落日 小沢王国−いわての審判(上)1勝3敗/無敵の神通力に陰り
日本未来の党の小沢一郎氏(岩手4区)のカリスマ的な影響力で、岩手県は「小沢王国」と呼ばれてきた。未来は今回の衆院選で県内の4選挙区に候補を擁立したが、結果は1勝3敗。比例復活の1人を加えてもわずか2人となった。「剛腕」と呼ばれた小沢氏の力の源泉だった県内基盤が、かつてないほど弱まっている。
◎お国なまり、どぶ板不発
<自民、満面の笑み>
「本日をもって『小沢王国』をぶち破った」
16日午後10時40分ごろ、自民党高橋比奈子氏の選挙事務所(盛岡市)。玉沢徳一郎元農相が祝杯を手に高らかに宣言した。高橋氏は岩手1区では敗れたものの、比例東北で復活当選した。
2009年の前回衆院選で、自民党は県内議席ゼロに終わった。今回は2区で当選した鈴木俊一氏、比例で復活した3区の橋本英教氏と4区の藤原崇氏を加え、立候補した4人全員が当選を果たした。
千葉伝県連幹事長は「優勢を伝えられる全国と、岩手は全く違うとイメージしていた。小沢王国で4人。これ以上の結果はない」。これまで小沢氏に何度も煮え湯を飲まされてきただけに、満面の笑みを浮かべた。
同じころ、落選が決まった未来の達増陽子氏は記者会見に臨んでいた。「敗因は私の力不足」と達増氏。「私の声を1区のすみずみまでお届けすることができなかった」と悔しさをにじませた。
1区から立候補を表明したのは公示直前。達増拓也岩手県知事の妻という知名度を生かして4万票以上を獲得したが、及ばなかった。
2区で落選し、辛くも復活当選した未来の畑浩治氏の陣営も時間不足を痛感していた。ある秘書は「未来は、政党名が公示の数日前に決まった。『そんな政党に何ができるのか』と有権者は思っただろう」と振り返る。
しかし、そんな厳しい情勢でも、ひっくり返してきたのが小沢氏だった。今はたもとを分かった平野達男復興相が、自由党から初当選した01年の参院選岩手選挙区。自民党候補に先行を許していたが、党首だった小沢氏が2度も岩手入りして土壇場で逆転した勝利は今も語り草となっている。
<「仲間」が減った>
選挙戦最終盤の15日午後。盛岡市の住宅街では雨の中、公民館前に集まった聴衆約60人に、小沢氏が普段は使わないお国言葉で語り掛けた。
「俺だげで、いぐら頑張っでも一人では(政治は)できません。大勢のながま(仲間)がいて、初めて民主主義ですから」。時間は約5分。駆け足でワゴン車に乗り込むと次の会場に向かった。
達増氏の応援で盛岡市に14日から入った小沢氏。2日間で計数十カ所の街頭演説をこなすどぶ板選挙を展開したが、かつての神通力はもはやなくなっていた。
「仲間」は減った。小選挙区で勝ったのは4区の小沢氏だけ。1993年に自民党を離れて以来、県内の衆院選で小沢氏が系列候補の複数議席を獲得できなかったのは今回が初めてだ。
民主党分裂まで小沢氏と行動を共にした渡辺幸貫党県連代表代行は「候補者擁立のやり方も、政治家を育てるのではなく、選挙受けばかりを考えている」と批判。「どんどん党を変わる。作り屋だか壊し屋だか分からない」と語った。
河北新報2012年12月18日火曜日
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落日 小沢王国−いわての審判(中)崩された牙城/被災地離反、予想以上
◎旧地盤への「刺客」惨敗
<異例のお国入り>
三十数年ぶりのたすき姿だった。「王国」の主(あるじ)が地元の岩手4区でマイクを握った。選挙区の首長や系列地方議員が横に並ぶ。
「本当に長い間支援いただき、まだご恩返しもできずに申し訳ないが、郷里や国民のため、この一命をささげて頑張る」
選挙戦最終日の15日、北上市であった日本未来の党前議員小沢一郎氏の街頭演説。異例のお国入りに危機感がにじんだ。
