許永中受刑者、韓国に移送
REUTERS 2012年 12月 15日 02:10 JST
大阪の中堅商社から巨額の資金が流出した「イトマン事件」などで実刑判決が確定し服役していた韓国籍の元不動産管理会社代表、許永中受刑者(65)が、国際条約に基づき韓国に移送されていたことが14日、関係者への取材で分かった。関係者によると、許受刑者が希望し、栃木県の黒羽刑務所から数日前に移送された。法務省矯正局は「個別の受刑者についてはコメントできない」としている。
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許永中受刑者、母国で服役希望…韓国に移送
戦後最大級の経済事件といわれた「イトマン事件」や、多額の約束手形をだまし取った「石橋産業事件」で有罪が確定し、服役している韓国籍の不動産管理会社元代表・許永中受刑者(65)が韓国の刑務所に移送されたことが、15日わかった。
許受刑者が母国での服役を希望したためで、法務省は国際条約に基づき移送を認めた。
外国人受刑者が母国での服役を希望した場合、受刑者移送条約の加盟国間であれば移送できる制度があり、日本は2003年に加盟した。関係者によると、同省は許受刑者の申し出を受けて移送を決定。服役していた栃木県の黒羽刑務所から韓国に移送された。
許受刑者はイトマン事件で旧商法の特別背任罪などに問われて公判中の1997年、妻の実家の法事として韓国を訪問中に失踪。99年に東京都内で見つかって収監されるまで公判は中断した。イトマン事件では05年に懲役7年6月、罰金5億円が確定。08年には石橋産業事件で懲役6年が確定し刑期が延長されていた。
(2012年12月15日11時06分 読売新聞)
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許永中受刑者、韓国に移送 イトマン事件の中心人物
産経ニュース2012.12.15 02:07
大阪の中堅商社から巨額の資金が流出した「イトマン事件」などで実刑判決が確定し服役していた韓国籍の元不動産管理会社代表、許永中受刑者(65)が、受刑者移送条約に基づき韓国に移送されていたことが14日、関係者の話しで分かった。許受刑者が希望し、栃木県の黒羽刑務所から12月中旬に移送された。
同条約は受刑者が申し出て、法相が認めた場合、本国への移送を認めるもの。受刑者は移送先で残りの刑期を服役する。
許受刑者はイトマン事件の中心人物として平成3年7月、商法(当時)の特別背任容疑などで大阪地検特捜部に逮捕された。保釈中に「妻の実家の法事」を理由に裁判所の許可を得て訪韓中、逃亡。11年11月に東京都内のホテルで見つかり、収監された。
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4年8カ月の服役を終えた元特捜検事・田中森一が「仮出所」
2012年11月22日 森 功
本日、田中森一さん(元特捜検事、弁護士)が滋賀刑務所を仮出所されました。「いやあ、長かった」という第一声。満期からすると1年近く早い出所ですが、それでも4年8カ月服役したといいますから、実感がこもっていました。刑務所の中ではずっと独居房にいて、作業もそれほどきつくはなかったそうです。ただ、その間、胃癌が見つかり3分の2を切除したとのことですから、かなりげっそりとしていました。
「いやあ、命拾いしたのは刑務所の規則正しい生活のおかげ」と明るく話すあたりは、とても田中さんらしかった。さすが転んでもただでは起きない人です。 【「森功のブログ」より】
◆ 許永中受刑者と田中元特捜検事、実刑確定へ…石橋産業事件 2008-02-14 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
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◆ 検察を支配する「悪魔」 田原総一朗+田中森一(元特捜検事・弁護士)2007年12月5日 第1刷発行
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◆ 田中森一著『反転・闇社会の守護神と呼ばれて』幻冬舎刊 2007-08-03 | 読書
