日本大学教授・百地章 憲法を主権者の手に取り戻そう
産経新聞2013.4.11 03:05 [正論]
憲法改正国民投票法(憲法改正手続法)が制定されたのは、平成19年5月、第1次安倍晋三内閣当時のことであった。そして、奇(く)しくも今また、第2次安倍内閣の下で憲法改正のための最大のチャンスが訪れようとしている。
≪主権回復で機運盛り上がる≫
憲法改正の焦点は、第96条である。同条では、憲法を改正するためには、国会が各議院の「総議員の3分の2以上」の賛成で発議し、国民投票で過半数の賛成を得なければならないとされている。この国会の発議を「総議員の過半数」に下げようというのが、96条改正論である。
この改正手続きが諸外国と比較していかに厳しいかは、先日、本欄で西修駒沢大学名誉教授が指摘された通りである。それによれば、発議のために議会の「総議員の3分の2以上」の賛成まで要求している先進国はなく、「世界一の難関」となっているという。しかも、わが憲法は国民投票まで要求している。
なぜ、このように厳格な規定となったのか。西教授によれば、連合国軍総司令部(GHQ)が日本国民を信用していなかったからだという。つまり、日本人自身の手で容易に憲法を改正させないようにするためであった。そして、彼らの目論見(もくろみ)通り、わが国は制定以来67年間、一度も憲法を改正することはできなかった。
その間、改憲の機運が最も盛り上がったのは、昭和27年、サンフランシスコ講和条約の発効によってわが国が主権を回復したときである。自由党や改進党をはじめとする各政党、それに民間からも次々と憲法改正案が発表され、占領体制からようやく脱することができた国民の多くが、「自主憲法の制定」つまり憲法改正を求めた。特に、憲法9条の改正を求める声は圧倒的に多かった。
この盛り上がりにもかかわらず、昭和30年2月の衆議院選挙で改憲派が297議席を確保したものの、3分の2には15議席足らず、翌31年7月の参議院選挙でも改正反対派が3分の1を4議席超えたことから、憲法改正の夢は完全に潰(つい)えてしまった。そのため、昭和30年11月、自主憲法制定を掲げる戦後最大規模の政党、自由民主党が結成されたときには、実は時すでに遅しであった。
≪改正阻止条項と化した96条≫
そして、これ以降、改憲の前には、常に社会党を中心とする反対勢力の「3分の1の壁」が立ちはだかってきた。つまり、改憲発議規定そのものが、GHQの思惑通り、改憲阻止条項としての役割を果たしてきたことになる。
憲法改正国民投票法の成立をもって、当時、筆者は本欄において「改憲モラトリアム(猶予期間)の終焉(しゅうえん)」という言葉をつかった。これまでは、いくら活発な改憲論議がなされたとしても、国民投票法が存在しなかったため、現実に国会が憲法改正を発議し、国民投票に掛けられる可能性はゼロであった。そのため、国民はこの憲法をいかにすべきか、別に真剣に考えなくても、それで済んだわけである。まさに「改憲モラトリアム」である。
だが、国民投票法の制定によって国民は国会が憲法改正の発議を行えば、それに対し、主権者として「イエス」か「ノー」か責任を持って回答する義務が生じた。
そして、7月の次期参議院選挙後の議席状況次第では、国会の3分の1の壁を突破し、現実に国会によって憲法改正条項の改正が発議される可能性が出てきた。まさに改憲モラトリアムから完全に脱却する、絶好の機会が訪れつつあるわけである。今こそ憲法を、国会から主権者国民自身の手に取り戻すときではなかろうか。
≪問われる国民の覚悟と決意≫
とはいえ、もちろん、憲法改正条件の緩和を手放しで歓迎するわけにはいかないだろう。なぜなら、改正手続きの緩和は、当然のことながら、われわれの期待する今後の改正、例えば、緊急事態対処規定の導入や、わが国の独立と平和を守るための軍隊保持のための改正だけでなく、いわゆる「改悪」のためにも平等に機会を提供するからである。
場合によっては、皇室の存在を脅かしかねない首相公選制の採用のためにも、あるいは、皇室に批判的な政党にとっても改正条件の緩和は好都合なものとなろう。
