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通り過ぎる挨拶 感動もない 小沢一郎事務所のツイッター

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不気味?小沢氏の「ほのぼのツイッター」
東スポWeb 2013年01月11日 11時00分
 かつての剛腕がツイッターを始める!? 民主党は7日、今年最初の役員会を党本部で開き、夏の参院選を見据えた野党共闘の構築に向け、28日召集が想定される通常国会前の幹事長会談開催を呼び掛ける方針を決めた。ただ、小沢一郎元民主党代表(70)が主導する「生活の党」との協力については社会保障と税の一体改革をめぐる考え方の違いや、民主党分裂の経緯などから、呼びかけしないという。政界で孤立しかけている小沢氏の秘策とは、マスコミへの徹底抗戦のようだが…。
 生活の党は、年始からマスコミ報道に過敏になっている。
「事実でない報道には撤回を求めていく」と徹底抗戦する方針だ。
 森裕子代表(56)は先日、ツイッターでテレビ朝日の報道内容に対して「事実に基づかない報道に抗議し、訂正と謝罪を求めます」。嘉田由紀子滋賀県知事(62)が代表を辞めることを伝える記事の中で「小沢氏らに党を乗っ取られた」との表現を問題視したのだ。その結果なのか、テレ朝のHPからは「乗っ取り」の表現が消されている。
 森氏が報道に過敏になるのには理由がある。マスコミを訴えない傾向にあった旧田中派出身の小沢氏は、どんな報道についても、記者会見以外では文句を言うことがなかった。「だから書きたい放題にやられた」という被害者意識がまん延していたのだ。
 とはいえ、今後も何でもかんでも抗議をするとなれば「もう小沢氏のニュースを取り上げるのはやめよう」とマスコミの“小沢離れ”につながるのは明白。そうなれば党にとっては今夏の参院選を前に露出が減って痛手だ。
 それを見越してか、小沢事務所は今年に入り、ツイッターのつぶやき頻度を増し情報発信に努めている。新年会の様子を写真付きで紹介することから始まり「できる限り、事務所、小沢代議士の近況をお伝えしていきたい」と連日、更新されている。
 小沢ガールズでツイッターのヘビーユーザーで知られる三宅雪子前衆院議員(47)が使用を進言していたのに応えた形で、小沢氏が自宅で飼っている愛犬やカナリアの写真を掲載しているほか、岩手の自宅を初公開するなど、政治とは無縁のほのぼのとした内容が続いている。
 小沢氏の“こわもて”や“闇将軍”のイメージを払拭しようとしているのは明らか。小沢氏周辺はようやくのツイッター解禁に喜色満面だが、ネット上ではその内容から不気味がられる反応も出る始末だ。
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〈来栖の独白2013/01/15Tue.〉
 私も小沢事務所をフォローしているので、ツイッターの変化にはすぐに気付いた。本日のつぶやきは以下の様だ。
>小沢一郎事務所‏@ozawa_jimusho
おはようございます! 今日の東京は良い天気。しかし、昨日からの大雪で、路面は凍り、車は大渋滞。通勤者もゆっくり慎重に歩く人が目立ちます。充分にお気を付けください。寒い日が続きます、体調管理もしっかりと。 今週も元気に頑張りましょう!
