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終戦直後の昭和天皇の姿を描いたハリウッド映画「エンペラー」(邦題「終戦のエンペラー」)

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「エンペラー」昭和天皇描いた米映画好評 敗戦・日本へも人間的光
産経新聞2013.3.12 23:40
 【ワシントン=古森義久】終戦直後の昭和天皇の姿を描いたハリウッド映画「エンペラー」(邦題「終戦のエンペラー」)が全米各地で封切られた。米国マスコミはその主題の重さから映画の特徴をいっせいに報じたが、その内容は戦争の敗者の日本側にも人間的な光をあて、一部の映画評では、日本側に対して甘すぎるという批判が出るほどとなった。
 8日からの週末に公開された「エンペラー」は、日本占領の連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官、マッカーサー元帥とその副官のボナー・フェラーズ准将を主人公とし、終戦時の要人の近衛文麿、東條英機、木戸幸一各氏らも登場する。中心に立つのはトミー・リー・ジョーンズさんが演じるマッカーサー元帥だが、知日派とされるフェラーズ准将役のマシュー・フォックスさんも熱演する。日本側でも昭和天皇を歌舞伎俳優の片岡孝太郎さんが演じている。
 舞台は敗戦直後の東京で、同元帥が准将に「天皇が開戦にどれほど責任があったかを10日間で調査し、裁判にかけるか否かを決める」ことを命令する。史実にフィクションが多々、混じるその物語は、同准将がかつて恋人だった日本女性の行方を必死で捜す努力とからみあう。
 映画では戦争行為自体について、日本の攻撃だけでなく欧米諸国のアジア植民地支配や米国の日本への無差別爆撃への批判的な言葉も述べられる。日本側の人物も天皇はじめ大部分が人間らしく描かれる。
 映画は全米各地の新聞やテレビ、雑誌でも広く取り上げられ、ほとんどが「歴史の深遠な瞬間が本格的に描かれている」(デトロイト・ニューズ紙)などと好評だった。しかし一部には「日本軍の残虐行為への言及がないまま米軍の日本破壊だけが拡大されたのは不公平」(ニュージャージー州のスター・レジャー紙)という批判も表明された。
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『なぜアメリカは日本に二発の原爆を落としたのか』日高義樹著 2012-08-31 | 読書 
 『なぜアメリカは日本に二発の原爆を落としたのか』日高義樹著《ハドソン研究所首席研究員》 2012年07月25日1刷発行 PHP研究所
p1〜
  まえがき
 日本の人々が、半世紀以上にわたって広島と長崎で毎年、「二度と原爆の過ちは犯しません」と、祈りを捧げている間に世界では、核兵器を持つ国が増えつづけている。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国に加えて、イスラエル、パキスタン、インドの3ヵ国がすでに核兵器を持ち、北朝鮮とイランが核兵器保有国家の仲間入りをしようとしている。
 日本周辺の国々では核兵器だけでなく、原子力発電所も大幅に増設されようとしている。中国は原子力発電所を100近く建設する計画をすでに作り上げた。韓国、台湾、ベトナムも原子力発電所を増設しようとしているが、「核兵器をつくることも考えている」とアメリカの専門家は見ている。
 このように核をめぐる世界情勢が大きく変わっているなかで日本だけは、平和憲法を維持し核兵器を持たないと決め、民主党政権は原子力発電もやめようとしている。
 核兵器を含めて武力を持たず平和主義を標榜する日本の姿勢は、第2次大戦後、アメリカの強大な力のもとでアジアが安定していた時代には、世界の国々から認められてきた。だがアメリカがこれまでの絶対的な力を失い、中国をはじめ各国が核兵器を保有し、独自の軍事力をもちはじめるや、日本だけが大きな流れのなかに取り残された孤島になっている。
 ハドソン研究所で日本の平和憲法9条が話題になったときに、ワシントン代表だったトーマス・デュースターバーグ博士が「日本の平和憲法はどういう規定になっているか」と私に尋ねた。
