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【日米防衛相会談】「核の傘」発言の米長官、核開発に強い危機感  核保有と「日本のプレゼンスの低さ」

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【日米防衛相会談】「核の傘」発言の米長官、核開発に強い危機感 
産経新聞2013.4.30 08:40
 29日の日米防衛相会談後の共同記者会見で、ヘーゲル米国防長官は「核の傘」による抑止力に言及した。核、ミサイル開発を止めない北朝鮮への強い危機感といら立ちが読み取れる。
 「核の傘」は、敵が同盟国を攻撃した場合には核兵器を含む手段で報復するとあらかじめ表明して核使用の選択肢をちらつかせることで、味方にとって好ましくない行動を敵に思いとどまらせる抑止力を指す。
 北朝鮮は昨年12月、人工衛星打ち上げと称して長距離弾道ミサイルの発射実験を実施した。射程は米西海岸に到達する1万キロ以上に及ぶとされ、北朝鮮が核兵器の小型化に成功すれば、米本土が核攻撃の対象になり得るとして米国は一段と警戒を強めている。
 小野寺五典防衛相もヘーゲル氏に呼応。会談後、記者団に「米国も北朝鮮の核、ミサイルに強い懸念を持っている」と強調し、弾道ミサイル発射の動きを見せる北朝鮮への警戒を緩めないとの認識を示した。(共同)
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核保有と「日本のプレゼンスの低さ」 2013-04-20 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉 
 ある外交官の予言と鳩山氏の呪縛
 産経新聞2013.4.20 12:00[名言か迷言か]
 1日違いではあるが、2月23日と24日は日米関係において、いずれも節目になった日だ。第2次安倍内閣発足後初の日米首脳会談が米ワシントンで行われたのは今年の2月24日だった。
 「日米同盟の方向性について完全に一致できた。日米同盟の信頼、強い絆は完全に復活した
 安倍晋三首相は会談後の共同記者会見でこう宣言した。首相が「復活」と語ったとき、脳裏にあったのは民主党政権時代の混迷であったに違いない。平成21年9月に政権を奪取した当時の鳩山由紀夫首相は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県外移設を目指し、迷走し、日米間の信頼を傷つけ、そして周辺諸国からの侮りを招いた。
 安倍首相はオバマ米大統領と普天間の早期移設で一致し、1カ月後には名護市辺野古への移設に向けた沖縄県への埋め立て承認申請に踏み切った。とはいえ、普天間問題が決着する見通しが立ったわけではない。沖縄県の仲井真弘多知事は辺野古移設に反対姿勢を崩していない。日米両政府が今月発表した共同文書では、普天間の返還時期を「2022年度またはその後」と記した。普天間の返還時期が先延ばしされたのはこれで2度目だ。普天間移設に道筋を付けるため、首相が歩む道は決して平坦ではない。
 もう1つの節目である2月23日も普天間問題が関係する。ただし17年前の話だ。米サンタモニカで当時の首相、橋本龍太郎も初めての日米首脳会談に臨んでいた。前年に発生した米兵による少女暴行事件をきっかけとして、沖縄県では反基地感情が煮えたぎっていた。太田昌秀沖縄県知事の要求は普天間返還だった。宜野湾市の4分の1を占める普天間飛行場の移設は沖縄県の悲願だったが、外務省と防衛庁は日米首脳会談で普天間を取り上げることに反対していた。
 「総理の口から具体名を大統領に言われてしまうと、日本国内の期待感を非常に高めることになるでしょう。総理が言われたことが仮に実現しないとまた困ったことになるのではないでしょうか」
 外務省北米局長の職にあった折田正樹元駐英大使は『外交証言録 湾岸戦争・普天間問題・イラク戦争』(岩波書店)の中で、橋本にこう進言したことを明かしている。橋本は迷いに迷い、米国に向かう機中でも「いろいろ考えているがやっぱり言わないほうがいいかな」とつぶやいたという。橋本自身も『橋本龍太郎外交回顧録』(同)で「あのときは本当に迷いながら会場に入りました」と振り返っている。
