奥西死刑囚は“村社会”を守るための生贄にされた!? 名張毒ぶどう酒事件の闇に迫る再現ドラマ『約束』
日刊サイゾー2013.02.15 金 深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.210
東海テレビ報道部の齊藤潤一ディレクターが撮ったドラマ『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』は、3つの村社会に向かってそれぞれ一石を投じている。ひとつはスケープゴートを出すことによって小さなコミュニティーの平穏を守ろうとする実在の村社会に。もうひとつは裁判所の威厳を保つために再審を認めようとしない頑強な縦社会である司法界へ。そしてもうひとつは、わかりやすいもの、面白いもの、当たり障りのないものしか取り上げようとしないテレビ業界に向かって。平和を装う、それら3つの村社会に対して、『約束』は疑問を投げ掛ける。東海エリアで2012年6月30日に放送された『約束』は大きな反響を呼び、2月16日(土)より劇場公開されることになった。波紋がどれだけ広がるか注目される。
『約束』は、サブタイトルにあるように“名張毒ぶどう酒事件”の真相に迫ったものだ。この事件は昭和36年、1961年に三重県名張市の小さな集落・葛尾の公民館で5人の女性が薬物死したもの。亡くなった5人の中に妻と愛人がいた奥西勝を警察は重要参考人として連行し、自宅に2人の幼い子どもを残していた奥西が「ぶどう酒に農薬を混入した」と自白したことから逮捕された。その後奥西は無罪を主張し、第一審では自白に信憑性がなく、物的証拠も乏しいと無罪を言い渡されている。ところが、名古屋高裁は一転して死刑を宣告。1972年の最高裁で死刑が確定。奥西が自白した直後に村の人たちの証言が二転三転するなどの不可解さが多いことから、冤罪の可能性が高い事件として知られている。
齊藤ディレクターは東海テレビ報道部に籍を置き、これまでに戸塚ヨットスクールの現状を追った『平成ジレンマ』(11)、光市母子殺害事件でバッシングを浴びた安田好弘弁護士に密着した『死刑弁護人』(12)などの問題作が劇場公開されたドキュメンタリストだ。地元エリアである三重県で起きた名張毒ぶどう酒事件を題材に『重い扉 名張毒ぶどう酒事件の45年』(06年放送)、『黒と白 自白・名張毒ぶどう酒事件の闇』(08年放送)、『毒とひまわり 名張毒ぶどう酒事件の半世紀』(10年放送)と3本のドキュメンタリー番組を作ってきた。奥西死刑囚に仲代達矢、その母・タツノに樹木希林、と日本映画界の名優2人をキャスティングした『約束』は、齊藤ディレクターにとって初めてのドラマとなる。
齊藤「僕が初めて撮ったドキュメタリーが『重い扉』で、名張毒ぶどう酒事件について合わせて3本のドキュメンタリーを作りました。でも奥西死刑囚にはまだ取材できずにいます。死刑確定囚に会えるのは家族か弁護人、一部の支援者だけに限られているんです。これまでは面会した関係者をインタビューしたり、直筆の手紙をナレーターが読み上げることで、いつ処刑されるか分からない日々を過ごす死刑囚の心情を伝えようと試みてきました。でも、3本のドキュメンタリーを作り、もう手はないなぁと。ある種、ドキュメンタリーとしての限界にぶつかってしまったんです。そこで、まったく経験はなかったけれど、奥西死刑囚を主人公にしたドラマを撮ろうと思い付いたんです」
仲代達矢は『毒とひまわり』のナレーターを務めており、冤罪の可能性の高い奥西死刑囚に強い関心を持っていた。舞台公演のスケジュールを調整して、難役のオファーを快諾した。樹木希林は当初、ローカル局が作る“再現ドラマ”への出演を拒んだ。しかし、齊藤ディレクターが事件に関わる資料を送るとちゃんと目を通し、「一度、村を見てみたい」と申し出てきた。名古屋からローカル線に乗って片道約3時間かかる三重県と奈良県の県境にある集落まで、齊藤ディレクターと2人で足を運んだ。さらに奥西死刑囚の妹にも会っている。再現ドラマへの出演に気乗りではなかったはずの樹木の周到な役づくりが始まっていた。2人の名優に対し、齊藤ディレクターから演出することはなかった。ただ、これまでに取材してきた情報をもとに、奥西死刑囚がどのような状況で独房で過ごしているのか、ひたすら息子の無罪を信じ、釈放を願ってきた母・タツノがどのような手紙を残してきたのかをそれぞれ仲代と樹木に説明したそうだ。シーンごとの状況を理解し、後は半世紀にわたり独房に閉じ込められている死刑囚と「人殺しの母親」と罵られながらも息子の帰宅を待ち続けた老女の内面を名優たちは演じてみせた。