 昨日は、以下。
>小沢一郎事務所‏@ozawa_jimusho
言いたくても、言えないこともある。言いたくなくても、言わなければならないこともある。 泥水を飲んで、笑顔で『うまい』と言う…それが私達の生きている世界。 真実は一つしかない。 私達は代議士を支え、もう一度国民の為の政治を取り戻す。
>小沢一郎事務所‏@ozawa_jimusho
今朝の東京は雨から雪に…岩手県も大雪とのこと。大変寒く、足下が悪くなってます。連休最終日ですが、気を付けてご移動ください。 昨日は地元岩手県でも各地域で成人式が目立ちました。次世代を担う皆さんに期待し、私達も皆さんに信頼、期待される政治をもう一度つくりあげる為、全力で頑張ります。
 何のことはない。通り過ぎる挨拶だ。感動もない。以前の小沢一郎さんとはえらく変わったな、ちんまり小粒になった、という印象だ。小沢氏ではなく、側近(「事務所」)が企図、ツイートしている。先の衆院選で負けて、半年後に迫る参院選に、いまどのように対策を立ててよいか、分からなくなっているようだ。 一昨年の「お見舞いに現地を歩くのが政治家の仕事なのか?お悔やみを申し上げるのが政治家の仕事なのか?」との確信に満ちた小沢氏とは別様である。何の得るところもない。面白くもない。
 「消費税増税反対」「脱原発」が[生活の党]の基本政策なら、それを愚直に訴えていけばいい。だが、小沢氏側にとってそんなところには安穏としていられないのだろう。半年後の参院選という政局を目前にして、愚直にではなく、なんとか上手くやらねば、と焦るのだろう。小賢しくやって昨年末の[日本未来の党]顛末のようにならねばよいが・・・。

小沢一郎氏「お見舞いに歩くのが政治家の仕事なのか?お悔やみを申し上げるのが政治家の仕事なのか?」 2012-01-05 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア 
 小沢氏、初の沿岸被災地入り 岩手で民主県連役員会出席
 民主党の小沢一郎元代表は3日、岩手県陸前高田市で開かれた党岩手県連の役員会に出席し、「東日本大震災が発生した非常事態の中でも旧態依然の中央集権支配が続き、地方への予算配分も十分でない」と政府の震災対応を批判した。小沢氏が震災後、岩手県の沿岸被災地に入ったのは初めて。
 小沢氏は役員会後、記者団の取材に応じ、昨年末に消費税増税の「政府案」が決まったことについて「自分の主張は変わらない」と述べ、消費税引き上げに反対する立場をあらためて強調した。
 役員会では約80人を前に「皆さんの生活を一日も早く取り戻さないといけない。被災地の要望に応えられるよう努力したい」とあいさつした。
 小沢氏は陸前高田市のほか、久慈、宮古、釜石、大船渡各市で開かれた党県連役員会にも出席。首長らから復興に関する要望書を受け取った。陸前高田市では仮設住宅を訪れて被災者を激励した。
河北新報2012年01月04日水曜日
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小沢・民主元代表:東日本大震災後、初の沿岸訪問 「頼もしい」「今更」 住民、期待や不満 /岩手
 震災後初となった小沢一郎・民主党元代表の3日の沿岸訪問。被災地の住人からは「頼もしい」といった期待や、「今更来ても遅い」といった不満が入り交じる声が上がった。
 小沢元代表はこの日、達増拓也知事や県選出の国会議員らと共に、久慈から陸前高田まで沿岸5市で開かれた同党県連の緊急役員会に出席。宮古市では「私たちの主張した地域主権が(政権交代から)2年余たっても、まだ緒にも就いていない」と持論を展開。「皆さんの抱えた課題を解決するには、本来我々の掲げた政策理念を実行しなければいけない」と訴えた。
 夫婦で参加していた、宮古市大通の無職、伊藤隆さん(75)は「小沢さんのように力のある政治家がいて頼もしい。予算を確保して、復興が進むよう国に働きかけてほしい」と期待を込めた。
 小沢元代表は夕方には、陸前高田市竹駒町の仮設住宅を訪問。集会場に集まった約30人の住人を前に「皆さんの生活を一日でも早く元に戻せるよう全力で頑張っていく」と力を込めると、記念写真を求められるなど歓迎を受けた。
 一方で、住人の女性(58)は「今更来ても遅い。震災直後の惨状を見れば、党内で足の引っ張り合いをしてる場合じゃないと気づいてもらえたはず」と不満を漏らした。【宮崎隆】
