【政論】勝者の断罪 苦渋の独立
産経新聞2013.4.29 00:03
「4月28日」の意味は、昭和27年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本の独立が回復した日というだけにとどまらない。
講和条約第11条には「日本国は、極東国際軍事裁判所(東京裁判)並びに日本国内および国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾」すると書いてある。
「連合国が勝者の判断によって断罪した」
3月12日の衆院予算委員会で東京裁判についてこう述べた安倍晋三首相にとって、4月28日が東京裁判の節目であることが念頭にあることは間違いない。
東京裁判は、過去にさかのぼって犯罪を処罰するため法律を制定する事後法を禁止する近代法の原則を逸脱している。それでも日本政府は「受諾」したことで、独立を果たしたのだ。
外務省は3月12日、28年2月24日に外務省条約局第3課が作成した極秘文書を公開した。この中で「受諾」の意味は、(イ)東京裁判の国際法上の適法性(ロ)講和条約発効後に連合国が刑を執行する合法性−について「争わないことを意味する」とした。
外務省幹部は「東京裁判は合法じゃないけど、あえて反論はしないということだ」と解説する。国際日本文化研究センターの牛村圭教授も「米国に波風を立てないようにするための苦心の文書だ」と指摘する。
「これを受け入れなければわれわれは独立を果たすことができなかった。そういう苦渋の判断の上に私たちの現在がある」
首相は官房長官時代の平成18年、衆院予算委で「受諾」についてこう答弁している。4月28日は東京裁判の意味に思いを致す日でもある。(杉本康士)
=============================
安倍首相:「東京裁判は勝者の断罪」…米から批判の可能性
毎日新聞 2013年03月12日 21時23分(最終更新 03月13日 07時12分)
安倍晋三首相は12日の衆院予算委員会で、第二次世界大戦の戦犯を裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)について「大戦の総括は日本人自身の手でなく、いわば連合国側の勝者の判断によって断罪がなされた」と述べた。首相は第1次内閣で東京裁判を「受諾しており異議を述べる立場にない」と国会答弁しており、この方針は維持するとみられる。しかし東京裁判に懐疑的な見方を示したことには中韓両国などのほか、戦勝国の米国から批判が出る可能性もある。
また首相は、幣原内閣が敗戦原因を調査するため設置した「戦争調査会」が短期間で廃止されたことに言及。連合国軍総司令部(GHQ)の諮問機関・対日理事会が「やめさせようとした」と述べた上で、「連合国にある種都合の悪い考え方も議論されるのではないかということで、議論を封殺したのではないか」と指摘した。
ただ一方で「歴史に対する評価は専門家に委ねるべきだ。政府が研究を行い意見を述べることは外交問題に発展する可能性もある」と強調。政府による大戦の総括は行わない考えも示した。
歴史認識を巡って首相は今回の就任前、従軍慰安婦問題をめぐる93年の「河野談話」見直しを示唆。就任後は外交面の配慮から見直しに関与しない考えを示しているが、米国内ではなお懸念の声がある。首相は第1次政権では「(A級戦犯は)国内法的には戦争犯罪人ではない」と明言しており、今回の東京裁判に関する発言が日米関係に影響する可能性もある。【小山由宇】
-------------------------
安倍首相、東京裁判に異例の言及 「勝者の判断によって断罪された」
J-CASTニュース 2013/3/13 18:58
安倍晋三首相が2013年3月12日の衆院予算委員会で、第二次世界大戦の戦犯を裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)について、「勝者の判断によって断罪された」との見解を披露した。
その上で「歴史に対する評価等については、専門家や歴史家に任せるべき」とも述べて深入りは避けた形だが、安倍首相は第一次安倍内閣時代に、いわゆるA級戦犯について「国内法的には戦争犯罪人ではない」と明言して批判されたことがある。
*「東京裁判」という言葉は質問には出てこなかった
安倍首相の発言は、大熊利昭衆院議員(みんなの党)への答弁の中で出た。大熊氏は、幣原喜重郎内閣が第二次大戦の敗戦理由を分析するために設置した「(大東亜)戦争調査会」を例に引きながら、
