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精神が壊れた状態の麻原を処刑すべきではない/治療し、可能ならば裁判をやり直し、麻原に発言させ・・・

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間違ってはいけない。信仰は無慈悲で残虐、アンフェアだ
Diamond online リアル共同幻想論【第61回】2013年1月30日  森 達也 [テレビディレクター、映画監督、作家]
■アルジェリア軍の作戦は正しかったのか
 アルジェリアで起きたイスラム武装勢力による人質事件は、どうやら最悪の事態を迎えそうだ。昨日(1月21日)未明、プラント大手「日揮」は日本人7人と外国人3人の従業員の遺体を確認したと発表した。アルジェリア軍の強硬な作戦で多くの犠牲が出たことは確かなようだけど、現時点で詳細はまだわからない。犠牲者はさらに増える可能性もある。
 ありえない作戦だとアルジェリア政府を批判する人もいれば、決断は正しかったと主張する人も少なくない。これらを判断するためにはまだ材料がなさすぎる。だから事件の内容については、これ以上の言及は避けるべきだろう。今回書きたいことは別にある。
 事件発生から現在に至るまでテレビのニュースでは、イスラム武装勢力の幹部や指導者たちの映像や顔写真が、何度も映し出されている。とても凶暴そうな男たちだ。そう思った人は少なくないだろう。911やその後に続くアルカイダ絡みの報道でも、確かに彼らテロリストたちは狂暴そうに見えた。
 でもアラブの男は髭をあまり剃らない。もし日本にもそんな文化があるとしたら、やはり男たちは今よりは凶暴に見えるはずだ。個人差はあると思うけれど、少なくとも僕はそうだ。そもそも人相が悪い。数年前に髭を伸ばした時期があるけれど、そのときに撮られた写真はちょっと危ない。道を歩いていてこんな顔をした男が前から歩いてきたら、絶対に目を合わせないようにするだろう。実際はとても気弱で虫も殺せないような男なのだけど、そう思う人はまずいない。
 与えられた前提に、印象やイメージはとても簡単に影響を受ける。そして合わせてしまう。街で見かける指名手配犯の写真も同様だ。みな凶暴そうだ。でも町内会の温泉旅行で撮った写真でこんな顔を見かけたとしたら、印象はずいぶん違うはずだ。
 その典型がビンラディンだ。動画などでよくよく見れば、とても崇高な表情をする瞬間がある。見方によって聖人のように見える。少なくともブッシュ前大統領よりは、はるかに慈愛と知性を感じさせる表情だ。
 でも多くの人はそういう見方をしない。テロ組織であるアルカイダを創設した男なのだ。その前提が印象を決める。メディアによって強調されながら拡散される。
■印象やイメージは前提によって決められてしまう
 補足しなければならないが、人の価値が顔形などで決められるはずがない。そんなことになったら僕はかなりつらい状況になる。実際にビンラディンがどんな性格だったのかはわからないし、多くの人を殺戮したことは確かだ。僕たちは他者に対しての印象やイメージを自らの自由意思で持っていると思いがちだけど、でも実際には与えられた前提によってほぼ決められてしまっていることを言いたいのだ。
 大学のゼミの学生たちに、授業の一環として都内渋谷区にあるイスラムの礼拝施設に必ず1回は足を運ばせるようにしたのは3年前だ。中に入って礼拝を見なさいと伝えている。最初はほとんどの学生が嫌がる。尻込みする。怖いと訴える学生も少なくない。でも行かなければ単位をやらないと脅す。そして集まっていたムスリムに話しかけさせる。見るだけではなく言葉を交わすことが重要なのだ。その後に感想を訊けば、普通の人のように受け答えしてくれて驚きましたなどと彼らは目を丸くしている。
 印象やイメージは感情に直結する。でも印象やイメージは前提に大きな影響を受けている。ならば僕たちの感情も、実は前提に合わせてしまっている可能性がある。その典型は「許せない」とか「成敗せよ」などの語彙に現れる感情。怒りや悲しみ。
■麻原の処刑は政権支持率を上昇させるカンフルか
 ちょうどアルジェリアの人質事件が勃発した頃、週刊ポストに以下のような記事が掲載された。
