「生きて償いを」=母殺した死刑囚の父へ−交流重ね思い変化・息子大山さん
時事通信2012/11/10-13:22
「死刑は要らないとは言えない。でも、被害者の遺族が望まない死刑もあると知ってほしい」。母を父に殺害された大山寛人さん(24)は今、死刑囚となった父に「生きて償ってほしい」と望む。
父の大山清隆死刑囚(51)は2000年3月、広島市内の自宅浴槽で妻=当時(38)=を殺害し、海への転落事故を装い保険金をだまし取った罪などに問われ、昨年6月に死刑が確定した。
母は事故で死んだと聞かされていた。父が目の前で警察に連れて行かれたのは中学2年の時。身を寄せた親戚の家でテレビをつけると、「連続保険金殺人事件」のテロップと共に父の顔が映し出され、殺されたのだと知った。
生活は一変した。中学にはほとんど行かず、近所のお好み焼き屋で昼間からビールを飲み、たばこを吹かした。「怒りのやり場がなく、暴れたかった」。けんかや万引きに明け暮れ、夜は公園のベンチやトイレで眠った。高校は3日で行くのをやめた。
バイクを盗んで逮捕、入った少年鑑別所に、拘置所の父から突然手紙が届いた。並ぶ謝罪の言葉の最後に、「頑張れよ、寛人」とあった。「何が頑張れだ。全部おまえのせいでこうなったのに」。破いてトイレに捨てた。絶望の末、薬を大量に飲み自殺未遂を繰り返した。
父に会おうと思ったのは、一審の死刑判決を報じる新聞記事を見たのがきっかけだった。「あんなに仲の良い家族だったのになぜ」。執行の前に、動機をその口から聞きたい。3年半ぶりに拘置所で会った父はやつれ果て、泣きながらひたすら謝り続けた。涙があふれ、ぶつけるつもりだった怒りと憎しみは言葉にならなかった。
「保険金目的ではない」。面会を重ねるうち、父が語り出した「真実」は報道内容とは違った。200回以上に及ぶ面会や数百通の手紙のやりとりを通じ、その言葉に偽りはないと感じた。「死刑になれば、大切な家族がもう1人消えてしまう」。証言に立った二審の法廷で死刑回避を訴えた。
死刑制度に反対しているわけではない。当初は父を「この手で殺してやりたい」と思っていた自分には、死刑を望む遺族の気持ちもよく分かる。「立場が違えば考え方も違ってくる。人の数だけ答えはあると思う」
それでも講演などを通じ、経験や父への思いを語り続けるつもりだ。「確定した父の判決は変えられないが、自分と同じような思いをする人を1人でも減らしたい」。被害者遺族が望まない死刑もあることを伝え、死刑に関心を持つ人が増えてほしいと願っている。
大山さんは10日午後、名古屋市で開かれたシンポジウムで「殺された母、そして死刑囚の父へ」と題して講演した。
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広島2人殺害、死刑確定へ
2011年06月7日 17:19 JST
広島市で養父と妻を殺害し、事故を装って保険金計約7300万円を詐取したとして、殺人や詐欺などの罪に問われ、一、二審判決で死刑とされた元会社社長大山清隆被告(49)の上告審判決で、最高裁第3小法廷は7日、被告側の上告を棄却した。死刑が確定する。大谷剛彦裁判長は「事故死に見せ掛けて計画性も高く、犯行態様も冷酷、非道だ。2人の生命を奪った結果は重大で、死刑はやむを得ない」と指摘した。
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「生きて償いを」=母殺した死刑囚の父へ 大山寛人さん
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