日中尖閣問題を尻目に静かに進む米中軍事交流 蚊帳の外の日本ではまずい
JBpress2013.04.26(金)中国株式会社の研究(212)宮家 邦彦
4月22日午後、北京訪問中の米統合参謀本部のマーティン・デンプシー議長が人民解放軍の房峰輝(Fang Fenghui)総参謀長と会談した。米統参議長の訪中は2011年7月のマイケル・マレン議長以来だが、この2年間に米中軍事交流は新たな深化を遂げつつあるようだ。
例によって、日本マスコミによる関連報道はあまり多くない。そこで今回は、近年の米中両国軍部トップ同士の接触に焦点を当てつつ、今後の米中関係の中でこうした「軍事交流」が果たす役割とその限界について考えてみたい。(文中敬称略)
中国の軍事力に対する懸念が顕在化したのは過去10年ほど。この間、ほぼ数年おきに米統合参謀本部議長が中国を訪問している。最初は2004年1月のリチャード・マイヤーズ、続いて2007年3月のピーター・ペイス。今回のデンプシー大将は21世紀に入って3人目の統参議長だ。
2004年のマイヤーズ訪中はよく覚えている。あの頃は北京在勤中の筆者がバグダッド出張から帰った直後。2月からのバグダッド在勤に向け引っ越し準備で慌しかった時期だ。当時のイラクは戦争「終結」後で、米軍人の主要な関心はバグダッドを向いていた。
それでも、一部の米軍関係者は当時から人民解放軍の増強を懸念していた。彼らは、対中衝突を避ける最も効果的な方法は中国軍人に米軍装備の実態を理解させることと信じていた。米軍の圧倒的優位を見せつけて、米国に対する挑戦を諦めさせようというのだ。
当時の米軍関係者の悩みは解放軍トップへのアクセス。軍トップと接触を試みても、出てくるのは毎回熊光楷・副総参謀長だった。英語は喋るが実質的権限を持たない渉外担当の副総参謀長と話しても「意味はない」、米国防総省の友人はいつもこう嘆いていた。
米軍優位を認めた解放軍総参謀長
こうした状況はその後も長く続いたが、なぜか熊光楷が引退した2006年あたりから変化し始めたような気がする。2011年5月には当時の陳炳徳・総参謀総長が訪米し、実に興味深い発言を行った。陳炳徳はマレン議長との共同記者会見で次の通り述べている。
●私は兵器・装備だけでなく、ドクトリンなども含め、米軍の洗練度に驚いている。中国は米国に挑戦する力を持っていないと言えるだろう。
I am surprised by the sophistication of the U.S. military, including its weapons and equipment and doctrines and so on. I can tell you that China does not have the capability to challenge the United States.
●中国沿岸での米軍航空機・艦船の接近偵察行動を中国は抑止と見ている。つまり、中国には米国に挑戦する能力はない、と言いたいのだ。こうした偵察活動につき、マレン議長とは率直な意見交換を行い、多くの点で意見が一致している。
The close-in reconnaissance activities along Chinese coasts by U.S. military aircraft and vessels are seen in China as a deterrent. What I'm trying to say, that we do not have the capability to challenge the United States. On the issue of reconnaissance along Chinese coasts, Admiral Mullen has had a very candid exchange of views, and we agreed on many things.
もちろん、この発言を額面通り受け取る必要はない。本音は、中国の軍事力が米国に到底及ばないのだから、米国は対中敵対行為をやめよ、というロジックかもしれないからだ。他方、総装備部部長だった陳総参謀長の発言は単なるリップサービスとも思えない。
振り返ってみれば、2011年当時の米中軍事交流は実に初歩的なものだった。上記の共同記者会見記録を読む限り、米中間で取り上げられた議題はアルカーイダの研究を含む対テロ活動、海賊防止、身代金犯罪、人道支援、災害救助など「初級編」ばかりだった。
米中軍トップレベルの対話再開が合意されたのは2011年1月の胡錦濤訪米。米側は「このチャンスを逃してはならない」とばかり、中国側が拒否しにくい「無害な」議題から交流を再開していった。米国らしくなく、当時のバラク・オバマ政権は実に慎重だったのだ。
■実質的議論の始まり?
