光市母子殺害:死刑確定の元少年 広島高裁に再審請求
毎日新聞 2012年10月29日 11時12分(最終更新 10月29日 13時28分)
1999年に山口県光市で起きた母子殺害事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死などの罪で死刑が確定した元少年(31)が29日、広島高裁に再審請求した。元少年の弁護団は、元少年は母親から受けた虐待で性的発達が妨げられ強姦の計画性はなかったとする精神鑑定結果や、確定判決と遺体の所見で首を絞めた痕が一致しないとする実験結果などを新証拠として再提出し、「確定判決に合理的な疑問が生じるのは明らか」と主張した。
今回提出した証拠は公判では採用されなかった証拠だが、広島市内で記者会見した弁護団は、元少年の心理面の新たな精神鑑定を依頼中で、来春をめどに提出する方針を明らかにした。
また弁護団は「(元少年が)再審請求を強く望んでおり、請求が本人の支えになっている。いずれ真実が明らかになるという希望を本人が持っている」と述べた。公判で元少年は「被害者の口をふさごうと手で押さえつけ、(結果的に)死なせてしまった」などと殺意を否認していた。
判決によると、元少年は18歳と30日だった99年4月、光市の会社員、本村洋さん(36)宅に押し入り、妻弥生さん(当時23歳)を絞殺して強姦。長女夕夏ちゃん(同11カ月)も殺害した。1、2審は更生の可能性を重視し無期懲役の判決だったが、06年に最高裁が事件の悪質性などを踏まえて判決を破棄。広島高裁での差し戻し審(08年4月)で死刑が言い渡された。
今年2月に最高裁が元少年側の上告を棄却し、同3月に確定した。最高裁に記録が残る66年以降、最年少での死刑確定だった。【黄在龍、中里顕】 *リンクは、来栖
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◆ 光市事件20日判決 元少年、今の心境/永山基準転倒=とにかく死刑だ、無期にするためにはそれなりの理由 2012-02-20 | 光市母子殺害事件
山口・光市母子殺害事件 判決を前に元少年がFNNの記者との面談で現在の心境など語る
FNNフジニュースネットワーク最終更新: 2012/02/19 06:45
1999年に、山口・光市で母子を殺害した罪に問われ、死刑を言い渡されている当時18歳の元少年について、20日に最高裁の判決が下される。判決を前に、元少年はFNNの記者との面談に応じ、現在の心境などを語った。
広島拘置所の接見室で、記者の質問に対し、「僕自身、殺意がなかった。強姦(ごうかん)ではないという主張をしています」と話したのは、1999年の光市母子殺害事件で、殺人などの罪に問われている、犯行当時18歳の元少年。
現在は、30歳になっている。
元少年は、面談で「死姦(しかん)というのは、一般的に言われるようなこととは一線を画している。変質者というか、そのような人のみが行う行為を思っていたので、自分は言えませんでした。吉田鑑定書、その中の遺体所見では、『姦淫(かんいん)』とは書いてあるが、『強姦』とは書かれていない。捜査機関が作ったもので、証拠があると言われて認めてしまったけど、事実としては強姦はしていない」と話した。
元少年は、会社員・本村 洋さんの自宅で、妻・弥生さんの首を絞め、殺害したあとに乱暴した。
当時生後11カ月だった長女・夕夏ちゃんも、首をひもで絞めて殺害した疑いが持たれている。
2000年3月、本村 洋さんは「きちんと、犯した罪に対して相当する罰を与えるような判決を下してくれることを信じています」と話していた。
1・2審ともに無期懲役の判決だったが、2006年、最高裁がそれを破棄した。
2008年の差し戻し審では、死刑が言い渡され、元少年は上告した。
その判決が、20日に下される。
元少年は「僕がどうこう言えるわけではないですが、裁判官の判断で決めるわけですが、厳正な対処を望みます。傷害致死であって、死刑が適用ないなら回避してほしい。素直な思いとしては、怖いと思います」と話した。
記者の目を見て、落ち着いた丁寧な言葉づかいで答えた元少年。
2008年の差し戻し審では、これまで犯行事実を認め、謝罪していたにもかかわらず、それを翻し、判決文では、死刑を免れることを企図して、旧供述を翻したうえ、虚偽の弁解を弄(ろう)していると批判された。
本村 洋さんは「彼も、どこかでこの判決を覚悟していたんじゃないかなというほど、落ち着いた顔だったというふうには、印象を受けました」と話していた。
死刑判決後、傍聴席の本村さんに対し、頭を下げたことについて、元少年は「ずっと心残りだった。1審、2審含めて、本村さんの方に深く礼をなすことができなかった。僕自身、どこかこだわりがあった。頭を下げたところで、命が戻ってくるわけではないという、変な逡巡(しゅんじゅん)があった」と話した。
事件から13年。
3日後に迫った判決の日を、どのように過ごすのかという問いには「落ち着いて受けるしかない。どのような内容であれ、僕自身の不備なので、それを相手のせいにしないで、自分のことを棚に上げて、相手をどうこう言うことは控えたい」と答えた。
(02/18 01:09 テレビ新広島)
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〈来栖の独白2012/02/19 Sun.〉
>判決文では、死刑を免れることを企図して、・・・と批判された。
「死刑を免れることを企図して」は、根拠がない。「自分の有利、不利を超えて、真実を明らかにしなければ、真の謝罪にも犯罪の防止にもつながらない」と弁護人は言う。
・光市母子殺害事件【死刑判決で弁護団記者会見】(産経ニュース2008.4.22 18:07〜)より抜粋
---1審と控訴審で無期懲役になっていたことを考えると、被告の利益を考えてあえて新供述を出さずに、今までの供述を変えない法廷戦略もあったのでは