 いよいよ「Xデー」がやってくるのか。法曹界では、法務大臣に自民党前総裁・谷垣禎一氏をあてた安倍人事によって、麻原彰晃(57、松本智津夫)の死刑執行が近いと囁かれている。
 法務省関係者が語る。
 「戦後最大の惨劇“オウム事件”の首謀者の死刑ともなれば、決定者にはそれなりの重みが求められる。弁護士出身で総裁経験者の谷垣さんなら、その決定者に相応しい。(中略)麻原死刑を断行すれば政治家として歴史的決断をしたひとりということにもなる」
 先進国の多くが死刑を廃止していることを踏まえ、民主党政権は死刑制度について国民的議論を進めようとした。執行ペースは減退し、昨年末時点で確定死刑囚は史上最多の133人。積極的な死刑執行は法務官僚の要請でもある。
 さらには安倍内閣のこんな事情もある。
 「現在はご祝儀相場で経済も上向き傾向。7月の参院選を見据えて慎重な政権運営に終始しています。ただし、このまま安全運転を続けていても支持率が徐々に下がっていくのは明らか。そんな中で麻原死刑は“決断する内閣”との印象を国民に与えることにもなる」(前出の記者)
(週刊ポスト2013年1月25日号)
 オウムによる地下鉄サリン事件が起きたとき、多くの識者やコメンテーターは、本来は人を救うはずの宗教が人を殺すなどありえないとして、激しくオウムを非難した。これは『A3』(集英社)でも触れたことだけど、司馬遼太郎ですら事件直後には、「僕は、オウムを宗教集団として見るよりも、まず犯罪集団として見なければいけないと思っています。とにかく史上稀なる人殺し集団である」と発言している。
 だからこそ麻原を処刑することは国民の合意事項でもあり、怒りに即した対応であり、政権にとっては支持率を上昇させるカンフルにもなるのだろう。ちょうどビンラディンを殺害したオバマ政権が、下降気味だった支持率を急上昇させたように。
■宗教には生と死を逆転してしまう機能がある
 念を押すが、アルカイダにしてもオウムにしても、非難されることは当然だ。この社会の法やルールに背き、多くの人を殺害したのだから、相応の懲罰を受けることも当たり前。でも人殺し集団だから宗教集団ではないとの見方は違う。それは当時から今に至るまでオウムを規定する際の大きな前提だけど、解釈としてはあまりに浅い。殺戮と信仰は相反しない。むしろ親和性が強い。
 宗教には生と死とを逆転してしまう機能がある。つまり現世の命を軽視する場合がある。オウムやイスラムだけではない。例えば旧約聖書には以下のような記述がある。
 あなたの神、主が嗣業として与えられるこれらの民の町々では、息のある者をひとりも生かしておいてはならない。
 すなわちヘテびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとはみな滅ぼして、あなたの神、主が命じられたとおりにしなければならない。
(申命記20章10〜17節)
 イスラエルの人々はミデアンの女たちとその子供たちを捕虜にし、その家畜と羊の群れと貨財とをことごとく奪い取り、そのすまいのある町々とその部落とを、ことごとく火で焼いた。(中略)モーセは軍勢の将たち、すなわち戦場から帰ってきた千人の長たちと、百人の長たちに対して怒った。モーセは彼らに言った、「あなたがたは女たちをみな生かしておいたのか。彼らはバラムのはかりごとによって、イスラエルの人々に、ペオルのことで主に罪を犯させ、ついに主の会衆のうちに疫病を起すに至った。それで今、この子供たちのうちの男の子をみな殺し、また男と寝て、男を知った女をみな殺しなさい。ただし、まだ男と寝ず、男を知らない娘はすべてあなたがたのために生かしておきなさい」
(民数記 31章14〜18節)
 殺戮を命じるだけではない。旧約聖書の神であるヤハウェは自らも手を下す。誰もが知るノアの方舟のエピソード。「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言いながらヤハウェは、ノアとその一家以外のすべての人をスケープゴートとした。
 その後にヤハウェはバベルの塔を崩し、ソドムとゴモラに住む人たちを滅ぼした。創世記の18章では、正しい者が50人いるかもしれないのに滅ぼすなどすべきではないとアブラハムから意見されたヤハウェは、最終的には正しい者が10人いたら滅ぼさないと約束し、でも結局はその約束を反故にして、ソドムとゴモラを焼き払った。何万何十万の人が死んだのかわからない。この少し前にはアブラハムの信仰を試すため、その子供であるイサクを生贄に捧げるようにヤハウェは命じている(結局は制止するが)。