しかしながら、もし今回の好機を逃すと、二度と改憲の機会は巡ってこないのではないか。過去を振り返ると、そのような悲観的な思いに駆られる。そしてもしそうなれば、今後いくら理想を叫んでも、これまでの67年間と同様に、結局は条文の一字一句の修正も叶(かな)わないまま、占領憲法体制が続き、その下でわが国はもがき続けるしかあるまい。
となれば、このまま国の衰弱に手を拱(こまね)いているのか、それとも多少の緊張ははらみつつも、主権の行使である憲法改正権を国会から決定権者である国民の手に取り戻し、国民自身の手で国の形を作り上げていくのか、いずれかを選択するしかあるまい。まさに国民の覚悟と決意が問われている。(ももち あきら)
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憲法96条改正案、今国会提出も 自民・保利氏
日本経済新聞2013/4/10 22:43
自民党憲法改正推進本部の保利耕輔本部長は10日の会合で、憲法96条が定める改憲の発議要件を緩和する憲法改正案について「今国会中に提出して(衆院で)継続審議にし、参院選後にうまくいきそうなら参院で審議する」と述べ、今国会提出の可能性に言及した。同氏は衆院憲法審査会の会長も務める。党内は公明党との関係を考慮し、改憲案は参院選後に提出すべきだとの意見が大勢だ。
保利氏は会合後、記者団に「政治的に高度な判断が必要なので総裁(安倍晋三首相)ともよく相談したうえで、参院選より先に出すか後に出すか決めなければいけない」と語った。
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【阿比留瑠比の極言御免】公明党は足を引っ張るな
産経新聞2013.4.11 01:13
北朝鮮がいつ弾道ミサイルを発射するか分からず、国民の不安と緊張が高まる中で、安倍晋三首相が小泉純一郎内閣の官房副長官だった約10年前のあるエピソードを思い出した。首相が官邸内で日本の安全保障上の課題と懸念事項について議論しようとしたところ、先輩議員がこう言って話を打ち切ったという。
「そういう話をしたら、そんな事態が本当に起きてしまうじゃないか」
砂に頭を突っ込んで、身に迫る危険を見ないようにして安心する(*)「ダチョウの平和」(自民党の石破茂幹事長)の典型例だろう。
その後、日本を取り巻く国際環境は格段に厳しさを増した。自民党は当時に比べ現実を直視し、「今そこにある危機」(首相)と向き合うようになっている。
ところが、十年一日の如く変わらないのが与党・公明党だ。山口那津男代表は9日の記者会見で、安倍政権が目指す憲法改正についてこう述べた。
「間もない選挙(次期参院選)の争点になるほど熟した議論になっていない。有権者の率直な感じは、自分たちの生活や仕事にかかわる政策課題について聞きたいということだろう」
「平和の党」を自任する公明党らしいが、ピント外れだ。憲法改正については自民党のほか、日本維新の会もみんなの党も新党改革も掲げている。
参院選の結果と公明党の対応次第では、衆参両院で憲法改正の発議に必要な3分の2以上の議席が改憲勢力で占められる可能性は十分ある。これほど憲法改正の機運が高まったことは記憶にない。今こそ率直に憲法を論じ、国民に問いかけずにどうするのか。
安倍首相は当面、公明党が嫌がる憲法9条などには触れず、改正発議要件を現行の3分の2から2分の1に引き下げる96条改正に的を絞っている。その理由についてはこう語っている。
「例えば国民の70%が憲法を変えたいと思っていたとしても、3分の1ちょっとを超える国会議員が反対すれば指一本触れることができないというのはおかしいだろう」(2月8日の衆院予算委員会)
つまり、戦後ずっと国民から遠くかけ離れた存在だった憲法を、国民自身の手に取り戻そうという話だ。にもかかわらず、山口氏は、安倍政権による憲法改正方針についてこんな嫌みすら述べている。
「順風満帆だからといっておごり高ぶってはいけない」(3月17日の自民党大会でのあいさつ)
「内閣支持率が高いからといって、短兵急に進めようとするとつまずく」(3月18日の講演)
それどころか、山口氏は党内から「96条だけであれば改正していい」(漆原良夫国対委員長)と前向きな声が出ると、発言を控えるよう求めることもした。