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
 私がこう憲法9条を読み上げると、全員が顔を見合わせて黙ってしまった。一息おいてデュースターバーグ博士が、こういった。
「おやおや、それでは日本は国家ではないということだ」
 これは非公式な場の会話だが、客観的に見ればこれこそ日本が、戦後の半世紀以上にわたって自らとってきた立場なのである。
 このところ日本に帰ると、若い人々が口々に「理由のはっきりしない閉塞感に苛立っている」と私に言う。私には彼らの苛立ちが、日本が他の国々とあまりに違っているので、日本が果たして国家なのか確信が持てないことから来ているように思われる。世界的な経済学者が集まる会議でも、日本が取り上げられることはめったにない。日本は世界の国々から無視されることが多くなっている。
 日本はなぜこのような国になってしまったのか。なぜ世界から孤立しているのか。このような状況から抜け出すためには、どうするべきか。
「初心に帰れ」とは、よく言われる言葉である。したがって、六十余年前、日本に落とされた原爆の問題から始めなければならないと私は思う。(略)
 日本はいまや原点に立ち戻り、国家と戦争、そして核について考えるべき時に来ている。日本が変わるには、考えたくないことでも考えなければならない。そうしなければ新しいことを始められない。
 私はこの本を書くにあたって、アメリカは何を考えて大量殺戮兵器である原爆を製造したのか、なぜ日本に原爆を投下したのか、歴史に前例のない無慈悲な仕打ちはどのように日本に加えられたのか、当時の記録に詳しく当たってみた。
 原点に戻って、日本の人々に「考えたくないこと」を考えてもらうためである。
p22〜
 核分裂は、フランスやイギリス、ドイツ、アメリカ、ソビエトでは普通に得られる情報になっていたため、そこから原子爆弾の製造という構想が出てくるのは当然だった。日本では、核分裂や放射能についての関心はあったものの、爆弾をつくる計画には至らなかった。したがってルーズベルト大統領が日本に対して原子爆弾を使ったとしても、報復爆撃を受ける懸念はなかった。
 1930年代の日本は、満州で戦いを続ける一方で、1941年12月8日、真珠湾を攻撃して乾坤一擲の勝負をアメリカに挑んだが、このころアメリカでルーズベルト大統領をはじめ専門家たちが原爆をつくるために全力を挙げていることには、考えも及ばなかった。日本が現在に至るも世界の動向には疎く、日本の外で起きていることに注意しないまま、自分勝手な行動を取ることが多いが、こうした国民性は第2次大戦以前から変わっていない。
 アメリカでは、核分裂の仮説が発表されるやいなや、軍事目的に使う動きが急速に高まっている。この恐るべき情報に気がつかなかったことが、真珠湾奇襲攻撃、そして原爆投下につながっていく。「真珠湾攻撃に対する報復として原爆を使った」というのがアメリカの嘘であるとすれば、アメリカの動きについてまったく情報がない、つまり無知であったことが日本側の犯した罪と言える。
 ここで、1939年1月に核分裂の仮説が証明されて以後、1941年12月に日本が真珠湾を攻撃するまでの経緯について少し詳しく述べたい。すでに述べたように、アメリカ政府や軍人たちの間に、核分裂によって生じる莫大なエネルギーを軍事目的に使おうという熱意が、急速に膨れ上がった。
 当時のアメリカには、ヒットラーの迫害を逃れてヨーロッパからやってきた多くの学者たちがいたことはすでに述べたが、1940年4月、全米物理学研究協議会の会合で、アメリカの科学雑誌に核分裂の記事を野放しに載せるべきではないという決定が行われた。(〜p24)
p88〜
 アメリカ陸軍の工兵隊というのは、エリートでアメリカ陸軍士官学校の卒業生のトップ5%のなかから選ばれる。その次の5%が騎兵隊で、第2次大戦のころには、戦車部隊や機甲科部隊の幹部になった。
 アメリカ陸軍士官学校の生徒たちは、かつての日本陸軍士官学校や海軍兵学校の生徒たちと同じで、本をよく読み、教師の話を記憶し、規律正しく行動する優秀な生徒たちなのである。グローブズ将軍は陸軍士官学校を4番で卒業し、工兵隊のエリートとして順調に出世してきた。