「次の時代に進むのであれば、前の時代をきっちりと検証し。総括することが大事」
と、東京電力福島第1原発の事故に対して国会が事故調査委員会を設置したのと同様に、と太平洋戦争についても検証を進めるように求めた。
これに対して、安倍首相は調査会が廃止になった経緯について簡単に触れた上で、質問にはなかった「東京裁判」という言葉を自ら口にした。
「先の大戦においての総括というのは、日本人自身の手によることではなくて、東京裁判という、言わば連合国側が勝者の判断によって、その断罪がなされたということなんだろうと思う」
その上で、戦争調査会が1年程度で廃止された背景についても
「国際情勢の中で開戦に至る過程ということにおいて、言わば、おそらく、連合国に対して、ある種都合の悪い考え方についても議論がなされるのではないかということにおいて、そうした議論を封殺されたということではなかったのか」
と指摘した。
*国が戦争の検証すると「外交問題に発展する可能性もある」
ただし、
「こうした歴史に対する評価等については、専門家や歴史家に任せるべき問題ではないか」
として、今後政府として特段の対応を行うことには否定的な見解を示した。大熊氏は、
「国としての総括が必要なのでは」
と食い下がったが、安倍首相は、
「例えば戦争遂行の上で戦術・戦略はどうだったかという検証は、国において、もしかしたら可能かもしれない。しかし、それに至る世界史的な動きの中で、『どうして開戦に至ったか』という分析においては、関係する国々も多く、政府そのものがそうした検証・研究を行ったり意見を述べていくことは外交問題に発展する可能性もある」
と懸念を示し、仮に国が検証を行ったとしても、外交的配慮が行われた結果、
「本来のファクトに基づく観点をゆがめていく危険性もあるのではないか」
と述べた。
*06年には、A級戦犯は「国内法的にいわゆる戦争犯罪人ではない」
安倍首相は06年10月の衆院本会議で東京裁判への認識を問われ、
「サンフランシスコ平和条約第11条により極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しており、国と国との関係において、この裁判について異議を述べる立場にはない」
と、裁判の結果を受け入れる姿勢を鮮明にしている。現時点でも、この見解を踏襲しているとみられる。ただし、同時期の予算委員会では、いわゆるA級戦犯について、
「国内法的にいわゆる戦争犯罪人ではない。遺族援護法等の給付の対象になっているし、いわゆるA級戦犯と言われた重光葵氏はその後勲一等を授与されている。犯罪人であればそうしたことは起こり得ない」
と述べ、近隣諸国から批判を受けた経緯もある。
今回の発言について、韓国メディアは現時点では事実関係を淡々と報じているが、左派のハンギョレ新聞は、安倍首相について
「『国内法上では戦争犯罪者ではない』と主張して論議を起こしたことがある」
と指摘した。米国については、3月12日(米国東部時間)時点では、ホワイトハウスや国務省も、特段の反応は示していない。
東京裁判をめぐっては、パール判事が「判決ありきの茶番劇」と裁判そのものを批判した上で被告人全員の無罪を主張している。検察側の証拠が弁護側の証拠よりも有利に取り扱われるなど、裁判の正当性に疑問を投げかける声も少なくない。
===========================
◆ 「従軍慰安婦・南京大虐殺のデタラメ」〜衆院予算委 質疑 2013.4.10 中山成彬(維新の会) 2013-04-24 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉
【国会質疑 書き起こし】H25.4.10 衆院予算委 中山成彬(維新の会) 抜粋
中山 あの、安倍総理のおじいさん…岸信介元総理もですね、A級戦犯であられた。まぁ、長い…長い間牢屋に入っておられて、そのあと出てこられてですね、総理大臣にまでなられたわけですけど、戦犯の仲間の方々でたくさんの方が実は刑死されているわけです。
