「北朝鮮を核保有国として認めない」ケリー米国務長官
(CNN)2013.04.13 Sat posted at 11:29 JST
12日に韓国に到着したケリー米国務長官は、「北朝鮮が核保有国として受け入れられることはない」とし、北朝鮮が核兵器計画の中止について真剣に話し合う意思がある限り、対話に応じると述べた。
11日の米下院軍事委員会公聴会で、米国防総省傘下の国防情報局(DIA)が、北朝鮮は弾道ミサイルに核兵器を搭載する能力を持つ可能性が高いとの報告書をまとめていたことが明らかになったが、ホワイトハウスのカーニー報道官は12日の記者会見で、北朝鮮政府が「核を搭載したミサイルを配備する能力を示したことはない」と述べた。
またケリー長官も12日にDIAの報告書に触れ、北朝鮮は2006年以来、3度の核実験を実施したが、それをもって北朝鮮が核を搭載したミサイルを発射する能力があると指摘するのは適切ではないとの見方を示した。
長官は「北朝鮮が核実験を行ったのは明らかであり、すでに何らかの爆弾を保有しているのは間違いないが、それは(核兵器を)小型化して発射するとか、発射実験とは大きく異なる」と述べた。
また北朝鮮が間もなく弾道ミサイルの発射実験を行うと見られていることについて、ケリー長官は、北朝鮮がミサイルを発射すれば、「大きな過ち」を犯すことになると警告した。
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◆原発保有国の語られざる本音/多くの国は本音の部分では核兵器を持ちたいと思っているようであり2011-05-10 | 政治〈国防/安全保障/領土〉
知らないのは日本人だけ? 世界の原発保有国の語られざる本音
JB PRESS 2011.05.10(Tue)川島博之〈東京大学大学院農学生命科学研究科准教授〉
4月の最終週に、ドバイ経由でエチオピアに出張した。出張ではホテルのロビーなどで外国人と何気ない会話を交わすことも多いのだが、今回出会った人々は、私が日本人と分かると、異口同音に「FUKUSHIMA」について聞いてきた。世界の人々が原発事故に関心を寄せているのだ。福島は広島、長崎と共に、広く世界に知られた地名になってしまった。
日本はこれからも原子力発電を続けるべきであろうか。それとも、原発は取り止めるべきなのだろうか。
報道各社による直近の世論調査では、賛否はほぼ拮抗している。多くの人が、地震が多い日本で原子力発電を行うことはリスクが伴うが、便利な生活を送るためには仕方がないと考えているのだろう。
現在は、原発から漏れている放射性物質の封じ込めや津波で破壊された町の復興に関心が集まっているが、一段落つけば、これから原発とどう付き合うか、真剣に議論しなければならなくなる。
その議論を行う前に、世界の原発事情についてよく知っておくべきだ。フランスが原発大国であることを知っている人は多いと思うが、その他の国の事情については、よく知られていないと思う。
筆者の専門はシステム分析だが、システム分析ではデータを揃えて広い視野から先入観を持たずに現実を直視することが第一歩となる。そこで本稿ではIEA(国際エネルギー機関)のデータを基に、世界の原発事情について考えてみたい。そこからは原発の意外な一面が見えてくる。
*原発を所有する国の意外な顔ぶれ
原発は最先端の科学技術を利用したものであるから、先進国にあると思っている人が多いと思う。しかし、調べて見るとどうもそうとは言い切れない。
現在、31カ国が原発を所有している。原発による発電量が最も多い国は米国であり、その発電量は石油換算(TOE)で年に2億1800万トンにもなる(2008年)。
それにフランスの1億1500万トン、日本の6730万トン、ロシアの4280万トン、韓国の3930万トン、ドイツの3870万トン、カナダの2450万トンが続く。日本は世界第3位だが、韓国も第5位につけており、ドイツを上回っている。
その他を見ると、意外にも旧共産圏に多い。チェルノブイリを抱えるウクライナは今でも原発保有国だ。石油換算で2340万トンもの発電を行っている。その他でも、チェコが694万トン、スロバキアが440万トン、ブルガリが413万トン、ハンガリーが388万トン、ルーマニアが293万トン、リトアニアが262万トン、スロベニアが164万トン、アルメニアが64万トンとなっている。