p141
他の検事なら七年求刑するところを四年以下にした。検事は扱った被疑者の刑が重いほど評価され、それが上司の評価にもつながる。だから、上司からは「えらい求刑が安すぎるやないか」とこぼされる。だが、どうしても軽めにしてしまう。「いや、本人が心から反省しとるんで、これでええでしょう」と押し切った。ことに特捜部に入ってからは、極力、起訴求刑を軽くした。事実を掘り起こし、本人の反省を引き出すまでは鬼検事、事実がはっきりしたら仏になろう。それでいい、と思ってきた。
p153 人間社会には、汚い世界がある。必然的にドブを生む。犯罪者はそうしたドブのエキスを吸いながら、罪を犯すのである。検事を含め法曹界におけるわれわれの仕事は、しょせんその「ドブ掃除」にすぎない。正義を振り立て、人をリードする職業などではない。人間のやったことの後始末をするだけだ。それも人間のいちばん汚い部分の後始末である。犯罪者にペナルティを科し、ドブを多少なりとも掃除するのが検事の仕事。検事や弁護士のバッジを光らせて傲慢な顔で闊歩するほどの仕事ではない。いつしかそう思うようになっていった。
p403
「このところ、体調が悪くてね。考えれば考えるほど、どうにもならん。いっそのこと、国会議事堂の前に座り込んで、腹を掻っさばいて果てようか、とも思うんだよ。しかし、やっぱりみずから命を絶つというのは、できん。これでも政治家だからね。だから、この際、誰かが俺を殺してくれんかな、心の底からそう思うんだよ」
p403
そう考えると、いまさらながら、法の世界の怖さを知った。
p404
「被告人田中森一の控訴を棄却する」 裁判長の冷静な声が法廷に響く。懲役四年。刑務所に移送され、独房の鉄の扉が閉じられる。たたみに正座している自分自身の姿----。この先、四年ものあいだ、刑務所でどう過ごせばいいのか。絶望的になる。 そうして、はっと目が覚める。夜中に目が覚め、そのままじっとしていると、不安でたまらなくなる。そんな夜が続いた。
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◆ 『その男、保釈金三億円也。』宮崎学(著) 田中森一(監修)
あとがき──「SA住建事件(仮称)」について 田中森一
私は、大阪や東京で地検特捜部の検事として検察庁に奉職し、その後はヤメ検弁護士として許永中などの法律相談を務めたことから、闇社会の守護神と呼ばれてきた。そして今や、詐欺事件の実刑判決が最高裁上告棄却で確定した収監待ちの被告人である。一九四三年にこの世へ生を受け一九七一年に検事の任官を受けて以来、実に人生の半分以上を捜査の最前線で、検事、弁護士、被告人、という当事者として過ごして来た事になる。
このような年月の間に、それぞれに葛藤する三者の立場を目紛るしく経験してきた私の半生を振り返れば、立場を替えながら常に捜し求めていたのは、事件に秘められたたった一つの真実だったと感じられる。
例えれば、検事や刑事、弁護士や容疑者は、聳え立つ山の頂上にある真実を、それぞれ違った登山道から目指す登山家たちだと言える。それらが敵対し、時には協力しながら、一つの真実へ至ろうと公正に競い合う、それがあるべき司法捜査なのである。
二〇〇七年、最初で最後の自叙伝『反転』を上梓し、『奨学財団 田中森一塾』設立を準備して、これから数年の懲役を受けることとなった今、あらためて司法とは何であり如何にあるべきかを考えることが、私の残りの生涯をかけた重い命題である。
そのような私へ、宮崎学さんが一つのケーススタディとして愛知県でのリフォーム詐欺事件である「SA住建事件」を紹介してくれた。私も新聞などでその名前は見知っていたが、あまり詳しくはなかったところに、幾ばくかの資料と『警察の闇 愛知県警の罪』と題する著書のゲラ刷りを渡してくれた。
これらに一通り目を通して見ると、さもあらんと私にも多く思い当たる所や、捜査の醜悪な実態が浮き彫りにされていた。さらには迂闊な裁判官の判決や、マスコミの狂騒が手に取るように実感された。
私も今のような身であるため、この事件の公判記録や詳細な資料を検討する時間が取れず、専門家としての見解を断定的に述べることはできない。しかしこの事件を概観するだけでも、私の考える司法と捜査のあるべき姿などそこにはないことが分かった。