 橋本の背中を押したのは、クリントン大統領だった。「橋本、本当にそれだけか。もっとあるんじゃないのか。初めての会談だから、ある問題がもし残っているのなら、遠慮しないで出せよ」と促すと、橋本はついに口火を切った。
 「現地から出ている問題、それは普天間基地の返還という問題がある。あなたがそれを聞いてくれたから、私はここでテーブルに載せる」
 折田氏はこの直後、米政府高官に「橋本総理が口に出したということは大変な決意の上で、これは返せということだ、だからアメリカはそう思って対応してくれなければ困る」と迫っている。
 橋本による一世一代の賭けは吉と出た。日米両政府はこの年の4月、普天間飛行場の全面返還で合意した。返還時期は8年から数えて「5年から7年以内」。つまり、遅くとも15年には返還されるはずだった。しかし、15年からすでに10年が経過している。今のところ、沖縄の理解が得られる見通しは立っていない。
 折田氏が橋本に行った進言は、予言として不気味な影を投げかけている。民主党政権が県外移設を唱えたことで「日本国内の期待感を非常に高める」結果となり、「総理が言われたことが仮に実現しないとまた困ったこと」になった。県内移設を容認していた仲井真氏は姿勢を転換し、県外移設を求め続けている。
 鳩山氏の軽挙妄動は呪縛となり、普天間問題に重くのしかかっている。仲井真氏にとって、再び県内移設を容認するためには幾重にも立ちふさがる壁を乗り越えなければならないだろう。しかし、住宅街に取り囲まれ、「世界一危険な基地」とも呼ばれる普天間が移設されるかどうかは、仲井真氏の決断にかかっている。そして、安倍首相の熱意にもかかっている。
 普天間返還が合意に至った17年前の夜、橋本はモンデール駐日大使と行った記者会見でこう述べた。
 「合意を実現させるためには、国と沖縄県が共同で努力をしなければいけない」(杉本康士)
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〈来栖の独白 2013/4/20 Sat. 〉
 日米同盟というが、日本のプレゼンスは随分と低い、と佐藤優氏は言う。国際社会における日本の位置、姿、ありようが、為政者にも国民にも見えていない。認識されていない。
 北朝鮮が世にも貧しい暮らしを国民に強いながら核開発をし、「核保有国として認めてくれ」と躍起になっている。この様を日本国民は嘲笑するが、核の保有国であるか否かが外交上どれほどの意味を持つのか、日本国民は無関心である。同盟国アメリカは無論のこと、国際社会で日本のプレゼンスが低いのは、核を保有していないからだ。日本国民にはその程度の(最低限の)認識すらない。そして今、原子力発電まで、やめようと云う。
 絶対平和幻想にとりつかれ、真っ当な国家観すらなくしてしまった。国民・領土・領海を国が守ろうとすれば(国家として当たり前のことをしようとすれば)、それを「右翼だ」と揶揄する。絶対平和幻想、平和ボケも、ここまで来た。左巻きは、日本が「平和憲法ゆえに世界から尊敬されている」と悦に入っているが、国民を護ろうとせず北朝鮮の拉致するに任せたこの国を、国際社会は嘲笑はしても決して尊敬していない。これが現実であり、正常な国家観だ。
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「インテリジェンス 闇に消える内調加賀美正人参事官自殺/米国における日本のプレゼンスの低さ」佐藤優 2013-04-17 | 政治
 情報界震撼、闇に消える内閣情報調査室幹部自殺 
 マスコミが報じない米国における日本のプレゼンスの低さ〜佐藤優氏
 2013.04.12(金) JBpress 「マット安川のずばり勝負」2013年4月5日放送
マット安川 ゲストに元外務官・佐藤優さんを迎え、北方領土をめぐる対ロシア外交の現状をはじめ、インテリジェンスの問題や日米関係の懸念点などを幅広く解説していただきました。
*北方領土交渉の流れに変化、12年前に戻る
佐藤 今年2月、森(喜朗、元首相)さんがモスクワを訪問したのは、安倍(晋三、首相)さんの訪露を準備するという意味では非常によかったと思います。