毎日新聞 2012年1月4日 地方版
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〈来栖の独白2012/01/04 Wed. 〉
 東日本大震災と政局ということについて、短く感じたことを述べてみたい。
 昨年の民主党代表選、或いは先ごろの多数の民主党議員の離党・新党結成の折、「東日本で被災して多くの国民が苦しんでいるときに、政治家は、勢力・権力争いに明け暮れて・・・」との批判をメディア上で何度も目にした。上の記事でも、「今更来ても遅い。震災直後の惨状を見れば、党内で足の引っ張り合いをしてる場合じゃないと気づいてもらえたはず」と不満を漏らす女性の声が載っている。生活に切羽詰った被災者たちの感情として当然かなとも思うが、果たして、そうか。いや、これほどに困窮を極めた今日だからこそ、政治にしっかりしてもらわなくてはいけないのではないか。そんな気がする。
 小沢一郎さんは、以下(↓)のように言う。以下のように言いながら、小沢一郎という政治家のやさしさ、熱さは、公判を含めた過密日程の間隙を縫って被災地を訪れた。
 “マスコミ自体も、政治が何をすべきか、政治家が何をすべきかと(報じない)。お見舞いに現地を歩くのが政治家の仕事なのか? お悔やみを申し上げるのが政治家の仕事なのか? というふうに私はあえて憎まれ口をきくけれど、やはり政治の役割というのは、そういうことではないと思う。このような深刻な事態をどのようにして克服していくか、そのためには政治の体制はどうあるべきなのか、政治家はどうあるべきなのかと考えるのが、本当に国民のための政治家のあり方だと私は思っている。そういう意味で、今後もいろいろとご批判は頂きながらも、私の信念は変わらないので、その方向で頑張りたいと思う。”
 これは、媚びない姿勢がなくては言えない言葉だろう。またその前提として、日々の生活に窮する民の惨状を知り、それゆえに、政治の果たす役割が「国民の生活が第一。」と見極めた確かな眼がなくては、言えない言葉だと思う。確かな眼とは、「本物の政治家の眼」ということだ。
 当然のように、このような政治家が国民に理解されることは稀である。剛腕などと云われ、嫌われる。「災害があればいち早く現地に駆けつける」という動きの良さもないので、不可解である。ポピュリズムとは対極にある。
 この種の政治家は、国民からの人気がないばかりではない。既得権益といった旧弊にとらわれないので、官僚からも嫌われる。おまけに要領が悪いゆえ、エンタメ(メディア)に貢献するところなく、嫌われる。
 国民(検審)・官僚・メディアから嫌われれば、行き着く先は決まっていよう。かくて小沢一郎氏は、地元から帰京すれば、10日、11日の裁判(東京地裁 公判)が待っている。被告人質問である。
 東日本大震災という未曽有の苦難のなかで、この国はかくも、有為な政治家の手足を縛った。
 ところで、ここからは余談になるので後日に稿を改めたいと思うが、昨年より深く憂慮している一事がある。4月にも判決といわれている、小沢一郎さんの裁判である。
 陸山会事件登石郁郎裁判長の判決で思い知らされたが、裁判長には裁判長で、縛りがかけられているということだ。登石裁判長の下した判決は、郷原信郎氏のような専門家は無論のこと、私のような素人がみても、おかしな判決だった。なぜ、このような恥ずべき判決文を書かなければならなかったのか。まかり通ったのか。
 新藤宗幸氏はその著『司法官僚』〔裁判所の権力者たち〕(岩波新書)の中で、次のようにいう。
“司法官僚は全国の判決や訴訟指揮の情報を集める。それをもとに行使される人事権は全国3500名の裁判官たちに絶大な影響力をもつ。10年ごとの再任の有無、昇級、転勤を司法官僚が決める。事務総局が召集する「合同」と呼ばれる研究会も下級審の裁判内容を遠隔操作する結果を生む。
 裁判とは社会で周縁においやられた人々の、尊厳回復の最後の機会である。必死の訴えをする人々に遭遇したとき、裁判官は全人格的判断をもって救済に当たるべきだ。しかし、人々の目にふれぬところで、裁判官の内面までゆがめ、その存在理由をあやうくしているシステムがあるのだとすれば大問題である。
 政権交代とは闇を打破る時代のことであろう。本書の提言にかかる裁判所情報公開法などによって司法の実態にも光が当てられ、真の改革が着手されるべきだ。”