このほか公明党は安倍首相が意欲を示す集団的自衛権にかかわる政府解釈見直しにも、自衛隊を国際基準に合わせて国防軍とすることにも反対している。アルジェリア人質事件の反省を反映した在外邦人保護・救出のための自衛隊法改正に関し、自衛隊の武器使用基準の緩和も否定した。
過去には、自民党が検討した敵国のミサイル基地をたたくための長距離誘導技術研究も取りやめさせた。日本は今も、北朝鮮が弾道ミサイルを日本に向けてセットしたとしても事実上、手も足も出ないままだ。
結局、「平和の党」が与党としてやってきたこととは国際情勢に目をつむる「ダチョウの平和」の死守だ。本来、責任を持って守るべき国民の生命・財産をかえって危険にさらしてきただけではないかとすら思える。(政治部編集委員)
*「ダチョウの平和」
ダチョウは身の危険が迫ると砂の中に頭を突っ込んで一時的に その危険が見えない状況にする事で安心をする。日本人には 起こり得るテロや戦争を考えないことで安心してそれが平和だ と思っている人も多いが、これを「ダチョウの平和」という。
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◆ 憲法改正へ「世界一の難関」崩せ 西 修 2013-04-01 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉
駒沢大学名誉教授・西修 憲法改正へ「世界一の難関」崩せ
産経新聞2013.4.1 03:27[正論]
憲法96条を改正しようという動きが浮上している。衆参各議院で総議員の3分の2以上の発議によらなければ、憲法改正案を国民に提案できないとする、高い要件を緩和して、各議院で総議員の過半数の議決によって、国民に提案できるように改めようというのが、改正派の主張である。
≪先進国で最も厳しい発議要件≫
3月7日に自民党を含む超党派議連の「憲法九十六条改正を目指す会」が再始動し、15日には民主党、日本維新の会、みんなの党の3党による有志議員が「憲法九十六条研究会」を発足させ、第1回勉強会を開いた。勉強会で呼びかけ人の一人、日本維新の会・松野頼久議員が「この3党で憲法改正の発議をするように活動していきたい」とあいさつしたのは印象的だった。日本維新の会とみんなの党は今国会中に改正原案を取りまとめる予定だという。
先進国から成る経済協力開発機構(OECD)加盟34カ国の憲法改正条項を調べてみると、日本国憲法のように憲法改正を必ず国民投票に付さなければならないという規定を持つ国は、日本以外にわずか5カ国しかない。
しかも、このうち4カ国の議会の国民への発議要件は、過半数(デンマーク、アイルランド、オーストラリア)あるいは在籍議員の3分の2以上(韓国)であり、総議員の3分の2以上としている国は皆無である。日本国憲法の発議要件のハードルがいかに高いか容易に理解できよう。
残るスイスは、全部改正と一部改正とで手続きを異にし、国民発案も採用していて複雑であるが、いずれの場合も国民投票にかけられる。前憲法(1874年採択)は1999年までに約140回も改正され、同年4月の国民投票で制定された新憲法が2000年1月1日から施行されている。その新憲法も12年3月までに25回の改正が重ねられている。
改正回数といえば、ノルウェー憲法(1814年採択)はすでに200回以上を数える。同国政府広報部に改正一覧を照会したところ、自分たちも把握していないとの返信が来て驚いたことがある。1カ条でもいじろうものなら天地がひっくり返る大騒ぎになるわが国とは大違いである。
≪GHQの日本人不信の所産≫
96条はなぜ、こうした高い要件を課されるようになったのか。
一言でいえば、日本国民に対する不信からである。連合国軍総司令部(GHQ)で、その原案を作成したリチャード・A・プール氏は1984年7月、私のインタビューに次のように答えた。「私が読んだ報告書には、『日本はまだ完全な民主主義の運用に慣れる用意がなく、憲法の自由で民主的な規定を逆行させることから守らなければならない』と書かれていました。私はこの報告書を興味深く読み、厳しい制約を課すことが必要だと思ったのです」
その結果、同氏らは、(1)憲法が施行されて10年間は改正を禁じる(2)その後、10年ごとに憲法改正のための特別の国会を召集する(3)改正案は国会議員の3分の2以上の多数により発議され、国会で4分の3以上の賛成があれば成立する−との案を作成した。
