ベテラン秘書2人が野田氏に愛想尽かした理由
NEWS FILE PRESIDENT 2013年4月1日号 (PRESIDENT Online )2013年3月24日(日)配信
安倍政権がアベノミクスの活況に湧く中、すっかり忘れられた存在になっているのが前総理大臣の野田佳彦氏だ。
新聞・テレビでも野田氏の動向が伝えられることはほぼ皆無。昨年末の衆院解散・総選挙で民主党を大敗に導いたA級戦犯だけに、党内の風当たりも強い。
「野田さんは頭をまるめて落選議員に謝罪行脚するのが筋。本来なら除名すべき」
民主党ベテラン議員はそう吐き捨てる。
「朝日新聞が2月22日付の紙面で“野田氏が5月ごろに著書を出版する準備に入った”と報じたが、同志を地獄に突き落としておいて回顧録を書くなんて、どういう神経なのか」(ベテラン議員)
この点について野田事務所は「朝日の報道は誤報。(野田氏のことなどを)本に書いている人がいて、その人に“内容の事実確認をしたい”と言ったら、野田が自分で本を書くと報じられた。そもそも3月初め現在で、自分で本を出す準備をまったくしておらず、5月に出版なんてありえないことです」と一笑に付す。
野田氏は足元もガタガタだ。
「実は野田事務所を長きにわたって切りまわしてきた股肱の臣とも言えるベテラン秘書2人が、昨年末に相次いで事務所を辞めています。うち1人(男性秘書)はみんなの党の国会議員の秘書に。この議員の選挙区は落選中の野田側近の地盤で、野田氏への面当てというのが永田町のもっぱらの噂です」(民主党議員秘書)
男性秘書は元保守新党代表の熊谷弘氏の秘書を経て、野田氏の秘書に転身。
野田事務所の公設秘書として裏方に徹し、野田氏を支えてきた。ところが野田氏が財務大臣、首相と階段を駆け上がったのに対し、事務所の中心的存在だった男性秘書は、大臣秘書官はおろか首相秘書官にもなれなかった。
「男性は熊谷氏の秘書時代に1度、公職選挙法違反で逮捕されたことがある。そのせいで野田氏は男性ではなく、松下政経塾の1期後輩を大臣・首相秘書官に抜擢した。永田町では“野田は冷淡だ”と男性に同情する声が多かった。その後、秘書官とベテラン秘書の折り合いが悪く、2人とも退職した。もう1人の秘書は維新の国会議員の秘書に転身しました」
総理経験者なのに股肱の臣にまで愛想を尽かされるとは情けない。
------------------------------------------
◆ 民主党代表選 獄中の鈴木宗男氏が「野田佳彦だけはダメだ」永田議員を死に追いやった06年偽メール事件 2011-08-16 | 政治
獄中のムネオが民主議員にメッセージ「野田だけはダメだ」
日刊ゲンダイ2011年8月15日
先日、小沢一郎元代表を支持する「北辰会」の会合で、気になる「緊急メッセージ」が読み上げられたという。鈴木宗男前衆院議員が、獄中から「野田だけはダメだ」という声明を寄せたのだ。
「増税などの政策的なマズさ以前に、野田氏は絶対に代表にはなってはいけない十字架を背負っている。後輩議員を死に追いやった暗い過去を忘れてはならないという内容でした。当時のことを詳しく知らない1年生議員の中には、初めて知る事実に言葉を失っている人もいました」(出席した議員)
ムネオの言う「十字架」とは、06年の「偽メール事件」だ。前原代表時代、が予算委員会で質問に立ち、メールの存在を示して自民党を追及。結局、このメールがガセと判明して永田は議員辞職に追い込まれた。当時、永田の質問にゴーサインを出したのが、国対委員長だった野田である。メールの裏取りもロクにせず、イケイケで永田をけしかけた。当時の事情を知る民主党関係者が言う。
「永田氏は、選挙区が隣の野田さんを兄貴分と慕っていました。偽メール事件で、当初は野田さんも永田氏を手放しで褒めていた。ところが、ガセと分かって批判を受けると、野田さんは永田氏をかばうこともなく、議員辞職するよう説得したのです。野田さんはかつて『永田のことは墓場まで持ってくしかねえなー』と笑いながら話していたものです」
野田の説得に折れて議員辞職した永田は、その後、徐々に精神に支障をきたし、09年1月にマンションから飛び降りて命を絶ってしまった。
弟分の命も救えなかった野田に、国民生活が救えるわけがないのだ。
*永田 寿康(ながた ひさやす、1969年9月2日 - 2009年1月3日)
................