小沢氏は15選を果たしたが、得票は約7万8000票。1996年の小選挙区制導入以来、初めて10万票を割り込み、60%前後を誇った得票率も約45%にとどまった。後援会連合会の小笠原直敏会長は「これまでと空気が違い、大変な圧力があった」と振り返る。
「小沢離れ」の予兆を肌で感じた後援会関係者は、少なくなかった。
奥州市前沢区の女性は「個人演説会に誘っても、つれない返事で来てくれなかった」と漏らす。同市江刺区の男性幹部によると、選挙用はがきの推薦人名の掲載を断られる例も相次いだ。
前回衆院選後、小沢氏を取り巻く環境は激変した。陸山会事件で強制起訴(無罪確定)されたり、二大政党制を実現しながら自ら離党したりした。後援会幹部は「期待が薄れ、『何とか支えよう』というムードが弱まった」と指摘する。
<「呪縛が解けた」>
強固な後援会組織を武器に、鉄壁の地盤を築いた小沢氏。そこに今回、仲間だった民主党が候補者を擁立し、くさびを打った。比例代表で復活当選した自民党候補の29歳という「若さ」も有権者には新鮮だった。「小沢氏の呪縛が解けた」と、ある民主党県議は語る。
中選挙区時代の小沢氏の地盤とほぼ重なる岩手3区。たもとを分かった民主党の黄川田徹氏への「刺客」に、小沢氏と政治行動をともにした元衆院議員菅原喜重郎氏の次女佐藤奈保美氏を立てたが、惨敗した。
小沢氏は秘書を投入し、かつての有力支持者を足掛かりに黄川田氏の地盤の切り崩しを図った。自らも選挙戦終盤にてこ入れした。佐藤氏は地元の一関市など内陸部ではわずかに黄川田氏の得票を上回ったが、沿岸部では大差をつけられた。
勝敗の鍵となったのは「震災」だ。家族を亡くした黄川田氏は「政局よりも復興」と繰り返し、ほとんど被災地入りしてこなかった小沢氏との違いを強調。「黄川田さんを落としたら、被災地の恥だ」(野田武則釜石市長)と、沿岸首長も相次いで援護射撃した。
黄川田氏が初当選したのは2000年。小沢氏の強力な後押しが原動力となった。それから4期12年。小沢氏系列の参院議員の地元で、一定の影響力が残っているとみられていた大船渡市でも倍以上の得票差がついた。 「岩手県南は小沢先生の金城湯池だと思っていたが、違った」。佐藤氏の陣営幹部は疲れ切った表情でつぶやいた。
河北新報2012年12月19日水曜日
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落日 小沢王国−いわての審判(下)激戦の余波/後援会組織、真っ二つ
◎「次は参院選」幹部強調
<「ついていけぬ」>
「家庭を壊すような強引なやり方には、ついていけない」
達増拓也岩手県知事の妻、陽子氏が岩手1区から出馬表明した翌日の今月1日。後援会の緊急会合で、ある幹部から痛烈な身内批判が飛び出した。
矛先は、知事や陽子氏というより、知事の妻というだけで立候補させた日本未来の党の小沢一郎氏(岩手4区)に向けられていた。
対する民主党の候補は、衆院議員を4期務めた知事の後継、階猛氏。家族ぐるみの付き合いがあった達増、階両家。「悲しい選挙」(階氏)の始まりだった。
支持層が重なる両陣営には、ほぼ同じ後援会員や紹介者の名簿があった。「(有力支持者の)名前を勝手に使われた」「名簿を盗まれた」。怪情報や感情的な中傷が飛び交った。
自民党政治の打破を目指し共に歩んできた。階氏は1区で3選を果たしたが、陽子氏と票を食い合い、皮肉にも自民党候補の比例復活を容易にしてしまった。
「どうして考えが近い者同士でいがみ合い、共通の敵を助けなくてはいけなかったのか」。達増後援会女性部の一人は疲れた様子で振り返った。
<巻き返しを誓う>
陽子氏の落選が決まった16日深夜。選対幹事長の佐々木順一県議は、選挙事務所から引き揚げようとするスタッフらに声を掛けた。「夏の参院選でこの悔しさを晴らしましょう」