■身勝手で残虐。でも、それは紛れもない神の一面だ
 これらの記述が伝える神の実像は、あまりにも身勝手で残虐だ。そして決して公正ではない。無慈悲でアンフェアだ。でもそれは紛れもない神の一面だ。
 こうしてキリスト教徒たちは異端審問や魔女裁判などを整合化することができた。異教徒弾圧に大義を与えられた。十字軍遠征やアメリカに移住したピューリタンによる先住民族虐殺やなども、抵抗なく行うことができた。神の御名を唱えながら。
 おそらくは旧約聖書だけならば、この傾向はもっと激しかったはずだ。だからこそイエス・キリストが登場する新約聖書の意味がある。「汝の敵を愛せよ」と告げたイエスと「ひとりも生かしておいてはならない」と告げたヤハウェのあいだで、キリスト教徒(つまり西洋社会)は過去二千年にわたって引き裂かれて続けている。明らかな矛盾なのだ。ならばあとは、どのように解釈するかだ。
 聖書を掲げながらある者は敵を殲滅することを主張し、ある者は敵を赦すことを訴える。その意味では、新約を認めないユダヤ教徒たちが設立した国家であるイスラエルが、尖鋭的な軍事国家となって無慈悲な仕打ちをパレスチナに続ける理由も何となく了解できる。だからこそアラブ世界は憤り、イスラエルを容認する西洋社会のありかたはあまりにも理不尽だとしてアルカイダが誕生した。
 世界は歴史と繋がっている。繋がりながら循環している。
 18世紀にポルトガルで大地震が起きて6万人の死者が出たとき、なぜ神はこれほどに無慈悲で不平等なのだと考えたヴォルテールは、ライプニッツ的な楽天主義を徹底して批判しながら冷笑する小説「カンディード」を発表する。そしておそらくこの感覚は、東日本大震災を体験したこの国に暮らす人の多くにとって、決して理解不能ではないはずだ。
■宗教的な動機を代入しなければ事件は読み解けない
 いずれにせよ信仰は、(僕らのレベルで)平和で公平で慈悲深いものと思わないほうがいい。その前提はイメージを規定する。しかも間違えている。それこそ共同幻想だ。歎異抄で親鸞が弟子の唯円に述べたように、信仰は決して生易しい存在ではない。しかも宗教的な内実が薄い日本人はこの幻想を抱きやすい。
 『A』に始まって『A3』に至り、いろいろ煩悶した時期もあったけれど、今僕はオウムが起こした一連の事件については、きわめて宗教的な動機が背景に働いていたと考えている。その要素を代入しなければ、事件の骨格は絶対に読み解けないと思っている。
 極悪で金儲けにしか興味がない俗物詐欺師的な教祖が、弟子たちを洗脳して行わせた史上稀な凶悪犯罪。確かにそう考えればわかりやすい。断罪も簡単だ。でもそれは事実ではない。それでは子ども向けのアニメだ。でもそんな扁平なストーリーが、戦後最大の事件の解釈になっている。多くの人にイメージとして刷り込まれている。
 もう一度書くけれど、裁くことは当然だ。罰を与えることも当たり前だ。宗教的な要素があろうがなかろうが、彼らは現世の法とルールを破ったのだから。
 でも彼らを摩擦なく処刑するならば、その行為はイスラム武装勢力のメンバーがすべて血に飢えた凶暴な男たちなのだと決めつける愚に匹敵する。一人ひとりは優しい。陽気だ。涙もろいかもしれない。なぜ彼らはテロに走るのか。なぜ彼らは人を殺すのか。なぜ彼らは銃を手にしなくてはならないのか。その理由を考えないのなら、連鎖は永久に続く。
 麻原処刑が近いとの情報は他からも聞いている。事態は切迫している。だから何度でも書く。精神が壊れた状態の麻原を処刑すべきではない。治療せねばならない(そもそも精神が壊れた死刑囚の処刑はできないはずなのだけど)。そのうえで実行犯となった信者たちを処刑する意味を考えねばならない。残虐な男など一人もいない。
 そして可能ならば裁判をやり直し、麻原に発言させ、事件の概要を振り返らねばならない。なぜあんな事件が起きたのか、その理由を獲得せねばならない。
 決して麻原や信者たちのためではない。オウムの後遺症でいまも現在進行形で変わり続けるこの社会のために、事件を知らない世代たちのために、もう一度考えるべきなのだ。

死刑情報公開に慎重=谷垣禎一法相に聞く/安倍内閣が固唾を呑む「谷垣法相で麻原死刑執行」の決断 2013-01-17 | 死刑/重刑/生命犯 問題 
