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外科医「私は人を殺した」 中国での死刑囚臓器奪取の実態(三)

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外科医「私は人を殺した」 中国での死刑囚臓器奪取の実態(三)
【大紀元日本12月7日】
 北京で長年ビジネスコンサルティングに携わり、『失去新中国(新中国を失う)』の著者イーサン・ガットマン(Ethan Gutmann)は今年9月12日、米国下院外交委員会で開かれた「中国共産党が宗教信仰者と政治異見者の臓器を摘出」というテーマの公聴会で、証人として陳述を行った。同氏は昨年12月5日付の米保守系政治週刊誌The Weekly Standardにおいても、中国の臓器狩りの実態を詳細に暴露している。以下はその全文の和訳の第三部である。
■第三部  外科医「私は人を殺した」
 私がエンベル・トフテイさんと出会ったのは、ロンドンのあるウイグル族の交流サイトだった。彼は非常に優しい顔つきで、声も柔らかく少しかすれている。公営住宅に住む亡命者のエンベルさんにも秘密があった。
 その物語は1995年6月のある火曜日に始まった。ウルムチ市の病院の外科医である彼はその日、上司である外科主任と、とても尋常でない対話を交わした。「エンベル、私たちはこれから非常に刺激的なことに参加するんだ。野外で手術したことはあるかい」
 「いいえ。私は何をすればいいのですか」
 「チームを結成し、救急車を用意して、明日朝9時に全員集合だ」
 翌日の水曜日の朝は快晴だった。エンベルさんは2人の助手と1人の麻酔医を率いて、救急車に乗り込み、主任の車に先導されて、ウルムチ市を出て西方向に向かった。救急車の中は、郊外でキャンプでもするような雰囲気だった。しかし、車が西山の警戒地域、政治犯を処刑する専門の場所に入った時、一行はやっと異変に気づいた。
 主任の車は小さな山につながる舗装されていない道の入り口で止まった。そして、車から降りた主任は、彼らの車に近づいてきた。「銃声が聞こえたら、車で山の向こう側に行きなさい」
 「私たちはなぜここに来たんですか」
 「エンベル、知りたくなければ聞くな」
 「いや、知りたいです」
 「いいえ、あなたは知りたくないはず」
 主任は一瞬彼を睨みつけて、そして自分の車に戻っていった。小山の向こう側には武装警官の姿が微かに見え、周りには民間人も立っていた。「遺体を回収し、銃弾の費用を払っている遺族かもしれないね」とエンベルさんは冗談半分で言った。返ってきた同僚の言葉はもっとおかしくて、みんなが緊張する雰囲気を和らげようとした。すぐに、銃声が響き渡った。空に向って打ったかもしれないと、彼らは車を処刑現場に走らせた。
 車がスリップするのを恐れていたエンベルさんは主任の車についていくのが精一杯で、周りの状況をみる余裕はあまりなかった。10か20体の死体が山の下に横たわっていた。救急車に気づいた武装警官は彼らに手招きした。
 「これだ。これ」
 血まみれに倒れていたのは男性。30歳くらい。全身ブルーの服を着ていた。すべての囚人は丸坊主頭だったが、この人だけは長髪だった。
 「彼だ。これから手術が始まる」
 「なぜ手術をするのですか」とエンベルさんは男性の頚動脈に手を当てながら質問した。「もうこの人はすでに死んでいます」。だが、すぐにエンベルさんは凍りついた。「いいえ、彼はまだ死んでいない」
 「早く始めなさい。肝臓と腎臓を摘出して。速く!手早くやれ!」
 主任の指示通り、皆が「遺体」を救急車に搬入した。エンベルさんは、自分はまるでロボットのように動いていたと感じた。まずはハサミで服を切り裂き、胴体をテーブルに固定し、次はいよいよ腹部を切り開く。できるだけマニュアル通りに、消毒を行い、露出を最小限にし、切り口を決めた。そして、彼は主任を見ながら聞いた。「麻薬を使わないのですか」
 「人間のように扱わなくていい」との言葉が返ってきた。
 麻酔医は手をこまねいて傍でずっとみていた。「まるで用なしだ」とエンベルさんは思いながら彼に叫んだ。「なにかすることないのか?」
 「私は何をすればいいの?エンベルさん、彼はすでに知覚がない。あなたが切っても彼は反応しないんだ」
 しかし、「遺体」は反応した。エンベルさんのメスが入った瞬間に、男性の胸部は痙攣し、縮こまった。エンベルさんはそのとき、極度な恐怖を覚え、主任に向って、「どのぐらい深く切りますか」と聞いた。
 「できるだけ深く切りなさい。時間があまりないんだ」
 エンベルさんは素早くさばき始めた。直接右手で切って、左手で筋肉などを除く。目当ての腎臓と肝臓をきれいに切除できたとき、やっとペースを落した。そして、切口を縫合して、死体の外観を整わせた。内部の縫合はもう必要ない。そのとき、彼、その男性はまだ生きていると感じた。「私は人を殺した」。エンベルさんは心の中で叫んだ。男性の顔を直視することができず、まるで殺人犯が被害者を見ることを恐れるかのように。
 そして、医療チームは静かにウルムチ市に戻った。
 次の日、主任はエンベルさんを呼びつけた。「昨日、何も発生しなかっただろう。昨日はすべて正常だったよな」
 エンベルさんは答えた。「そうです」
 長年後、彼はやっとわかった。人間が生きているときに摘出された臓器は移植されるとき、拒否反応の発生率が低いとのこと。あの苦痛な痙攣のほか、胸に打たれた銃弾はある程度の麻酔作用が働いただろう。
 15年後、彼はやっとあの水曜日に起きたことを口にすることができた。 (続く)(翻訳・叶子)
(12/12/07 12:10)
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