最近はこうした状況が再び大きく変わりつつある。「井の中の蛙」だった人民解放軍もようやく米中軍事交流に慣れてきたのだろうか、今回のデンプシー議長訪中では、中国側の自信に満ちた言動が目立つような気がする。
報道によれば、今回のデンプシー・房峰輝会談は3時間に及び、その直後に2人による共同記者会見が行われた。共同会見を実施すること自体、今の中国では決して珍しいことではない。より興味深かったのは、むしろ双方のやり取りだった。
残念ながら、国防総省のサイトにはなぜか北京での共同会見速記録が見当たらないので、関連報道などから今回の米中軍事交流を推測してみた。従来と最も異なるのは、議論の対象とそのレベルの深さだ。
議題の中心は、もはやテロ問題や海賊、人道支援などではない。今回話し合ったのはズバリ、サイバー戦、台湾、北朝鮮、米軍のプレゼンスなどだった。大きな様変わりと言えるだろう。この点はデンプシー議長も共同記者会見で次の通り正直に述べている。
●(記者より、台湾への武器売却、米艦船・航空機の偵察活動、中国に対する法律上の差別について話し合ったのかと問われ)今日はこれら3つをすべて話し合った。それ以外にも、3つ、4つ、5つもの別の問題について話し合った。米中間でこれらの問題を話し合ったのは今回が初めてである。
We talked about all three of those issues today, and another three, four or five beyond that, It’s the first time we’ve spoken about these issues.
●両国軍には既に戦術レベルの接触があるが、両国はより頻繁な高官レベルの接触により裨益するだろう。両国ともより頻繁な戦略的レベルの対話を維持することを望んでいる。
The two nations have frequent military-to-military contact on the tactical level, but could benefit by more frequent senior-leader engagement. It’s our desire, both of us, that we maintain dialogue at the strategic level.
何ともナイーブな発言にも読めるが、恐らくデンプシー議長の本音だろう。行間からは、これまで米側が何度も試みながら拒否されてきた中国軍人との実質的意見交換が今回ようやく始まったらしいことへの率直な喜びが見え隠れするではないか。
■米中の基本的立場は不変
だが、喜んでばかりもいられない。今回の協議で中国側は実質面で何ら譲歩していない。米国のアジア基軸政策、特に、太平洋における米軍のプレゼンスの在り方、北朝鮮に対する対応、サイバー攻撃問題など全ての面で米中間の溝は埋まっていない。
特に、興味深かったのは次のやり取りだ。
●(房総参謀長)中国は、現在の米国との「国対国」の関係に対応する形での、新たな軍事的関係を望んでいる。
China wants a new kind of military relationship that is consistent with the state-to-state relationship.
●(房総参謀長)太平洋は米中両国を収容するに十分広いものだ。
The Pacific Ocean is wide enough to accommodate us both.
●(デンプシー議長)米国は中国軍部とのより良好で、深く、永続する関係を望んでいるが、それはあくまで従来長く続いてきた「同盟関係」という文脈においてである。
The United States is looking for a better, deeper and more enduring relationship with the Chinese military but in the context of other historic and enduring alliances.
●(デンプシー議長)米国には条約上の義務があり、歴史的な同盟関係を築き認識していく。これにより将来摩擦が生ずることもあるだろう。
We do have treaty obligations and we will build and recognize the historic alliances, and there will be points when that creates friction.
●(デンプシー議長)米国は安定的影響力となることを求めており、この地域での不安定的影響力とは、米国の存在ではなく、その不在である。
The United States seeks to be a stabilizing influence in the region and it would be our absence that would be a destabilizing influence on the region, not our presence.
一見静かではあるが、かなり激しい鍔迫り合いである。この米中間のやり取りをより分かりやすい日本語に再翻訳すればこうだ。
中国側は、「アメリカさんよ、中国の国力は向上し、米中は今や対等だ。特に、海軍力がこれだけ強大化したのだから、アジアで独占的な影響力を追求するのはもうやめたらどうか。太平洋の一部は米国ではなく、中国に任せればいいではないか」と牽制する。
これに対し、米側は、「冗談じゃない、米中交流の進展はあくまで既存の同盟関係維持が前提だ。米国が中東での戦争でアジアを留守にしたなどと思うなよ。中国がいかに望んでも、米国は太平洋に居続け、同地域の現状を維持するつもりだ」と、反論する。
■日本は大丈夫か?
