【新聞に喝!】
これは反日「デモ」なのか?(京大大学院教育学研究科准教授・佐藤卓己)
産経ニュース2012.9.23 08:49
日本政府による尖閣諸島の国有化に反発する中国の「反日デモ」が激化した。
16日付産経1面(大阪本社発行版)は、「パナ工場など襲撃」の見出しで中国各地の日系工場が襲撃された様子を報じた。そこには、「山東省青島で炎上するトヨタ自動車の販売店」とのネット掲載写真が添えられていた。
中国の「反日デモ」については、中国国内の格差問題に起因する鬱憤晴らしがその背景にあると解説されることも多い。同記事も次のように結ばれていた。
「言論や集会の自由を制限されている民衆の不満が政府に向かう恐れもある。中国当局の出方が大きな焦点になってきた」
その通りには違いがないのだが、各紙の「反日デモ」関連記事を読んで不思議に思うことがある。
一つは、中国民衆の不満が反政府運動に発展することを日本のメディアがなぜかくも心配する必要があるのかという疑問である。特に共産党一党独裁を批判してきたはずの保守系メディアが、中国の民主化よりも現指導部の安定化を願うのは矛盾ではないだろうか。経済重視の事なかれ主義ということであれば、さんざんに批判した丹羽宇一郎前駐中国大使(元伊藤忠商事会長)と同じことだろう。
一方で、逆に首相官邸前で繰り返される脱原発の金曜デモに関して、「デモをする社会の到来」と礼賛した市民運動家にもぜひ聞いておきたい。あなた方は中国の「反政府デモ」をどう評価するのか。あの混乱を見ても、こううそぶくのだろうか。
「市民が主権者であるような社会は、代議士の選挙によってではなく、デモによってもたらされる」、と。
であるならば、「反日デモ」が「反独裁デモ」に転化することは、民主主義にとって最大の僥倖(ぎょうこう)ではないのか。もちろん、逃げ口上は用意しているのだろう。普通の市民が主体となる自分たちのデモは、「独裁と暴力」から限りなく離れている、と。
もしそうならば、いま日本で「デモ」の必要性を訴える者は、中国の反日暴動は「デモ」ではなく「テロル」だと声を上げるべきだろう。投石も放火も略奪も「暴力」である。これを正確に表現すれば、「反日テロル」ではあるまいか。しかし、新聞各紙は「暴力」シーンの写真を掲載しながら、「反日デモ」と表記している。
新聞紙面のよく似た事例は、「いじめ」という表記である。「テロル」を「デモ」とくくる言語感覚は、学校内の暴行や恐喝など「犯罪」を「いじめ」と表現する教育委員会的な心性と変わらないではないか。
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【プロフィル】佐藤卓己
さとう・たくみ 昭和35年広島県出身。京都大大学院修了、文学博士。専門はメディア史。
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これは反日「デモ」なのか? 「テロル」を「デモ」と括る日本のメディア 経済重視の事なかれ主義
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