原発と離婚できない福島住民の生活とあまりにも深く絡み合った原発産業
JB PRESS 2011.05.19(Thu)烏賀陽弘道
福島県南相馬市からの報告を続ける。
福島第一原発から20キロの立ち入り禁止ゾーン境界線に行ってみた時のことだ。幹線道路である国道6号線が田んぼの真ん中で封鎖され、検問ができていた。見慣れた電光掲示板に「災害対策基本法により 立ち入り禁止」という文字が流れ、10人ほどの警察官が立って車を止めている。
「ここから先は行けないんですか? 報道記者なんですが」
私も聞いてみた。
「申し訳ないのですが、ダメです」
「京都府警」(応援だろう)の文字がヘルメットに読める若い警官がそう言った。
検問の風景を写真に撮ることにした。ちょうど夕方6時ごろだった。西の稜線に日が沈む。野桜が満開だ。あたりが茜色に染まって美しい。
*立ち入り禁止地域から出てくる土木作業服の若者たち
検問の周りを1時間くらいうろうろしていて、不思議なことに気付いた。無人地帯になっているはずの20キロラインの内側から、自動車が次々に現れたのだ。
白いワンボックスカーに若者が数人乗っている。望遠レンズで覗くと、土木作業服を着ていた。靴を脱ぎ、足をダッシュボードに投げ出してたばこを吸っている。
続いて、白いトラック。ボディに「××工務店」の名前が見える。白い軽ワゴン車。ダンプ。どんどん出てくる。
警官がそのたびに止め、何か書類をチェックしている。誰も防護服など着ていない。
ふと見ると、警官が私の方に駆け寄ってくる。
「すみません、写真はやめてもらえますか」
「どうしたんですか?」
警官は車の方を振り返った。
「何だか、ダメらしいです」
私はカメラを降ろした。前を通る車から、運転席の若者がこちらをにらみつけていた。何だかピリピリした雰囲気だ。
1台だけ、白い防護服を着た2人組の乗った軽ワゴン車が通った。検問を出たとたん、道路わきの駐車場に車を入れ、外に出て防護服を脱いだ。そして走り去った。
道路脇の食堂から、男性が出てきた。店を閉めて家に帰るところだった。何で立ち入り禁止区域から次々に人が出てくるのか、尋ねてみた。
「ああ、あれ? あれはね、原発の後片付けや何かで働いている人」
私は仰天した。
「立ち入り禁止区域で働いているんですか?」
「うん。原発に通勤している人が多いからね。仙台あたりからもね、来るから」
ここらへんじゃ別に珍しいことじゃないよ、と男性は笑った。3.11以前はそういうドライバーを相手に商売していたのだという。
つまり私が見たのは、放射線が高い立ち入り禁止区域を通って原発で働く人たちの「帰宅風景」だったのだ。
*原発は安定しているから「いい仕事」
南相馬市では、原発関係の仕事をする人を見つけるのは実に簡単だった。
私が泊まった市内のビジネスホテルで、去年まで福島第一原発で働いていた男性と偶然出会った。
宿に帰って、フロント前のソファで、地元紙を読んでいた時だ。白髪で日に焼けたメガネの男性が向かいに座った。
南相馬市の北西にある飯舘村の放射線量が4.0マイクロシーベルト/時に達して、避難しなくてはならない。逆に、30キロ圏内の内側にある南相馬市海岸部は、0.53(同)と低いのに矛盾している。そんな雑談になった。
「私の職場では、マイクロシーベルトなんて話題にならなかったんですがね」
その男性はにやにや笑いながら言った。私はぎょっとした。
「3.5マイクロシーベルトというと、私にとっては毎日の普通の作業環境でしたよ。そもそも線量計が10マイクロシーベルトからしか分からなかったし」
私はどきどきしながら聞いた。
「そんなお仕事というと、原発ですか?」
男性はうなずいた。あの事故のあった福島第一原発の建屋の中で働いていた。そう言うではないか。