あのー、安倍総理。この前あのインドに行かれてですね、あのー、ただひとり、日本の無実をずっと訴えられたパール判事の生家を訪ねられて、遺族の方々に会われたという記事を読みまして、やっぱし、安倍総理の…あの靖国参拝と言いますかね、そのA級戦犯に対する思いというのは、まぁ格別なものがあるんだろうなあと。まぁ、実はそういうふうに、まぁ自分なりに感じたわけでございますけど。まああの、我が党の石原慎太郎さんは「天皇陛下にまず参拝してもらえ」と、こういうようなことも言われましたけど。私はまず天皇陛下が参拝できるような、そういう環境を作るのは政治家だろうと。まぁこう思ってるわけですけども。まぁもし参拝ということになりますとですね、中国はまた色々言ってくるのかもしれん…しれません。韓国も言ってくるかもしれません。まぁしかし、ここに面白いですね、資料がありますので、皆さん方お手元のところに、えー、この、配ってありますけど。これはあの2007年にですね、中国の南京で発行された雑誌ですけど、まぁこれはあの、中国のですね、首脳…偉い人がみんな読む本だそうですけど。「#資料3 南京の刊行物」(略=来栖)
この本にですね、1918年…えー、これはもう日露戦争が終わったあとですけど、その「共産党建国の母」と言われて中国で大変尊敬されております周恩来首相がですね、あの靖国神社春の大祭に行かれて大変感激したと…いうふうな、実は日記が載ってんですよね。1918年と言いますと,まさに日清日露の戦争が終わった後ですけど、いま中国はですね、日本は日清日露の頃から中国を侵略したと、こう言ってるわけですけれども。その中国の生みの親・周恩来総理がですね、感激したと言ってるわけですから。これはですね、まぁ大変なことでございまして。まぁこれを中国の人たちは知ってるんですね。ですから、あんまりそんなに心配することはないんだということを申し上げたいと思っとります。
それからあの私ですね、最後になりますけど、あの、安倍総理がですね、あの施政方針演説で、「一身独立して一国独立す」と、こういうことをまぁ言われました。私はもうそのとおりだと思うんです。あれはあの福沢諭吉の学問のすゝめの一節ですけど、実はその後のほうにですね、こういう文章が実はあるんですね。これはあの…簡単に言いますとですね、日本人は日本を本国だと思い、本国を思うこと我家を思うが如くし、国のためには財を失うのみならず、一命をも擲って惜しむに足らず。是即ち報国の大義なり、と。まぁこういう実は文章があるわけでございます。
まさに、一国を守るために報国の大義としてですね、亡くなった…命を捧げられた方々に、いつも総理が言われます崇拝の念を持つということは、これは日本国民として当然のことだと、まぁこう思うわけでございまして、まぁこれはあの、私はあの…答弁は求めませんが、今後行動で示していただくことを、まぁ期待申し上げる次第でございます。
えー、昨日、一昨日ですか、サッチャー首相が亡くなられましたけど、まあ私は、サッチャー首相というのはですね、まぁアイアンレディと言われました。長年続いた英国病、これを克服するために本当に頑張られました。フォークランド紛争でもですね、もう絶対にこの、妥協しなかった。先ほど言いましたように、教育改革についてもやられました。まさに今、日本はそういう状況にあるんではないかと。まぁそう思うわけでございまして、安倍総理、本当に今回の、まぁ経済だけじゃなくて、教育関係すべて…この日本を再建するために、とても大事なですね、私は、任務を…背負われていると思ってます。まぁ経済再生も教育再生も、安倍総理が成功しなかったらもう日本は無い…というぐらいのつもりで私もおります。たぶん総理大臣はじめ、閣僚の皆さん方も同じ気持ちで取り組んでおられるんじゃないかと、こう思うわけでございますが。まぁ是非、今後どういう気持ちでこれからの国政に取り組んでいかれるか、もうあんまり時間がありませんので、一言お願い申し上げます。
委員長 安倍内閣総理大臣
安倍 えー、さすが中山先生。背筋が伸びる質問をしていただいたと、えー、ま、このように思いますが。子供たちが日本に生まれたことに誇りを持てる、そういう国にしていきたいと、えー、思います。ま、相当状況は厳しいわけでございますが、この中で私たちは怯むことなく、今…えー、サッチャー元首相の例を挙げられましたが、意思の力で国を変えていくことができると。この言葉を肝に銘じて頑張っていきたいと思います。
===================
◆ 「日本の国内法においてA級戦犯は戦争犯罪人ではない」という認識は、日本政府の公式見解である 2011-08-18 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉
--------------------
◆ 従軍慰安婦・創氏改名・・・ 中山成彬議員の質疑「先祖が侮辱されるのは看過しがたい」衆院予算委 8日 2013-03-09 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉
