「極限芸術」展を開催=死刑囚の絵など300点−異色の試み、20日から広島で
時事通信2013/04/15-11:17
死刑囚が拘置所で描いた絵画の展覧会「極限芸術〜死刑囚の表現〜」が、広島県福山市の「鞆の津ミュージアム」で20日から開催される。毒物カレー事件の林真須美死刑囚(51)ら約30人の手になる約300点を展示する異色の試みだ。
企画したのは同ミュージアムのアートディレクター櫛野展正さん(36)。昨年9月に広島市であった小規模のギャラリー展で目にした死刑囚の作品に衝撃を受けた。「強烈に心をざわつかせる美術が目の前にあった。他の人はどう受け止めるのかと考えた」と振り返る。
*坂本弁護士一家殺害事件の岡崎(現姓宮前)一明死刑囚が描いた「思惟の慟哭」(鞆の津ミュージアム提供)
法務省によると、確定死刑囚は現在136人。食事や入浴などを除き、起きている間は原則として単独室で自由に過ごせる。一定の制限はあるものの、絵を描いたり手記や日記をつづったりすることも認められ、外部への提供も可能という。
展示するのは、死刑囚のほか、既に執行された人たちが拘置所の単独室でボールペンや色鉛筆を使って描いた作品。林死刑囚の「国家と殺人」や手記をはじめ、坂本弁護士一家殺害事件のオウム真理教元幹部岡崎(現姓宮前)一明死刑囚(52)の「思惟の慟哭」などを並べる。作品の意味は説明せず、来館者に感じてもらうという。
連続企業爆破事件で死刑が確定した大道寺将司死刑囚(64)の母親の死後、支援者らが設立した「死刑廃止のための大道寺幸子基金」(東京都)が、死刑囚に呼び掛けて描いてもらった絵などの貸し出しを受けた。
ミュージアムのホームページで告知し、開催前からインターネット上で話題に。否定的な意見もあるが、櫛野さんは「閉ざされた環境、いつ運命の日が訪れるか分からない状況で描かれた絵。死刑制度の是非という見方でなく、純粋に一つの美術として見てほしい」と話す。
展覧会は6月23日までで、観覧料は500円、小学生以下は無料。開館時間は午前10時〜午後5時(月曜休館)。会期中、脳科学者の茂木健一郎さんらを招きトークイベントを開く。(2013/04/15-11:17)
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監獄アート
ロシアの声 4.04.2013, 14:43
4月20日、広島県福山市の鞆の津ミュージアムで、死刑囚によるアートの展示がオープンする。その名も「極限芸術―死刑囚の表現―」、6月23日までの開催。死刑囚は、判決については知りながら、その執行がいつになるのかを知らない。現在、日本には130人の確定死刑囚がいる。中には数十年間執行を待っているものもいる。彼らには毎朝が、人生最後の朝だ。社会から隔絶した環境で、長期にわたって執行を待つ彼らは、絵画という手段で、社会に自分の境遇を伝えようと試みている。展覧会では300の作品が展示される。出品者は独房に暮らす確定死刑囚たちである。
「ロシアの声」記者は慈善基金「ロシアの白樺」職員、ドミートリイ・ゲラシメンコ氏にインタビューを行い、「希望を失った人々が精力的に表現活動を行うのは何故か?」という質問を向けた。
―日本人を理解することは、もちろん、ロシア人には困難だ。何らかの異なる哲学、生と死への異なるアプローチがあるのだ。おそらく、日本の伝統とも無関係ではあるまい。日本からの使節団が私どもを訪れたことがあるが、彼らは我々の慈善活動の様々な点に驚きを表していた。ロシアには、やはり、キリスト教の伝統がある。世界から隔絶している人と連絡をつける糸口になるのは、外部からの介入だ。ひるがえって、社会から切り離された囚人たちが絵を描くのは、自分の画才をアピールするためではない、また恐ろしい考えから自分を解放するためでもない。彼らは、「私たちにも魂はある」ということをこそ、アピールするために描くのだ。これは、(世界からの、ではなく)世界への、というベクトルだ。
ロシアは死刑執行のモラトリアムを導入している(事実上の死刑廃止国)。その一方で、ロシアは米中に次ぎ、数において世界第3位の服役囚を抱える国である。自由剥奪刑(禁固・懲役)に服している人数は、およそ86万人。そのためロシアは、他の多くの国と同様、「遅かれ早かれ牢獄を出る人々を、いかにして普通の生活に適応させるか」という峻険な問題に直面している。
ロシアの刑務所では、社会プロジェクトとして、演劇活動や歌唱コンクール、さらにはミス・コンテストなどが行われている。こうしたことに一般の人々が寄せる感情は、現段階ではまだ、「こわごわとした興味」という以上のものではない。しかし、ロシアにおけるこの経験を学びに、多くの国々から専門家たちが訪れている。数年前、ロシアで、「アート・アムネスティ」プロジェクトが始まった。篤志家が刑務所を訪れ、囚人たちに芸術の世界を教える、というものだ。
しかし、やはり、囚人に最も身近な芸術ジャンルは、絵画である。興味深いことに、かつて一度として絵画制作に関心を示したことのない囚人が、時に、極めてハイレベルな絵画を制作する。自分の秘められた才能を初めて発見した、というわけだ。
第二次世界大戦後に捕虜となり、ソ連邦内に抑留された日本人もまた、少なくない数のスケッチを遺している。そこにはラーゲリにおける生活が描かれている。これら質朴なスケッチは、彼らのつらい生活、またロシアと日本の2国間関係史を証言する資料となっている。
芸術によって人間は人間になる、という事実は、2012年ベルリン映画祭で金熊賞に輝いた『シーザー死すべし(邦題:塀の中のジュリアス・シーザー)』にもよく示されているところだ。監獄における演劇のなかで、一時的にもせよ、囚人は自由を感じることが出来る。劇が終わったとき、不自由の感覚は、肉体的には一層濃くなる。しかし、意識のレベルでは、檻は破られたのだ。おそらくは、永遠に。
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◆ 「死刑でよい」
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