まずリフォーム詐欺という一般に身近な事犯であったことから世間的な関心が高く、捜査する側に強い追い風が吹いている時期、功を焦った愛知県警が詐欺に対する十分な調査をしないままに別件の強要容疑による逮捕を見切り発車してしまった、というこの初動の功名心が、この事件における捜査の問題点を端的に表している。
本来ならばここで逮捕された者らから、一人でも確実に詐欺容疑で起訴から有罪へと持って行かなければならなかったのであるが、結局それはこの逮捕者全員に対して不可能だった。これこそが、捜査側の決定的な敗着を示している。
このような時こそ検察は、頭に血の上った暴対課を諌め、冷静になるよう適切なアドバイスを与えるべきであった。それが司法官庁たる検察の役割であり、司法試験に合格した法曹人たる検事の務めなのであるが、逆にこれが全く機能しないまま県警の暴走へと加担してしまっている。
警察とは、自分たちの着手捜査した事犯を何としても検察に立件起訴してもらいたいものである。そのため日頃から、検察官へは飲み食いや付け届けをマメに行うことが恒常化されている。このような検事と警官の癒着も、「SA住建事件」のような無理筋の捜査を生み出す温床となっていることは間違いない。
何よりこの事件がいかに無理な捜査であったかを示す事例がある。
同様の悪質リフォーム詐欺事件として世間を騒がせた東京のサムニングループの例である。
この三月七日に東京地裁で、組織犯罪処罰法違反などの罪に問われていたサムニングループ親会社元社長に懲役八年、元幹部二名にもそれぞれ実刑判決が下された。判決文によると被害金額は約六百五十万円だったという。
一方「SA住建事件」で「詐欺」とされた被害金額は、社員の宮脇一人でも約八百三十万円に上っており、詐欺で有罪となった六名全員による総額では約一千八百万円もの金額であった。その上、その宮脇ともう一名は傷害でも併せて有罪となっていたのにも拘わらず、その六名全員が執行猶予となっており、刑罰の最も重かった宮井ですら懲役三年執行猶予五年である。
他に強要で有罪となった社長の島井は懲役一年六月執行猶予三年、傷害で有罪となった実質的経営者と目された浅岡は懲役一年六月執行猶予四年となっている。
これらを見比べれば、SA住建へ下された刑罰はサムニンへ下された刑罰よりも遥かに軽く、罪状と判決の結果が大きく逆転していることが分かる。つまり愛知県警と名古屋地検の行った捜査による立件にはどれほどの無理があり、判例としても役に立たたないほどに内実がお粗末であったことが窺い知れるのだ。
その他にも、この事件で腑に落ちない点は多い。
そもそもSA住建に目を付けた動機というのが、暴力団のフロント企業だという予断であることが、まず捜査の基本を欠いている。捜査とは、予断を切り捨ててから始まるというのが鉄則だ。ましてSA住建の前身である愛華という会社に対し、暴対課は過去に一度、一敗地にまみれているわけであるから、より慎重になるべきだったのである。
ちなみに私は、五代目山口組組長・渡辺芳則、五代目山口組若頭・故宅見勝、光進代表・小谷光浩、イトマン常務・伊藤寿永光、誠備グループ総帥・加藤?、末野興産社長・末野謙一、五えんやグループ代表・中岡信栄、それに石橋産業手形詐欺事件で共に逮捕された許永中などから法律相談を受けるなどの交友経験を持つ。そこから計れば、確かに浅岡という人物には限りなく黒に近いグレーの感触を抱かざるを得ない。しかしそうであるからこそ中途半端な予断は捨て去って、厳格な証拠主義に基づいた捜査がなされるべきであった。
また浅岡に課された保釈金三億円とは、牛肉偽装事件での浅田満に対する二十億円やイトマン事件での許永中に対する六億円、ライブドア事件での堀江貴文に対する五億円など、社会的に重大な経済事件であるならばともかく、傷害といういわゆる粗暴犯などではあり得る数字ではない。
元検事である私の知る限りにおいても、これほどまでに刑事訴訟法での基準を逸脱した、荒唐無稽ともいえる保釈金額など見たことも聞いたこともないのである。
これは、愛知県内の長者番付けで三年連続一位となり全国でもランク入りした人物を逮捕し立件した警察や検察のメンツを斟酌し、その捜査の尻馬で踊るマスコミの狂騒に煽られた裁判所の主体性放棄だったとしか思えない。
