1946年、東京裁判においてです。証人となった中国人が次々に大虐殺を「証言」しました。日本兵は集団をなし、人を見れば射殺、女を見れば強姦、手当たり次第の放火と掠奪、屍体はいたる所に山をなし、血は河をなす、という地獄さながらの描写ばかりでした。
 この裁判は、通常の裁判とはまったく異なり、証人宣誓が求められず証拠検証もされませんでしたから、言いたい放題だったのです。殺害者数30万人という証言に疑念を抱いたロヴィン弁護人が「私の承知している限りでは南京の人口は20万ですが」と質問すると、ウェッブ裁判長は「今はそれを持ち出すときではありません」と慌ててこの発言をさえぎりました。
 中国人だけでなく金陵大学(のちの南京大学)のベイツ教授など数人の欧米人も証人として出廷しました。ベイツ教授は事件時に南京にいて国際委員会のメンバーであり、「戦争とは何か」を書いたティンパーリに、書簡で事件を教えた人です。「1万2千人の市民を含む非武装の4万人近い人間が南京城内や城壁の近くで殺されたことを埋葬記録は示している」という趣旨の証言をしましたが、やはり中国人からの伝聞のみです。
 埋葬死体が戦死者のものかどうかも確認していません。実はベイツ教授は、やはり国際委員会に属する金陵大学のスマイス教授と、1938年の3月から4月にかけて、多数の学生を動員して南京市民の被害状況を調査していました。スマイス教授は社会学が専門なのでこの種の調査には慣れていて、50戸に1戸を無差別抽出して、2人1組の学生がそこを訪れ質問調査するという方法でした。
 この日時をかけた調査結果は、日本兵の暴行による被害者は、殺された者2400人、負傷した者3050人でした。(「南京地区における戦争被害調査」)。ただし、調査は被害者救済のためのもので、誰も住んでいない家は調査対象となっていませんから、家族全員が犠牲になった家などは統計に入っていません。また死亡者の中に、南京に自宅のある兵で便衣兵(軍服を脱いで一般市民に混じった中国兵)として処刑された者もかなり混じっているはずです。この人たちは市民でもあります。というわけで実数はある程度上下するはずです。しかしこの調査はほとんど唯一の第1次資料と言えるものです。
 ベイツ教授はこの調査を知っていながら、東京裁判では大いに水増ししました。そればかりか、
 「日本軍侵入後何日もの間、私の家の近所の路に、射殺された民間人の屍体がゴロゴロしておりました。スマイス教授と私は調査をした結果、城内で1万2千人の男女及び子供が殺されたと結論しました」
 と述べたのです。一方のスマイス教授の東京裁判への出廷は、弁護側が要求したにもかかわらず認められませんでした。ベイツ教授は1938年と1946年に蒋介石より勲章をもらっていました。
 またマギー牧師は法廷で延々と日本軍による殺人や強姦の事例を証言しましたが、ブルックス弁護人に「実際に自分で見たのはそのうちの何件か」と問われ、「実際に見たのは1件だけ」と白状しました。しかもそれは、日本軍歩哨に誰何され逃げ出した中国人青年が射殺された件でした。当時、中国にいた宣教師たちが国民党におもねっていたことは、アメリカの上海副領事をしていたラルフ・タウンゼントが1933年に出版した『暗黒大陸中国の真実』(芙蓉書房出版)などに記されています。
p120〜
 私は大虐殺の決定的証拠が1つでも出てくる日までは、大虐殺は原爆投下を正当化したいというアメリカの絶望的動機が創作し、利益のためなら何でも主張するという中国の慣習が存続させている、悪質かつ卑劣な作り話であり、実際は通常の攻略と掃討作戦が行われただけと信ずることにしています。さらに事を複雑にしているのは日本国内に、大虐殺を唱え続けることこそが良心と平和希求の証し、という妄想にとらわれた不思議な勢力があることです。「南京大虐殺」は歴史的事実ではなく政治的事実ということです。事実であるという決定的証拠が1つでも出るはるか前に、「カチンの森」が事件発生50年後のソ連崩壊時に告白されたごとく、「南京大虐殺」の真実が、アメリカの情報公開で明るみに出るか、中国の一党独裁崩壊後に告白されるのではないかと考えています。