《村を追われた後、アパートで息子の帰宅を待ち続けた母・タツノ(樹木希林)。獄中の息子に宛てた手紙は969通に及んだ。》
ドラマパートを際立たせているのが、ドキュメンタリーパートだ。齊藤ディレクターが手掛けた過去の作品も含め、東海テレビがこれまで取材してきたニュース素材、ドキュメンタリー素材を要所要所に盛り込み、この事件の闇の部分に斬り込んでいく。事件について証言した村の関係者たちの顔と声はモザイク処理やボイスチェンジャーで加工されることなく映し出されていく。奥西死刑囚が冤罪ならば、村の人たちは偽りの証言をしていることになる。村の人たちは口裏を合わせて、自白した奥西をそのまま犯人にしなくてはならなかった。奥西が犯人でなければ、村の中に別の真犯人がいることになり、小さな集落の“平和”が維持できなくなるからだ。真実を語っているのは誰か? どこまでが真実で、どこからが偽りなのか? 真実から目を背けて、口を閉ざしているのは誰か? カメラは噓も真実も両方を映し出していく。観る側は目を見開いて、見極めなくてはならない。仲代や樹木らプロの俳優だけでなく、彼らもまた村の平和を守るためにカメラの前で必死で演じているのだ。
ドキュメンタリーパートで白眉と言えるのが、秋山賢三元裁判官のコメント。裁判所はトイレへ行くにも食事を摂るのもエレベーターに乗るのも、すべて厳格に順列が決まっている。そういった習慣が身に付くと、先輩である裁判官が出した判決を覆すようなことはできなくなると。司法の世界では、再審に興味を示す裁判官はエリートコースから外れるのだと。秋山元裁判官は「徳島ラジオ商殺人事件」の再審を認めたことで、出世コースから外れることになった。ラジオ商殺人事件で冤罪に問われた冨士茂子さんは再審の結果無罪を勝ち得たが、それは冨士さんが亡くなってからの名誉回復だった。秋山元裁判官は涙を浮かべながら、自分が25年間を過ごした裁判所の内情を振り返る。
齊藤「秋山さんのコメントは、僕の初めてのドキュメンタリー『重い扉』を撮ったときのものです。カメラの前で自分が属していた体制側に対して異議を唱える発言をすることはかなり勇気がいったはず。カメラを回しながら、僕も体が震えました。コツコツと地道に取材を続けていると、たまにドキュメンタリーの神さまが微笑んでくれるときがあるんです」
何度も再審請求した奥西死刑囚は、2005年にようやく再審が認められた。だが、再審を認めた名古屋高裁の小出?一裁判長は1年後に退官。2006年には門野博裁判長によって再審は取り消される。「死刑が予測される重大事件で、噓の自白をするとは考えられない」と自白を重視した門野裁判長は翌年、東京高裁への栄転を果たす。高学歴の人たちが集う裁判所もまた、恐ろしく前近代的な封建社会であることが分かる。裁判所とは真実を明らかにする場所ではなく、あくまでも体制を維持するための頑迷極まりないシステムなのだ。
齊藤「再審を取り消した裁判官たちの顔と名前を出すことに関しては、プロデューサーと何度も話し合いました。批判を受けることは覚悟の上ですが、やはり裁判官は人の運命を左右する責任ある立場にあるんじゃないでしょうか。『テレビのドキュメンタリー番組は中立公正であれ』とよく言われますが、中立公正を守っていると冤罪事件を追うことはできない。名張の事件は東海テレビが開局して間もない頃に起きたこともあり、報道部の先輩記者やカメラマンたちが『奥西死刑囚は冤罪である』という確信のもと、代々バトンを受け継いで取材してきたもの。『約束』はその総決算でもあるんです。ドラマにしたことで幅広い世代からの反響が届きましたが、ドラマといってもすべて分かりやすく描いた内容にはしていません。あまり丁寧に説明しすぎると、観る人たちを受け身にして、考える力を奪ってしまうからです」