 プーチン(ロシア大統領)さんは昨年から北方領土問題について「引き分け」などと言っていましたが、それがどういう意味なのかよく分からなかった。それが、日露双方が受け入れ可能な形を考えようということだと分かりました。ロシアとしては、何も条件をつけないで話し合いをするのであれば、何らかの妥協はしましょうと。
 ただし具体的なものはありません。ですから、この4月の終わりに安倍さんが訪露を予定していますが、その時は、1年以内くらいを目処に動かしていきましょうというような合意しかできないと思います。
 双方の外務省が1年以内に十分な準備を行って何らかの合意ができれば、来年プーチンさんが来日する時に北方領土問題は動きます。逆に、合意できなければ、プーチンさんは来日しない。そういう意味では日本の外務省の責任はこれから非常に重くなります。
 北方領土問題は、2001年に当時の森総理大臣とプーチン大統領が署名したイルクーツク声明をベースに交渉すれば、再び動き出す可能性があります。要するに、12年前に鈴木宗男さんが森さんと一緒にやろうとしていた路線に戻るということです。
 ただ12年経って、日本はその時よりも弱くなり、ロシアは強くなった。この状況でどういう妥協ができるのか、非常に難しい交渉になると思います。
 私としてはちょっと愚痴をこぼしたくなるのは、鈴木さんと私はあの時、国賊だと言われて捕まったわけです。ところが、いま政府がやっているのはあの時の路線です。それならなぜ捕まったのかと。
 まあちょっと早すぎたのか、もしくは12年経ってみんなが理解してくれたと思えば、それほど腹も立ちませんが。いずれにしろ、北方領土交渉の流れが変わってきたということです。
*内調幹部の自殺で、日本のインテリジェンス業界に震撼
 いま日本のインテリジェンス業界を震えあがらせていることが起きています。この4月1日、東京都内のマンションの1室で、内閣情報調査室の幹部が自殺したんです。
 この人は外務省から出向していて、米軍の学校でロシア語を勉強して、そのあとモスクワにも勤務している。さらに外務省の国際情報統括官組織の課長級の幹部でした。
 こういう世界の人が自殺するというのはたいへんな話です。精神的にものすごく強い人が配置されるわけですからね。自殺は間違いないようで、何か追い込まれるような状態になったんでしょう。
 しかし、この問題が闇に葬り去られようとしています。外務省も内閣情報調査室も、本人の名前すら明らかにしていません。
 ただ、鈴木宗男さんのホームページを見ると名前が出ています。実はこの人は、かつて鈴木さんがやっていた北方領土交渉に反対して、やめさせようとしていた外務省の幹部なんです。
*NSCとインテリジェンスとは役割が違う
 現在、日本版NSC(国家安全保障会議)創設の議論がなされていますが、NSCとインテリジェンスは別ものであることがあまり理解されていません。NSCをつくって、ここで情報を集めるんだと勘違いしている。
 NSCは何をするところかというと、戦争をするかしないかを決めるところです。高度な政治決断を行うところであって、情報を集めてくるのは別の部局がやらなければいけない。このへんのポイントを理解せずにNSCの議論をしている感じがします。
 また、総合商社などによるビジネスのインテリジェンスと、国家安全保障のインテリジェンスも違うものです。
 国家安全保障では、時には経済的にマイナスになってもやらなければいけないこともある。乱暴なことを言うと、自国の国益に有害な人には死んでもらうこともあるわけです。
 ビジネスではそういうところまではやらない。そこまで踏み込まないといけないのが、インテリジェンスの真実の姿なんです。
 では、日本はどう対応すればいいのか。インテリジェンスをどうやって育成するのか。それは政府機関でやるしかありません。我われは陸軍中野学校などの伝統を持っていますから、そのへんを復活させればいい。
 ただ、現代的な民主的な統制の下でのインテリジェンスをどういうふうにやるかはなかなか難しい課題です。
 本当に秘密裡に処理しなければいけないことは、そのためにおカネもつけないといけない。おカネというのは、民主主義国家においては透明にしなければいけませんから、その中で完全な機密費をどうやってつくるかというのはけっこうたいへんな話です。
*安倍首相の訪米で露呈した日本のプレゼンスの低さ