 死刑情報公開に慎重=谷垣禎一法相に聞く−新閣僚インタビュー
時事通信2013/01/16-21:19
−国際結婚が破綻した場合の子の扱いを定めたハーグ条約加盟に対する考えは。
 (昨年11月の衆院解散で)廃案になった時の(加盟承認案と関連法)案がそのままでいいのかは少し検討する必要がある。ハーグ条約みたいなものは前向きに考えていかなければいけないのではないか。
−人権侵害の予防や救済に人権委員会のような組織は必要か。
 本来、人権保障の最後のとりではたぶん訴訟だ。裁判制度の前さばきとしてどういうものがいるのかは、広く考えればきりがないし、少しそこは論点を整理しないと(いけない)。
−裁判員制度をどう評価しているか。
 「裁判員を経験した。初めは嫌だったが、いい勉強になった」と(知人からの)年賀状に書いてあった。問題点もないわけではないが、プラスの評価を生かしていくということではないか。
−強制起訴は検察の起訴と比べて、無罪率が高いとの声がある。
 検察の感覚だけでなく、もう少し市民の感覚も入れようというのなら、もう少し見る必要がありはしないか。他にも起訴されたものがいくつかあるので、推移も見てみたい。
−死刑執行への姿勢は。
 死刑は裁判所の判決だけでは足りず、最後は法相が命令する。それだけ慎重を期せということだろう。いろんなことを考えながら、法の下でやるべきことはやっていかなければいけない。
 −民主党政権では死刑執行方法などについて検討してきたが。
 法務省として特別に検討する場所を設けるということは、差し当たっては考えていない。
−死刑に関する情報公開を進める考えは。
 死刑をしたということを発表しているのは、この数年だ。どんどん進めていけとなるかは、かなり慎重に考えなければいけない。
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安倍内閣がかたずを呑む「谷垣法相で麻原死刑執行」の決断
NEWSポストセブン2013.01.18 07:00
 いよいよ「Xデー」がやってくるのか。法曹界では、法務大臣に自民党前総裁・谷垣禎一氏をあてた安倍人事によって、麻原彰晃(57、松本智津夫)の死刑執行が近いと囁かれている。
 法務省関係者が語る。
「戦後最大の惨劇“オウム事件”の首謀者の死刑ともなれば、決定者にはそれなりの重みが求められる。弁護士出身で総裁経験者の谷垣さんなら、その決定者に相応しい」
 谷垣法相は昨年末の12月27日の閣僚会見で「国民感情、被害者感情などから見ても死刑制度を設けていることは相応の根拠があるものと思っている。その法の下で執務をしていきたい」と語り、死刑容認の考えを持つ。
 さらに「法相は谷垣さん自らが望んだポスト」と大手紙政治部記者は明かす。
「総裁への返り咲きを狙う谷垣さんは、安倍内閣でも要職を望んでいた。ただし、リベラル派の谷垣さんは安倍首相とは政治スタンスが違う。その点、今のところ安倍改革の中心からはそれている法相はうってつけのポジション。麻原死刑を断行すれば政治家として歴史的決断をしたひとりということにもなる」
 先進国の多くが死刑を廃止していることを踏まえ、民主党政権は死刑制度について国民的議論を進めようとした。執行ペースは減退し、昨年末時点で確定死刑囚は史上最多の133人。積極的な死刑執行は法務官僚の要請でもある。
 さらには安倍内閣のこんな事情もある。
「現在はご祝儀相場で経済も上向き傾向。7月の参院選を見据えて慎重な政権運営に終始しています。ただし、このまま安全運転を続けていても支持率が徐々に下がっていくのは明らか。そんな中で麻原死刑は“決断する内閣”との印象を国民に与えることにもなる」(前出の記者)
※週刊ポスト2013年1月25日号
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〈来栖の独白 2013/01/18 Fri. 〉
>麻原彰晃(57、松本智津夫)の死刑執行が近い
 あり得ないと考えるのが常識だろう。共犯全員の確定をみていない。

獄中の麻原彰晃に接見して/会ってすぐ詐病ではないと判りました/拘禁反応によって昏迷状態に陥っている 2011-11-30 | 死刑/重刑/生命犯 問題 
 加賀乙彦著『悪魔のささやき』集英社新書2006年8月17日第1刷発行