------------------------
◆ 憲法改正で「日本」を取り戻せ いまこそ誤った歴史観を広めるメディア・教育界に風穴を開けるとき 2013-03-24 | 読書
==============================
◆ 『日本人の誇り』藤原正彦著(文春新書)2011年(平成23年)4月20日第1刷発行
p58〜
「明治・大正・昭和戦前は、帝国主義、軍国主義、植民地主義をひた走り、アジア各国を侵略した恥ずべき国。江戸時代は士農工商の身分制度、男尊女卑、自由も平等も民主主義もなく、庶民が虐げられていた恥ずかしい国。その前はもっと恥ずかしい国、その前はもっともっと・・・」
占領後、アメリカは米軍による日本国憲法制定を手始めに、言論統制、「罪意識扶植計画」等により、日本をアメリカに都合の好い属国に造り替えてゆく。
p63〜
GHQすなわちアメリカはまず新憲法を作り上げました。GHQ民生局が集まり1週間の突貫工事で作ったのです。憲法の専門家はいませんでした。まず前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書きました。アメリカは他国の憲法を自分達が勝手に作るというハーグ条約違反、そしてそれ以上に恐るべき不遜、をひた隠しにしましたが、この文章を見ただけで英語からの翻訳であることは明らかです。「決意した」などという言葉が我が国の条文の末尾に来ることはまずありえないし、「われら」などという言葉が混入することもないからです。いかにも日本国民の自発的意志により作られたかのように見せるため、姑息な姑息な偽装を施したのですが、文体を見れば誰の文章かは明らかです。そのうえ、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と美しく飾ってみても、残念なことに「国益のみを愛する諸国民の権謀術数と卑劣に警戒して」が、現実なのです。
ともあれこの前文により、日本国の生存は他国に委ねられたのです。
第9条の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」は前文の具体的内容です。自国を自分で守らないのですから、どこかの国に安全保障を依頼する以外に国家が生き延びる術はありません。そして安全保障を依頼できる国としてアメリカ以外にないことは自明でした。すなわち、日本はこの前文と第9条の作られたこの時点でアメリカの属国となることがほぼ決定されたのです。この憲法が存在する限り真の独立国家ではありません。中国に「アメリカの妾国」と馬鹿にされても仕方ないのです。(〜p64)
p104〜
南京大虐殺の不思議
「南京大虐殺」も実に不思議な事件でした。1937年12月13日に南京を陥落させた日本軍が、その後6週間にわたり大規模な虐殺行為を行ったというものです。
1997年にアメリカで出版された五十万部を超えるベストセラーとなった、中国系アメリカ人アイリス・チャンによる『ザ・レイプ・オブ・南京』によりますと、「ヒットラーは6百万人のユダヤ人を殺し、スターリンは4千万以上のロシア人を殺したが、これらは数年をかけて行われたものだ。レイプ・オブ・南京ではたったの数週間で市民30万人を殺し、2万人から8万人の女性を老若かまわず強姦し豚のように殺した、という点で史上最悪のものだ。天皇を中心にした日本政府がこれを仕組んだ」という内容のものです。「日本兵は女性の腹を裂き、胸を切り刻み、生きたまま壁に釘づけにした。舌を鉄の鉤に吊るしたり、埋めてセパードに食い散らかせた」などとも書いてあります。
私達の父や祖父達がこんなことを組織的にしていたとしたら、私たち日本人は百年は立ち上がれないでしょう。祖国愛や誇りを持つなどということもあり得ないことです。
そのためにも事実を明らかにし、東京裁判史観に染まった国民にどうしても真実を知ってもらう必要があります。
1937年12月、南京攻略を決めた松井石根大将はとても神経質になっていました。日露戦争に従軍したことのある松井大将は、かつて世界1規律正しいと絶賛された軍隊でロシアと戦ったことを誇りに思っていました。