 2月の安倍さんの訪米は、日本では成功だと言われています。ところが、東郷和彦(京都産業大学教授)さんという私の前の上司に聞いた話では、まったく違います。
 東郷さんは先日アメリカに行ってこられたんですが、アメリカにおける日本のプレゼンスがほとんどないというんです。例えば、安倍さんの訪米について、ワシントン・ポストは8面に掲載していたという。それはアフリカの国のトップが訪米した時のような扱いと同じです。
 また、中国軍のレーダー照射事件について、アメリカのエリート層の多くが、日本のでっち上げだと思っているというんです。
 中国はものすごくプロパガンダをやりましたから、事情をあまり詳しく知らないアメリカ人は政治家も含めて、日本のでっち上げだと見ていると。そういうことが日本には伝えられていません。
 これから日米関係を強化していかなければならないわけですが、いまアメリカで一番注目すべきことは「シェール革命」です。シェール層にある天然ガスや石油を採ることで、アメリカは2030年代くらいにはエネルギーの輸出国になります。
 その時にアメリカがどういう戦略を取るのか。再びパックス・アメリカーナということで、アメリカの影響力を世界中に広める方向でいくのか。それとも、世界から嫌われて面倒くさいから、例えば中東などから手を引くのか
 これまではエネルギーが必要だから中東から手を引けなかったけれど、自分のエネルギーを持てば手を引くこともできます。
 アジア地域についても、金持ちケンカせずということで、中国と住み分ける可能性が高い。
 すると日中の争いは勝手にやってくれ、我われは知らないよということになりかねません。すでにそういう感じに少しなっています。日米関係も、アメリカのエネルギーがどうなるかで大きく変わってくると私は見ています。
*佐藤 優(さとう・まさる)氏
元外交官、文筆家。インテリジェンスの専門家として知られる。第38回大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞した『自壊する帝国』の他、『獄中記』『国家の罠−外務省のラスプーチンと呼ばれて』『3.11 クライシス!』『世界インテリジェンス事件史』など著書多数。
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核武装論のすすめ / 池田勇人首相(=昭和30年代)「やはり日本も、核を持たなくては駄目だね」 2013-03-25 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉
核武装論のすすめ
産経新聞2013.3.23 12:00[名言か迷言か]
 首相は酔っていたのかもしれない。宴席で口を滑らせるのは誰にでもあることだ。それでも、現役首相のその一言は穏やかでなかった。
 「中曽根君、やはり日本も、核を持たなくては駄目だね」
 当時首相だった池田勇人は自民党総務会の宴会で、後に首相となる中曽根康弘氏にこうつぶやいた。昭和30年代後半なので、まだ核拡散防止条約(NPT)がなかった時代の話だ。中曽根氏は『中曽根康弘が語る戦後日本外交』(新潮社)の中で「私は驚いたね。岸(信介)の安保に対抗して、経済オンリーを主唱し低姿勢でやってきた池田だったから、腹の中ではそう考えていたとは意外だった」と語っている。
 中曽根氏は池田発言を評価した。「日本もある程度、そういう実力を持たないと前途に不安な点がある、いつまでも外国に頼っているのはよくない」と当時の心境を振り返っている。しかし、その後核をめぐる認識は徐々に変化する。佐藤栄作内閣時代に非核三原則を具申したのは中曽根氏だったし、日本のあるべき姿として「非核中級国家」を唱えたのも中曽根氏だった。
 ここで留意しなければいけないのは、実際に核武装することと、核武装を検討することは、次元が異なるという点だ。事実、中曽根氏は防衛庁長官時代、日本の核武装の可能性について研究を指示している。
 「核を断固持つという強い意思でもなく、逆に核武装の能力もない小国ではない。持てるけれども自ら持たんという姿勢を、国内外に示すのが得策である」
 日本が潜在的な核保有国であることにより、拡大核抑止力を提供する米国の意思を確固たるものとし、ソ連や中国などは日本に脅威を与えることを躊躇する−。中曽根氏の言外には、こうした狙いがにじむ。
