THIS WEEK スポーツ WBCで男を上げた井端弘和 ドラゴンズ監督候補に急浮上!
(週刊文春 2013年4月4日号掲載)2013年3月30日(土)配信
準決勝敗退に終わったワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、最も株を上げたのが中日・井端弘和(37)であるのは衆目の一致するところ。ブラジル戦と台湾戦で終盤に同点打を放ち、準決勝・プエルトリコ戦でもチーム唯一の打点を挙げた。
「井端は中日では長く主力として活躍していますが、これまではいぶし銀のプレースタイルから玄人好みな選手でした。それが今回の活躍で知名度が全国区になり、球団内部では一気に『いずれは監督に』との声が出てきたのです」(スポーツ紙デスク)
中日は高木守道監督が2年契約の切れる今季限りでの勇退を明言しており、後任には“ミスタードラゴンズ”立浪和義氏が有力視されてきた。
「11年に落合博満監督が退任する際も、後任として立浪氏の名前は挙がっていました。しかし、梅宮アンナとの不倫騒動や反社会的勢力との交際の噂もあり、白井文吾オーナーを筆頭に球団内部で反対意見が多かった。そこで立浪氏にはお灸を据える期間が必要と判断され、当時70歳の高木監督が『繋ぎ』として招聘されたのです」(同前)
その立浪氏に並ぶ監督候補に躍り出た井端の武器は、「叩き上げの魅力」と「美人妻」だという。
「立浪氏はPL学園からドラフト1位で中日に入団すると、高卒1年目からレギュラーとして活躍し、歴代8位となる2480安打を放ったエリート中のエリート。一方の井端は亜細亜大学からドラフト5位で入団後、3年かけてレギュラーの座をつかんだ叩き上げ。10年には目の炎症で引退の危機に瀕するなど、人を惹きつけるドラマを持っている。また、元テレビ朝日アナの明子夫人は、中日の若手選手を自宅に招いて食事を振る舞うなど面倒見が良く、夫婦そろって慕われています」(スポーツ紙記者)
だが、「井端監督」誕生への最大の障壁は、意外にも本人の現役への意欲だという。
「井端は帰国後、『4年後のWBCにも出たい』と話して周囲を驚かせていました。なので球団としてはまず立浪氏を監督に据え、結果が出なかったときに満を持して井端に長期政権を託すのが理想のようです」(同前)
日本を救った「土壇場の男」が、中日の窮地を救う日は来るのか。
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井端夫人・明子さん「世界」での勇姿 息子に伝える
2013年3月19日(火)6時0分配信 スポニチ
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での戦いを終えた侍ジャパンに対して、選手の妻たちから、ねぎらいの言葉が寄せられた。準決勝でも適時打を放ち、気を吐いた中日の井端弘和内野手(37)の妻で元テレビ朝日アナウンサーの明子さん(34=旧姓河野)は「お疲れさまでしたと言いたいです」とコメントした。
明子さんは、サンフランシスコのAT&Tパークで長男巧(たくみ)くん(1)とともに観戦。試合終了後、スポニチ本紙の取材に「負けてしまいましたが、最後まで分からない展開でした。お疲れさまでしたと言いたいです」と称えた。
準決勝で侍ジャパン唯一の打点を挙げた最愛の夫。8回の適時打の際、スタンドで跳び上がって喜んだ。「0―3だったので、“とにかくつないでほしい”と祈っていました。一塁上での笑顔もよく見えました」と話した。
08年12月に結婚。テレビ朝日「ニュースステーション」でスポーツコーナー、「報道ステーション」で総合キャスターを務めた看板アナから専業主婦に。「私は仕事と家庭のことを両方やれるタイプではないし、全部の試合を観戦したいと思った。主人を支えるのが私の仕事なんです」と言うが、ここまでは平たんな夫婦生活ではなかった。
09年に井端は目にヘルペスを発症し、炎症による痛みや視力の低下に苦しみ、10年はわずか53試合の出場にとどまって「引退したい」と漏らすこともあった。だからこそ、世界の舞台での夫の活躍は感慨深い。「あの時、諦めていたら、ここでこうして応援することもなかった。周りの方々に本当に感謝しています」。言葉に実感がこもった。メジャーリーグの本拠地で間近に声援を送れたことで「私たち家族にとって本当にいい思い出になりました。息子は覚えていないと思うので、“あの時、応援していたんだよ”と大きくなったら言えますね」と、しみじみ話した。