単なる負け惜しみではなかった。比例代表で見ると、未来の県内得票数は約14万4000票で、1位の自民党に約6000票差まで肉薄。県内4選挙区を合わせた得票数は約22万6000票で、逆に自民を上回った。 小沢氏の地元、4区の後援会幹部は「来夏の参院選に向けた足掛かりができた。(空白区だった)1、3区に候補を擁立できなければ、参院選はまるっきりめどが立たなかった」と語る。
岩手選挙区で改選期を迎えるのは、小沢氏とたもとを分かった民主党の平野達男氏。復興相を務め、高い知名度で未来の前に立ちふさがる。
この後援会幹部は「衆院選の結果だけで、小沢先生の政局観が衰えたと結論を下さない方がいい。戦いはまだ続くんだ」と巻き返しを誓う。
小沢氏を支援する経済人の団体「欅(けやき)の会」の幹部も小沢氏の復活を信じて疑わない。「『小沢は終わった』と離れていった支持者は、先生の理念を理解できなかっただけだ」と語気を強める。
将来の首相候補として期待を集めてきた小沢氏。その存在感は強力な求心力でもあり、時に分裂の原因にもなった。
達増後援会の一人は1区で繰り広げられた同門対決を振り返り、つぶやいた。
「小沢さんへの評価で、後援会が二つに割れた。また一つになれるとしたら、小沢さんの力が本当になくなったときなのかもしれない」
河北新報2012年12月20日木曜日
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◆ 小沢「王国崩壊」/黄川田徹氏は当確直後、和子夫人に「お陰様で当選できました」 2012-12-20 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
小沢一郎「王国崩壊」 黄川田は和子夫人に「お陰様で当選できました」『週刊文春』12月27日号
「岩手県内の小選挙区で勝ったのは小沢一郎氏本人の4区だけ。しかも前回の約13万4千票を大きく下回る、約7万8千票。“小沢王国”は完全に崩壊しました」(政治部記者)
後援会関係者が言う。
「小沢さんの選挙区も後援会はかなり緩んでいた。幹部が後援者の遺留のために『これで最後だから。今回限りだから』と言っていた。次の選挙に小沢は出ないから、と」
岩手では小選挙区制導入以降、党が変わろうとも小沢氏が4議席のうち3つは確保してきた。前回の衆院選では県内全てを独占。そんな小沢王国でも苦戦が伝えられると、選挙戦終盤の12日、小沢氏自身が岩手入り。4日間にわたり県内をくまなく回った。(略)
そんな空気を感じ取ったのか、小沢氏はある行動に出た。
「その日の晩、小沢氏は1区で立った達増陽子氏の総決起集会に出席すると言われていたのですが、現れなかった。実は同じ時間に、宿泊先のホテルにゼネコン関係者を集めていたんです。引き締めを図ったものと見られます」(県政関係者)
その翌日、朝10時。盛岡市に隣接する紫波町の公民館の駐車場に、小沢氏はいた。異例の地元入りを取材しようと集まった報道関係者は6人と寂しい。聴衆もたったの16人だ。ゼネコンの引き締め効果もまったくなく、王国崩壊の趣である。広く思えてくる駐車場で、小沢氏はにこやかに語り出した。
「大変お忙しいところ、また、寒いところ、こうしてわざわざお越しいただいて・・・」
候補者の紹介から始まり、原発、消費税、TPPに対して訥々と反対論を述べ、辻説法は約5分で終了。厳しい寒さの中、コートも着ずにいるため、次の会場へ向かうためにクルマに乗り込む頃には、小沢氏の唇は白くなっていた。
この日、小沢氏は盛岡市内を中心とした17か所で、判を推したように同じ内容を喋り続けた。
そこまでしても、結果は前述の通り大惨敗。中でも岩手3区は、開票作業開始からすぐに民主の黄川田徹氏に当確が出た。
「黄川田さんは当確が出た直後、小沢さんに離縁状を叩きつけた和子夫人に電話をかけたそうです。和子夫人は、震災で家族を喪った黄川田さんをずっと気にかけていましたから。留守電に『お陰様で当選できました。ご心配いただき、ありがとうございました』と吹き込んだら、和子さんから折り返し連絡があったそうです」(黄川田氏の知人)