旧共産圏以外では、中国が1780万トン、台湾が1060万トン、インドが383万トン、ブラジルが364万トン、南アフリカが339万トン、メキシコが256万トン、アルゼンチンが191万トン、パキスタンが42万トンである。
その他では、環境問題に関心が深いとされるスウェーデンが意外にも1670万トンと原発大国になっている。また、スペインが1540万トン、イギリスが1370万トン、ベルギーが1190万トン、スイスが725万トン、フィンランドが598万トン、オランダが109万トンとなっている。
原発を保有している国はここに示したものが全てであり、先進国でもオーストリア、オーストラリア、デンマーク、アイルランド、イタリア、ノルウェー、ニュージーランド、ポルトガルは原発を所有していない。
ここまで見てくると、一概に原発は先進国の持ち物と言うことができないことが分かろう。
*多くの国は本音で核兵器を持ちたがっている
東欧諸国は旧共産圏時代に建設し、今でもそれを保有している。しかし、台湾やインド、ブラジル、南アフリカ、パキスタンになぜ原発があるのだろうか。韓国の発電量がなぜドイツよりも多いのであろうか。また、G7の一員でありながら、なぜイタリアには原発がないのか。
原発の有無は、その国の科学技術力や経済力だけでは決められない。
ある国が原発を所有する理由を明確に知ることは難しい。その国の人に聞いても、明確な答えは返ってこないと思う。しかし、原発を持っている国名を列記すると、その理由がおぼろげながら見えてくる。原発は国家の安全保障政策に関係している。
原子力による発電は原子力の平和利用であるが、ウランを燃焼させることにより生じるプルトニウムは原子爆弾の原料になる。また、原発を製造しそれを維持する技術は、原爆を製造する技術につながる。原発を持っている国は、何かの際に短時間で原爆を作ることができるのである。
北朝鮮が原爆の所有にこだわり、それを手にした結果、米国に対して強い立場で交渉できる。この事実は広く知られている。そのために、イランも原爆を欲しがっている。
米国が主導する世界では、世界の警察官である国連の常任理事国以外は核兵器を所有してはいけないことになっている。それ以外の国が原爆を持つことは、警察官以外が拳銃を持つようなものであり、厳しく制限されている。
しかし、各国の利害が複雑にぶつかり合う世界では、金正日が米国に強気に出ることができるように、核兵器を持っていることは外交上で有利に働くと考えられている。
多くの国は、本音の部分では核兵器を持ちたいと思っているようであり、原発保有国のリストと発電量を見ていると、その思いの強さが伝わってくる。
*フランスが原発大国でイギリスの原発が小規模な理由
日本では、フランスが原発大国であることはよく報じられるが、その理由が語られることはない。フランスが原発に舵を切ったのは、地球環境問題がやかましく言われるようになった1990年代以前のことである。フランスはCO2を排出しない発電方法として原発を選んだわけではないのである。
それには、西側にいながら米国と一線を画したいと考えるドゴール以来の外交方針が関連していると考えるべきであろう。同様の思いは、国防に関心が深いスウェーデンやスイスにも共通する。また、フィンランドは常にソ連の脅威にさらされてきた。
そう考えると、西側の中でもイギリスの原発発電量がスウェーデンよりも少なく、フランスの約1割に過ぎないことがよく理解できよう。イギリスの外交方針が米国と大きく異なることは多くない。原子力の力を誇示して、ことさらに米国と一線を画す必要はないのである。
韓国に原発が多いことも理解できる。米国が作り出す安全保障体制の中で原爆を持つことは許されないが、北朝鮮が持っている以上、何かの際に原爆を作りたいと考えている。
その思いは台湾も同じである。旧共産圏に属する小国が、多少のリスクに目をつぶって原発を保持し続ける理由もそこにある。東西の谷間に埋もれるなかで、少しでもその存在感を誇示したいと思っているのだ。
*「絶対安全」とは言えない原発の所有を国民にどう説明するか
このような力の外交の一助として原発を位置づけるという考え方は、多くの国で国民にそれなりの理解を得ているようだ。だから、フランスや韓国や台湾、ましてパキスタンで反原発のデモが繰り返されることはない。
しかし、日本、ドイツ、イタリアではそのような考え方は国民のコンセンサスとはなり難い。言うまでもなく、この3国は第2次世界大戦の敗戦国であり、多くの国民は力による外交を毛嫌いしている。そのために、原発の所持を安全保障の観点から国民に説明することが難しくなっている。