p145〜
 獄中の麻原彰晃に接見して
 2006年2月24日の午後1時、私は葛飾区小菅にある東京拘置所の接見室にいました。強化プラスチックの衝立をはさみ、私と向かい合う形で車椅子に座っていたのは、松本智津夫被告人、かつてオウム真理教の教祖として1万人を超える信者を率い、27人の死者と5千5百人以上の重軽傷者を出し、13の事件で罪を問われている男です。
p146〜
 04年2月に1審で死刑の判決がくだり、弁護側は即時、控訴。しかし、それから2年間、「被告と意思疎通ができず、趣意書が作成できない」と松本被告人の精神異常を理由に控訴趣意書を提出しなかったため、裁判はストップしたままでした。被告の控訴能力の有無を最大の争点と考える弁護団としては、趣意書を提出すれば訴訟能力があることを前提に手続きが進んでしまうと恐れたのです。それに対し東京高裁は、精神科医の西山詮に精神鑑定を依頼。その鑑定の結果を踏まえ、控訴を棄却して裁判を打ち切るか、審議を続行するかという判断を下す予定でした。2月20日、高裁に提出された精神状態鑑定書の見解は、被告は「偽痴呆性の無言状態」にあり、「訴訟能力は失っていない」というもの。24日に私が拘置所を訪れたのは、松本被告人の弁護団から、被告人に直接会ったうえで西山の鑑定結果について検証してほしいと依頼されたためです。
 逮捕されてから11年。目の前にいる男の姿は、麻原彰晃の名で知られていたころとはまるで違っていました。トレードマークだった蓬髪はスポーツ刈りになり、髭もすっかり剃ってあります。その顔は、表情が削ぎ落とされてしまったかのようで、目鼻がついているというだけの虚ろなものでした。灰色の作務衣のような囚衣のズボンがやけに膨らんでいるのは、おむつのせいでした。
「松本智津夫さん、今日はお医者さんを連れてきましたよ」
 私の左隣に座った弁護士が話しかけ、接見がはじまりましたが、相変わらず無表情。まったく反応がありません。視覚障害でほとんど見えないという右目は固く閉じられたままで、視力が残っている左目もときどき白目が見えるぐらいにしか開かない。口もとは力なくゆるみ、唇のあいだから下の前歯と歯茎が覗いています。
 重力に抵抗する力さえ失ったように見える顔とは対照的に、右手と左手はせわしなく動いていました。太腿、ふくらはぎ、胸、後頭部、腹、首・・・身体のあちこちを行ったり来たり、よく疲れないものだと呆れるぐらい接見のないだ中、ものすごい勢いでさすり続けているのです。
「あなたほどの宗教家が、後世に言葉を残さずにこのまま断罪されてしまうのは惜しいことだと思います」
「あなたは大きな教団の長になって、たくさんの弟子がいるのに、どうしてそういう子供っぽい態度をとっているんですか」
 何を話しかけても無反応なので、持ち上げてみたり、けなしてみたり、いろいろ試してみましたが、こちらの言うことが聞こえている様子すらありません。その一方で、ブツブツと何やらずっとつぶやいている。耳を澄ましてもはっきりとは聞こえませんでしたが、意味のある言葉でないのは確かです。表情が変わったのは、2度、ニタ〜という感じで笑ったときだけ。しかし、これも私が投げた言葉とは無関係で、面談の様子を筆記している看守に向かい、意味なく笑ってみせたものでした。
 接見を許された時間は、わずか30分。残り10分になったところで、私は相変わらず目をつぶっている松本被告人の顔の真ん前でいきなり、両手を思いっきり打ち鳴らしたのです。バーンという大きな音が8畳ほどのがらんとした接見室いっぱいに響き渡り、メモをとっていた看守と私の隣の弁護士がビクッと身体を震わせました。接見室の奥にあるドアの向こう側、廊下に立って警備をしていた看守までが、何事かと驚いてガラス窓から覗いたほどです。それでも松本被告人だけはビクリともせず、何事もなかったかのように平然としている。数分後にもう1度やってみましたが、やはり彼だけが無反応でした。これは間違いなく拘禁反応によって昏迷状態におちいっている。そう診断し、弁護団が高裁に提出する意見書には、さらに「現段階では訴訟能力なし。治療すべきである」と書き添えたのです。
 拘禁反応というのは、刑務所など強制的に自由を阻害された環境下で見られる反応で、ノイローゼの一種。プライバシーなどというものがいっさい認められず、狭い独房に閉じ込められている囚人たち、とくに死刑になるのではという不安を抱えた重罪犯は、そのストレスからしばしば心身に異常をきたします。