何気ないシーンだが、拘置所の高い壁の前を小学生たちの集団が歩いていく様子が何度か挿入されている。壁の外側にいる子どもたちは齊藤ディレクターが東海テレビに入局する以前の姿であり、また私たち自身の姿でもあるのだろう。子どもたちは知らない。壁の中に無実の罪を背負わされ、今日にも処刑されるかも知れないという恐怖と闘い続けている男がいることを。自分の無実を証明するために懸命に生命の炎を保ち続ける奥西死刑囚は現在87歳となる。
仲代達矢、樹木希林らの入魂の演技に胸が熱くなるドラマだが、それだけではこのドラマは終われない。奥西死刑囚の無実が証明されたとき、初めてこのドラマは完結する。固く閉ざされた村社会の扉を、このドラマは激しくノックする。 (文=長野辰次)
『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』
監督・脚本/齊藤潤一 製作/広中幹男、喜多功 音楽/本多俊之 音楽プロデューサー/岡田こずえ 撮影/坂井洋紀 照明/角川雅彦 録音/遠藤淳 美術/高宮祐一 記録/須田麻記子 題字/山本史鳳 音響効果/久保田吉根 編集/奥田繁 助監督/丹羽真哉 監修/門脇康郎 プロデューサー/阿武野勝彦
ナレーション/寺島しのぶ 出演/仲代達矢、樹木希林、天野鎮雄、山本太郎 製作・配給/東海テレビ 配給協力/東風 2月16日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開 (c)東海テレビ放送
<http://yakusoku-nabari.jp>
※東海テレビ取材班による原作本『名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の半世紀』(岩波書店)が2月15日(金)より発売
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◆ 名張毒ぶどう酒事件/「司法官僚」裁判官の内面までゆがめ、その存在理由をあやうくしているシステム 2012-07-01 | 死刑/重刑/生命犯 問題
〈来栖の独白 2012/7/1 Sun. 〉
HP『勝田清孝と来栖宥子の世界』や弊ブログで、何度か当該事件裁判を取り上げた。昨日の東海テレビの作品 【約束〜名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯〜】(東海テレビ6月30日(土)14:00〜)も、視聴した。ドキュメンタリーとドラマとによる構成で、東海テレビさんの力の入れようが伝わってきた。
心に残った部分から、少しだけ書き留めておく。
25年間裁判官を務め、50歳の時辞めた秋山賢三さんの話。「(裁判所は)冤罪闘争している人間の再審は、開始しないですね」「(裁判所内の)エレベーターに乗るにも裁判長から、という具合で(序列がある)」
秋山裁判官は、徳島ラジオ商事件(1953年 懲役13年)で富士茂子さん(死後)に再審の扉を開いた人。その後は民事の裁判ばかり。「新潟地裁高田支部へ。豪雪地帯で」。秋山さんはメガネの向こうで目を潤ませて途切れがちに言う、「(裁判に)裏切られた人が、裁判所を最後まで信じようとする。それしかないからですよ」と。
名古屋高裁(刑事1部)小出?一裁判長によって、一旦は再審決定された名張毒ぶどう酒裁判。
その決定を取り消し再審請求棄却したのは、門野博裁判長(名古屋高裁刑事2部)。小出裁判長の認めた新証拠をすべて否定。「死刑が予想される事件で自ら嘘の自白をするとは考えられない」と、自白重視の判断。翌年、東京高裁へ、栄転となった。片や、再審決定した小出裁判長は、辞めている。
これらの風景から見えてくるのは、裁判所の縦の構図だろう。頂点に最高裁があり、その下に高裁があり、地裁があって、旭川地裁稚内支部から那覇地裁石垣支部まである。秋山賢三さんが飛ばされた高田支部の豪雪の様子をカメラは映しだした。