 ただし、アメリカは時が来れば何でも情報公開する公平でオープンな国のように見えますが、肝心のものは公開しません。真珠湾攻撃前1週間の暗号解読資料とかケネディ大統領暗殺犯などについては、今もすべてを出そうとしません。南京事件が原爆投下と関係しているとしたら容易には出さないでしょう。
 南京の話が長くなったのは、これが未だに日本人を委縮させているからです。中国に対して言うべきことも言えないでいる理由だからです。尖閣諸島が中国のものと言っても、自分から体当たりしてきて謝罪と賠償を高らかに唱えても、怒鳴りつけることもできず、下を向いたまま「領土問題は存在しません」とつぶやくだけの国となっているからです。
 20年以上にわたり毎年10%以上も軍事費を増加させるという中国の異常な軍備拡大に抗議するどころか、すでに6兆円を超すともいわれる巨額のODAを与え、さらに援助し続けるのも、自らの対中防衛力を高める努力もしないでハラハラしているだけなのも、中国の不当な為替操作を非難しないのも、「南京で大虐殺をしましたよね」の声が耳にこだまするからです。中国の対日外交における最大の切り札になっているのです。(〜p121)
===================================
放送法違反の偏向NHKに受信料を払う必要なし 尖閣も竹島も歴史上明らかに日本領土 2012-05-07 | メディア 
 「マット安川のずばり勝負」JBpress 2012.05.04(金)
マット安川 今回のゲストは経済博士・小山和伸さん。都による尖閣購入表明の話では、日本国帰属を示す古地図や外交文書など歴史資料をスタジオで検証。また日本の安全保障や主権者意識についても幅広くお聞きしました。
■放送法4条を守らないNHKに受信料を徴収する資格ナシ
小山 メディアの偏向報道是正を目指すメディア報道研究政策センターを一般社団法人化して、10カ月ほどたちました。
 われわれが特に重視しているのは、NHKへの対抗措置です。NHKは最近、民事訴訟も辞さずに受信料を払わせようという姿勢を強めています。
 その論拠になっているのが放送法第64条で、NHKの放送を受信できる機械、要するにテレビを買ったものは、放送を見ていようがいまいが受信料を払わなければいけないことになっている。
 しかし、一方に4条というものがあって、公序良俗に害しないこと、対立のある問題については両論併記すること、事実を曲げて報道しないことなどの原則が定められています。
 NHKはこの4条に違反してるんじゃないかというのが、われわれの立場です。
 例えば南京大虐殺とか従軍慰安婦の強制連行とか、実際にあったという立場からの報道ばかりなんですよ。反対意見については、今さら「なかった」と言う酔狂な人がいるというトーンで紹介するだけ。とうてい両論併記とは言えません。
 強制連行について言えば、韓国政府は今でも20万人が連れ去られたと言い張っていますけど、連れていかれたところを見たという第三者証言はゼロです。
 私が連れていかれたと言う人は時々いるけれど、きちっと裏が取れたのもゼロ。調べてみると当時7歳だったとか、生まれてなかったとかね。日本軍が駐留してなかった地域で何百人の兵隊に囲まれたと言ったりする。
 そういう確証のない問題について、あったと決めつけるような報道をしちゃダメでしょう。僕はNHKに抗議しました。謝罪とともに、あれは間違いだったという同じ長さの番組を流すまで、受信料は払いませんと。
 そのとき自動引き落としになったお金がこれから先の分なら返してくれと言ったら、返還してきましたよ。以来僕は受信料を払っていません。
■中国、台湾にもまして日本政府にもあきれる尖閣問題
 石原(慎太郎・東京都知事)さんは起業家精神がある方だと思いますよ。尖閣諸島をめぐっては寄付を募ると言って、それがもう集まっているようじゃないですか。都民の税金で買うのは云々なんて言ってるうちに、かえって都の財政が潤っちゃうかもしれない。