建屋の中で水や汚れをふいた布や、工事のために敷設したモーターにかぶせたビニールシートなどは「放射性廃棄物」として原発の敷地内から持ち出せない。法令でそういうことになっている。だから施設内で焼却する。そんな仕事だそうだ。
毎日「カバーオール」と呼ばれる防護服を着る。線量計も着装する。
「原発はね、安定しているからいい仕事なんですよ」
安定しているってどういうことですか、と私は尋ねた。男性はミスコピー紙を取り出し、ペンでさらさらとメモを書いた。原子炉の定期点検のスケジュール表だった。
「原子炉は法律で1年に3カ月くらいは定期点検せねばならんのです。まあ、長過ぎると電力会社が苦情を言ったのでしょうね。突然法律が変わって、今は38日でいいことになりましたがね」
男性はにやりと笑った。
「だから1号炉、2号炉、3号炉と、どれかの炉がいつも点検中なんです。だから仕事が安定しているんです」
6〜8月の電力需要期を除いて、いつもどれかの炉が点検に入る。すると点検作業のために建設関係の会社に仕事が回ってくる。
「定期点検のために、1年でのべ5000人は雇われるんです。安定しているでしょ?」
男性は「5000人」と数字を具体的に言った。南相馬市だけじゃなくて相馬市(北隣)やいわき市からも働きに行っていますからねえ。ここらへんじゃ普通ですよ。男性はそう言った。
なるほど、私が20キロ検問で見た「不思議な通勤者たち」はこの男性のような人たちなのだ。
*東電や原発の話題に口を閉ざす住民たち
南相馬市で20キロラインと30キロラインに挟まれた中間地帯で苦痛に満ちた生活を強いられる人たちに取材していると、あちこちで東京電力や原子力発電所の存在がちらついてくる。
20キロラインのぎりぎり外側で暮らすおばあさんに話を聞く段取りをした時のことだ。紹介者を通じて、いったん「いつでもうちに来て」という返事が来た。「話し好きな人だからいろいろ面白いですよ」と紹介者も言うので、楽しみにしていた。
ところが、一夜明けて、約束の時間の5分前に電話がかかってきた。
「やっぱりやめておく」
そう言うのだ。こちらは理由を聞く。向こうは口ごもる。「あの後、息子さんが帰ってきて、マスコミなんかやめておけ、と言われたらしく、急に態度が変わった」と申し訳なさそうに紹介者が言う。
そういう時は、
「親戚や家族がお世話になっているので、原発や東電の悪口は言わない」
「マスコミやよそ者にそういう話をしない」
「マスコミによくないことを言うと、地域で仲間外れにされる」
「言うと、どこでどんな後難があるか分からない」
そういう含みだということが次第に分かってきた。それから何件も取材を断られたからだ。
別に原発や東京電力の批判をしてほしいわけではない、中間地帯で暮らしの何が不便か教えてほしいだけだ、と説明してもダメなのだ。「どこで何があるか分からない」と、誰もが「見えない何か」を恐れているのだ。
原発事故で故郷が放射能汚染されてしまった。そんな最悪の段階に至っても、東京電力や原発の話題はタブーなのだ。
ある地元企業の経営者に話を聞かせてもらおうと、東京から連絡をして会いに行った。しかし「マスコミは何を書くか、分からないから」と断られた。会社まで直に行ってもまた社員が出てきて断られた。
「せめて挨拶だけでも」と菓子折りを持ってもう一度行ったら、気の毒がってくれたのか、ようやく入れてくれた。
「本当に、周囲で(東京電力や原発関連企業に)雇われている人がとても多いんです」
私は応接間のソファでその人物と向かい合った。取材に神経質だった。記事にするなら内容を事前に知りたい、という。それは検閲ですからダメですと私は断った。なので匿名にする。
*原発に反対すると「おかしい人」に見られてしまう
「家族と従業員5人くらいで細々とやっている会社がこのへんにはたくさんあります。そんな会社が仕事をもらって、いろいろな人が関係している。裏話も聞こえてくる。生活に密着すればするほど、声を上げにくいのです」
