イトマン事件の主役・許永中受刑者が日本を脱出! 人に弱みを見せない「闇の帝王」が韓国での服役を望んだ背景とは
現代ビジネス ニュースの深層 2012年12月20日(木)伊藤 博敏
バブル期を代表する大型経済事件のひとつだったイトマン事件の主役が、韓国での服役を希望して、12月13日、日本を"脱出"した。
許永中(65)---。
1999年11月の逮捕から約13年が経過、過去に保釈中に海外逃亡していた前歴があるため、この間、一度も保釈を許されず、「塀のなか」にいた。
そういう意味では、人々の記憶が薄れた"過去の人"ではあるが、「在日」「同和」といった差別問題が今以上に存在、「暴力団」「総会屋」「行動派右翼」といった勢力が力を保持できていた時代、彼ほどうまく差別やタブーや暴力を利用してのしあがった人間はいない。
そうした大物仕事師としての"実績"を持ち、細くなったとはいえ政界、実業界、在日社会にそれなりのパイプを有し、14年9月の満期出所まで2年を切っている今、なぜ在日に与えられた「特別永住者」としての"永住権"を捨てて、出国したのか。疑問を呈する人は少なくない。
■許永中が韓国行きを望んだ理由
許が望んだのは、国際受刑者移送制度である。受刑者が希望し、法務大臣が相当性を判断して決裁、相手国が受け入れを表明すれば、移送される。ただ、誰にでも適用されるわけではなく、年平均25人という"狭き門"である。
許は、この制度を知り、早くから韓国での受刑を望んでいたが、これまでは認められず、移送が決まったのは今年の春頃だという。今回は、決裁権者の滝実前法相が、政界引退を表明、思い切った決断をしやすい時期だったために、「なんらかの政治力が働いた」という憶測も流れた。
そこまでして移送にこだわった理由を、親交がある許の知人はこう説明した。
「まず、公判中、2回にわたって倒れたことが証明するように、心臓に持病があって体調が良くない。また、残りの刑期といっても、韓国には恩赦の制度もあって、早期釈放されるという計算がある。それに、彼には保釈逃亡中に親しくなった韓国人の愛人がいて、男の子を生んでおり、一緒に暮らしたい。だから、とにかく早く出たかった」
許は、人に弱みを見せる男ではない。面会に来た親族、友人知人には、事業への夢を語り、話のうまさで魅了する。
「体調はどうですか」
こう聞かれると、スリムになったハラをさすりながら、「いや、健康になりました。メシもうまいし、いろいろ勉強しとりますわ」と、元気なところを見せるのだという。
つい1ヵ月前の『週刊新潮』(11月15日号)には、すっかりスリムになり、「これからはエコロジーの時代です」と、環境問題に詳しくなった許の動向が記されていた。
また、面会に行って「人生最後に、北朝鮮の資源を利用したビジネスをやろうと思っているんですわ」という仕事への"想い"を聞かされた人もいる。
「隠し財産」はあるのか
ただ、未決拘留時代の東京拘置所と、最高裁判決を受けてからの黒羽刑務所(栃木県)で過ごした13年はあまりに長い。
一日でも早く帰りたい。帰ればなんとかなるんじゃないか---。
そういう思いに駆られても不思議ではないが、復活は現実的ではない。
伝説に彩られた許には、「隠し資産があって復活の原資となる」と思っている人が少なからずいるものの、許本人や親族に近く、許の"事情"を知っている人ほど、「先行きの暗さ」を語る。
「資産を隠すタイプのひとじゃない。あれば派手に使い、なければ稼げばいいという思いで生きてきた。その人が13年も活動できなかった。残っているわけがない。逆にヤマのような借金が残っていて、かつての人脈が鬼籍に入ったり引退している韓国で、言葉のできない許氏が、ビジネスを大きく展開できるとは思えない」(知人の経営者)
「特別永住者」の立場を捨てた以上、再入国は不可能である。イトマン事件のほかに、180億円の手形詐欺に問われた石橋産業事件でも実刑判決を受けた。二つ合わせて13年半の懲役刑を受けた重罪人の入国を、日本政府は認めない。それが韓国への移送の条件だったという。
「闇の帝王」は時代の変化をどう読んだのか
やはり許は、20世紀の大物仕事師だった。
大学を中退してのチンピラ生活から、事業に目覚め、大淀建設という土建会社を設立してからは、自らの在日、そして同和というタブーを利用してのしあがる。
同和地区の出身者ではないが、許は「差別を受けたもの同士」という"奇妙"な理屈で、同和系建設業者の"資格"を得て、大阪府の同和対策事業に食い込んでいった。
一方で、30代に入ると、人をそらさない弁舌と巧みな接待で、"大物"を落とし、「表社会」に基盤を築く。それが、「大阪政界のドン」の野村周史・東邦産商社長(当時)であり、「生保業界の風雲児」の異名を取った太田清蔵・東邦生命社長(同)だった。
以降、イトマン事件で最初に逮捕される91年7月までは、盟友の伊藤寿永光・イトマン常務(同)を通じて、旧住友銀行にまで駆け上がった。また、野村周史を通じて知り合った「政界フィクサー」の福本邦雄を足がかりに、竹下登元首相や亀井静香元建設相の懐に飛び込んだ。その過程は、まさに疾風怒濤。すでに、「闇の帝王」と呼ばれていたが、まだ44歳の若さだった。
「同和」や「在日」がタブー視され、インターネットや携帯電話が普及しておらず、「闇」が深かった時代だからこそ、「表」と「裏」を自在に行き来する許永中は重宝された。21世紀に入り、タブーが徐々に薄れる一方で、IT社会はすべての情報を開示、人や組織を"天日干し"にする。その分、「闇」もまた薄くなった。
一方で、暴力団を主とする裏社会は、暴対法の施行から20年が経過し、暴力性と経済性の双方を奪われていった。そのうえ、生存権を認めない暴排条例の全国施行によって、暴力団はトドメを刺されたように表社会から追放された。その時点で、表裏を行きかう許永中のような存在は、必要なくなった。
あ 頭の回転が速く、人も時代も読める許は、そうした変化を読み取っていよう。そのうえで、韓国からの再出発を決めた。再起できるかどうかはわからないが、時代の変化を読み込んだ許が、どんなアプローチをするのか。興味の尽きない人ではある。
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◆ 許永中受刑者 韓国に移送/田中森一氏 仮出所 2012年11月22日/ 『その男、保釈金三億円也。』宮崎学著 2012-12-15 | 読書
◆ 許永中受刑者と田中元特捜検事、実刑確定へ…石橋産業事件 2008-02-14 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
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◆ 検察を支配する「悪魔」 田原総一朗+田中森一(元特捜検事・弁護士)2007年12月5日 第1刷発行
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◆ 田中森一著『反転・闇社会の守護神と呼ばれて』幻冬舎刊 2007-08-03 | 読書
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許永中 韓国移送ができた理由
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