 たとえば、第1章で紹介したような爆発反応。ネズミを追いつめていくと、最後にキーッと飛びあがって暴れます。同じように、人間もどうにもならない状況に追い込まれると、原始反射といってエクスプロージョン(爆発)し、理性を麻痺させ動物的な状態に自分を変えてしまうことがあるのです。暴れまわって器物を壊したり、裸になって大便を顔や体に塗りつけ奇声をあげたり、ガラスの破片や爪で身体中をひっかいたり・・・。私が知っているなかで1番すさまじかったのは、自分の歯で自分の腕を剥いでいくものでした。血まみれになったその囚人は、その血を壁に塗りつけながら荒れ狂っていたのです。
 かと思うと、擬死反射といって死んだようになってしまう人もいます。蛙のなかには、触っているうちにまったく動かなくなるのがいるでしょう。突っつこうが何しようがビクともしないから、死んじゃったのかと思って放っておくと、またのそのそと動き出す。それと同じで、ぜんぜん動かなくなってしまうんです。たいていは短時間から数日で治りますが、まれに1年も2年も続くケースもありました。
 あるいはまた、仮性痴呆とも呼ばれるガンゼル症候群におちいって幼児のようになってしまい、こちらの質問にちょっとずれた答えを返し続ける者、ヒステリー性の麻痺発作を起こす者。そして松本被告人のように昏迷状態におちいる者もいます。
 昏迷というのは、昏睡の前段階にある状態。昏睡や擬死反射と違って起きて動きはするけれど、注射をしたとしても反応はありません。昏迷状態におちいったある死刑囚は、話すどころか食べることすらしませんでした。そこで鼻から胃にチューブを通して高カロリー剤を入れる鼻腔栄養を行ったところ、しばらくすると口からピューッと全部吐いてしまった。まるで噴水のように、吐いたものが天井に達するほどの勢いで、です。入れるたびに吐くので、しかたなく注射に切り替えましたが、注射だとどうしても栄養不足になる。結局、衰弱がひどくなったため、一時、執行停止処分とし、精神病院に入院させました。
 このように、昏迷状態におちいっても周囲に対して不愉快なことをしてしまう例が、しばしば見られます。ただ、それは無意識の行為であり、病気のふりをしている詐病ではありません。松本被告人も詐病ではない、と自信を持って断言します。たった30分の接見でわかるのかと疑う方もいらっしゃるでしょうが、かつて私は東京拘置所の医務部技官でした。拘置所に勤める精神科医の仕事の7割は、刑の執行停止や待遇のいい病舎入りを狙って病気のふりをする囚人の嘘や演技を見抜くことです。なかには、自分の大便を顔や身体に塗りたくって精神病を装う者もいますが、慣れてくれば本物かどうかきっちり見分けられる。詐病か拘禁反応か、それともより深刻な精神病なのかを、鑑別、診断するのが、私の専門だったのです。
 松本被告人に関しては、会ってすぐ詐病ではないとわかりました。拘禁反応におちいった囚人を、私はこれまで76人見てきましたが、そのうち4例が松本被告人とそっくりの症状を呈していた。サリン事件の前に彼が書いた文章や発言などから推理するに、松本被告人は、自分が空想したことが事実であると思いこんで区別がつかなくなる空想虚言タイプだと思います。最初は嘘で、口から出まかせを言うんだけれど、何度も同じことを話しているうちに、それを自分でも真実だと完全に信じてしまう。そういう偏りのある性格の人ほど拘禁反応を起こしやすいんです。
 まして松本被告人の場合、隔離された独房であるだけでなく、両隣の房にも誰も入っていない。また、私が勤めていたころと違って、改築された東京拘置所では窓から外を見ることができません。運動の時間に外に出られたとしても、空が見えないようになっている。そんな極度に密閉された空間に孤独のまま放置されているわけですから、拘禁反応が表れるのも当然ともいえます。接見中、松本被告人とはいっさいコミュニケーションをとれませんでしたが、それは彼が病気のふりをしていたからではありません。私と話したくなかったからでもない。人とコミュニケーションを取れるような状態にないからなのです。(〜p151)
 「死刑にして終わり」にしないことが、次なる悪魔を防ぐ