以上の通り、米中軍事交流が進んでも、中国側は基本的立場を一切変えない。それでも、2007年や2011年の際とは異なり、中国が政治的に機微な問題からも逃げずに実質的な議論を行っているらしいことは結構なことだ。米側が評価するのも当然だろう。
注意が必要なのは日本の方ではないか。米中の地政学的・戦略的利益が一致することはないだろう。だからこそ、米側は中国、特に軍部との対話を急いでいる。誤算による衝突や偶発的紛争を防止しようとしている。日本はこのことを過小評価すべきではない。
米国は少なくとも過去10年間涙ぐましいばかりの努力により、米中軍事交流を深化させ、最低限の信頼を醸成する努力を続けてきた。今これがようやく実を結びつつある。この点については、日本も米国に多くを学ばなければならない。
なぜかって?
当然だろう。東アジアの海域でそのような「誤算による紛争」が中国との間で始まったら、最初に戦わなければならない国は決して米国ではなく、むしろ日本である可能性の方が高いからである。
◆ 中国海軍幹部「ハワイより東を米軍、西を中国海軍が管理しよう」/李鵬元首相「日本は地上から消えていく」 2013-01-19 | 国際/中国/アジア
中国「ハワイ領有権も主張できる」 米国務長官、協議の一幕明かす
産経ニュース2012.11.30 20:06【ワシントン=犬塚陽介】
クリントン米国務長官は11月29日、ワシントン市内で講演した際の質疑応答で、過去に南シナ海の領有権問題を中国と協議した際、中国側が「ハワイ(の領有権)を主張することもできる」と発言したことを明らかにした。長官は「やってみてください。われわれは仲裁機関で領有権を証明する。これこそあなた方に求める対応だ」と応じたという。
協議の時期や詳細には言及しなかったが、20日の東アジアサミット前後のやりとりの可能性もある。仲裁機関は国際司法裁判所(ICJ)を指すとみられる。
ハワイをめぐっては、太平洋軍のキーティング司令官(当時)が2007年5月に訪中した際、中国海軍幹部からハワイより東を米軍、西を中国海軍が管理しようと持ちかけられたと証言したこともあった。
クリントン長官は、中国と周辺国の領有権問題について、領有権の主張が地域の緊張を招くような事態は「21世紀の世の中では容認できない」と述べ、東南アジア諸国連合(ASEAN)が目指す「行動規範」の策定を改めて支持した。また、領有権問題は「合法な手段」で解決されねばならないと強調した。
さらに、領有権問題は北極や地中海でも起こりかねず、米国は「グローバルパワー」として放置できないと明言。中国が「できる限り広範囲」の領有権を主張する中、法に基づく秩序維持のために「直言していかねばならない」と語った。
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◆ クリントン米国務長官「日本脅かす、いかなる行為にも反対」/日米首脳会談、2月17日の週に 2013-01-19 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉
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◆ 日本抹殺を目論む中国 「日本は取るに足るほどの国ではない。20年後には地上から消えていく国となろう」 2012-10-04 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉
日本抹殺を目論む中国に備えはあるか?今こそ国家100年の計を立てよ、米国の善意は当てにできない
JB PRESS 2011.01.12(Wed) 森 清勇
今日の国際情勢を見ていると、砲艦外交に逆戻りした感がある。そうした理解の下に、今次の「防衛計画の大綱」(PDF)は作られたのであろうか。「国家の大本」であるべき国防が、直近の政局絡みで軽々に扱われては禍根を千載に残すことになる。
国家が存在し続けるためには国際社会の現実から目をそらしてはならない。日本の安全に直接的に関わる国家は覇権志向の中国、並びに同盟関係にある米国である。両国の国家としての在り様を検証して、国家百年の計を立てることこそ肝要である。
■中国は日本抹殺にかかっている