──もう少し具体的に話してもらえますか。
「ここでは『東電』ではなく『東電のAさん』『Bさん』と具体的な人物なんです。一人ひとりがそんなふうに関係がある。そして東電の現場の社員には誰も悪い人はいません。個人として地域住民にとけ込んで、理解と信頼を得ています」
──寄付金や交付金といった原発関連のお金は身近にありますか。
「お金ももちろんあります。住民の了解を取るために、すごいお金を使っている。みんな寄付とかをもらって、すごくお世話になっています。東電は安全を信じ込ませたいですから」
──批判しにくいですか。
「だって(お金を)もらってっぺ? 片棒担いでいるようなもんだ(笑)。産業がないところに原発が来ると急に豊かになるんですよ。それも、普通の発電所よりずっと異常な金額が落ちる。うすうす気付いてますよ」
──それでも原発に異議を唱える人はいるのですか。
「『特殊な人が反対している』『反対している人はおかしい』ということになってしまいましたね。そうなるとみんな黙ってしまうんです」
「原発ができた40年前は、核シェルターを作ろうとした人もいました。それも考え過ぎだったなあ、なんて思い始めたところに今度の事故が起きました」
──原発ができて生活は豊かになりましたか。
「『都会的』で『文化的』な生活になったと、みんな思いました。朝も夜も関係なくお湯が出て。ホールができて。千住真理子とか有名人が来てコンサートにお芝居に公演に・・・。東電は補助金を出して地域住民は安く招待してくれるんです。『Jビレッジ』だって東電のお金ですよね。街全体が総がかりで東電に頼る。そうなると原発に反対したことも、だんだん忘れていくんですよ。いや、反対どころか『古い原子炉が止まると仕事がなくなる』と新しい原子炉をつくってくれ、と地元の町長や市長が陳情するくらいですから」
その人物は苦笑いをした。
「本当に悔しい」、それでも批判できない
話を3時間以上聞いた。南相馬市の流通は止まり、事実上のゴーストタウンになった。この人が経営する会社も、ほぼ操業停止状態に追い込まれている。
「ここの自然が好きでここに住んでいる。こんな形で自然が破壊されて、本当に悔しい」
それでも東電や原子力発電への批判をぐっとのみ込んでいる。それくらい、地元民の生活と原発は深く絡み合っている。
「私、実は大熊町に家があったんです」
先ほどの原発で働いていた男性の言葉だ。
大熊町は福島第一原発がある町のことだ。もちろん、今は立ち入り禁止区域である。男性は3月11日以来、自宅に帰っていない。仕方なくアパートを借りている。
「除染したって放射能が強すぎるらしいです。水で洗ったら、今度は放射能が下水に流れ込むっていうし。壁の表面を塗り替えても放射能は残るし・・・」
言葉が途切れた。言葉にしながら、可能性を探っているようだった。
「10年は帰れないかもなあ・・・もうダメかもなあ・・・」
このまま、福島の人たちは、沈黙のうちに原子力発電所に道連れにされるのだろうか。私は暗澹とした気持になった。
〈筆者プロフィール〉
烏賀陽 弘道 Hiromichi Ugaya
1963年、京都市生まれ。1986年京都大学経済学部卒業。同年、朝日新聞社に入社。三重県津支局、愛知県岡崎支局、名古屋本社社会部を経て91年から2001年まで『アエラ』編集部記者。92年にコロンビア大学修士課程に自費留学。国際安全保障論(核戦略)で修士課程を修了。2003年に退社しフリーランスに。主な著書に『「朝日」ともあろうものが。』『カラオケ秘史』『Jポップとは何か』『Jポップの心象風景』などがある。
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