 そうした司令官に率いられたマンハッタン・プロジェクトの幹部たちが、トリニティーの成功後、兵器としての効果を試す実験を行うのは、当然の行為だった。プロジェクト・アルバータは世界の軍事史のなかでも例を見ない残虐な行為で、明らかに戦争犯罪である。だが「戦争を1日も早く終結させるために核兵器は必要だった」という主張によって、その犯罪は覆い隠されてきた。
 最近になって「原爆が戦争終結のために投下されたという主張は間違っている」という見方が強くなり、この主張が通りにくくなっているのは事実である。原爆の効果を測るための実験として、無防備な広島と長崎の市民を合わせて20万人も殺傷した行為は、なんらかのかたちで追及されるべきではないかと思う。
 真珠湾奇襲攻撃に対する復讐あるいは処罰という主張について私がいつも不思議に思うのは、日本の人々がなぜ、真珠湾攻撃は軍事基地に限定されていたこと、広島や長崎に対する原爆投下のように無防備な市民を殺傷したわけではないこと、をはっきり言わないのかということである。(〜p89)
p91〜
 それにしても、ワシントンの日本外交官は何と愚かだったのだろう。宣戦布告の全文をすべて翻訳したあとでアメリカ側と会い、宣戦布告を行ったとされているが、外交官が正常な判断力を持っていれば、「日本は宣戦を布告する」と一言伝えればよいと考えたはずである。喧嘩の理由はあとから告げれば済む、とは思わなかったのだろうか。
 宣戦布告の通告がアメリカに手渡されたのが真珠湾攻撃のあとだったため、ルーズベルトは「騙し討ち」だったと非難した。だが以前、アメリカの軍事専門家に聞いた話だが、アメリカが領土を拡大するために、メキシコやスペインに仕掛けた戦いのほとんどが奇襲攻撃で始まったという。
 日本はなぜ「軍事基地を攻撃しただけである」という主張を、東京裁判はじめ、アメリカや世界のマスコミに強く主張しなかったのだろうか。私は時折、ハーバード大学やハドソン研究所などの研究会の集まりで、この点を指摘することがあるが、アメリカの同僚たちは反論に困っている。
 戦争は狂気を伴う行為である。そして戦争には多くの理由がある。そういったあらゆる理由を勘案しても、広島と長崎に対する原爆投下は正当化されるものではない。原爆が投下されてから60年余り経つが、これまで原爆投下が人体実験であったことを非難し、戦争犯罪であることを厳しく追及する動きはまったくなかった。原爆については、ただ祈るだけしかないと日本の人々が考えた結果である。
 アメリカの人々は原爆を広島と長崎に落としたことについて謝罪していないと私は思う。アメリカのルース駐日大使が慰霊碑に献花したが、私が知るかぎりアメリカの人々は素直に日本に謝ろうという気はない。真珠湾の奇襲攻撃は罰せられなければならなかったと主張する人がほとんどである。
 原爆についてアメリカのマスコミや学者たちが口にする「謝罪」は、きわめて抽象的な意味の謝罪である。とてつもない破壊兵器をつくり、使ったことに対して、人類と歴史に謝罪しているのである。人体実験の対象にされた日本人に謝罪しているのではない。
 マンハッタン・プロジェクトで原爆が完成したころ、アメリカの良心的な学者たちが「原爆投下は必要ない」と主張したが、ルーズベルト、トルーマン、グローブス将軍らは、「奇襲攻撃を行った日本を罰し、同時に奇襲攻撃によって始まった戦争を1日も早くやめさせるためには原爆を投下しなければならない」と主張した。
 アメリカ国民の60%はいまも、その主張を信じて、原爆投下は必要だったと考えている。その理由は、原爆が引き起こした酸鼻きわまりない被害について詳しく知らないだけでなく、原爆投下が軍事行動ではなく原爆の開発を続けるために必要な実験だったことを知らないからである。
p93〜
 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」
 原爆慰霊碑に刻まれたこの碑文の前で、日本人は60年あまり祈り続けてきた。被害者の霊を悼み祈るのは正しいことである。だが祈るのなら、この「過ち」とはいったい何だったのかを明確にし、祈ることによってそれが正されたかどうかを確かめるべきではないだろうか。
