【連載企画・極刑の断層?】どんな気持ちで死刑執行を 聞きたい思い抑えた母─死刑囚と死刑制度の今
2013/04/15 15:30(共同通信)
福岡市早良区にある福岡拘置所。松田幸則元死刑囚は、この施設内で絞首刑に処された=2012年11月
日本の確定死刑囚は昨年末で133人と、年末時点では1949年以降最多となった。谷垣禎一法相は就任会見で、死刑執行について「裁判所の判断を尊重し、私が最終的に決める」と述べたが、死刑について国民が知り得る情報は限られている。死刑囚と死刑制度の今を探った。
ひつぎに入った息子は、花に囲まれ、穏やかに眠っているように見えた。「(最期に)母ちゃんの顔を見ることはできんかったね」。母は声を絞り出して語りかけた。
福岡市早良区の福岡拘置所の一室。昨年9月28日、前日に死刑執行された元死刑囚の松田幸則=当時(39)=の葬儀が行われた。
熊本県内から駆けつけた母に、拘置所幹部は「立派な最期でした」と告げた。遺書はなかったが、遺した言葉を職員が伝えた。「母ちゃんにいろいろ迷惑かけてすいませんでした。元気で長生きしてください。母ちゃんの子どもに生まれてよかった」。母は泣いた。
松田は2003年10月、熊本県松橋町(現宇城市)で男女2人を殺害、現金を奪ったとして強盗殺人罪などに問われ、一、二審で死刑判決。09年4月に上告を取り下げて確定した。
一審で検察側は「鬼畜にも劣る犯行。被害者の感情は 峻烈だ」「改悛の情もない」と指弾。判決公判でも裁判長は「反省の態度が全く見られない」と厳しく指摘した。
だが、昨年、参院議員の福島瑞穂(社民党党首)が実施した確定死刑囚に対するアンケートへの回答では「言葉では言い表せないほどに申し訳なく思っています」と被害者と遺族に対する謝罪の言葉を書き連ねていた。
一審で弁護を担当した弁護士の三角恒は「松田さんは被害者への深い謝罪とともに、死刑への覚悟を何度も口にしていた。しかし、口下手で、公判ではその思いが十分に表現できなかった」と振り返る。
松田は逮捕直前に母を抱きしめたときのことが「忘れられない」とも三角に話していた。「年を重ね、小さくなった母が自分の犯した罪で苦しんでいた。その自責の念から何度も涙を見せた」
関係者によると、刑場の松田は所長らにお礼の言葉を述べ、静かに絞首台の上に立ったという。
遺体を霊きゅう車に乗せる際、刑務官は母に「模範囚でした」と語りかけた。その言葉に礼を述べつつ、母によぎった思いがあった。「本当は電気(絞首台の踏み板を開くボタン)を押しなった(押した)人たちに、どぎゃんした(どのような)気持ちで押しなったと聞こうと思ったですたい」。その思いは必死に抑えた。「仕事だし、仕方なかったですもんな。そんなこと聞いても、返事できんですもんな」
周囲からは「死刑の家族とは付き合えん」とささやかれ、夫の退職金も「奪ったカネだろう」と言われた。そんな中、母は2人の被害者の名前を札に書いて壁に貼り、3年前に他界した夫と毎日手を合わせてきた。
「私が元気なうちに(息子が)帰ってきてくれた。それがうれしかです」。独り暮らしの居間の仏壇には、新たに息子の写真を置き、毎日の出来事を語りかけている。(敬称略、佐藤大介)
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◆ 【連載企画・極刑の断層?】絞首刑は残虐か 進まない見直し論議 2013-04-22 | 死刑/重刑/生命犯 問題
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【連載企画・極刑の断層?】松田幸則元死刑囚 「どんな気持で死刑執行を」聞きたい思い抑えた母
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