1993年に中国を訪問したポール・キーティング豪首相(当時)に対して、李鵬首相(当時)が「日本は取るに足るほどの国ではない。20年後には地上から消えていく国となろう」と語った言葉が思い出される。
既に17年が経過し、中国は軍事大国としての地位を確立した。日本に残された期間はわずかである。
中国の指導者の発言にはかなりの現実味がある。毛沢東は「人民がズボンをはけなくても、飢え死にしようとも中国は核を持つ」と決意を表明した。
当時の国際社会で信じるものは少なかったが実現した。?小平は「黒猫でも白猫でも、ネズミを捕る猫はいい猫だ」と言って、社会主義市場経済を導入した。
また香港返還交渉では、交渉を有利にするための「一国両制」という奇想天外なノーブルライ(高貴な嘘)で英国を納得させた。
政治指導者ばかりでなく、軍高官も思い切ったことをしばしば発言している。例えば、朱成虎将軍は2005年に次のように発言している。
「現在の軍事バランスでは中国は米国に対する通常兵器での戦争を戦い抜く能力はない。(中略)米国が中国の本土以外で中国軍の航空機や艦艇を通常兵器で攻撃する場合でも、米国本土に対する中国の核攻撃は正当化される」
「(米国による攻撃の結果)中国は西安以東のすべての都市の破壊を覚悟しなければならない。しかし、米国も数百の都市の破壊を覚悟せねばならない」
他人の空言みたいに日本人は無関心であるが、日米同盟に基づく米国の武力発動を牽制して、「核の傘」を機能不全にしようとする普段からの工作であろう。
2008年に訪中した米太平洋軍司令官のティモシー・キーティング海軍大将は米上院軍事委員会公聴会で、中国海軍の高官が「太平洋を分割し、米国がハワイ以東を、中国が同以西の海域を管轄してはどうか」と提案したことを明らかにしている。
先の尖閣諸島における中国漁船の衝突事案がらみでは、人民解放軍・中国軍事科学会副秘書長の要職にある羅援少将が次のように語っている。
「日本が東シナ海の海洋資源を握れば、資源小国から資源大国になってしまう。(中略)中国人民は平和を愛しているが、妥協と譲歩で平和を交換することはあり得ない」と発言し、また「釣魚島の主権を明確にしなければならない時期が来た」
こうした動きに呼応するかのように、中国指導部が2009年に南シナ海ばかりでなく東シナ海の「争う余地のない主権」について「国家の核心的利益」に分類したこと、そして2010年に入り中国政府が尖閣諸島を台湾やチベット問題と同じく「核心的利益」に関わる問題として扱い始めたと、香港の英字紙が報道した。
■中国の「平和目的」は表向き
1919(大正8)年、魚釣島付近で福建省の漁民31人が遭難したが、日本人が救助し無事に送還した。それに対して中華民国長崎領事が「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島・・・」と明記した感謝状を出している。
中国が同諸島の領有権を主張し始めたのは国連の海洋調査でエネルギー資源が豊富にあることが判明した1970年代で、領海法を制定して自国領に組み入れたのは1992年であるにもかかわらず、「明確な日本領」を否定するためか、最近は「古来からの中国領土」とも言い出している。
実際、首相が横浜APECで“首脳会談を開けた”だけで安堵している間に、ヘリ2機搭載可能で機銃まで装備していると見られる新鋭漁業監視船を含む2隻が接続水域に出没している。
海保巡視船の警告に対しては「正当に行動している」と返事するのみである。
中国の言う「正当な行動」とは中国の領海法に基づくもので、尖閣諸島に上陸しても正当化されるということにほかならない。現に、石垣市議2人が上陸したことに対し、中国外務省は「中国の領土と主権を著しく侵犯する行為」という談話を発表した。
漁船がさほど見当たらないにもかかわらず漁業監視船が接続水域を彷徨しているのは、日本人の感覚を麻痺させる(あるいは既に上陸しているかもしれない)のを隠蔽する作戦のように思われる。
係争の真っ只中で、そうした行動が取れるはずがないという識者も多いが、「尖閣は後世の判断に任せる」、あるいは「ガス田の協議をする」などの合意を平気で反故にしてきた中国である。何があってもおかしくない。