p116〜
 カーチス・ルメイ将軍は、太平洋の戦略爆撃部隊の司令官として原爆投下指揮し、東京大空襲では原爆に匹敵するほど大勢の日本人を殺傷しているが、1964年、日本政府は何を考えたのか、勲一等旭日大綬章を授与している。当時の佐藤栄作首相は、ルメイ将軍が日本の航空自衛隊の育成に尽力したとして勲章を授与したが、同じように真珠湾奇襲攻撃に加わった源田稔空将がアメリ政府から表彰されたりしている。
p132〜
 ルメイ将軍はインタビューの前に一つの条件をつけた。佐藤総理からもらった勲章を映さないでほしいというものだった。客間を過ぎると廊下の脇にガラス張りの大きな棚があり、真ん中に確かに勲章があった。その隣には他の勲章もあったが、とにかく日本からの勲章については写真を撮ることも話をすることもしないという約束で、奥の大きな居間に通された。
p137〜
 日本政府がルメイ将軍に勲章を与えたことは、あまり一般には知られていないが、ルメイ将軍が原爆に賛成しなかったことを差し引いたとしても、殺戮作戦の指揮官に勲章を授与するなど、正気の沙汰とは思えない。「テレビに映さないでくれ」と言ったルメイ将軍のほうが正常である。
p147〜
 1945年の日本は、一方的な爆撃を次々に受けて壊滅状態になった。ルメイが「攻撃目標がなくなる」と思ったほど、日本の都市は焼き尽くされ、毎日、大勢の市民が死んでいった。日本の降伏は目前だった。だがアメリカは、兵器としての原爆の効果を実験するためもあって、原爆投下を実施した。
p228〜
 キッシンジャー博士ですら、アメリカのやり方で幸福になりたくはないと考えている人が世界に大勢いることに気がついていない。(略)
 北朝鮮は世にも貧しい暮らしをしながら、核兵器を持ち、強力な軍事力を維持している。これは「アメリカの世界」に対する挑戦にほかならない。アメリカの核の抑止力による世界体制がほころびはじめたのである。
p240〜
 北朝鮮のクルージングミサイルは、沖縄や横須賀の基地だけでなく、アメリカの軍艦を攻撃する能力を十分に持っている。海兵隊を乗せて乗せて上陸作戦を行おうとするアメリカ第7艦隊の輸送部隊が沈められてしまうことになる。
 中国と北朝鮮がミサイル戦力を強化したことによって、朝鮮半島と台湾をめぐるアメリカの戦略は大きく変わらざるを得なくなっている。アジア太平洋の他の地域についても同様である。中国が尖閣諸島を占領した場合、あるいは攻撃してきた場合、日本はアメリカ軍が応援してくれると期待している。日米安保条約がある以上、アメリカが日本を助けるのは当たり前だとほとんどの日本人が考えている。 (p241〜)しかもアメリカは、決定的な抑止力である核兵器を持っている。限定された戦いにアメリカが介入すれば、勝つのは当たり前だと日本人は考えてきた。だが日本人は、この考え方が通用しなくなっていることを理解しなければならない。
 朝鮮半島や台湾と同じように、尖閣諸島でも、あるいは南シナ海の島々でも、アメリカ軍は簡単に中国と戦うことができない。北朝鮮と戦うこともできない。アメリカの軍事力がアジア極東を覆い、日本の安全保障の問題はすべてアメリカが日本のために処理してくれる時代は終わってしまった。
 アメリカ軍は世界のあちらこちらで、自国の利害に関わる問題に手を焼いている。自らの犠牲を顧みず、日本のために北朝鮮や中国と戦うことは出来ない。日本は自分の力で自分の利益を守らなくてはならない。
 尖閣諸島の問題が起きたときに、アメリカが日本の利益を守ろうとすれば、アメリカ本土を狙う長距離攻撃能力を手にした中国と話し合いをつけなければアメリカ自身の国益を守ることができなくなるのである。簡単に言えば、日本に供与されてきたアメリカの「核の傘」がなくなりつうあるのだ。
 台湾はすでに、この状況を理解している。自らの利益を守るため、アメリカの力を借りる代わりに、ミサイルを開発して三峡ダムや北京を攻撃する能力を持ちつつある。
p242〜
 韓国はすでにアメリカから中距離ミサイルの購入を始め、最新鋭の戦闘機F15Eを買い入れた。F15Eは日本の航空自衛隊が持つF15Jよりも優れた電子兵器を装備していることで知られている。
