死刑:罪悔いる、執行時間14分…占領下の実態、公文書に
毎日新聞 2013年04月07日 11時54分(最終更新 04月07日 12時52分)
第二次大戦後の占領下で、日本政府が死刑囚46人の刑執行について英文でまとめた公文書が国立国会図書館で確認された。絞首刑の執行時間は平均約14分だった。46人の大半が罪を悔いていた旨も記載されていた。現在、絞首刑にかかる時間など死刑執行に関する情報はほとんど公開されておらず、公文書を見つけた関西大法学部の永田憲史准教授は「死刑制度について議論するための貴重な資料だ」としている。
永田准教授によると、公文書は法務府(現法務省)が連合国軍総司令部(GHQ)に提出した死刑執行前の「起案書」と執行後の「始末書」。資料を縮小して記録するシート状のマイクロフィッシュに複写され、国立国会図書館の憲政資料室に保管されていた。
1948年7月〜1951年3月に刑が執行された男性死刑囚46人。死刑執行の開始と終了の時間が記載され、判読できない1人分を除く平均時間は約14分。最短は10分55秒、最長は21分と最大で約2倍となった。
死刑の執行時間については、死刑の合憲性が争われた裁判で、故古畑種基(たねもと)・東大名誉教授が提出した鑑定書に福岡刑務所での執行時間が引用され、平均約15分だったが、引用元の公文書は公開されていない。現在も死刑執行に関する文書は作られているが、所要時間など刑執行の詳細は非公開だ。
一方、「始末書」の特記事項の欄には、拘置所の刑務官らが観察した刑執行までの様子などが記されていた。46人中43人について「罪の意識に苦しんでいた」などと罪を後悔する記載があった。
強盗致死罪の男性(執行時23歳)については、被害者への罪の意識に苦しみ、「執行前に拘置所職員に感謝の言葉を述べた」。賭博をきっかけに強盗殺人の罪を犯したという男性(同36歳)は、死刑を当然のことと受け入れた上で、執行前に自分の子供に「賭博に手を染めないで」という遺言を残したという。
永田准教授は「裁判員制度で国民が直接、死刑の言い渡しに関与するようになったのに、死刑の情報がほとんど公開されないのはおかしい。残虐でない死刑の方法を議論するためにも、法務省はできるだけ公開すべきだ」と指摘している。
この公文書に関する永田准教授の著書「GHQ文書が語る日本の死刑執行−公文書から迫る絞首刑の実態」が近く現代人文社から出版される。【渋江千春】
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〈来栖の独白2013/4/7 Sun. 〉
やはり死刑執行に関する記事に接して思い起こすのは、加賀乙彦氏の著作である。『宣告』という作品。
弟である死刑囚勝田清孝も、ほぼこのようにして刑に服し死んでいったのだろう。
余談だが、いまの季節、外を見れば、必ず桜が視野に入ってくる。『宣告』には確か、死刑を宣告された楠本が穏やかに所長と言葉を交わし、そのなかで「もうすぐ、桜」と言って言葉を切る場面があった。私はこの「もうすぐ桜」という場面を折に触れ、幾度も思い起こしてきた。桜の季節に限らない。幾度も幾度も思い起こした。キリスト者となって悟りの境地にあった楠本が、それでも最期に至って実に人間的な横顔を見せたのと、桜のはかなさと死刑囚の儚さが重なって印象的な場面だったからだ。「儚さ」、それこそがこの世の真実だろう。実際、今日も桜の花や、散る花びらを見て思い出していた。が、これは私が死刑囚ではなく、また死刑に関わる立場にない第三者の気らくさに他ならない。他人事なのだ。
長いが、以下参考に供するのは、加賀乙彦氏『宣告』から、死刑執行の場面である。小説であるが、加賀氏が医官(小木貞孝=本名)として東京拘置所で見聞したことが書かれている。伝わってくるものは、刑場の真実である。行刑施設によって幾分か異なる部分のあることは否めないだろうが、忠実に再現されているように思う。
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加賀乙彦著『宣告』(下)新潮社刊
「さようなら」楠本は一同にむかって深く頭をさげた。その瞬間、所長が額に皺を寄せて保安課長に鋭い目くばせをした。保安課長が右手をあげて合図した。あらかじめ楠本の両側に待機していた看守が手錠をはめ腰にゆわくのと、もう一人が背後から白布で目隠しをするのが同時だった。
壁の中央で扉が音もなく穴をあけた。中腰になった保安課長が先にたち、3人の看守が左右と後ろから支えて、楠本は歩き始めた。にわか盲のため、足先で1歩1歩たしかめるような歩き方だが、安心しきって誘導に従っている証拠に、歩度に乱れはなく、靴は---それはよく磨かれて艶々と光っていた---規則正しく床を打った。