また、浅岡はこの保釈金三億円を即金で用意したということだが、ハナからその財力を当て込んだ裁判所の迎合的判断だったと、私は感じざるを得ないのだ。
目を見張るのは、一審で浅岡に下された懲役一年六月の実刑判決が、量刑を不服とした控訴審では懲役一年六月執行猶予四年と大きく覆っていることである。
通常二審は一審の判決を九割以上は支持するものだ。まして刑量不当の理由だけで、一審で出た実刑判決に二審で執行猶予が付くことなど、現状ではほとんどあり得ない。その上、浅岡は一審で認めていた容疑を二審では一転して否認したということだが、この否認に転じたということだけでほとんどの裁判官は情状への心証を悪くするものなのである。
浅岡は二審において取調べ時にあった取調官との取引を暴露したということだが、この大きな減刑こそが、浅岡の暴露した内容に絶対的な信憑性を与えていると思われる。
また、本書『この男、保釈金三億円也。』によると、詐欺や傷害事件の裏側では感謝状にまつわる汚職事件もうごめいていた。このような汚職については、私も検事時代に多く見聞きをし、それを知るマスコミが見て見ぬ振りで警察を擁護し癒着する姿をよく知っている。
ここでも、そのような警察とマスコミの馴れ合いによって、「SA住建事件」が仕立て上げられて行った事がよく分かる。
さらに、当初から詐欺での立件に無理を感じていた取調刑事が、警察の取った捜査手法へ大きな疑問を感じたため浅岡に事実の暴露を黙認。また検事も、被害者より先に加害者の保釈を実現するという「ウルトラC」を浅岡のために手配した上、論告求刑では浅岡の「社会復帰」の必要をわざわざ明記している。
このような二人の尽力など、実際の現場では通常あり得ることではない。だとすれば、事件を捜査し浅岡を直接取調べた本人であるこれら二人へ、そう尽力せざるを得ないと思わせた確たる理由があった筈である。
それは、捜査に公正さを求めた二人のプロ意識、そしてその意識を二人へ強く喚起させた浅岡という人物の人間性によるものだと思われる。本来は浅岡と敵対する関係である二人が、浅岡と直接に対峙することで浅岡の人物を認め、そこから歪んだ捜査の現状を再認識させられて、事態の収拾へと立ち向かったということであろう。 また、組織のエゴにより汚職事件を潰された検事の気持ちも私にはよく分かる。私も平和相互銀行事件などで同じような経験を持っているために、この検事が浅岡から触発されることによって、保釈や論告で捜査の矛盾を世に問おうとした姿勢には共感した。
浅岡に秘められたこのような力を思うと、保釈金三億円という金額も、浅岡という人物のスケールそのままを表しているように感じられる。検察や警察、そしてマスコミからも後押しされるようにして、裁判所は結果的にその金額で、浅岡を評価したということになるのではないか。
ここでもし、私がこの「SA住建事件」の捜査を担当する検事だったとしたら、始めにまず完璧な筋書きを組み立てた後に捜査へ着手することとなるであろう。それが国策捜査として行われるならなおのこと、その筋書きこそが立件から判決への成否を決定付けるからだ。
ロッキード事件、佐藤優事件、ライブドア事件など国策捜査と言われる事犯の全てが、この緻密な筋書きの構築から粛々と進められた。
そこでこの事件ではまず何よりも先に、浅岡へ徹底した内偵を敢行してフロント企業としての尻尾を掴むことから始めなければならない。浅岡のフロント疑惑を何としても事実として立証し、その上で詐欺から浅岡まで辿り着くための絵図をしっかりと描く事が肝要である。
そうして一気に県警刑事部の総力を挙げ詐欺容疑を裏付けて、組織犯罪処罰法適用へと一直線に至る、というのがあるべき筋書きだったと考える
だが本書で記されているような、取るに足らない謝罪文の強要容疑による見切り発車から詐欺での迷走を重ね、最後に実質的経営者の件を模索するという逆筋では、あまりにも無理が多く立件さえも困難であった。肝心要である筋書きの端緒さえも押さえられないまま望む結果だけを求めるというのでは、幼稚な駄々っ子と同様である。