 しかるに、前出の西山医師による鑑定書を読むと、〈拘禁反応の状態にあるが、拘禁精神病の水準にはなく、偽痴呆性の無言状態にある〉と書かれている。偽痴呆性というのは、脳の変化をともなわない知的レベルの低下のこと。言語は理解しており、言葉によるコミュニケーションが可能な状態です。西山医師は松本被告に3回接見していますが、3回とも意味のあるコミュニケーションは取れませんでした。それなのにどうして、偽痴呆性と判断したのでしょうか。また、拘禁反応と拘禁精神病は違うものであるにもかかわらず、〈拘禁反応の状態にあるが、拘禁精神病の水準にはなく〉と、あたかも同じ病気で片や病状が軽く、片や重いと受けとれるような書き方をしてしまっている。
 鑑定書には、さらに驚くべき記述がありました。松本被告人は独房内でみずからズボン、おむつカバー、おむつを下げ、頻繁にマスターベーションをするようになっていたというのです。05年4月には接見室でも自慰を行い、弁護人の前で射精にまで至っている。その後も接見室で同様の行為を繰り返し、8月には面会に来た自分の娘たちの前でもマスターベーションにふけったそうです。松本被告人と言葉によるコミュニケーションがまったく取れなかったと書き、このような奇行の数々が列挙してあるというのに、なぜか西山医師は唐突に〈訴訟をする能力は失っていない〉と結論づけており、そういう結論に至った根拠はいっさい示していない。失礼ながら私には、早く松本被告人を断罪したいという結論を急いでいる裁判官や検事に迎合し、その意に沿って書かれた鑑定書としか思えませんでした。
 地下鉄サリン事件から11年もの歳月が流れているのですから、結論を急ぎたい気持ちはわかります。被害者や遺族、関係者をはじめ、速やかな裁判の終結と松本被告人の断罪を望んでいる人も多いでしょう。死刑になれば、被害者にとっての報復にはなるかもしれません。しかし、20世紀末の日本を揺るがせた一連の事件の首謀者が、なぜ多くの若者をマインド・コントロールに引き込んだのかは不明のままになるでしょう。
 オウム真理教の事件については、私も非常に興味があったため裁判記録にはすべて目を通し、できるだけ傍聴にも行きました。松本被告人は、おそらく1審の途中から拘禁ノイローゼになっていたと思われます。もっと早い時期に治療していれば、これほど症状が悪化することはなかったはずだし、治療したうえで裁判を再開していたなら10年もの月日が無駄に流れることもなかったでしょう。それが残念でなりません。
 拘禁反応自体は、そのときの症状は激烈であっても、環境を変えればわりとすぐ治る病気です。先ほど紹介した高カロリー剤を天井まで吐いていた囚人も、精神病院に移ると1カ月で好転しました。ムシャムシャ食べるようになったという報告を受けて間もなく、今度は元気になりすぎて病院から逃げてしまった。すぐに捕まって、拘置所に戻ってきましたが。
 松本被告人の場合も、劇的に回復する可能性が高いと思います。彼の場合は逃亡されたらそれこそたいへんですから、病院の治療は難しいでしょうが、拘置所内でほかの拘留者たちと交流させるだけでもいい。そうして外部の空気にあててやれば、半年、いやもっと早く治るかもしれません。実際、大阪拘置所で死刑囚を集団で食事させるなどしたところ、拘禁反応がかなり消えたという前例もあるのです。(〜p153)
=========================
【63年法務省矯正局長通達】
法務省矯正甲第96号
昭和38年3月15日
死刑確定者の接見及び信書の発受について
 接見及び信書に関する監獄法第9章の規定は、在監者一般につき接見及び信書の発受の許されることを認めているが、これは在監者の接見及び信書の発受を無制限に許すことを認めた趣旨ではなく、条理上各種の在監者につきそれぞれその拘禁の目的に応じてその制限の行われるべきことを基本的な趣旨としているものと解すべきである。
 ところで、死刑確定者には監獄法上被告人に関する特別の規定が存する場合、その準用があるものとされているものの接見又は信書の発受については、同法上被告人に関する特別の規定は存在せず、かつ、この点に関する限り、刑事訴訟法上、当事者たる地位を有する被告人とは全くその性格を異にするものというべきであるから、その制限は専らこれを監獄に拘置する目的に照らして行われるべきものと考えられる。