安田弁護士:「それは弁護士の職責としてあり得ない。真実を明らかにすることで初めて被告の本当の反省と贖罪(しょくざい)が生み出されると思う。そうすることでようやくこの事件の真相が明らかになる。なぜこの事件が起こったのか。どうすればこういった不幸なことを避けることができるのか。そしてどうすれば被害者の許しを請うことができるのか。戦術的に物事をとめるとか不当に終わらせることは決してやってはいけないことだ」
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13年目の判決:光市母子殺害事件 元少年、揺れる胸中 「厳刑望む」「死刑には反対」
山口県光市の母子殺害事件で殺人や強姦(ごうかん)致死罪などに問われた当時18歳の元少年(30)が、20日の差し戻し上告審判決を前に広島拘置所(広島市)で毎日新聞記者の面会に応じた。「事件の真相を認めてもらった上で、(判決が)厳しいものであれば受け入れたい」とした一方、「厳しい刑罰こそ望むが、死はそこで途絶えてしまう」とも語り、生と死の間で揺れる複雑な胸の内を明かした。
6日、狭い接見室を隔てるアクリル板の向こう側に、黒のタートルネックに灰色の上着姿で元少年が現れた。「なるべく努めて、落ち着いて臨もうと思っています」。00年の1審から数えて5度目となる判決を待つ。
差し戻し審で殺意を否認した元少年は「検察の主張は事実と異なっている。(最高裁には)証拠をきちんと見て判決を下してほしい」と訴えた。
記者が元少年の姿を見るのは、差し戻し控訴審の死刑判決(08年4月)以来4年ぶり。肩幅は広くなり、がっしりした体格。髪は短く刈り、ひげを生やしていた。事件時は細身だったが、今は頬骨も張り、たくましさも感じさせる。
「端的に言えば、悲しかった」。4年前、死刑を言い渡された瞬間をそう振り返る。
「僕1人の命では、亡くなった2人の命を償えない。未来を取り戻すことはできない」と思うからだ。臓器移植のドナー登録に触れて「1人の命でも、複数の人の命をつなぐことができる」とも話し、「命をなくす死刑には反対」と続けた。
差し戻し審の法廷では、遺族の本村洋さん(35)と向かい合える自分を目指したい、と述べた。思いは変わらないといい、「等身大の僕を分かってほしい。それでも(本村さんが)極刑を望むなら、裁判所に言われるより受け入れられる」と話す。
だが「どういうことが償いになるのか教えてほしい」「模索することも反省の一つ」とも言う。法廷で述べた「(被害者のために何をしたいか)見つかっていない」状態から抜け出せない迷いも伝わる。
本村さんに謝罪の手紙を送った時期もあったが、「手紙には、受け取り手がいますから」といい、送るのを控えている。本村さんはかつて記者会見で「手紙は開封していない」と明かした。
今は母子の月命日、支援者の手を借り、事件現場に花を供えている。
約15分間、表情は落ち着き、時折笑顔も見せながら早口が続いた。拘置所の単独室では本を多く読み、筋力づくりにも励んでいるという。
東日本大震災は拘置所のラジオ放送で知った。支援者と相談し、福島の子どもたちに放射線測定器を贈るための募金に協力した。
関係者によると、家族の面会は、長い間途絶えている。【大沢瑞季】
毎日新聞 2012年2月19日 東京朝刊
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◆光市母子殺害:死刑確定の元少年 広島高裁に再審請求
毎日新聞 2012年10月29日 11時12分(最終更新 10月29日 13時28分)
1999年に山口県光市で起きた母子殺害事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死などの罪で死刑が確定した元少年(31)が29日、広島高裁に再審請求した。元少年の弁護団は、元少年は母親から受けた虐待で性的発達が妨げられ強姦の計画性はなかったとする精神鑑定結果や、確定判決と遺体の所見で首を絞めた痕が一致しないとする実験結果などを新証拠として再提出し、「確定判決に合理的な疑問が生じるのは明らか」と主張した。
今回提出した証拠は公判では採用されなかった証拠だが、広島市内で記者会見した弁護団は、元少年の心理面の新たな精神鑑定を依頼中で、来春をめどに提出する方針を明らかにした。
また弁護団は「(元少年が)再審請求を強く望んでおり、請求が本人の支えになっている。いずれ真実が明らかになるという希望を本人が持っている」と述べた。公判で元少年は「被害者の口をふさごうと手で押さえつけ、(結果的に)死なせてしまった」などと殺意を否認していた。
判決によると、元少年は18歳と30日だった99年4月、光市の会社員、本村洋さん(36)宅に押し入り、妻弥生さん(当時23歳)を絞殺して強姦。長女夕夏ちゃん(同11カ月)も殺害した。1、2審は更生の可能性を重視し無期懲役の判決だったが、06年に最高裁が事件の悪質性などを踏まえて判決を破棄。広島高裁での差し戻し審(08年4月)で死刑が言い渡された。
今年2月に最高裁が元少年側の上告を棄却し、同3月に確定した。最高裁に記録が残る66年以降、最年少での死刑確定だった。【黄在龍、中里顕】
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所謂事件名『光市母子殺害事件』差し戻し控訴審判決文要旨
2008年04月22日 広島高裁 楢崎康英裁判長 言い渡し〈⇒〉
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光市事件 死刑確定の元少年 再審請求〜差し戻し控訴審判決(08年4月)には重大な誤り 毎日新聞
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