「(裁判に)裏切られた人が、裁判所を最後まで信じようとする」が、再審の扉を開くことは、裁判官にとって出世を諦めることだ。名張毒ぶどう酒事件裁判のように、何次にも亘って再審請求を繰り返しているなら、その請求を受け入れるということは、前任裁判官たち(の決定)を全否定すること。裁判所を否定することだ。そんな者が、上級の裁判所に居させてもらえるわけはない。官僚社会である。
かくて、奥西勝さんには、再審の扉は開かれないだろう。歳月が重なり、多くの司法関係者の判断、関与を経れば経るほど、再審の道は細く狭く遠くなるだろう。
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◆【約束〜名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯〜】東海テレビ6月30日(土)14:00〜 2012-06-30 | 死刑/重刑/生命犯 問題
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◆『司法官僚』新藤宗幸著--裁判とは社会で周縁においやられた人々の、尊厳回復の最後の機会である2009-09-28 | 読書
『司法官僚』〔裁判所の権力者たち〕新藤宗幸著(岩波新書・819円)
---評者・梓澤和幸=弁護士(中日新聞読書欄2009/9/13Sun.)---
秩序維持へ判決に影響力
最高裁の建物の中には裁判を担当せずに司法行政に専念する裁判官が23名、その予備軍である事務総局付判事補が20余名いる。現場の裁判官も、どこか上(人事)を気にしながら仕事をしている。その空気をつくっている司法官僚の真実に迫った。実証的でしかも知的好奇心を誘う文体である。
最高裁長官、事務総長、人事局長などの人々は(法律の建前とは別に)結局申し送りという官僚システムで選ばれていく。現場と事務総局を往来するこのコースに乗るか否かは、司法試験合格後1年半の司法修習の間に決まる。頭がよく、素直で、上司に従順な人が選ばれる傾向だという。
司法官僚は全国の判決や訴訟指揮の情報を集める。それをもとに行使される人事権は全国3500名の裁判官たちに絶大な影響力をもつ。10年ごとの再任の有無、昇級、転勤を司法官僚が決める。事務総局が召集する「合同」と呼ばれる研究会も下級審の裁判内容を遠隔操作する結果を生む。労働事件や水害事件の事例が指摘される。次の指摘は本書の白眉である。「司法官僚として訓練された調査官が、最高裁判決に大きな影響力をもつとされ、しかも最高裁判事のうちの職業裁判官も司法官僚トップ経験者であるとき、(最高裁の)判決が秩序維持に力点をおくものとなるのも当然といえよう」
裁判とは社会で周縁においやられた人々の、尊厳回復の最後の機会である。必死の訴えをする人々に遭遇したとき、裁判官は全人格的判断をもって救済に当たるべきだ。しかし、人々の目にふれぬところで、裁判官の内面までゆがめ、その存在理由をあやうくしているシステムがあるのだとすれば大問題である。
政権交代とは闇を打破る時代のことであろう。本書の提言にかかる裁判所情報公開法などによって司法の実態にも光が当てられ、真の改革が着手されるべきだ。
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関連:「広島女児殺害事件」司法官僚によって行使される人事権は全国の裁判官たちに絶大な影響力をもつ2010-08-07 | 死刑/重刑/生命犯 問題
〈来栖の独白 2010/08/07〉
憲法76条3項は「すべて裁判官は,その良心に従ひ独立してその職権を行ひ,この憲法及び法律にのみ拘束される。」と裁判官の職権行使の独立を認めている。が、ここ(当該事件裁判)で私が見たものは、司法制度改革へ舵を切った最高裁に逆らうものは出世の道から外される、という「官僚司法」のありようであった。司法制度改革とは、核心司法、拙速裁判である。最高裁は「当事者が立証しようとしていない点まで立証を促す義務はない」とし、本件の精密な審理を望んで地裁へ差し戻した楢崎康英高裁裁判長を家裁へ転任させている。(↓)
.... ... ...
