中国圧力外交が促した日台漁業取り決め署名
強い文句も言えぬほどの完敗〜中国株式会社の研究(210)
JBpress2013.04.12(金)宮家 邦彦
4月10日、日台間で長く「お蔵入り」していた民間漁業交渉が遂に妥結した。日台関係を知る人なら、「日本は今頃なぜ譲歩したのか」「中国は反発しないのか」などと驚き、かつ心配したのではないか。今回はこの日台漁業取り決めが持つ意味について考えたい。
*「協定」か、「取り決め」か
のっけから細かい話で恐縮だが、4月10日、日本テレビが21時58分にネット配信した見出しは「日台漁業協定合意、官房長官『心から歓迎』」だった。わずか30分前の21時28分配信では「日台、尖閣周辺の漁業権など取り決めで合意」となっていたのに。
片方は漁業「協定」、もう一方は漁業「取り決め」、一体どう違うのか。日台では「取り決め」が正解。ちなみに、同じ発音でも「トリキメ」には「取極」と「取り決め」の2種類ある。日台の場合は「取極」ではなく、あくまで「取り決め」が正しい。何ともややこしい話だ。
なぜ日台は「取り決め」なのか、種明かしをしよう。「協定」とは国際法上の「国際約束」であり、通常は主権国家または公的国際機関などと結ばれる。日本にとって台湾は「国家」ではないので「国際約束」ではなく、民間の「取り決め」しか結べない。
一方、同じ「トリキメ」でも「取極」は国際約束であり、国際法上拘束力がある。今回のトリキメは、あくまで日本側「交流協会」と台湾側「亜東関係協会」間の約束だから、国際法上の拘束力はない。だから、日台間では漁業「取極」という用語も使われない。
以上だらだらと書いてしまったが、筆者の言いたいことは1つだけ。
日台の基本は「非政府間の実務的関係」の維持であり、この点は今回の「取り決め」後も変わらない、ということ。4月10日、中国外交部の洪磊報道官が今回の「取り決め」署名に「不快感を表明した」と報じられたが、何が「不快」なのか筆者にはよく分からない。
*「重大な懸念」か、「関心の表明」か
さらに、同報道官は日本と台湾の漁業取り決め締結に「重大な懸念」を表明したという。一体何が御不満なのか。日本側は1972年日中国交正常化以来の台湾の取り扱いを一切変えていない。だからこそ合意文書は「協定」ではなく、「取り決め」なのではないか。
この「不快感表明」報道に引っかかった筆者、早速原文を読んで驚いた。4月10日記者会見での洪磊報道官発言の該当部分は次の通りなのだが、どう探しても「重大な懸念」なる表現は見当たらない。誰かの勘違いだろうか。
【洪磊報道官発言】台湾の対外関係等の問題に対する中国の立場は一貫し、かつ明確である。中国は日台の関係団体が交渉・締結した漁業合意に対し関心を表明する。我々は日本側に対し、一つの中国の原則及び台湾問題に関し承諾したことを遵守し、台湾問題を慎重かつ適切に処理するよう要求する(中方在台湾对外交往等问题上的立场是一贯和明确的。中方对日台有关团体商谈签署渔业协议表示关注。我们要求日方切实恪守一个中国原则和在台湾问题上作出的承诺,审慎处理涉台问题。)
*日本側の戦略的判断
4月10日、菅義偉官房長官は、「歴史的な意義を有するもの」として「心から歓迎」する、「東シナ海における漁業秩序の維持」により「今後の地域の安定にもつながっていく」と述べたそうだ。
この発言が今回の「取り決め」の意義をすべて物語っているだろう。
「取り決め」では、日本の排他的経済水域の中に、(1)双方が相手側漁船に対し、漁業関連法令を適用せず、取り締まりを行わない「法令適用除外水域」と、(2)法令適用除外はないものの、双方の操業を最大限尊重する「特別協力水域」の2つの水域を設けている。
1996年に日台間で協議が始まって以来17年もかかった計算だ。台湾側漁協は「漁業者の生活が改善される」と評価し、「主権の問題よりも生存する権利が大切だ」として、領有権を巡る問題には踏み込まない姿勢を示したという。
もちろん、沖縄漁民側の反発は少なくないだろう。しかし、それを差し引いても、中台間に楔を打ち込むがごとき今回の「取り決め」が持つ対中外交上の意味は大きい。今回は(最近では珍しく)日本側が戦術的譲歩を行い、戦略的利益を得たということだ。
それにしても、最近の中国の強烈な「自己主張」がなければ、日本側がこれだけの決断を下すことはなかっただろう。逆に言えば、日台をこれだけ接近させてしまったという意味で、今回は中国外交の大失敗と言えるのではなかろうか。
*正面から反対できない中国
そうした雰囲気は今回の中国側言動にも表れている。そもそも、通常何か気に入らないことが起きた場合、中国側公式発言にいくつつかの「パターン」があることは以前(中国株式会社の研究その163)書いた。
第1のパターンは「強烈な不満」だ。
例えば、昨年日本で世界ウイグル会議総会が開かれた際、件の洪磊報道官は「反中分裂活動に従事する世界ウイグル会議の日本での開催を許した日本側に対し強烈な不満を表明する(执意允许“世维会”在日召开有关会议,从事反华分裂活动表示强烈不满)」と発言した。
第2、第3のパターンは「強烈な憤慨」と「断固たる反対」だ。
2011年に米国のバラク・オバマ大統領がダライ・ラマと非公式会見した際、外交部の馬朝旭報道官は「強烈な憤慨を表明するとともに、これに断固として反対する(中方对此表示强烈愤慨和坚决反对)」と述べている。
不思議なことに、中国側の「不満」や「憤慨」は常に「強烈な」ものだ。「強烈」ではない「不満」や「憤慨」などこれまで見たことがない。これに比べると、今回の中国側の「関心を表明(表示关注)」なる発言には、「強烈」なる形容詞すらなく、まるでパンチがない。
そもそも「不快感」や「重大な懸念」を表明したという一部日本メディアの報道自体、必ずしも事実かどうか分からない。少なくとも、今回に関する限り、中国側の発言は極めて抑制されたものである可能性が高い。
逆に言えば、今回の日台漁業「取り決め」について、中国側は「文句を言いたくても言えなかった」のではなかろうか。当然だろう、この「取り決め」で最も裨益(ひえき)するのは、彼らが「中国の一部」と呼ぶ台湾の漁民たちなのだから。
今回中国は近視眼的に対日圧力を続けるばかりで、逆に見たくもない「日台接近」をやすやすと許してしまった。しかも、それに対する有効な反論すらできていない。
筆者が今回の日台「取り決め」を「中国外交の失敗」「日本外交の得点」と考える理由はここにある。
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「中国圧力外交が促した日台漁業取り決め署名 強い文句も言えぬほどの完敗」宮家 邦彦
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