20年余にわたって2桁台の軍事力増強を図ってきた中国に透明性を求めると、「平和目的」であるとの主張を繰り返す。中国の「平和目的」は異常な軍事力増強の言い逃れであり、露わになってきた覇権確立のカムフラージュでしかない。
軍事力増強と尖閣沖漁船衝突のような異常な行動、さらには北朝鮮の無謀をも擁護する中国の姿勢が日米(韓はオブザーバー)や米韓(日本はオブザーバー)の合同軍事演習の必要性を惹起させたのであるが、中国はあべこべに自国への脅迫であるとクレームをつけている。
現時点では指導部の強権でインターネット規制などをしながら、人民には愛国無罪に捌け口を求めさせることで収拾している。
しかし、矛盾の増大と情報の拡散で人民を抑えきれなくなった時、衣の下に隠された共産党指導部の意図が、ある日突然行動に移されないとは言えない。
■米国を頼れる時代は終わりつつある
日本人で米国の「核の傘」の有効性に疑問を呈する者は多い。歴史も伝統も浅い米国は、「国民の国民による国民のための政治」を至上の信条としており、行動の基本は世論にあると言っても過言ではないからである。
フランクリン・ルーズベルトは不戦を掲げて大統領選を戦い、国民はそれを信じて選んだ。しかし、第2次世界大戦が始まるや、友邦英国の苦戦、ウィンストン・チャーチルの奮戦と弁舌巧みな哀願を受けた大統領は、米国民のほとんどが反対する戦争に参加する決心をした。
当初はドイツを挑発して参戦の機会を探るが、多正面作戦を嫌うドイツは挑発に乗らなかった。
そこでルーズベルトは日本を戦争に巻き込むことを決意し、仕かけた罠が「ハル・ノート」を誘い水として真珠湾を攻撃させることであった。
日本の奇襲作戦を「狡猾(トリッキィー)」と喧伝し、米国民には「リメンバー・パールハーバー」と呼びかけて国民を参戦へと決起させたのである。
逆に、世論が政府を動かないようにさせることも当然あり得る。核に関して言うならば、被害の惨状に照らして、国民が政府に「核の傘」を開かせないという事態が大いにあり得る。
虎将軍ら中国軍高官の発言は、普段から米国民にこうした意識を植え付けて、米国が日中間の係争に手を出せないように仕向ける下地つくりとも思われる。
米国初代のジョージ・ワシントン大統領は「外国の純粋な行為を期待するほどの愚はない」と語っている。
日米安保が機能するように努力している現在の日本ではあるが、有事において真に期待できるかどうか、本当のところは分からない。能天気に期待するならば、これほどの愚はないということではないだろうか。
今こそ、日米同盟を重視しながらも、「自分の国は自分で守る」決意を持たないと、国家としての屋台骨がなくなりかねない。
中でも「核」問題が試金石であると見られる。親米派知識人は、「日本の核武装を米国が許すはずがない」の一点張りであるが、あまりにも短絡的思考である。
日本の核論議が日米同盟を深化させ、ひいては米国の戦略を補強するという論理の組み立てをやってはいかがであろうか。
米国が自国の国益のために他国を最大限に利用し、また国家戦略のために9.11にまつわる各種事象を操作(アル・ゴア著『理性の奪還』)したりするように、日本も自立と国益を掲げて行動しないと、米中の狭間に埋没しかねない。
核拡散防止条約(NPT)は高邁な趣旨と違って、保有を認められた5カ国の核兵器削減は停滞しているし、他方で核保有国は増大している。
「唯一の被爆国」を称揚する日本であるゆえに、道義的観点並びに核に関するリアリズムに則った新条約などを提案する第一の有資格者である。
同時に、地下鉄サリン事件の防護で有効に対処できた経験を生かし、核にも有効対処できるように準備する必要がある。
その際、形容矛盾の非核三原則ではなく、バラク・オバマ大統領の言葉ではないが、「日本は核保有国になれるが、保有しない」(Yes, we can, but we don’t)と闡明し、しっかり技術力を高めておくのが国家の使命ではないだろうか。
ヒラリー・クリントン米国務長官は「尖閣には日米安保条約第5条が適用される」と言明した。
しかし、かつて一時的にせよ、ウォルター・モンデール元駐日米大使が「適用されない」と発言したように、政権により、また要人により、すなわちTPO(時・場所・状況)に左右されると見た方がよい。
米国では従軍慰安婦の議会決議に見た通り、チャイナ・ロビーの活躍も盛んである。