 つい最近、この中曽根氏の教えを忠実に実行したかのような発言をした政治家がいる。とはいっても日本人ではない。韓国の李明博前大統領だ。李氏は退任直前の2月15日、東亜日報のインタビューで韓国の核武装論について、こう語ったという。
 「愛国的な考えという点で高く評価し、そうした発言が北朝鮮や中国に対する警告にもなるので間違っているとは思わない。われわれの社会にそう考える者もいなければならない」
 もちろん、李氏は自身の考えとして「国際協調を通じた核放棄が最終目的なので政府が核保有を語るのは時期尚早でよくない」と断っている。とはいえ、現職の大統領が核武装論を慫慂した事実は重い。韓国が実際に核武装する能力があるかどうかは別として、李氏が中曽根氏の近いところにいるのは確かだ。
 翻って日本はどうか。首相や閣僚はおろか、自民党内からもなかなか核武装論は聞こえてこない。日本維新の会の石原慎太郎共同代表は政界随一の核武装論者といってよいが、2月12日の衆院予算委員会で質問に立ったにもかかわらず、日本の核武装を求めることはなかった。むしろ、非核攻撃ミサイル(CSM)の導入を政府に求め、「核の保有と違って顰蹙をかわない」などと大人げある発言までしている。
 日本で核武装に言及することは危険な行為だ。言葉狩りの餌食となり、発言撤回を余儀なくされた政治家は枚挙にいとまがない。国内世論の反核アレルギーを考えれば核武装論に現実味はない。実際に核兵器を保有すれば、日米同盟が危殆に瀕する恐れがあるし、周辺諸国の軍拡を招来することは確実だ。その意味で、現実の政策として核武装は愚かですらある。
 だが、「核を廃絶すれば世界が平和になる」式のハッピーな議論がまかり通り、核保有を検討することすら憚られるような雰囲気は、日本の国益に資するのか。中曽根氏の回想は、警句として静かに響いている。(杉本康士)
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『自立する国家へ!』田母神俊雄×天木直人
著者 ◎田母神俊雄◎天木直人 2013年2月1日初版第1刷発行 KKベストセラーズ 刊

第二部
p101〜
■「専守防衛」は自主防衛とはいえない
 日本人に反省と謝罪を促した日本国憲法のもう1つの弱点は、「軍を持たない」と宣言したことにあった。これによって日本は、自衛隊という外国から見れば紛れもない軍ができた後も、その言い訳のように自衛隊は武器の使用を極度に制限された。原則的に、相手から攻撃されるまでは武器を使用できないことになったのである。p102〜
 しかも、そうした歪んだ自衛隊の形を、戦後の左翼教育によって日本の一定数の世論が良しとしていたこと、それから、長く続いた自民党政権時代でも、常に野党第1党の座にあった社会党などが自衛隊を違憲と断定していたこともあって、自衛隊をまともな形に正すことはできなかったのである。
 その間の1970年代には、当時の中曽根防衛庁長官が防衛白書の中で「専守防衛」といったあたりからこの言葉が一人歩きを始める。そして、日本が攻撃のための武器を持つことさえいけないことであるかのような風潮さえ生まれた。
 そして、アメリカはそうした風潮に乗って「攻撃はアメリカに任せておけ」とばかりに日本にもっぱら防御システムを莫大な金で買わせるようになり、攻撃面はすっかりアメリカ依存になってしまったのである。
 評論家などの中にも、「それでいいではないか」という人がいるが、それは軍事力とは何かを知らないもの言いである。
 軍事力というものは、攻撃と防御がバランスよくセットになってはじめて軍事力なのである。外国から見たら防御一辺倒の軍事力など怖さはない。いくら最新鋭の防御システム(ペトリオット・ミサイルなど)を備えていようとも、「あの国は守りは強いが攻めは弱い」と認識したら、その国に怖さを感じるだろうか。
p102〜
 軍事的な怖さがないということは、抑止力が働かないということに等しい。つまりは危険性が増すわけだ。そういう意味で、「実際に戦ったら恐い」とどれほど相手に思わせることができるかが、その国の軍事力であり、安全保障力であるといえるのである。
p104〜
■自主防衛への道に日米共同開発が立ちはだかった