 2012年3月に出版した拙著『帝国の終焉』でも述べたことであるが、アメリカの核抑止力がなくなり、アメリカが核の力で日本を助ける体制は、急速に消えつつある。アメリカの「核の傘」がなくなることは、戦後の半世紀にわたる日本の基本的な立場がなくなることを意味している。
 日本人はこのところ、「世界で最も好かれている国は日本」などといった世論調査のデータをありがたがっているが、国際社会で好かれたり嫌われたりといったことは、あまり意味がない。
 第2次大戦以来、日米同盟が存在し、日本がアメリカの核の抑止力のもとにあったことは、日本が紛れもなくアメリカの一部であることを示していた。世界の人々、とくに中国や韓国、東南アジアの人々が、好き嫌いとは関わりなく、アメリカの一部として日本に対応してきたことは、紛れもない事実である。
p243〜
 日米安保条約のもとで、アメリカがどう考えているかということに関わりなく、アジアの人々は、日本がアメリカの一部であり、日本の国土や船舶を攻撃することは、アメリカを攻撃することだと考えてきたのである。
 日本では国際主義がもてはやされ、国際社会では民主的で人道的な関わり合いが大切で、そうした関係が基本的に優先されると思ってきた。だがこうした考え方が通ってきたのは、アメリカの核兵器による抑止力が国際社会に存在していたからである。そのなかでは日本はアメリカの優等生として受け入れられてきた。
 日本は、国際社会における国家の関係は好き嫌いではなく、損か得かが基本になっていることを理解しなければならない。国際社会における国家は、国家における個人ではない。国際社会というのは、それぞれの国家が利益を守り、あるいは利益を求めて常に混乱しているのである。国家は、世界という利益競合体のなかにおける存在単位なのである。当然のことながら、好き嫌いといった感情が入る余地はない。
 日本人は感情的であるとよく言われるが、世界を感情的に捉えて、国家を理解しようとするのは間違っている。日本人が世界で最も好かれているという思い込みは、世界という実質的な利害共同体のなかで、日本がアメリカのもとで特別な存在だったからに過ぎないことを忘れているからだと私は思う。
p244〜
 いずれにしてもアメリカの力が大きく後退し、アメリカの抑止力がなくなれば、日本は世界の国々と対等な立場で向き合わなければならなくなる。対立し、殴り合ってでも、自らの利益を守らなくてはならなくなる。そうしたときに、好きか嫌いかという感情論は入る余地がないはずだ。(略)
 アメリカの核兵器に打ちのめされ、そのあとアメリカの力に頼り、国の安全のすべてを任せてきた日本人は、これから国際社会における地位を、自らの力で守ることを真剣に考えなければならない。

第4部 なぜ福島原発事故の処理は世界で評判が悪いのか
p245〜
 日本の人々は、日本が世界唯一の核爆弾による被害者である事実に甘えている。そのことをはっきりさせたのが、4月初めの『ニューヨーク・タイムズ』の論説で、日本が原子力発電をやめると決めたことに対して「地球温暖化の問題を考えれば、賢明ではない」と日本の態度を批判するものだった。
 全米商工会議所やエネルギー省の私の知り合いも、エネルギーの将来については可能性を大きく残すべきで、福島原発事故があったからといって、原発をすべてやめるのは行き過ぎであるという見方をしている。
 日本にはもともと、原爆を投下されたことから核エネルギーに対する恐れが強い。原子力発電についても用心深いほうが正しいと信じて、福島原発を契機にやめてしまうことについて、世界で称賛されると思った人が多いようである。だが世界の専門家は、福島原発事故のあと日本が行うべきは「いかに原子力発電を、より安全にするか」という努力であると考えている。今度の失敗をもとに、さらに安全な仕組みを考えて世界に提示してほしいと思っている。
p246〜
 世界の人々は広島と長崎に投下された原爆を原点として、核エネルギーの危険性を十分に理解している。だが原子力発電が世界の現実になっている現在、地下資源のない日本が、資源のある国々と同じように、簡単に核エネルギーを捨て去ることについて、世界の人々は決して日本を尊敬してはいない。