前列にいる近木からは隣室の様子が目撃できた。装置は東北のS拘置所で見たのと全く同じである。部屋の中央に1メートルと1メートル半角の刑壇がある。真上の滑車から白麻のロープが垂れている。1人の看守がロープのたるみを小脇にかかえ、もう1人がロープ端の輪を鉄環のところで支えている。ロープの長さは、死刑囚の身長と体重によって微妙に調節されてある。落下したとき、足先が地面より30センチ上に来るようにしなくては、処刑は成功しない。車の手動ブレーキに似た把手2つを2人の看守が一つずつ握っていた。2つのうちのどちらかが刑壇の止め金に連動している筈だ。
壇の扉を看守が、焼却炉の蓋でもするように、音高く閉めた。いよいよだなと近木は思い、これからおこる情景を順を追って想像しようとした。が、まだ何も考えぬうちに、グワンと鉄槌で建物を打ち毀すような大音響がした。その音が何だかあまり早くしたので、いまのは予行で、これから本番がだと思った。しかし、芝居でもはねたようにそれまで沈黙を守っていた人々が俄然ざわめき立ち、2人の所長と検事を先頭に動き出した。
「行きましょう」と曽根原がうながした。いつのまにか白衣を着て、聴診器を胸に、血圧計を手にさげている。看守たちを掻き分けて先を急ぐのに、近木は従った。
廊下の端に来て左に折れると、広い階段を見下ろす場所に来た。折り畳み椅子が3脚並べられている。所長2人と検事が座った。振り返ると教育課長や神父はここまで来ずに、先程登ってきた狭い階段から降りていく。近木は迷った。が、検事の横に立って、ともかくとことんまで見ようと、腹を決めた。彼の後に看守たちが並んだ。
目の前の階段を曽根崎は身軽にひょいひょいと下りた。右側の窓から充分な採光があるため明るい、ちょっとした大学の臨床講義室を思わせる階段であった。下には菅谷部長がストップ・ウォッチを手に立っている。曽根原は奥の白いカーテンを左右にゆっくり開いた。人形劇でも始めるような何気ない動作である。が、むこうには銀のロープに吊りさげられた人間の姿があった。
それが、今話をしたばかりの人間とは到底思えない。くびれた頸の上では死んだ頭が重たげに垂れ、下では躯幹と四肢がまだ生きていて苦しげに身をくねらせていた。それは釣りあげられた魚がピンピン跳ねるのに似ていた。
落下の加速度を得たロープで頚骨が砕かれ、意識はすぐに失われるけれども、体はなおも生きようとして全力を尽す。胸郭は脹れてはしぼみ、呼吸を続けようと空しくあがく。腕は何かを掴もうとまさぐり、脚は大地をもとめて伸縮する。おそらく落下と同時にしたのだろうが、手錠と靴が取りのぞかれていたため、手足の動きは一層なまなましく見えた。
やがて筋肉の荒い動きがおさまり、四肢は躯幹と並行に垂れ、ぐっぐと細かい痙攣をはじめた。前後左右に激しく揺れていたロープが1本の棒となって静止すると、縒りを戻しながらじわじわと回転しだす。顔がこちらを向いた。汗に濡れた青白い肌だ。目が潰れたように引き攣り、開いた口から固い舌先がのぞいている。流涎の幾条かが顎に、切創からはみでた脂肪のように光っていた。そこには精神によって保たれていた表情の気品がかけらも無い。肉体の苦悶が、そのまま正直に、凝固しているだけだ。
機をうかがっていた曽根原医官が、背広の上着を脱がし、トレーニング・ウエアの袖をまくりあげて脈をとった。それから血圧計のゴム布を腕に巻きつけた。それだけの仕事が、体が逃げるように回るため、大層やりにくそうだった。ゴム布に空気を送り聴診器を腕に当てて血圧を測る。数値を菅谷部長が手帳に書きとる。脈搏と血圧の測定が何度もおこなわれた。曽根原は禿げ頭をせわしく動かし、白衣の襟を汗で湿して、懸命に仕事を続けた。こうすることがこの場合、最も重要なのだという自信が彼の動作に現れて、私語を交していた看守たちもいつしか黙りこみ、凝っと成り行きを見守っていた。
ついに脈が触れなくなったらしい。すばやく胸をはだけ、聴診器を押しつける。弱った心臓の最後の鼓動を聴こうとする。曽根原が頷いた。菅谷部長がストップ・ウォッチを押した。
曽根原は階段上の所長たちと検事に一礼し、「9時49分20秒、おわりました。所要時間14分15秒」と声高に報告した。
近木の後にいた看守たちが階段を駆け降りた。保安課長が下に姿をみせた。棺が運び込まれ、屍体がおろされた。
拘置所長が腰を浮かしながらK刑務所長に頭をさげた。
「お疲れさまです」
「やあ、きょうはスムースにいきましたな」赤ら顔の刑務所長は快活に言った。
「先週は、手古摺りましたからね」
「きょうのは、すっかり諦めてた様子でしたな。ああいう風にもってくのは大変でしょう」
「信仰があったんで、こっちは助かりました」
「握手をもとめられた時はちょっとあわてておられた」
「ええ、死人に触られるようなもんですからな、いい気持じゃあありませんや」
「しかし、今度の法務大臣は、まあジャンジャン判子を押すもんですな」