ましてや、既述のように決定の最大要因が国民意思であるからには、核兵器の惨害が米国市民数百万から1000万人に及ぶと見られる状況では、「核の傘」は機能しないと見るのが至当ではなかろうか。「有用な虚構」であり続けるのは平時の外交段階だからである。
■先人の血の滲む努力を無にするな
日本は明治維新を達成したあと、範を欧米に求めた。新政府の要路にある者にとって自分の地位が確立していたわけでもなく、また意見の相違も目立つようになり内憂を抱えていた。
しかし、それ以上に外患に備えなければ日本の存立そのものが覚束ないという思いを共有していた。そこで、岩倉具視を団長とする米欧使節団を送り出したのである。
一行には木戸孝允、大久保利通、伊藤博文などもいた。1年10カ月にも及ぶ長期海外視察は、現役政府がそのまま大移動するようなもので、不在間の案件処理を必要最小限に留めるように言い残して日本を後にしたのもゆえなしとしない。
よく言われるように、英国を観ては「40年も遅れている」とは受け取らず、「40年しか遅れていない」と見て、新興国日本の明日への希望を確認した。
また、行く先々で文明の高さや日本と異なる景観に感服するところもあったが、その都度、好奇心を発揮して記憶にとどめ、また瀬戸内海などの素晴らしい景観があるではないかと、「日本」を決して忘れることはなかった。
米国のウエストポイント陸軍士官学校を訪れた時は射撃を展示され、そのオープンさにびっくりするが、日本人ならばもっと命中させると逆に自信の程を高めている。
ことほどさように、初めて外国を視察しているにもかかわらず、その目は沈着で、異国情緒に飲み込まれることもなく、基底に「日本」を据えて比較検証しようとしている。
こうした見識はひとえに、為政者として日本の明日を背負って立たなければならないという確固たる信念がもたらしたと見るほかはない。
代表団が特に関心を抱いたことは、小国の国防についてである。オランダ、ベルギー、デンマーク、さらにはオーストリア、スイスなどを回っては、日本の明日を固める意志と方策を見出そうと懸命である。
もう1つ、国際社会に出ようとする日本が関心を持ったのは万国公法(今日の国際法)についてであった。プロシアの鉄血宰相ビスマルクの話には真剣に耳を傾け、また参謀総長モルトケの議会演説にも強い関心を持った。
概略は次のようなものだった。
「世界各国は親睦礼儀をもって相交わる態度を示しているが、それは表面上のことでしかない。内面では強弱相凌ぎ、大小侮るというのが実情である。万国公法は、列国の権利を保全する不変の法とはいうものの、それは大国の利のあるうちでいったん不利となれば公法に代わる武力をもってする」(ビスマルク)
「政府はただ単に国債を減らし、租税を軽くすることばかりを考えてはならない。国の権勢を境外に振るわすように勤めなければならない。法律、正義、自由などは国内では通用するが、境外を保護するのは兵力がなければ不可能である。万国公法も国力の強弱に依存している」(モルトケ)
このことは、現在にも通用する。しっかり反芻し、記憶することが大切である。
日本は「唯一の被爆国」や「平和憲法」を盾に、国際情勢の激変にもかかわらず官僚的手法の「シーリングありき」で累次の「防衛計画の大綱」を策定してきた。
こうした日本の無頓着で内向的対応が、周辺諸国の軍事力増強を助長した面はないのだろうか。
明治の為政者たちが意識した外国巡視に比較して、今日の政治家の海外視察はしっかりした歴史観も日本観も希薄に思えてならない。
歴史の教訓を生かす時
ここで言う歴史の教訓とは、明治の先人たちが命懸けで体得した「国際社会は力がものをいう」というリアリズムである。今日ではそのことが一段と明確になっている。
アテネはデモクラシー(民主主義)発祥の地であり、ソクラテスやプラトンを輩出したことで知られている。
そのアテネでは人民(デモス)の欲望が際限なく高まり、国家はゆすり、たかりの対象にされ、過剰の民主主義が国力を弱体化させていく。
専制主義国家スパルタとの30年戦争の間にも国民は兵役を嫌い、目の前の享楽に現を抜かし道徳は廃れ、ついに軍門に下る。
その後、経済も復興するが、もっぱら「平和国家」に徹し続け、スパルタに代わって台頭した軍事大国マケドニアに無条件降伏を突きつけられる。一戦を交えるが惨敗して亡国の運命をたどった。