国破れて、小沢氏はいま何を思うのだろうか。
◆ 「小沢王国」に挑む 反旗翻した飼い犬たち=階猛/黄川田徹のもとに届いた小沢氏の妻和子夫人からの手紙 2012-08-21 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
民主残留組に対立候補=小沢氏
2012年8月20日21:06 JST
新党「国民の生活が第一」の小沢一郎代表は20日の記者会見で、次期衆院選への対応に関し、消費増税関連法案の採決で造反しながら民主党にとどまった階猛(岩手1区)、黄川田徹(同3区)両氏の対立候補を擁立する方針を明らかにした。
小沢氏は「民主党に残っているということは、われわれが政権交代で唱えた約束をほごにして増税に走ることを是とした人たちだ」と階氏らを厳しく批判した。[時事通信社]
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「小沢王国」に挑む 反旗翻した「飼い犬」たち
産経ニュース2012.8.16 22:14
7月29日、東日本大震災の傷痕が残る岩手県陸前高田市の市役所仮庁舎は、日曜日にもかかわらずにぎやかだった。
仮庁舎では財務相、安住淳が地元市議らの陳情を受けていた。安住の隣に座るのは同市出身の衆院議員、黄川田徹。黄川田は、安住が予算要望に「わかりました」と前向きに応じるたびに静かにうなずいた。
陳情を聞き終えた安住は去り際、こう言い残した。
「黄川田さんは大変難しい決断をしてくださり、ありがたい。私たちも黄川田さんを支えたい」
「大変難しい決断」−。安住が指摘したのは、黄川田が長年行動をともにしてきた元民主党代表、小沢一郎とたもとを分かったことを指す。黄川田は小沢が旗揚げした「国民の生活が第一」に参加しなかった。
黄川田の「決断」に応えるかのように、岩手3区には閣僚や民主党幹部が頻繁に入る。首相、野田佳彦も「生活」結成から3日後の7月14日に3区入りした。
「小沢家と黄川田家は、双方の父の代から50年以上の付き合いだ」
黄川田は今でも、小沢との深い関係を強調する。大震災の津波で両親、妻、長男、秘書の5人を亡くした黄川田の仮設住宅を今年4月に訪れ、家族の位(い)牌(はい)を拝んでくれたのも小沢だ。そのとき、黄川田は小沢から総務副大臣の辞任を求められ、これに応じている。
その黄川田が今回なぜ、小沢に背いたのか。
■小沢夫人の手紙
家族4人の初盆を迎えたころ、黄川田のもとに香典を添えた便箋2枚の手紙が届いた。小沢の妻、和子からだった。
お悔やみの言葉から始まり、被災地の現状を案ずる言葉や激励の言葉などがつづられ、どれもこれも黄川田の心に響いた。さらにこんな一文もあった。
「大変な状態でも政局や権力闘争をする人はいるが、黄川田さんは頑張ってほしい」
黄川田はこの言葉の意味をかみしめた。「地元の復興対策よりも永田町の政局を優先している」。夫人は小沢をこう批判しているかのようだ。黄川田も「小沢先生は、権力争いでなく副総理にでも手を挙げてほしいのに…」と考えていた。
総務副大臣の辞任も断腸の思いだったのに、野党になれば復興に直接関与するのも難しくなる…。被災自治体の復興計画がまとまりはじめ、「今は政局より復興が最優先」と判断した。
しかし、小沢の「恐ろしさ」は、黄川田自身が肌で知っている。
平成12年の衆院選。小沢は、自由党を去り保守党結成に参加した当時の衆院議員、佐々木洋平を徹底的に潰した。そのときの刺客がほかならぬ黄川田だった。
そして今、小沢の牙が自分に向けられようとしている。「生活」県連幹部の県議、佐々木順一は、黄川田に刺客を向ける可能性を示唆している。3区内の県議、市議の一部も「生活」に移り、黄川田を脅かす。
■知事自ら刺客?