「実は」拘置所長は左右を気にしながら声をひそめた。
「今週、もうひとりあるんですよ。けさ、執行指揮が来ましてね」
「今度は誰ですか」
「それはですね・・・」所長は後にいる近木に気付いて言葉を切った。そんな所に医官がいるとは思わなかったらしい。
拘置所長は刑務所長を脇に連れていって密談を続けた。事務官が迎えに来て検事が立った。おそろしく無表情な人である。処刑の間、近木は時々盗み見たが、昔自分が求刑し、今自分の意志が実行されている現場を前にして何を考えているのか、ついに読み取れなかった。
検事が所長たちに一礼した。所長たちは話やめ、3人は頷き合いながら、歩み去った。
保安課長の指揮で看守たちが立ち働いていた。湯灌がおわり、茣蓙に横たえられた屍体に用意の経帷子を着せている。課長みずから屍体の両腕をとり、掛声とともに白木の棺に移した。髪を撫でつけ、表情を直す。両手を組む。「さあ、がんばれや」「もうすぐおわるぞい」課長は、絶えず陽気に声をかけた。その態度は、すこしでも声を休めると看守たちが働きやめてしまう、それほどこれは嫌な仕事なのだと示していた。(略)
作業が終わり、棺に蓋をするばかりになって、保安課長が号令をかけた。
「一列横隊に整列」
近木は棺の中を見るのが嫌で、離れて立っていたが、この時、見えぬ糸に引かれるように、そっと歩み寄った。
「黙祷」
最前苦痛にゆがんでいた楠本の表情は、なぜかいまは、すっかり安らかな寝顔に変わっていた。死後、血が行き渡りでもしたように、肌がほんのり赤らみ、生きているようだ。唇がわずかにゆるんで真っ白い歯がのぞけ、何か物言いたげだ。憔悴した病人の死ばかり看取ってきた近木には、窶れの見えぬ楠本の顔艶が、どうも納得できない。もしこれが死だとすれば、それは余りにも不自然すぎる。
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加賀乙彦著『死刑囚の記録』中公新書
ただ、私自身の結論だけは、はっきり書いておきたい。それは死刑が残虐な刑罰であり、このような刑罰は禁止すべきだということである。
日本では1年に20人前後の死刑確定者が出、年間、2、30人が死刑に処せられている。死刑の方法は絞首刑である。刑場の構造は、いわゆる“地下絞架式”であって、死刑囚を刑壇の上に立たせ、絞縄を首にかけ、ハンドルをひくと、刑壇が落下し、身体が垂れさがる仕掛けになっている。つまり、死刑囚は、穴から床の下に落下しながら首を絞められて殺されるわけである。実際の死刑の模様を私は自分の小説のなかに忠実に描いておいた。
死刑が残虐な刑罰ではないかという従来の意見は、絞首の瞬間に受刑者がうける肉体的精神的苦痛が大きくはないという事実を論拠にしている。
たとえば1948年3月12日の最高裁判所大法廷の、例の「生命は尊貴である。一人の生命は全地球より重い」と大上段に振りあげた判決は、「その執行の方法などがその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬ」として、絞首刑は、「火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆで」などとちがうから、残虐ではないと結論している。すなわち、絞首の方法だけにしか注目していない。
また、1959年11月25日の古畑種基鑑定は、絞首刑は、頸をしめられたとき直ちに意識を失っていると思われるので苦痛を感じないと推定している。これは苦痛がない以上、残虐な刑罰ではないという論旨へと発展する結論であった。
しかし、私が本書でのべたように死刑の苦痛の最たるものは、死刑執行前に独房のなかで感じるものなのである。死刑囚の過半数が、動物の状態に自分を退行させる拘禁ノイローゼにかかっている。
彼らは拘禁ノイローゼになってやっと耐えるほどのひどい恐怖と精神の苦痛を強いられている。これが、残虐な刑罰でなくて何であろう。
なお本書にあげた多くの死刑囚の、その後の運命について知りたく、法務省に問い合わせたところ刑の執行は秘密事項で教えられないとのことであった。裁判を公開の場で行い、おおっぴらに断罪しておきながら、断罪の結果を国民の目から隠ぺいする、この不合理も、つきつめてみれば、国が死刑という殺人制度を恥じているせいではなかろうか。
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◆ 死刑とは何か〜刑場の周縁から
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戦後の占領下、死刑囚46人の刑執行公文書 執行時間14分 大半が罪を悔いていた
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