この案は部内で討議され、憲法改正は国会の総議員の4分の3以上の同意により成立するものの、基本的人権の章を改正する場合はさらに選挙民による承認を求め、投票した国民の3分の2以上の賛成を必要とする、という第二次案を経て、46年2月13日に、日本政府に提示されたGHQ案は、国会で総議員の3分の2以上の発議と国民の過半数の承認を要するという規定に落ち着いた。
≪世の現実と規定もはや合わず≫
このGHQ案の改正手続きについては、政府においても、また帝国議会においても実質的な検討はなされていない。GHQ案をほぼ丸呑みしたといえる。
憲法改正に際して、最も大切な点は、主権者たる国民の意思をそれに反映させることである。国会の役割は、国民に対して憲法のどこがどう問題なのか、判断材料を提示することにある。
昨年、実施された日本の新聞各紙の世論調査ではいずれも、憲法改正支持が不支持を20〜38%上回っている。特に産経新聞・FNN合同調査では「憲法改正をめぐる投票に実際に投票したい」が81・5%に達している(平成24年5月1日付産経新聞)。
安倍晋三首相が言う通り、いずれかの院で3分の1をちょっとでも超える議員が反対すれば、国民に憲法改正の意思を表明する機会が与えられないという現在の仕組みは、不合理である。
世論調査結果に関する限り、社会の実際と憲法規定と合わない部分を改正したいという現実的な理由を挙げる者が多くなってきており、イデオロギーの対立を基に、護憲か改憲かという古くさい議論を展開している国会とは大きな隔たりがみてとれる。国会が国民主権の障害物になっているようにさえ感じられ、早急に、憲法改正要件を緩和すべき第一歩が踏み出されなければならない。(にし おさむ)
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〈来栖の独白2013/4/1 Mon. 〉
先日(2013/3/30)、届いた定期便、日本カトリック部落差別人権委員会からのニュースレターである。太田勝神父さんのコラム(「狭山事件50年とイエスの復活の体」)などが載っている。
そして、大きな封筒のなかに小さなパンフレット。きれいな表紙に「平和を実現する人々は幸いである その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ5;9)」の聖句があり、下の方に「平和憲法を守り、活かしていくために」とある。
めくれば、「祈り」の言葉が綴られている。
(部分抜粋)“わたしたちは憎しみには愛を、不正には正義を、貧困には分かち合いを、戦争には平和をもって応えることができるように英知と勇気をお与えください。”
次のページには“いま、憲法が危ない! 現政権は、各議員の3分の2以上の賛成を過半数にしようと提案しています。”とあり、後半の“憲法9条を守ろう”へと続く。
このパンフは「日本カトリック司教協議会 社会司教委員会」のなかにある「正義と平和デスク」が発行したもので、日本カトリック司教協議会という大きなところからの公のものではないが、紛らわしい。
いずれにしても、カトリック教会というところも世間の護憲派と同様、じっくり考えてみることもせず、極めてセンチメントに「平和」を捉える。世界の情勢に疎く(知ろうとせず)、国民・領土をいかにして守るかを真面目に考えようとしない。
裁判員制度についても、然り。司教さんたちはご自分の逃げ道しか考えなかった。官僚制度(カトリック官僚)とは、いずこも同じである。
安倍政権には、どうぞ賢明に総てをやり過ごされ、なんとしても憲法改正へこの国をもっていって貰いたい。険しい道だ。過日の石原慎太郎氏の国会質問を聴きながら「この方は、憲法改正のために、国会へ戻っていらしたのだ」とあらためて感じた。厳密に言うなら「改正」などではなく、現憲法破棄、新憲法創設である。
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◆ 『憲法が日本を亡ぼす』古森義久著 海竜社 2012年11月15日 第1刷発行 2012-11-28 | 読書
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