・光市母子殺害事件(差戻し)・広島女児殺害事件控訴審裁判長だった楢崎康英氏が山口家裁所長・・・
〈来栖のつぶやき〉2009/10/14
家裁とは・・・。しかも、広島家裁ではなく、(広島管区)山口とは。何があったのだろう。60歳ということだが、定年は65歳だ。光市事件差し戻し控訴審・広島女児殺害事件控訴審判決では、メディア・世論に評価されたと私は受け止めていたが。
追記 2009/10/16Fri.
本日、広島女児殺害事件上告審判断があった。高裁へ差し戻しということである。
楢崎さんには、相手が悪かった。裁判員参加という不合理な制度を推進する大本山に立てついたような格好になった。楢崎さんは精密司法(1審へ差戻し)に「死刑」を展望していたのかもしれないが、最高裁の拙速志向(核心司法)とは相容れなかった、ということか。核心司法によって本件のように、今後いのちを得ること(死刑回避)になるのならいいけれど。
昨年だったか、東海テレビ「裁判長のお弁当」に登場した元裁判官下澤悦夫さん。若い頃、「青年法律家協会」に所属し、退会・退官勧告に従わなかったので、地方の家裁・簡裁を転々とさせられ、生涯一裁判官で終わった。「そりゃぁ、上に行きたいって気持はありましたよ。だけど・・・」と語っていた。ご自分の信念を曲げてまで・・、ということだろう。清廉な人格でいらっしゃると感服した。
楢崎さんの場合、高裁刑事部で裁判長まで務めた人である。所長ポストであれ、家裁への異動はどうなのか・・・。存分に腕が振るえるとは思えない。簡裁であっても、同様である。
「裁判官の独立」につき憲法は“良心に従い独立してその職権を行い、日本国憲法及び法律にのみ拘束される”と、謳っている。(後段 略)
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◆名張毒ぶどう酒事件の人々
◆名張毒ぶどう酒事件 第7次再審請求差し戻し審 名古屋高裁刑事二部 決定要旨
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◆ 「死刑弁護人」安田好弘弁護士の人間像に迫る/東海テレビ 2011/10/10/ 00:45〜 2011-10-08 | 死刑/重刑/生命犯 問題
東海テレビ「死刑弁護人」安田好弘弁護士 人間像に迫る
山口県光市母子殺害事件の差し戻し控訴審で主任弁護人を務めた安田好弘弁護士の人間増に迫るドキュメンタリー「死刑弁護人」を東海テレビが制作した。10日午前零時45分から東海エリアで放送する。引き受け手の少ない死刑求刑事件の被告の弁護を数多く担当する姿を通じ、裁判員制度導入後の司法の在り方を問う。(服部聡子)
*職責全う 格闘描く
コンビで秀作ドキュメンタリーを生んできた阿武野勝彦プロデューサーと斉藤潤一ディレクターが放つ司法シリーズの8作目。2008年に放送した3作目の「光と影〜光市母子殺害事件 弁護団の300日」の取材を通じ、安田好弘弁護士と出会ったのが制作のきっかけだ。
「弁護士の職責を全うしようとする生き方をきっちり描きたいと思った」と斉藤ディレクター。マスコミ嫌いの安田弁護士を説得し、昨年8月から9か月間、カメラを回した。
*「死刑は解決にならぬ」
安田弁護士は63歳。従来の供述を覆して殺意を否定する主張を展開し「鬼畜」とバッシングを受けた光市の事件以外にも、和歌山毒カレー事件の林真須美死刑囚やオウム真理教事件の麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚らの重大な死刑求刑事件を数多く担当してきた。
番組では「死刑は何の解決にもならない。事実を出すことで本当の反省と贖罪が生まれる」と、現場を徹底的に歩き、資料の山と格闘する多忙な日常や、死刑廃止運動の取り組みを追う。その一方で、生死に直結する死刑事件を背負う重みや、被告が生きた社会的背景も浮き彫りにする。