 尖閣諸島について復習しますと、日本政府は1895年に沖縄県の行政所管に入れました。それ以降、ずっと日本の領土です。
 日清戦争で日本が勝ったときに割譲された領土がありましたが、尖閣はそこに入っていない。つまり戦争に勝って取り上げたものじゃないんです。
 産経新聞にも出たことですが、1920年、長崎にいた中華民国の領事が発行した公文書があります。嵐で遭難した中国の漁民を助けた石垣島の人への感謝状です。その文書には、日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島と書いてある。日本の領土だとはっきり認めているわけです。
 1960年、中共(中華人民共和国)が出した地図でも、尖閣は日本領になっています。しかし1968年、国連のアジア極東経済委員会が、尖閣海域にイランに匹敵する海底油田がありうると発表した。そしたら途端に、台湾も中共もオレのだと言い始めたわけです。
 1978年、日中平和友好条約を結んだとき、?小平って人は尖閣問題の解決は次世代の知恵に委ねましょうなんてことを言った。次世代の知恵もへちまもないじゃないですか。日本のもんでしょ、明らかに。
 なのに解決を棚上げしたまま、日本政府は条約を結んだわけです。国際間の条約は最新のものが一番有効ですから、これはまずいことです。
 そして今も自らの主権をきちっと主張しない。台湾も中国も開いた口がふさがらないぐらい図々しくてあきれるんだけれど、日本政府もあきれたもんだと思いますよ。
■韓国は竹島問題の国際機関への提訴を拒否した
 竹島だって日本のものです。朝鮮半島の李王朝は1438年から、なんと443年間も空島政策を続けていた。これは要するに無人島のままにしておくということですね。島に渡っちゃいけないと。つまり李王朝は、竹島のみならず鬱陵島も放棄していたわけですよ。
 日本はどうかというと、1625年、江戸時代の初めに徳川幕府が大谷、村川両家に渡航許可を出しています。
 韓国側の主張は、元禄のころ、安龍福という男が竹島に行って日本人を追っ払ってきたというのが根拠なんですが、調べてみるとそれは竹島じゃなくて、于山島という別の島です。
 だいたい安龍福は空島政策に違反して死罪になるところだった。日本人を追っ払ったというのは、死罪を逃れるための言い訳に過ぎません。幕府の公文書と彼の言い分と、どちらに信憑性があるかってことですよ。
 サンフランシスコ講和条約でも竹島は日本領とされていますが、その翌年、韓国の李承晩大統領が突然、李承晩ラインを引いて自分のものにした。
 その後、日本の漁船328隻が拿捕、漁民3924人が拉致されたほか、海上保安庁の巡視艇が銃撃される事件が起こったりした末、1954年に韓国が竹島の灯台の運用を開始したんですね。
 日本はこのとき韓国に、国際司法裁判所への提訴を提議したわけです。出るとこに出てはっきりさせようじゃないかと。しかし韓国はこれを拒否した。戦えば負けるって分かってたということですよ。こういう経緯を日本はもっとアピールしてもいいんじゃないですかね。
■拉致問題も復興も前に進まないのは「他人事」だから
 今の政府の体たらくぶりにはほとほとあきれます。あまりにも意識が低いし、国民の気持ちが分かっていない。
 結局のところ、みんな他人事なんですよ。だってそうじゃないですか。拉致問題にしたって、自分の娘が連れ去られたら黙っていられるわけがない。
 しかも向こうは最初、知らない、いないと言っていたのに、やっぱりいたけど死んじゃった、これが骨だって送ってきたわけです。調べてみたら個人には無理というくらいの高温で焼いてあった。
 それでもDNA鑑定した結果、横田めぐみさんの骨ではなかったと日本政府が言ったら、北朝鮮はあんな高温で焼いたのにDNA鑑定ができるわけないだろって返してきたんですよ。