 世界中の専門家が、福島原発の処理にあたって日本政府が秘密主義をとったことを厳しく批判したが、原発停止についても、日本が専制国家のように国民的な議論をすることもなく決めたことに驚いている。
 東北地方太平洋沖地震と大津波によって事故が起きたとき、アメリカの友人たちは、日本に同情的だった。だが、現在は批判に変わり、日本の後ろ向きの姿勢に失望して世界の経済人が日本を見放そうとしているが、日本の人々は注意を払おうとしない。
 原爆の被害者である日本人はもともと、核の問題については自分たちだけに通用する理屈と行動を押し通してきているが、本人はそのことに気がついていない。(略)
p247〜
 こういった同情的な見方が静かにではあるが徐々に変わり、日本に対する不信の念がワシントンでは強まってきた。その最大の原因は、アメリカのマスコミだった。現地にいた新聞記者たちは、日本政府や東電が詳しい情報をまったく提供しないと伝え、「日本政府や関係者は大丈夫だ、大丈夫だと言うばかりだ」と厳しく非難した。
p249〜
 アメリカでは、原発事故は戦争と同じ扱いである。したがって、中心になるのは軍隊である。警察や消防は補助的な存在で、軍隊が事故現場を取り仕切り、先頭に立って地域と住民の安全を確保する。ところが、我が国には軍隊がない。自衛隊は自衛隊に過ぎず、世界の常識で言う軍隊としての行動をとれなかった。もともと、そうした体制もできていなかった。(略)
 福島原発の事故で最も致命的だったのは、「原発は安全である」という宣伝のもとで、政府も地域の人々も事故が起きた場合の訓練を行っていなかったことである。つまり、備えがまったくなかった。
p250〜
 私はアメリカの原子力発電所をいくつか取材したが、「原発は安全である」と宣伝する一方で、定期的に事故に備える訓練を行っている。すでに触れたが、使用済みの核燃料が大量に保管されているワシントン州のハンフォードでは、毎週金曜日の午後に、地域の人々を含めて訓練が実施される。(略)
 このことを東京電力の関係者に言ったところ、次のように反論された。
「訓練をしなければならないというと、ただちに原発反対の声につながってしまうのです」
 スウェーデンの海岸近くにあるフォルクマルク原子力発電所を訪問したとき、海岸に背を向けて厚さ数メートルの堅牢な壁を持つ新しい発電所があった。発電所の壁はいくつかに区切られ、地震があった場合には、揺れを吸収する材料が使われていた。地震がほとんどないスウェーデンでも、こうした対応策がとられている。地震と津波の国の原子力発電所は、「想定」のレベルを極端なほど高くして備えておくべきだった。
 広島と長崎に原爆を落とされた日本では、核兵器に対する反対が、そのまま原子力発電に対する反対になっている。原子力発電所では放射性物質を使うが、原子力エネルギーと原子爆弾はまったく違う。原爆を初めて製造したアメリカが最も苦労したのは、兵器として核爆発を起こさせるための引き金だった。この引き金がないかぎり、原子爆弾はできない。ところが日本では、原爆も原子力発電も同じように捉えられている。
 原子力発電は、人類が手にした核エネルギーを平和的に利用する目的で始まった。原爆は兵器だが、原子力発電は大切なエネルギー獲得の手段である。だが日本では、原爆と原発をひっくるめて反対している人がほとんどである。
p253〜
 そこで私は東京電力に依頼して柏崎刈羽原子力発電所を見に行ったが、案内してくれた人はお題目のように「安全です」と繰り返していた。緊急事態に備え、地域ぐるみの訓練を実施することなどは思いもよらないという雰囲気だった。
 冒頭に述べたように、原子力発電について日本の人々がやるべきは、短絡的にやめることではない。すでに世界が最新鋭と認めている技術を、さらに高めていくことである。
 日本にはエネルギー資源がほとんどない。石炭はあるが炭鉱はなくなってしまった。石油はもともとない。その石油は中東情勢によって価格が高騰するだけでなく、手に入らなくなるおそれがある。モノを製造し輸出によって経済を発展させてきた日本が原子力発電をやめるのは、自殺行為に等しいと知るべきだ。
p260〜
 中東の国々は、19世紀の初め、民族国家への歩みを始めるとともに、経済的な発展の道をたどろうとした。それを遮ったのが、ヨーロッパ諸国である。植民地主義によって中東の国々を収奪し、近代化を大きく阻害してしまった。