帰国後は、井端の好きなコロッケを作り、家族の食卓で健闘を称える予定で「帰ってからは、ドラゴンズで頑張ってもらえるように支えていきたい」。勝負師の妻らしく、前を見つめた。
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◆ 井端、テレ朝・河野アナと結婚 きょう婚姻届 2008-12-22 | 野球・・・など
2008年12月22日 中スポ紙面から
打撃練習中の井端を激写する河野明子アナウンサー(左)=2月9日、北谷球場で(岡本沙樹撮影)
中日の井端弘和内野手(33)とテレビ朝日の河野明子アナウンサー(30)が結婚することが21日、明らかになった。22日に婚姻届を提出し、公表する。日本屈指の名手と全国ネットの局アナとのビッグカップルの誕生だ。
井端のハートを射止め、井端がハートを射抜いたのは、テレ朝・河野明子アナウンサーだった。報道ステーションの総合キャスターを務める“夜10時の顔”にして、放送業界屈指のスポーツ通としても知られている。
高校まではバスケットボール、大学ではラクロス部に所属。とくにラクロスは日本代表メンバーとしてワールドカップ(W杯)への出場経験もあるほどの実力派だ。プレーするだけでなく、スポーツ観戦も玄人はだし。自他共に認める熱狂的なドラゴンズファンなのだ。テレ朝公式ホームページ内の自らのブログでは「もともと野球の守備を見るのが特に好き」とつづり、さらにこう続けている。
「井端選手の華麗な守備はもちろんですが、試合中どんな場面でもその場その場に応じたバッティングできっちり仕事をする姿に日々しびれているのです」
今年2月にプライベートで沖縄キャンプを訪れ、屋内練習場での特打を至近距離で観察したときのコメントだ。河野アナが井端ファンであることは周知の事実。今季はセ・リーグすべての本拠地球場に足を運んでドラゴンズ戦を観戦しており、10月のクライマックスシリーズ第1ステージ(京セラドーム)にも、突破を信じて駆けつけた。そんな河野アナの視線の先には、常に井端の躍動する姿があったということだ。
「自分をさらけ出すことのできる人が見つかれば…」。自らの結婚観をこう語ってきた井端にとって、33歳にして見つかった理想の女性。今季は2度にわたって故障により戦列を離れ、連続試合出場もストップしたが、傷心の井端をメンタル面を含め支えたのが河野アナだった。共通の知人を通じてスタートした交際が、ついに大きな実を結ぶ。挙式、披露宴は未定だが、22日に婚姻届を提出。落合竜の攻守のキーマンが、最愛にして最強のパートナーと歩み出す。
【井端弘和(いばた・ひろかず)】 1975(昭和50)年5月12日生まれ、神奈川県出身の33歳。173センチ、75キロ、右投げ右打ち。堀越高から亜大を経て、98年のドラフト5位で中日入団。4年目の01年に遊撃の定位置を奪い、全試合に出場した。ベストナイン、ゴールデングラブ賞を各5度受賞している。
【河野明子(かわの・あきこ)】 1978(昭和53)年12月19日生まれ、東京都出身の30歳。166センチ。慶応義塾女子高から慶大法学部を経て、2001年にテレビ朝日入社。大学時代はラクロス部で、日本代表の副主将としてW杯に出場経験もある。04年4月から、古舘伊知郎とともに報道ステーションの総合キャスターを務める。血液型O。
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◆ 井端ひろ君、結婚(挙式)おめでとう! 最高のパートナー、明子夫人♪ 2009-12-14 | 野球・・・など
井端、明子夫人と挙式「男の子ができるまで頑張る」…中日
12月14日8時0分配信 スポーツ報知
中日の井端弘和内野手(34)が、元テレビ朝日アナウンサーで「報道ステーション」のメーンキャスターを務めていた明子夫人(旧姓・河野)と、名古屋市内のホテルで結婚式を挙げた。昨年の12月22日に婚姻届を提出していたが、純白のウエディングドレス姿の新婦を前にあらためて「とてもきれい。大切にしなきゃと思います」とキッパリ。子供についても「男の子ができるまで頑張る。2人は欲しい」と張り切って宣言した。明子夫人も「一緒にいるときに一番落ち着ける家庭をつくりたい」と笑顔だった。
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