 いうまでもなく、死刑確定者は死刑判決の確定力の効果として、その執行を確保するために拘置され、一般社会とは厳に隔離されるべきものであり、拘置所等における身柄の確保及び社会不安の防止等の見地からする交通の制約は、その当然に受忍すべき義務であるとしなければならない。更に拘置中、死刑確定者が罪を自覚し、精神の安静裡に死刑の執行を受けることとなるよう配慮さるべきことは刑政上当然の要請であるから、その処遇に当たり、心情の安定を害するおそれのある交通も、また、制約されなければならないところである。
 よって、死刑確定者の接見及び信書の発受につきその許否を判断するに当たって、左記に該当する場合は、概ね許可を与えないことが相当と思料されるので、右趣旨に則り自今その取扱いに遺憾なきを期せられたい。
    記
一、本人の身柄の確保を阻害し又は社会一般に不安の念を抱かせるおそれのある場合
二、本人の心情の安定を害するおそれのある場合
三、その他施設の管理運営上支障を生ずる場合
=========================
「オウム松本智津夫死刑囚は完全に拘禁反応 治療に専念させ、事件解明を」加賀乙彦氏 医師として自信2011-11-27 | 死刑/重刑/生命犯 問題
 オウム公判終結:あの時…/6止 教祖自白なく真相闇に
 ◇精神科医として松本死刑囚に接見、加賀乙彦さん
 真相が何も分からないまま、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚には「死刑」という結果だけが出た。もっと時間をかけて彼から言質を引き出し、なぜ教養や技術のある精鋭たちが彼の手の内に入って、残酷な殺人事件に引き込まれたのか明らかにする必要があった。それが裁判所の使命なのだが、放棄してしまった。私はこの裁判が終結したとは思っていない。法律的には死刑が確定したが、松本死刑囚の裁判は中途半端に終わってしまい、裁判をしなかったのと同じだ。
 06年、弁護団の依頼で松本死刑囚に東京拘置所で接見した。許された時間は30分だけ。短時間では何も分からないと思うかもしれないが、私には自信があった。医師として、過去に何人もの死刑囚を拘置所で見ているが、松本死刑囚は完全に拘禁反応に陥っていた。何の反応も示さず、一言も発しない。一目で(意識が混濁した)混迷状態だと分かった。裁判を続けることはできないので、停止して治療に専念させるべきだと主張したが、裁判所は「正常」と判断した。
 拘禁反応は環境を変え時間をかけて治療すれば治る病気だ。かつて東京拘置所で彼と同じ症例を4例見たが、投薬などで治すことができた。治療すれば、首謀者である彼の発言を得られた可能性があっただけに残念だ。
 結局、松本死刑囚から何一つ事件についてきちんとした証言が得られないまま裁判は終結した。このまま死刑が執行されれば、真相は永久に闇に葬られてしまう。オウム事件の裁判ほど悲惨な裁判はないと思う。世界的にもまれな大事件を明らかにできないままでは、全世界に司法の弱点を示すことになる。
 なぜ松本死刑囚に多くの若者が引きつけられ、殺人行為までしてしまったのか。信者の手記など、文献をいくら読んでも私には分からない。教祖の自白がなければ、なぜ残酷なことをしたのか解明もされず、遺族も納得できないはずだ。
 「大勢を殺した人間は早く死刑にすべきだ」という国民的な空気にのって、裁判所もひたすら大急ぎで死刑に走ったように感じる。だが、真相が闇の中では「同じような事件を起こさせない」という一番大切な未来への対策が不可能になってしまう。再びオウム真理教のような集団が生まれ、次のサリン事件が起こる可能性も否定できない。形式的には裁判は終わったが、彼らを死に追いやるだけで、肝心な松本死刑囚が発言しないでいる今、あの事件は解決したと思えない。【聞き手・長野宏美】=おわり
 ◇かが・おとひこ
 精神科医として東京拘置所に勤務し、大勢の死刑囚の診察に携わる。上智大教授などを務め、79年から創作活動に専念。医師の経験を基にした作品も多く、死刑囚が刑を執行されるまでを描いた小説「宣告」や、死刑囚との往復書簡集「ある死刑囚との対話」など著書多数。06年に弁護団の依頼で松本智津夫死刑囚に接見し「正常な意識で裁判を遂行できない」と、公判停止と治療を訴えた。82歳。
毎日新聞 2011年11月27日 東京朝刊
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