 ここでも“官僚”である。上の文脈によれば、小沢氏裁判で「無罪」と書いて大善文男裁判長個人に利するところがあるか。無い(だろう)。地方の簡裁か家庭裁判所へ飛ばされるのがオチであろう。
 前田元検事は「主任検事から『この件は特捜部と小沢の全面戦争だ。小沢をあげられなければ特捜の負けだ』といわれた」と証言している。裁判所にとって、被告人に利するか、はたまた長く利益を分かち合ってきた検察との仲を保つかを天秤にかけるなら、答えは歴然としていよう。
 そのことは、検察と一体となり走狗となって「小沢 クロ」と書いてきたメディアとっても同様である。ここで「小沢 無罪」が出たなら、メディアは、どう書けばいいのか。
 ことほど左様に、司法には司法の事情があり、裁判所と検察には判検(一体)の、検察とメディアには検察とメディアの、それぞれ譲れぬ事情がある。
 深く憂慮に堪えない。小沢氏無罪は、難しい。
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『誰が小沢一郎を殺すのか?』の著者カレル・ヴァン・ウォルフレン氏と小沢一郎氏が対談〈全文書き起こし〉2011-07-30 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア より抜粋

    

■お悔みを申し上げるのが政治家の仕事なのか?
上杉: まずは「3.11」の震災について、その震災後のことについてお話を頂ければと思う。今ウォルフレンさんからお話いただいたので、小沢さんの方から。「3.11」の国を揺るがすような大震災以降、どうも既存メディアでは小沢さんの影が見えなかったのでは、何もしていないのではないか、という声もあった。果たして小沢さんはどのような活動をされていたのか。「3.11」の発災以降のことも含めて、お話をいただければと思う。
小沢一郎衆院議員(以下、小沢): 今度のいまだかつて経験したことのないような大災害、私も被災県の岩手県の出身だけれども、特に福島県の原発の損壊と放射能汚染の問題、それが非常に深刻な事態だと、私は当初から機会ある度に訴えてきた。このような時にあたって、今ウォルフレンさんが指摘されたが、世界でも非常に評価されるような日本人の長所が発揮されていると同時に、日本人の欠点も露呈されているというのが、正直なところではないかと思っている。長所というのは、それは一般的に言われているように、こんな大災害にもかかわらず、みんな一生懸命力を合わせて復興のために頑張っていること。その忍耐と努力と、そして能力というのは、当然日本人として誇っていいことだと思っている。
 ただ、放射能汚染といういまだかつて(ない)、ある意味においてはチェルノブイリやスリーマイル以上に、非常に大きな危険性を秘めているこの原発の事故と放射能汚染の拡大――。これほどの大きな深刻なことになると、単なる個人的な力の発揮ということ以上に、本来もっと国家として前面に立って、そして英知を集めて思い切って対策を講じていく仕組みと姿勢が必要だと思う。けれども、どうもその意味において、政治の面だけではなくて、一般の国民の中からもそういった強い要求というか、動きというものがなかなか出てこない。まさに非常に日本的な現象だと思っている。ほかの国ならば、こんなに黙って現状を見過ごしているような国民は多分ないだろうと思う。大きな大きな国民運動にまで広がりかねないと思うが、そういう(大きな運動にならない)ところがちょっと日本の国民性というか不思議なところであって、「まあまあ」という中で個人が一生懸命頑張っている。
 上杉さんがマスコミの話をしたけれども、マスコミ自体も、政治が何をすべきか、政治家が何をすべきかと(報じない)。お見舞いに現地を歩くのが政治家の仕事なのか? お悔やみを申し上げるのが政治家の仕事なのか? というふうに私はあえて憎まれ口をきくけれど、やはり政治の役割というのは、そういうことではないと思う。このような深刻な事態をどのようにして克服していくか、そのためには政治の体制はどうあるべきなのか、政治家はどうあるべきなのかと考えるのが、本当に国民のための政治家のあり方だと私は思っている。そういう意味で、今後もいろいろとご批判は頂きながらも、私の信念は変わらないので、その方向で頑張りたいと思う。(以下略)
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