 戦前の日本は世界が驚くようなゼロファイター=零戦や多くの戦艦をつくった国であったから、戦後になっても武器・兵器を自前で製造する技術は保持していた。しかし戦後はGHQの統制下に置かれ、軍事力を保有することはできず、当然、武器を自前で開発、製造することは禁じられた。
p105〜
 しかし朝鮮戦争の勃発によりアメリカは日本の再軍備の必要性に迫られ、我が国は警察予備隊の発足により再軍備を始めることになった。そのとき武器の多くをアメリカから買わされることになった。
 しかし当時は我国の政治家も官僚も一人前の独立国になることを目指していたから、日本は武器を自前で開発、製造しなければならないと考えていたのである。(略)
 しかし、1980年代半ばの中曽根総理の時代になって、国産化への道が突如として塞がれる。私が航空幕僚監部の防衛課にいた時代である。
 その頃、F1で培った日本の技術はかなりのレベルに達しており、F1の後継機としてF2の開発も国産体制でやろうとしていた。
p105〜エンジンだけアメリカから買ってきて機体は日本でつくるという、F1同様の体制である。こうした日本の体制に対し、アメリカは横槍を入れてきたのだ。
 「F2は日米共同開発でやろうじゃないか」
 アメリカは日本政府に申し入れ、これを受け入れ、鶴の一声を発したのがロン・ヤス関係といわれ、アメリカべったりだった当時の中曽根総理であった。続く竹下総理がこれを引き継ぎ、1988年、日米共同開発が決まったのである。
 アメリカの意図は、日本に自前の武器・兵器をつくらせないことが一点、そしてもう一点は、日本の軍事技術をいただくことであった。
 当時の日本の技術力はかなり高いレベルにあった。
p107〜
■アメリカの戦略は「日本を自立させない」こと
 湾岸戦争(1991年)のときに話題となったのが、レーダーに掛からない性能を持つという「ステルス戦闘機」であったのを覚えている人は多いだろう。
p108〜
 実はあれにも日本の技術が使われていた。宇部興産がつくったチラノ繊維という合成繊維で、レーダーに映らないというステルス性能はこれがないと確保できない。日本はこんな優秀な技術も持っていたのだが、日米共同開発によって日本の優れた技術はアメリカに根こそぎもっていかれる、という事態が続くことになったのである。
p111〜
 ただし、だからといって、私は特別にアメリカが汚いとは思わない。自国の国益のために友好国と交渉するのも国際常識であり、どの国でもやっていることだからだ。本当は、日本の政治家や官僚がそうしたアメリカの意図を認識しながら、日本の国益のためにうまく立ち回るべきで、それができていないことのほうが問題なのである。
 ところが歴代政府の多くは、アメリカに追随することが政権の延命につながるということを優先し、ほとんどまともな交渉をしてこなかった。アメリカと対等になることを目指したり、アメリカに頼らない道を探ろうとした政治家はいたが、彼らは皆、志半ばで挫折した。アメリカによる情報戦(場合によっては日本のマスコミも加担した情報戦)によって追い落とされたと思われるケースがほとんどで、日本の親米派が陰で足を引っ張ったと思われるようなケースもあった。
 ともかく、対米自立への道を考える時、アメリカは基本的にそれを阻止しようという戦略をもって、先手先手で動いてくるのが戦後の歴史。その象徴といえるのが日米安全保障条約であり、非核三原則なのである。
p116〜
■核武装論者が受け入れた「非核三原則」
 最近では私のように公然と日本の核武装を提言する人も増え、「きちんと議論しよう」という人も増えたが、ひと昔前までは、核武装論をタブー化するような風潮があったものである。
 それは日本が被爆国であったからではなく、「非核三原則」なるものが存在していたことが大きい。
 「広島・長崎が被爆し、多くの犠牲者を出したから、戦後の日本人は核アレルギーが強くなった」という人がいるが、それは違う。戦後になって東西冷戦が始まり、米ソの核戦争が過熱し、中国も核実験に成功する流れの中で、1960年代前半頃までの日本国民には核武装を支持する声はかなりあった。
 そんな中、1964年に総理となった佐藤栄作氏は元々、核武装論者であったが、総理になる直前に中国の核実験成功を聞いてその思いをなお強くし、アメリカに「日本も核武装をさせてほしい」と打診したといわれる。