「小沢さんにしてみれば、飼い犬に手を噛まれたような気分かと思います。今後、私に対して厳しい態度で臨まれるでしょう」
黄川田と同じく民主党にとどまった岩手1区選出の衆院議員、階猛はブログで、これからの覚悟をにじませた。1区では、小沢らに目立たぬよう街頭演説を避け、2、3人とのミニ集会を通じて支持者との関係維持に腐心している。
1区の民主県議4人は全員残留し、支持母体の連合岩手も「生活」を支持しない方針という。それでも、小沢が「飼い犬」を放置するはずがない。
佐々木順一は7月30日、岩手県知事、達増拓也との関係について「次期衆院選で同一歩調を取りたい」と表明した。階の前任者である達増が刺客となる可能性が出てきたのだ。
達増は知事職を続ける意向を示しているが、「小沢氏の指示であれば刺客になるのもためらわないだろう」(民主岩手県議)との見方もある。しかも、階の支持者の多くは達増の支持者だ。達増と階が激突すれば、支持者はどっちにつくのか−。
岩手県議会で「生活」は民主、自民に次ぐ第3会派となった。しかし、民主と自民が共闘すれば「小沢王国」は崩壊の危機にひんする。自民から再挑戦する高橋比奈子は「ようやく岩手も『小沢氏の呪縛』が解け、県民が普通の判断ができるようになるのではないか」と期待する。もっとも、現時点で民主、自民による選挙協力の話はない。(水内茂幸)=敬称略
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◆ 小沢一郎「妻からの「離縁状」全文 週刊文春6月21日号 2012-06-15 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
◆ 小沢家の悲劇「妻・和子の手紙」の真相 週刊ポスト2012/7/6号(2012年6月25日発売) 2012-06-25
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◆ 「夫のため」刺客に 岩手1区『生活』達増知事夫人 出馬/ 民主・階猛氏の妻は「陽子さん、かわいそう」と涙 2012-12-01 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
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〈来栖の独白 2012.12.01 〉
ここまでやらなければ「政治」は全うできませんか、小沢さん。『国民の生活が第一』の周辺で女性候補(三宅雪子氏・姫井由美子氏・・・)が痛ましすぎる、と感じるのは私だけだろうか。陽子氏出馬に達増知事も心中いかばかりだろう。ここまでやらなければ「政治」は全うできませんか。階氏に「頑張れよ」「ともに頑張ろう」と微笑み、刺客は送らない。貴方の「選挙」にそんな手法はありませんか、小沢さん。代議士に当選すれば陽子氏は単身赴任、夫婦別居だ。そこまでやらねば、「政治」は全うできませんか。
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◆ 小沢神話の終焉… 121人擁立もわずか9議席 惨敗「未来」/日本未来の党 当選者一覧 2012-12-17 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
小沢神話の終焉… 121人擁立もわずか9議席 惨敗「未来」
zakzak2012.12.17
小沢氏は異例の地元入りまでしたが、有権者の厳しい審判を突き付けられた
「日本未来の党(未来)」の大惨敗は、ここ20年間、政局の中枢に君臨し続けた小沢一郎氏(70)の凋落をあらわにした。公示直前、滋賀県の嘉田由紀子知事(62)に新党結党を促し、代表を務めた「国民の生活が第一」の議員らと合流したが、121人も擁立(公示前勢力61)しながら、わずか9議席しか獲得できなかったのだ。かつて「剛腕」と恐れられた小沢氏だが、このまま終わってしまうのか。
「とても厳しい。政策が浸透する時間が足りなかった…」
嘉田氏は16日午後9時前、党の開票センターを設置した東京・半蔵門のホテルに現れ、大逆風をこう認めた。会場には、開票直後から暗いムードが漂っていたが、ちょうど結婚式が行われていた隣の会場からは万歳三唱が聞こえてくるなど、諸行無常を感じさせた。
この日、「一兵卒」の小沢氏は公の場に姿を現さなかった。前回衆院選では、地元岩手県の4選挙区で全勝したが、今回は自分がやっと1議席を守っただけ。小選挙区制が導入された1996年衆院選から、小沢氏の所属政党は岩手で3勝以上しており、今回の惨敗は「小沢王国」崩壊を印象付けた。
小沢氏は選挙戦終盤の12日から15日まで、異例の地元入りをして、支持拡大を訴えた。東日本大震災後、半年以上も入らなかった沿岸部の被災地にも入った。系列地方議員が動員をかけたが、後援会関係者は次のようにいう。