 中東諸国は、ヨーロッパに対する報復としてエジプトのナセル中佐など若い軍人を中心にソビエトに頼ったが、結局はアメリカの力に押しつぶされてしまった。
 2011年から「アラブの春」と呼ばれる民主主義運動が中東や北アフリカ諸国に広がっているが、その根元にあるのは反米主義である。近代化を西欧諸国の植民地主義に妨害された国々が報復を始めたのである。そのために核兵器を持って、アメリカに対抗しようとしている。
 アジア極東で、核兵器とミサイルを開発してアメリカを追い出そうとしている中国、北朝鮮と歩調を合わせ、中東やアフリカでも旧植民地勢力に対する反発としての新しい動きが始まっているのである。
 中東やアジアに広がっている反米主義の動きについて、アメリカの指導者たちは楽観的な見方をしているが、アメリカの看板である核に対抗する力をアラブの人々が持ち始めれば、アメリカは軍事力とともに、国際的な政治力の基本になってきた、石油を支配する力も失うことになる。アメリカの核の抑止力がなくなることは、歴史的な大転換が始まることを意味する。新しい世界が始まろうとしているのである。
P261〜
 私がこの本で提示しようとしたのは、核爆弾という兵器を日本に落としたアメリカの指導者が、日本を滅ぼし、日本に勝つという明確な意図を持って行動したことである。無慈悲で冷酷な行動であったが、日米の戦争がなければ起きないことであった。
 原爆を投下された日本は、そうした現実をすべて置き去りにして、惨劇を忘れるために現実離れした「二度と原爆の過ちは犯しません」という祈りに集中するすることによって、生きつづけようとした。国民が一つになって祈ることによって、歴史に前例のない悲惨な状態から立ち上がったのは、日本民族の英知であった。
 だがいまわれわれにとって必要なのは、原爆投下という行為を祈りによってやめさせることはできない、という国際社会の現実を見つめることである。すでに見てきたように、世界では同じことが繰り返されようとしている。
 我々に必要なのは、祈りではない。知恵を出し合って、日本と日本民族を守るために何をしなければならないかを考えることである。それにはまず、現実と向かい合う必要がある。「原爆を日本に投下する」という過ちを、二度と繰り返させないために、日本の人々は知恵を出し合う時に来ている。
p263〜
あとがきに代えて--日本は何をすべきか
 アメリカは核兵器で日本帝国を滅ぼし、そのあと日本を助けたが、いまやアメリカ帝国自身が衰退しつつある。歴史と世界は常に変わる。日本では、昨日の敵は今日の友と言うが、その逆もありうる。いま日本の人々が行うべきは、国を自分の力で守るという、当たり前のことである。そのためには、まず日本周辺の中国や北朝鮮をはじめとする非人道的な国家や、日本に恨みを持つ韓国などを含めて、常に日本という国家が狙われていることを自覚し、日本を守る力を持たなければならない。(略)
p264〜
 軍事同盟というのは、対等な力を持った国同士が協力して脅威に当たらねばならない。これまでの日米関係を見ると、アメリカは原爆で日本を破壊したあと、善意の協力者、悪く言えば善意の支配者として存在してきた。具体的に言えば、日本の円高や外交政策は紛れもなくアメリカの力によって動かされている。日本の政治力のなさが、円高という危機を日本にもたらしている。その背後にあるのは、同盟国とは言いながら、アメリカが軍事的に日本を支配しているという事実である。
 いまこの本のまとめとして私が言いたいのは、日本は敵性国家だけでなく、同盟国に対しても同じような兵器体系を持たねばならないということである。アメリカの衛星システムやミサイル体制を攻撃できる能力を持って、初めてアメリカと対等な軍事同盟を結ぶことができる。もっとも、これには複雑な問題が絡み合ってくるが、くにをまもるということは、同盟国に保護されることではない。自らの力と努力で身を守ることなのである。そのために、日本が被った原爆という歴史上類のない惨事について、あらためて考えてみる必要がある。


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