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【アベノパフォーマンス】 田中良紹

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アベノパフォーマンス
2013年3月6日 The JOURNAL
  日米首脳会談の後で安倍総理が「オバマ大統領とはケミストリーが合う」と発言したのを聞いてのけぞりそうになった。安倍総理とオバマ大統領はキャリアも思想も正反対なのに「ケミストリー(相性)が合う」とは無理があり過ぎではないか。
  首脳会談前に御用評論家や御用学者がしきりに「首脳同士の個人的関係が日米同盟には重要だ」とメディアで発言していたから、今回の首脳会談にはそれを印象付けるシナリオがあり、それに沿って安倍総理もパフォーマンスをしたのだろう。しかしこんなレベルのパフォーマンスをしなければならないところに日米関係の歪みがある。
  オバマ大統領はアフリカ人留学生とアメリカ人女性の間に生まれたが、両親が離婚したため母親に育てられ母親の影響を強く受けた。その母親はアメリカ人には珍しく無神論者で、マルクスの「資本論」を読むような女性だった。オバマ大統領がキリスト教に入信したのはシカゴの貧民屈で救済事業をやるようになってからである。アメリカの保守勢力が拠り所とするキリスト教の伝統的価値観とは遠い環境で育った。
  それが2期目の就任演説や一般教書演説によく表れている。オバマ大統領はアメリカの保守が守り通そうとする伝統的価値観を作り替える意欲を示した。外交では単独行動主義と戦争路線を否定し、内政ではマネーゲームに浮かれる経済から製造業に重心を移し、格差をなくして中間層を創出し、さらに保守派が嫌う社会福祉の重要性や銃規制を説いた。
  一方の安倍総理は恵まれた政治家一家に生まれ、貧民屈での救済事業などとは無縁の人生を送り、日本の伝統的価値観を守る真正保守のリーダーとして期待されている。アメリカの保守が「社会主義者」と非難するオバマ大統領とどの部分でケミストリーが合うのか私には理解出来ない。
  首脳同士の個人的関係として、レーガン大統領と中曽根総理、ブッシュ大統領と小泉総理が有名だが、当時の日米関係を良かったと考える外交関係者が、今回もそれに倣って「オバマー安倍」という水と油を無理にくっつけようとしたのだろう。しかしその見え透いたやり口では相手から足元を見られ、良いように操られる可能性がある。
  大体、「レーガンー中曽根」時代や「ブッシュー小泉」時代の日米関係が、首脳同士の個人的関係によってどれほどの国益を得る事ができたのかを考えなければ、首脳の「ケミストリーが合った」からと言って喜ぶ訳にはかない。無論、一般的に首脳同士は仲が悪いよりは良い方が外交はやりやすい。しかしだからと言って国益を守る話はそれとは別次元である。そんな柔構造で世界が動いている筈はない。
  「ロン、ヤス」とファーストネームで呼び合う関係を作ったのは中曽根総理だが、中曽根氏はパフォーマンスを重視した最初の総理であった。劇団四季の浅利慶太氏をプロデューサーに、水泳や座禅をメディアに撮影させて支持率の上昇を図り、レーガン大統領を山荘に招いてほら貝をふくパフォーマンスも見せた。相手が俳優上がりで実務よりパフォーマンスを得意とする大統領だった事も幸いしたと思う。
  しかし当時の日米関係は最悪である。貿易摩擦によってアメリカには「反日の火の手」が燃え盛り、戦争一歩手前の情勢だった。首脳の個人的関係がそれをより悪くさせなかったと言えば言えるかもしれないが、しかし現実は日本が円ドルレートで大幅な譲歩を迫られ、さらに内需拡大と低金利政策を飲まされて、「ものづくり」の国から資産バブルに浮かれる国へと変容させられたのである。
  この時に作られた「日米円ドル委員会」は、その後「日米構造協議」に形を変え、次に「年次改革要望書」、さらにはTPP(環太平洋連携協定)として、貿易問題にとどまらず、日本社会全般を改造する計画へと進展していく。そのスタートラインが「レーガンー中曽根」時代であった。
  冷戦後のアメリカは宮沢政権から始まる「年次改革要望書」によって対日要求の幅を広げ、日本の伝統的価値観に基づく社会の在り方全体を変えようとした。それに最も迎合したのが小泉総理である。この総理もパフォーマンスを得意としたが、政治指南役の松野頼三氏に言わせれば、中曽根氏とは対照的に「横丁のあんちゃん風」パフォーマンスで人気を得た。
  この「ブッシュー小泉」時代に「ケミストリーが合う」とよく言われた。しかしワシントンではブッシュ大統領とイギリスのブレア首相が「小泉の英国留学の理由を知っている我々はいつでも小泉を操れる」とにんまりしていると噂された。「ケミストリーが合う」とは、利用価値があれば持ち上げるが、腹の中では馬鹿にしていると言う意味なのかもしれない。