「あまり盛り上がっていなかった。このあたりには、自宅に小沢先生のポスターを張っている家も多いが、『また、陣取り合戦か…』という雰囲気だった。週刊文春が報じた妻、和子さんの手紙(=離縁状)は、実は沿岸部の関係者らにも届いた。『放射能から逃げて、被災地に入らなかった』というくだりが、小沢先生への期待を失望に変えた面も大きい」
小沢氏が「脱原発」や「反増税」ばかりを訴えていることにも、「地元の感覚とズレを感じる」と地元JC(日本青年会議所)関係者はいう。
「脱原発も反増税も重要だろうが、被災地には『住宅問題』や『産業復興』『地域医療再生』『人口減少』など、数々の悩みがある。小沢先生や未来候補の話を聞くと『何も分かっていないのでは?』と感じる」
こうした小沢氏と有権者とのズレは、どうして広がったのか。小沢氏は自由党党首時代、夕刊フジの取材に「野党の役割」について、このように語っていた。
「与党とまったく同じ政策や主張をしていたら、野党の存在価値はない。野党は、与党とは違った選択肢を有権者に示すことが重要だ」
つまり、「逆張り・現状反対の政治姿勢」である。一瞬、納得させられそうになるが、果たして、政権獲得を目指す政治家、政党がそれでいいのか。これでは、「何でも反対」で国民の支持を失った旧社会党と大して変わらない。
自民党の政権奪還、民主党の大惨敗という嵐の中で、小沢氏は完全に埋没した。未来の嘉田代表は16日夜、小沢氏の処遇について「ご自身が『一兵卒で』と言っていたので、そのような形で考えたい」と話したが、このまま、「過去の政治家」となってしまうのか。
政治評論家の小林吉弥氏は「政治生命の土俵際に追い込まれた。今回の衆院選で、小沢氏は『剛腕』の片鱗すら、見せられなかった。自由党時代に、比例区で約660万票集めた勢いはない。陸山会裁判で影響力を失ったことや、70歳という年齢の問題もあるだろう。来年の参院選が『最後の闘い』となる。未来と決別して勝負をかけるのか、まだ気力が残っているのか、注目される」と語っている。
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日本未来の党 当選者一覧
玉城デニー(53) 未来 九州ブロック
青木 愛(47) 未来 東京ブロック
阿部 知子(64) 未来 南関東ブロック
村上 史好(60) 未来 近畿ブロック
鈴木 克昌(69) 未来 東海ブロック
小宮山泰子(47) 未来 北関東ブロック
畑 浩治(49) 未来 東北ブロック
亀井 静香(76) 未来 広島6区
小沢 一郎(70) 未来 岩手4区
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◆ 小沢王国落日 岩手 達増氏 落選 「剛腕」1人残る/青木愛氏 比例で復活/小選挙区で敗れた主な候補者 2012-12-17 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
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◆ [大地]石川知裕氏落選/[未来]惨敗/国民は、この選挙結果の奥にあるものをしっかり見なければならない2012-12-16 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
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◆ 小沢一郎氏 選挙戦最終日〈15日〉夕、選挙区である岩手4区に入り、北上市で街頭演説 2012-12-15 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
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◆ [未来]小沢一郎氏 異例の地元街頭演説 / 14日夜は首相官邸前「反原発デモ」へ参加 2012-12-14 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
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◆ “小沢王国”で小沢一郎氏(岩手4区)が珍しい動き…最終日まで / 2005年衆院選以来 2012-12-14 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
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◆ 小沢一郎氏 募る危機感「小選挙区で敗れたら即引退」…衆院選岩手4区 2012-12-12 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
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