そこで攻勢前に兵士たちに、「首都南京を攻めるからには、世界中が見ているから決して悪事を働いてはならぬ」という趣旨の「南京攻略要綱」をわざわざ兵士に配り、厳正な規律を徹底させました。これ自体が稀な行為です。そのうえ、還暦を目前に控えた松井大将は、陸軍大学校を首席で卒業した秀才ですが、若い頃からアジアの団結を唱える大アジア主義に傾倒していて根っからの親中派でした。孫文の革命を支援したばかりか、若き蒋介石が日本の陸軍士官学校に留学した時は親身で面倒まで見てやった人です。運命のいたずらで愛弟子と戦わざるを得なくなり、せめて規律だけは保たせようと思ったのでしょう。そして、攻略を始める前日の12月9日、南京包囲を終えた松井大将は中国軍に対し、民間人の犠牲を避けるため10日正午までに南京を解放するよう勧告しました。蒋介石をはじめ政府と軍の首脳はすでに7日に首都を放棄していました。続いて役人、警察官、郵便局員と姿を消したため、水道は止まり電気も消え、無政府状態となりました。
p106〜
ほとんどの戦争では、中国でもヨーロッパでも、市民を巻き添えにしないため軍隊は市内から出るものです。第2次大戦でパリはドイツに占領され、後に連合軍に占領されましたが、どちらの場合も軍隊は市街を出たので美しい町が保たれたのです。北京や武漢でも中国兵は町から出たので市民巻き添えという混乱はありませんでした。
南京守備軍の唐生智司令官はこれを無視しました。「首都と運命を共にする」と広言していた彼は、日本軍の猛攻を受け陥落寸前というときに撤退命令を出すや、逃げ出してしまいました。指揮系統はすでに失われていたので数万の兵に撤退命令は伝わりませんでした。大混乱の最大原因です。降伏命令だったら何も起きなかったからです。
『「南京事件」の総括』(田中正明著、小学館文庫)に、軍服を脱ぎ捨てた数千の中国兵が安全区に入ってきてからの混乱が詳述されています。南京市は首都といっても面積は世田谷区の3分の2ほどの狭さです。日本軍の攻撃の迫った12月1日、南京市長は全市民に対し、安全区、すなわち国際委員会が管理する地区に避難するよう命令します。安全区は、狭い南京の一角に作られた2千?四方程度の最小の地区です。日本軍が攻略を始めた12月10日には、すでに揚子江上流に避難した中上流階級の人々を除く、全市民がここ安全区に集まっていました。 資料により異なりますが、この段階における安全区人口は12万から20万の間です。「惨劇」があったとしたら、すし詰めとなったこの安全区で起きたはずなのです。
ところが不思議なことに、南京に入城した幾万の日本兵も、共に入城した百数十名の日本人新聞記者やカメラマンンも誰一人そんな惨劇を見ていないのです。皆が一糸乱れぬ口裏を合わせているのでしょうか。こんな狭い所で大虐殺が行われたというのに、そこに住んでいた国際委員会の外国人や外国人記者も目撃していません。
日本軍が入城した12月13日から翌年2月9日までに、国際委員会は日米英の大使館に61通の文書を提出しており、そこには殺人49件、傷害44件、強姦361件(うち被害者多数3件、被害者数名6件)などがありますが、大虐殺と呼べるものはありません。この数字自身も、国際委員会書記スマイス教授が認めたように、検証されたものではなく中国人からの伝聞によるものでした。また国府軍側の何應欽将軍が直後の1938年春に提出した大部の報告書にも、南京での虐殺を匂わせるものはいっさいありません。無論、市民虐殺を示唆する日本軍の作戦命令も存在しません。
当時、中国に関して最も権威ある情報源とされていた「チャイニーズ・イヤーブック」と呼ばれる年鑑がありました。上海で英国系新聞が出版していたものです。これにも虐待の影はありません。
一口で言うと、虐殺を示す第一次資料は何一つないということです。(〜p108)
p110〜
東京裁判で再登場した
「南京大虐殺」が再登場したのは、南京戦後8年半もたった1946年、東京裁判においてです。証人となった中国人が次々に大虐殺を「証言」しました。日本兵は集団をなし、人を見れば射殺、女を見れば強姦、手当たり次第の放火と掠奪、屍体はいたる所に山をなし、血は河をなす、という地獄さながらの描写ばかりでした。
この裁判は、通常の裁判とはまったく異なり、証人宣誓が求められず証拠検証もされませんでしたから、言いたい放題だったのです。殺害者数30万人という証言に疑念を抱いたロヴィン弁護人が「私の承知している限りでは南京の人口は20万ですが」と質問すると、ウェッブ裁判長は「今はそれを持ち出すときではありません」と慌ててこの発言をさえぎりました。
中国人だけでなく金陵大学(のちの南京大学)のベイツ教授など数人の欧米人も証人として出廷しました。ベイツ教授は事件時に南京にいて国際委員会のメンバーであり、「戦争とは何か」を書いたティンパーリに、書簡で事件を教えた人です。「1万2千人の市民を含む非武装の4万人近い人間が南京城内や城壁の近くで殺されたことを埋葬記録は示している」という趣旨の証言をしましたが、やはり中国人からの伝聞のみです。