この3国では原発所持の理由を、経済性や絶対安全であるとする観点から説明することになる。しかし、それだけでは、使用済み燃料の最終処理に多額の費用を要し、また、福島の事故で明らかになったように、絶対安全とは言えない原発の所有を国民に説明することはできない。
イタリアはチェルノブイリ原発事故の後に国民投票を行い、原発を廃止した。また、ドイツも緑の党などが強く反対するために、福島の事故を受けて、原発の保有が大きな岐路に立たされている。
ここに述べたことを文書などで裏付けることは難しい。しかし、原発の保有国リストや発電量を見ていると、自然な形で、ここに述べたようなことが見えてくる。世界から見れば、日本の原子力政策も潜在核保有力の誇示に見えていることであろう。
これまで、日本における原発に関する議論は、意識的かどうかは分からないが、本稿に述べた視点を無視してきた。
しかし、原発の経済性と安全性の議論だけでは、なぜ、原発を持たなければならないのかを十分に議論することはできない。福島の事故を受けて、今後のエネルギー政策を考える際には、ぜひ、タブーを取り除いて議論すべきであろう。
戦後66年が経過しようとしている。少子高齢化も進行している。そろそろ、老成した議論を始めてもよいのではないであろうか。
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◆ 北朝鮮のミサイル発射を抑える行動だけでなく、我国の核武装を追求する情報戦を仕掛けるべき 田母神俊雄 2013-04-12 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉
我が国の政治は北朝鮮のミサイル発射を抑えるためだけの行動をしているように見えます。これを利用して我が国の核武装を追求するような情報戦を仕掛けるべきです。核武装しなければ国際政治を動かす一流の国にはなれません。我が国は今後とも核武装国が決めたとおり行動するだけの国をめざすのか。
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◆ WiLL5月号 2013年4月26日発行 「蒟蒻問答」 核問題はインドを見習え/ネクロフィリアからの脱却を 2013-04-08 | 読書
WiLL5月号 2013年4月26日発行
蒟蒻問答 第84回 「中韓は対話の域を超えている」堤堯×久保紘之
(抜粋)
p246〜
*核問題はインドを見習え
編集部 ところで、北朝鮮に対してはどう動いたらいいのでしょう?
堤 日本のメディア、評論家連中は、北朝鮮が実験をくり返すたびに「冷静に構えて話し合いの道を探れ」などと埒もないセリフを言うが、北は親子3代、核ミサイル保有への確固たる意志は変わらない。なのに、いたずらに時間を与えてきた。核に対抗できるのは核しかない。備えあれば憂いなしだ。何でその方向に議論が進展しないのかね。
久保 パワーポリティクスの世界を堂々と生き残るには、核を持たないと土台無理な話なんですよ。アルジェリアの事件について「なぜ守れなかったのか」と質問された際、安倍はこう言いました。
「イギリスなど、武力を持っていて戦争行為をする準備ができている国と、我々のような国と同じように論じられても困る」
これは全くその通りなんだけど、かつて池田勇人は外交交渉の帰りに思わず「ああ、日本にも核があったらなぁ」とため息混じりに呟いた。それから半世紀経っても、この問題は“呟き”の域を出ない。
堤 でも、いきなり世界に向けて「日本も核を持つ」と宣言するわけにいかんよ。手順というものがある。
久保 北朝鮮は核弾頭を作り、ノドン300発の照準を日本に合わせているという。そんななかで、悠長に手順を踏んでいる場合ですかねぇ。
たとえば現在、ロケット開発や原子力発電などを民間に委託しているけど、それこそ国家が前面に立ってやるべきことでしょう。いまの原発が危ないというのなら、国家が科学の粋を結集し、採算抜きで世界一安全堅固で高性能の原発を開発すればいいだけの話です。
山中伸弥教授のiPS細胞の研究は人間の生命科学の進展に大きく貢献したけど、一方では、その生命を守るために生命を犠牲にしなければならない時が、国家にはある。そのためには、まず国家の独立が必要。そして、その国家を有効に維持・防衛するためには核武装が必要になる。これはノーベル賞作家のクロード・シモンが、祖国フランスの核実験を支持するために展開した論理です。