無期懲役の判決を受けながら服役中に自らの命を絶った新宿西口バス放火事件(1980年)の丸山博文受刑囚に対し「ちゃんと弁護してなかった」と悔やむ表情が印象的だ。「死刑の絡む事件の弁護は、最後まで背負うこと」との言葉が重い。
過去の事件の関連映像を盛り込み、放送時間は1時間45分とシリーズ最長。ナレーターは、反原発活動で注目を集める俳優の山本太郎が担当した。斉藤ディレクターは「少数派の意見をしっかり伝えることが裁判をいろんな見方で考えることにつながる」と語る。
◇ ◇
放送は当初、9月上旬の予定だったが、東海テレビの「ぴーかんテレビ」の不適切なテロップ表示問題を受けて延期に。さらに同コンビが手掛けた番組「記録人 澤井余志郎〜四日市公害の半世紀〜」は日本民間放送連盟賞最優秀賞辞退に追い込まれた。阿武野プロデューサーは複雑な心中を明かしながら「信頼を回復していくのは大変だが、番組以外にお返しできるものはない。礎となるような番組をこつこつ作っていくしかない」と語った。
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◆安田好弘著『死刑弁護人 生きるという権利 』 ・ 『光市事件 裁判を考える』2008-05-13 | 読書
〈来栖の独白2008/05/13〉
昨日セブンイレブンで、『死刑弁護人 生きるという権利 』 ・ 『光市事件 裁判を考える』の2冊を受け取る。
『光市事件 裁判を考える』(現代人文社編集部)は、『光市裁判』『あなたも死刑判決を書かされる』(共にインパクト出版会)を読んだ者には、つまらない。佐木隆三氏の頁は、分けても不快である。
『死刑弁護人 生きるという権利 』の安田さんの記述は、幾つかの箇所で強く共感を覚えるものだ。
昨年だったか、愛知県で元妻を人質に男が立て籠もり、警官に発砲して死亡させた事件があった。投降する犯人の姿に、私は、〈ああ、この瞬間から、この人は、一人になることは出来なくなるのだな。常に監視のなかに置かれることになる〉と感じた。この事件ではないが、『死刑弁護人 生きるという権利 』 のなかに、安田さんの以下のような記述があって、奇妙に切ない。
“大きな事件の容疑者として、連行されていく人の姿をみるたび、
「ああ、この人はもう一生娑婆にはでてこられないだろうな・・・」
と慨嘆する。”
安田さんは、次のようにも、言う。
“いろいろな事件の裁判にかかわって、はっきりと感じることがある。
なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や被害者になるのは、たいていが「弱い人」たちなのである。
他方「強い人」たちは、その可能性が圧倒的に低くなる。
私のいう「強い人」とは、能力が高く、信頼できる友人がおり、相談相手がいて、決定的な局面に至る前に問題を解決していくことができる人たちである。
そして「弱い人」とは、その反対の人、である。
私は、これまでの弁護士経験の中でそうした「弱い人」たちをたくさんみてきたし、そうした人たちの弁護を請けてきた。”
安田好弘著『死刑弁護人 生きるという権利』講談社α文庫
p3〜
まえがき
いろいろな事件の裁判にかかわって、はっきりと感じることがある。
なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や被害者になるのは、たいていが「弱い人」たちなのである。
他方「強い人」たちは、その可能性が圧倒的に低くなる。
私のいう「強い人」とは、能力が高く、信頼できる友人がおり、相談相手がいて、決定的な局面に至る前に問題を解決していくことができる人たちである。
そして「弱い人」とは、その反対の人、である。