埋葬死体が戦死者のものかどうかも確認していません。実はベイツ教授は、やはり国際委員会に属する金陵大学のスマイス教授と、1938年の3月から4月にかけて、多数の学生を動員して南京市民の被害状況を調査していました。スマイス教授は社会学が専門なのでこの種の調査には慣れていて、50戸に1戸を無差別抽出して、2人1組の学生がそこを訪れ質問調査するという方法でした。
この日時をかけた調査結果は、日本兵の暴行による被害者は、殺された者2400人、負傷した者3050人でした。(「南京地区における戦争被害調査」)。ただし、調査は被害者救済のためのもので、誰も住んでいない家は調査対象となっていませんから、家族全員が犠牲になった家などは統計に入っていません。また死亡者の中に、南京に自宅のある兵で便衣兵(軍服を脱いで一般市民に混じった中国兵)として処刑された者もかなり混じっているはずです。この人たちは市民でもあります。というわけで実数はある程度上下するはずです。しかしこの調査はほとんど唯一の第1次資料と言えるものです。
ベイツ教授はこの調査を知っていながら、東京裁判では大いに水増ししました。そればかりか、
「日本軍侵入後何日もの間、私の家の近所の路に、射殺された民間人の屍体がゴロゴロしておりました。スマイス教授と私は調査をした結果、城内で1万2千人の男女及び子供が殺されたと結論しました」
と述べたのです。一方のスマイス教授の東京裁判への出廷は、弁護側が要求したにもかかわらず認められませんでした。ベイツ教授は1938年と1946年に蒋介石より勲章をもらっていました。
またマギー牧師は法廷で延々と日本軍による殺人や強姦の事例を証言しましたが、ブルックス弁護人に「実際に自分で見たのはそのうちの何件か」と問われ、「実際に見たのは1件だけ」と白状しました。しかもそれは、日本軍歩哨に誰何され逃げ出した中国人青年が射殺された件でした。当時、中国にいた宣教師たちが国民党におもねっていたことは、アメリカの上海副領事をしていたラルフ・タウンゼントが1933年に出版した『暗黒大陸中国の真実』(芙蓉書房出版)などに記されています。
p120〜
私は大虐殺の決定的証拠が1つでも出てくる日までは、大虐殺は原爆投下を正当化したいというアメリカの絶望的動機が創作し、利益のためなら何でも主張するという中国の慣習が存続させている、悪質かつ卑劣な作り話であり、実際は通常の攻略と掃討作戦が行われただけと信ずることにしています。さらに事を複雑にしているのは日本国内に、大虐殺を唱え続けることこそが良心と平和希求の証し、という妄想にとらわれた不思議な勢力があることです。「南京大虐殺」は歴史的事実ではなく政治的事実ということです。事実であるという決定的証拠が1つでも出るはるか前に、「カチンの森」が事件発生50年後のソ連崩壊時に告白されたごとく、「南京大虐殺」の真実が、アメリカの情報公開で明るみに出るか、中国の一党独裁崩壊後に告白されるのではないかと考えています。
ただし、アメリカは時が来れば何でも情報公開する公平でオープンな国のように見えますが、肝心のものは公開しません。真珠湾攻撃前1週間の暗号解読資料とかケネディ大統領暗殺犯などについては、今もすべてを出そうとしません。南京事件が原爆投下と関係しているとしたら容易には出さないでしょう。
南京の話が長くなったのは、これが未だに日本人を委縮させているからです。中国に対して言うべきことも言えないでいる理由だからです。尖閣諸島が中国のものと言っても、自分から体当たりしてきて謝罪と賠償を高らかに唱えても、怒鳴りつけることもできず、下を向いたまま「領土問題は存在しません」とつぶやくだけの国となっているからです。
20年以上にわたり毎年10%以上も軍事費を増加させるという中国の異常な軍備拡大に抗議するどころか、すでに6兆円を超すともいわれる巨額のODAを与え、さらに援助し続けるのも、自らの対中防衛力を高める努力もしないでハラハラしているだけなのも、中国の不当な為替操作を非難しないのも、「南京で大虐殺をしましたよね」の声が耳にこだまするからです。中国の対日外交における最大の切り札になっているのです。(〜p121)
-----------------------------
↧
4月28日は東京裁判の意味に思いを致す日でもある 苦渋の独立「連合国が勝者の判断によって断罪した」
↧