堤 核の問題はインドがいい例となる。かつて佐藤栄作がひそかに核武装を意図し、西ドイツに共同開発を呼びかけたことがある。首相シュミットは拒否したけど、これを利用してアメリカから核のレンタルに成功した。一方、日本には核のレンタルすら認めない。
比べてインドは深く静かに潜行し、秘密裡に核を作ってしまった。当時、それに気付かなかったことでCIA長官がクビになり、CIA無用論まで出た。インドはアメリカから経済制裁を喰らったけど、こう訴えた。「われわれは中印戦争で惨敗した。中国は核を持っている。我々も持たねばまたやられる」とね。
中国の脅威を言い立てて、いまじゃインドの核は公認、アメリカから核の技術を提供されるまでになった。中国の脅威をいうなら、日本も同様だ。おまけに北の脅威も加わった。ドイツやインドにできたことが、なぜ日本にはできない。
加瀬英明さんに聞いた話では、インド国防相の部屋に行くと、広島の原爆ドームのカラー写真が壁に飾ってあるそうだ。聞けば、「核を持たなければ、こういう悲惨な被害を受けることを、毎日、心に刻むために飾ってある」という答えだ。
アメリカは核を持った国とは絶対に戦争をしない。イラクのサダムは核を持たないからやられた。金正日も金正恩もそれを知っているから核に執着する。
北朝鮮が最初の核実験を強行した時、安倍晋三と中川昭一は「日本も核の議論を始める必要がある」と発言した。この二人を朝日新聞はNHKと組んで叩きに叩いた。他の大手メディアも同様だ。かつて安倍の祖父・岸信介は「自衛のために小型の戦術核をもつことは憲法違反ではない」と発言して、これまた物議を醸した。安倍が官房長官の頃、早稲田大学のキャンパスで、祖父の「戦術核合憲論」をどう思うかと問われてこれを是認したときも、朝日以下のメディアは叩いた。核の議論をする者を目の仇に、袋叩きにして議論を封殺する。核だけではない。いまだに日本人は軍備や核という言葉にアレルギーをもっている。
久保 国民が反対しようがしまいが、国家が生き残るためにやらなきゃいけないことは、断固としてやらないといけないんですよ。
p250〜
*ネクロフィリアからの脱却を
久保 「原発も国家も大企業もいらない。小さな共同体をつくり、再生可能エネルギーで十分生きていける」。「3・11以降の反核・反原発運動家らはどんどん“縮志向”になって、そんなユートピア像しか思い描けない。
エーリヒ・フロムは『悪について』(紀伊國屋書店)のなかで、ネクロフィリア(死への希求)とバイオフィリア(生への希求)という2つの概念を提示しました。
フロムによれば、「核戦争は戦争の一切の合理化を成立不能にする」ものであり、核戦争阻止、核実験反対に立ちあがらない人々をネクロフィリア、その逆をバイオフィリアと呼んだ。フロムは原発と原爆を混同したりはしていませんが。
さて、いま反原発デモに参加する大江健三郎や菅直人など、日本の反核平和愛好者たちは「生に向かおうとする気持ち」はあっても「平和を守るために命を犠牲にすることもありうる」という積極的平和主義を生きたことはない。だから彼らをバイオフィリアと言えるわけがない。
僕はかつて戦後知識人の核、“絶対悪”神話の原点はどこなのか、探ってみたことがあります。そうすると、荒正人の「火」(昭和46年6月14日)という論文に辿り着いた。荒はそのなかで、核は壊滅的、否定的な側面と、平和的な積極的な側面があると考えた。前者を取るなら世界はネクロポリス(死都)に、後者を取るならばアクロポリス(世界市)になる、と。そして、いずれの道を選ぶかは、人民の手による「政治」にかかっていると荒は書いています。荒は共産主義者なので、「ソ連の核はいい核」となってしまうわけですが・・・。
問題は荒が、「今日、人類は星のエネルギーを獲得したのである。この無限大のエネルギーもいつかは必ず産業化されるだろう」と書いたユートピア的なイメージが、いつ頃から反核・反原発を同列に扱い、マイナスイメージ一色に塗りつぶされたのか、です。(略)
p251〜
ともあれ、安倍のキャラクターで僕がもっとも評価するのは、バイオフィリア的側面です。ならば、彼がやるべきことは「戦後レジームの脱却」、すなわちネクロフィリア的な核ニヒリズムという戦後精神の改革を断行することでしょう。
堤 それは参院選後にやると思うよ。まずは経済を立て直さないと、国防すら覚束なくなる。軍備も技術革新もカネがかかるんだよ。
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