  小泉総理が受け入れた「年次改革要望書」は日本に格差社会を招来させ、それに国民が反発して09年の政権交代になった。民主党はマニフェストに日米自由貿易協定の締結を掲げ、「年次改革要望書」からの脱却を図るが、するとアメリカはTPPを打ち出してきたのである。TPPが自由貿易の目的にとどまらない事が分かる。
  安倍総理は自民党の政権公約を盾にアメリカを譲歩させたというパフォーマンスを見せているが、共同宣言を読む限りアメリカは全く譲歩していない。むしろ安倍総理がアメリカを譲歩させたと言うために、自民党が政権公約に掲げた尖閣諸島への公務員の常駐を取りやめ、牛肉輸入やハーグ条約への加盟など幅広くアメリカの要求を受け入れて譲歩している。交渉は始まる前から押されているのである。
  考えてみるとアベノミクスもパフォーマンスだけで何一つ実行はされていない。「三本の矢」をこれから放つと言っただけで、期待感から市場が先走りしている話である。従って期待感を裏切られたと市場が思えば状況は一変する。安倍政権の命運は国民よりも市場に握られているのである。従って政治は国民よりも市場の動向を見るようになる。
(田中良紹)
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石原慎太郎著『新・堕落論』 新潮選書2011/7/20発行
 p49〜
 戦後から今日までつづいた平和の中で顕在したものや、江藤淳の指摘したアメリカの手によって『閉ざされた言語空間』のように隠匿されたものを含めて、今日まで毎年つづいてアメリカからつきつけられている「年次改革要望書」なるものの実態を見れば、この国がアメリカに隷属しつづけてきた、つまりアメリカの「妾」にも似た存在だったことは疑いありません。その間我々は囲われ者として、当然のこととしていかなる自主をも喪失しつづけていたのです。
 未だにつづいてアメリカから突きつけられる「年次改革要望書」なるものは、かつて自民党が金丸信支配の元で小沢一郎が幹事長を務めていた時代に始まりました。
p51〜
 あれ以来連綿とつづいているアメリカからの日本に対する改革要望書なるものの現今の実態はつまびらかにしないが、ならばそれに対して日本からその相手にどのような改革要望が今出されているのだろうか。国際経済機関に属している先進国で、こうした主従関係にも似た関わりをアメリカと構えている国が他にある訳がない。
 トインビーはその著書『歴史の研究』の中で歴史の原理について明快に述べています。「いかなる大国も必ず衰微するし、滅亡もする。その要因はさまざまあるが、それに気づくことですみやかに対処すれば、多くの要因は克服され得る。しかしもっとも厄介な、滅亡に繋がりかねぬ衰微の要因は、自らに関わる重要な事項について自らが決定できぬようになることだ」と。
 これはそのまま今日の日本の姿に当てはまります。果たして日本は日本自身の重要な事柄についてアメリカの意向を伺わずに、あくまで自らの判断でことを決めてきたことがあったのだろうか。これは国家の堕落に他ならない。そんな国家の中で、国民もまた堕落したのです。(〜p51)
p52〜
 ものごとの決断、決定にはそれを遂行獲得するための強い意思が要る。意思はただの願望や期待とは違う。その意思の成就のためにはさまざまな抑制や、犠牲をさえ伴う。
 現代の多くの日本人の人生、生活を占めているのは物神的(フェティシュ)な物欲、金銭欲でしかない。それはただ衝動的な、人間として薄っぺらな感情でしかない。そして日本の今の政治はひたすらそれに媚びるしかない。それもまた政治家としての堕落に他ならない。(略)
 ワシントンの消息通に聞けば、政権を構築しているワシントンの重要省の幹部たちは本音では、日本の財務省はアメリカ財務省の東京支店、日本外務省はアメリカ国務省の東京支店と疎んじてはばからないそうな。特に日本の外務省は、外交の基軸に日米安保を絶対前提(アプリオリ)として捉えているから、日米関係間のさまざまな摩擦に関しても、最後は安保条約に依る日本の安全への斟酌で腰がひけ、正当な主張をほとんどなしえない。
 それを証す露骨な例がありました。何年か前のニューズウィークの表紙一杯(〜p52)(p53〜)に、何のつもりでかアメリカの国旗星条旗が描かれていた。よく見ると、並んだ40幾つかの星の最後の星は小さな日の丸だった。本国でならともかく、この日本での版に、そうした絵をぬけぬけと描いて載せる相手の心情とは一体何なのか。語るに落ちる話だ。
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