私は、これまでの弁護士経験の中でそうした「弱い人」たちをたくさんみてきたし、そうした人たちの弁護を請けてきた。
それは、私が無条件に「弱い人」たちに共感を覚えるからだ。「同情」ではなく「思い入れ」と表現するほうがより正確かもしれない。要するに、肩入れせずにはいられないのだ。
どうしてそうなのか。自分でも正確なところはわからない。
大きな事件の容疑者として、連行されていく人の姿をみるたび、
「ああ、この人はもう一生娑婆にはでてこられないだろうな・・・」
と慨嘆する。その瞬間に、私の中で連行されていく人に対する強い共感が発生するのである。オウム真理教の、麻原彰晃さんのときもそうだった。
それまで私にとって麻原さんは、風貌にせよ、行動にせよ、すべてが嫌悪の対象でしかなかった。宗教家としての言動も怪しげにみえた。胡散臭いし、なにより不遜きわまりない。私自身とは、正反対の世界に住んでいる人だ、と感じていた。
それが、逮捕・連行の瞬間から変わった。その後、麻原さんの主任弁護人となり、彼と対話を繰り返すうち、麻原さんに対する認識はどんどん変わっていった。その内容は本書をお読みいただきたいし、私が今、あえて「麻原さん」と敬称をつける理由もそこにある。
麻原さんもやはり「弱い人」の一人であって、好むと好まざるとにかかわらず、犯罪の渦の中に巻き込まれていった。今の麻原さんは「意思」を失った状態だが(これも詳しくは本書をお読みいただきたい)、私には、それが残念でならない。麻原さんをそこまで追い込んでしまった責任の一端が私にある。
事件は貧困と裕福、安定と不安定、山の手と下町といった、環境の境目で起きることが多い。「強い人」はそうした境目に立ち入らなくてもじゅうぶん生活していくことができるし、そこからしっかり距離をとって生きていくことができるが、「弱い人」は事情がまったく異なる。個人的な不幸だけでなく、さまざまな社会的不幸が重なり合って、犯罪を起こし、あるいは、犯罪に巻き込まれていく。
ひとりの「極悪人」を指定してその人にすべての罪を着せてしまうだけでは、同じような犯罪が繰り返されるばかりだと思う。犯罪は、それを生み出す社会的・個人的背景に目を凝らさなければ、本当のところはみえてこない。その意味で、一個人を罰する刑罰、とりわけ死刑は、事件を抑止するより、むしろ拡大させていくと思う。
私はそうした理由などから、死刑という刑罰に反対し、死刑を求刑された被告人の弁護を手がけてきた。死刑事件の弁護人になりたがる弁護士など、そう多くはない。だからこそ、私がという思いもある。
麻原さんの弁護を経験してから、私自身が謂われなき罪に問われ、逮捕・起訴された。そういう意味では私自身が「弱い」側の人間である。しかし幸い多数の方々の協力もあり、1審では無罪を勝ち取ることができた。裁判所は検察の作り上げた「作文」を採用するのでなく、事実をきちんと読み込み、丁寧な判決文を書いてくれた。
多くの人が冤罪で苦しんでいる。その意味で、私は僥倖であった。
この国の司法がどこへ向かっているのか、私は今後も、それを監視しつづけていきたいと思っている。「弱い人」たちに、肩入れしつづけていきたいと思っている。(〜p5)
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◆ 『死刑弁護人』/“平和を実現する人々は幸いである。義のために迫害される人々は幸いである”マタイ5章2011-10-12 | 死刑/重刑/生命犯 問題
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◆ 毒カレー、オウム真理教、光市母子殺害……“悪魔の弁護人”と呼ばれる男の素顔『死刑弁護人』 2012-06-29 | 死刑/重刑/生命犯 問題
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