 これ、おかしいでしょ。ご両親の立場になって考えたら怒るだけじゃ済まないですよ。政治家は自分の娘だと思って事に当たらないといけません。そういう意識を持たなかったら国民の負託に応えられるわけがないんですよ。
 最近、京都府の亀岡市で起きた交通事故だってそうです。教頭先生や警察が加害者の少年の父親に被害者の電話番号を教えちゃったという話ね。
 被害に遭った人の身になって考えたら、事故が起きたばっかりなのに、そんな電話がかかってきたらどんな気持ちになるか、なぜ考えられないのかね。当事者意識があったら教えるわけがないと思うんだ。
 拉致問題もそう、東北の復興が進まないのもそうですよ。僕はこういう今の世の中、非常に危ないと思います。
「マット安川のずばり勝負」4月27日放送
・小山 和伸(おやま・かずのぶ)氏(1955年2月18日-)
神奈川大学経済学部教授。経済学博士(東京大学)。横浜国立大学経営学部卒業。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。専門分野は、経営管理論、組織論、戦略論、技術経営論。著書に『救国の戦略』(展転社)、『戦略がなくなる日』(主婦の友新書)など。
==========================================
靖国神社 A級戦犯合祀に絡む内密資料 国会図書館公表/慰安所経営者も合祀 2007-03-29 | 政治 
 〈後段のみ抜粋〉
靖国神社 慰安所経営者も合祀
国会図書館資料初公表
 日本占領下のインドネシアで慰安所を経営し、BC級戦犯として有罪判決を受けた後、獄死した男性について、厚生省(当時)と靖国神社が1967年に合祀(ごうし)を決めていたことが28日、明らかになった。国会図書館が同日公表した「新編 靖国神社問題資料集」に盛り込まれた靖国神社の内部資料に明記されていた。政府は、いわゆる従軍慰安婦について「おわびと反省の気持ち」を表明しているが、一方で慰安所経営者の合祀を進めていたことになる。
 靖国神社が、占領下のアジアで慰安所を経営していた一般人の合祀を決定していたことが判明したのは初めて。
 この内部資料は、67年5月9日に靖国神社洗心亭で開催された厚生省援護局と神社側の会議の様子を記録した資料「合祀事務連絡会議開催につき(報告)」。厚生省側から合祀事務の担当課長以下7人、神社側から担当の権宮司ら2人が出席、これまで合祀を保留していた対象者について合祀の可否を検討した。
 資料によると、このうち「法務死亡者(一般邦人)」として、「櫻クラブ経営者。(訴因、婦女子強制売淫刑10年受刑中病死、り崎ろ第233××号)」とされる人物が記載され、「合祀する」と判断されていた。
 BC級戦犯裁判に詳しい研究者によると、この経営者は43年9月から45年9月までインドネシア・バタビア(現ジャカルタ)で慰安所を経営していた実在の人物。現地の女性らに強制的に売春させたとして、オランダ軍による戦犯裁判で有罪判決を受けた。46年11月末から現地で服役し、翌月末に病死した。
 財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」が1998年末にまとめた「『慰安婦』問題調査報告」は櫻クラブを「一般邦人向けの慰安所」としており、日本軍は慰安所の「設置や規則に関与していた」が「軍が組織として設置したり、将兵たちの使用目的のために設置されたわけではなかったようだ」と記述している。
    ◇
 国立国会図書館が28日公表した「新編 靖国神社問題資料集」はA4判で約1200ページ。靖国神社の内部資料のほか、米オレゴン大が所蔵する連合国軍総司令部(GHQ)の調査担当者が収集した資料、中曽根康弘内閣当時の閣僚参拝に関する懇談会資料などがまとめられている。
 4月をめどに一般にも閲覧可能とし、ホームページにも掲載する予定。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 10100

Trending Articles