次に、逮捕して後に犯人を叩いて埃を出すというような旧態依然のマル暴捜査的手法についても、それでは今や大きく進化した組織犯罪に対応できるはずがないと言うしかない。まして詐欺による組織犯罪処罰法での摘発を目論み、その裏にある汚職事件をも視野に入れての捜査であるなら、もはやこれは単なるリフォーム詐欺に収まっていないのである。そこで、この事件は暴対課のレベルを大きく超えた事犯であることを愛知県警は早期に認識し、その規模に見合った捜査体制を当初から組織するべきであった。
しかし実際には、浅岡という鮫を無理やり金魚鉢に入れようとして失敗したと言えるような状況だった。事件の全容を見れば、あまりに無謀な捜査だったことがよく分かる。
このように「SA住建事件」を見てみると、そこには事件捏造の疑いが強く、冤罪の可能性も大きく感じざるを得ない。だが私の考える司法には、この冤罪こそがあってはならないものなのである。
「犯罪があったら見逃すな」という姿勢が、検察や警察という捜査する側の基本である。そのため、冤罪など恐れずに疑わしきはまずパクって調書を巻け、という考え方が強くなりがちだ。
しかし捜査で本来もっとも恐れるべきなのは、犯人を逃してしまうことではなく、犯人でない人を犯人にしてしまうことなのではないか、と私は考える。
「犯罪被害者」に関する議論は巷で盛んだが、私は捜査による「捜査被害者」をこそ、最も問題にし、議論されるべきだと思っている。
そして「SA住建事件」の後も、愛知県警は、風俗店への捜査情報漏えい事件、安城署員の五十万円詐欺事件、捜査対象の風俗店経営者から八百五十万円の借金など、金がらみの事件や問題を噴出させ、さらに長久手籠城発砲事件、時津風部屋の序ノ口力士集団暴行致死事件などで捜査に大きなミスを重ねた。特にこの一年、愛知県警では全国でも突出して、そのおざなりな体質による不祥事が相次いでいる。
だからまず、その端緒ともいえる「SA住建事件」において、愛知県警が自らの無理筋な捜査手法へ強引に蓋をすることなどせず真摯な自省の目を向け対処していたのなら、このような不祥事は未然に防げたのではないか。私にはそう思えてならない。
おそらく宮崎さんも同じような思いを持って本書を書き上げられたのであろう。この「SA住建事件」を題材にした小説は、“フィクション”として、より赤裸々に事件の実態へ迫っていると思われる。
しかしこの本がシャバに出回る頃には、私も既にどこかの刑務所の住人となっているはずである。読者の皆さんが本書を手にされた時、あの田中森一もムショの一室でこの本を手にしているであろう、などと思って頂ければ幸いである。
二〇〇八年三月某日
(文中人物肩書は全て当時・敬称略)
[編集部付記]
田中森一氏にはこの時、巨額手形詐欺などの罪に問われた石橋産業事件について、先の二月十一日に最高裁第一小法廷で上告を棄却する決定が下されていました。また、同決定に対する異議申し立ても同月二十八日に棄却。二審の東京高裁判決における懲役三年の実刑が確定し、弁護士資格も喪失、という状況でした。
そして本書の監修をおおよそ終えていた三月三十一日、田中氏はついに東京高等検察庁により小菅の東京拘置所へと収監され、服役するに到ります。
さらに四月七日、今度は別の詐欺容疑で大阪地検特捜部が田中氏を逮捕。本書の編集作業が大詰めを迎えている今現在、大阪拘置所へ移送され接見禁止のまま、田中氏は自らの古巣である大阪地検特捜部の取調中です。
そこで編集部は、弁護士を介して本書読者へ向けたコメントを獄中の田中氏に依頼したところ、左記のメッセージを得ることができましたので、最後に掲載させて頂きます。
『読者の皆さんへ
私は、やったことはやったと言い、やらんことはやらんかったとしか言えん性分です。検察時代も一番そのことを被疑者に求めたし、弁護士として依頼人に要求したのもそのことです。
本書の読者の方々へも、その矜持を肝に据えて、これからの日本を背負って行ってもらいたいと思っています。
とは言え、真っ直ぐストレートに生きて行くのは難しい。獄中の今の私の姿がその困難さの象徴のようで心苦しくもありますが、皆さん、是非ともその気概だけは忘れんで下さい。
時には大きな妥協や辛い選択を迫られることもあるでしょうが、精一杯、頑張って日々を過ごして下さいますよう、この場をお借りして申し上げます。
春、大阪拘置所にて 田中森一』
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