例を外国に求めるまでもない。日本にも元禄時代があった。男性が女性化し、風紀は乱れ、国家の将来が危ぶまれた。この時、出てきたのが「武士道といふは死ぬことと見つけたり」で膾炙している『葉隠』である。
ことあるごとに死んでいたのでは身が幾つあってもたまらないが、真意は「大事をなすに当たっては死の覚悟が必要だ」ということである。
こうした考えが、自分たちのことよりも国家の明日を心配した米欧派遣の壮挙につながった。日本出発から1カ月を要してようやくワシントンに着くが、いざ条約改正交渉という段になって天皇の委任状のないことを指摘され、大久保と井上博文はその準備に帰国する。
往復4カ月をかけて再度米国に着いた時には、軽率に条約改正する不利を悟り代表団が米政府に交渉打ち切りを通告していた。
何と無駄足を運んだかとも思われようが、当時の彼らにとっては、国力の差を思い知らされる第1章と受け取る余裕さえも見せている。
国家を建てる、そして維持することの困難と大切さを身に沁みて知ったがゆえに、華夷秩序に縛られた朝鮮問題で無理難題を吹っかけられても富国強兵ができる明治27(1894)年まで辛抱したのであり、三国干渉の屈辱を受けても臥薪嘗胆して明治37(1904)年までの10年間を耐えたのである。
佐藤栄作政権時代に核装備研究をしていたことが明らかになった。「非核三原則」を打ち出した首相が、こともあろうにという非難もあろう。
しかし、ソ連に中立条約を一夜にして破られた経験を持つ日本を想起するならば、「日本の安全を真剣に考えていた意識」と受け取り、その勇気に拍手喝采することも必要ではないか。
国際社会は複雑怪奇である。スウェーデンもスイスも日本人がうらやむ永世中立国である。その両国が真剣に核装備を検討し、研究開発してきたことを知っている日本人はどれだけいるであろうか。また、こうした事実を知って、どう思うだろうか。
「密約」を暴かずには済まない狭量な政治家に、そんな勇気はないし、けしからんと難詰するのが大方ではないだろうか。しかし、それでは国際社会を生き抜くことはできない。
終わりに
漁船衝突事案では、横浜APECを成功させるために、理不尽な中国の圧力に屈した。日本は戦後65年にわたって、他力本願の防衛で何とか国家を持ちながらえてきた。
しかし、そのために国家の「名誉」も「誇り」も投げ捨てざるを得なかった。今受けている挑戦は、これまでとは比較にならない「国家の存亡」そのものである。
米国から「保護国」呼ばわりされず、中国に「亡失国家」と言われないためには、元寇の勝利は神風ではなく、然るべき防備があったことを真剣に考えるべきである。
そのためにはあてがいぶちの擬似平和憲法から、真の「日本人による日本のための日本国憲法」を整備し、名誉ある独立国家・誇りある伝統国家としての礎を固めることが急務であろう。
〈筆者プロフィール〉
森 清勇 Seiyu Mori星槎大学非常勤講師
防衛大学校卒(6期、陸上)、京都大学大学院修士課程修了(核融合専攻)、米陸軍武器学校上級課程留学、陸幕調査部調査3班長、方面武器隊長(東北方面隊)、北海道地区補給処副処長、平成6年陸将補で退官。
その後、(株)日本製鋼所顧問で10年間勤務、現在・星槎大学非常勤講師。
また、平成22(2010)年3月までの5年間にわたり、全国防衛協会連合会事務局で機関紙「防衛協会会報」を編集(『会報紹介(リンク)』中の「ニュースの目」「この人に聞く」「内外の動き」「図書紹介」など執筆) 。
著書:『外務省の大罪』(単著)、『「国を守る」とはどういうことか』(共著)
国防 日米安保条約が締結されてから50年目が経ち、いつしか日米安保は空気のような存在となった。そんな折、日本では自民党政権が倒れ、沖縄にある普天間基地の国外・県外への移設を掲げる民主党政権が誕生した。普天間基地の移設問題では早くも日米間できしみが生じるなど、日本の国防が根底から揺らぎそうな雰囲気だ。一方、中国が軍事力、なかんずく海軍力を大幅に増強、北朝鮮からは核ミサイル発射の危険性も現実のものとなり、国を守ることを国民一人ひとりが真剣に考えなければならない時代を迎えている。 *強調(太字・着色)は来栖 。
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