p117〜
 しかし、アメリカはこれに強く抵抗した。結局、佐藤総理は、日本が核武装をしない代わりに「日本がアメリカの核抑止力を必要とする時、アメリカはそれを提供する」ことを約束したことで核武装論を引っ込めた。
 1967年の国会答弁の中で初めて「非核三原則」を口にした佐藤総理は、72年には「核の脅威に対してはアメリカの核抑止力に依存する」として、沖縄を含めた非核三原則を閣議決定してしまったのである。
 核武装論がタブー視されるようになったのはそれ以降のことだ。佐藤総理が非核三原則を口にした当時の日本の世論に、これを良しとする声はさほどなかったが、それ以降の日本では次第に、核武装論を口にする者は危険人物の扱いをされるようになっていった。
 つまり、核武装論者であった佐藤総理自身が、日本の核武装論を封じてしまったようなものだ。
p118〜
 日本では、「専守防衛で核武装もしない平和憲法がある平和主義の日本だから世界で価値を認められている」といった根拠のない論調がいまだにあるが、それはまるで違う。むしろ逆で、核武装国になれば嫌でも存在感が増すのである。
 核兵器を持っている核武装国こそが、戦後の国際世界を牛耳ってきた。「核武装国になれば国際社会での発言力と安全度が増す」ことは、国際社会では常識中の常識である。だからこそ世界の多くの国が、あわよくば核武装国になれないものかと狙っているのだ。
 国連の常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国。核武装国でない国は1つもない。他にインド、パキスタン、そしてイスラエル、北朝鮮も核武装国だが、彼らがなぜ核武装国を目指したのかは、逆を考えてみればわかる。つまり、彼らが核武装国でなかったらどうなっていたかと。
p119〜
 どの国も核武装をすることで抑止力を手に入れ、国を潰されないようにしたまでのこと。いま核武装に突き進んでいるイランにしても事情は同じだ。決して気が狂ったわけでも何でもなく、自国の安全のためにもっとも合理的で効果的な方法をとっただけのことである。
 日本では、「核を持たないから平和でいられる」という論調がいまだに幅を利かせているが、世界の常識は180度違う。「核武装すれば国はより安全になる」というのが国際常識なのである。
 なぜなら、核兵器は決して使われることのない兵器で、同じ兵器でも通常兵器とは存在意義が違うものだからだ。(略)
 なぜなら、核戦争には勝者はいないからである。一発の核ミサイルは耐えることのできない被害を及ぼす。
p120〜
 お互いに甚大な被害を覚悟しなければならないから、核武装国同士はお互いに手出しができなくなる。つまり核による抑止力は、パワーバランス(数の均衡)をさほど必要としないのである。核兵器出現以降、核武装国同士の戦争は一度も起きていない。
 核兵器は2度と使われることはない。しかし核兵器を持つか持たないかでは大違い。国際政治を動かしているのは核武装国なのである。このことをよくわかっているからこそ、非核武装国は何とか核武装国になれないものかと考え、逆に、既に核武装国になっている国々は、自分たちの価値を下げないために、これ以上、核武装国を増やしたくないと考えるのである。
p140〜
 核兵器を所有する大国は、話し合いの末の多数決を拒否するカードを持ち、自国が不利と見るや、すぐさまこのカードを切る。オバマ大統領も本気で核兵器を廃絶させるのなら、アメリカが音頭を取って「せーの」で核廃絶を決議すればいいのだが、そんなことを本気で考えてもいないし、重要な話し合いになればなるほど、どこかの国が国が拒否権カードを切るのがわかっているから、議題にも上らないのが現実だ。
p141〜
 ただ、第2次大戦、そして冷戦以後の国際社会がそれまでと変わったのは、腕力の強い者が腕力にものを言わせる、すなわち戦争を仕掛けるのではなく(そういうことも時には起こるが)、大声でものを言い、発言力で相手をねじ伏せるようになったことだろう。それは国連が機能した結果というより、核抑止の効果といえる面が大きい。
 もっとも、ただ大声を出しただけでは、誰も聞いてはくれない。世界の国々の耳を傾かせ、従わせるのに必要なものこそが腕力、すなわち軍事力で、そのために大国は核武装をしているのである。

第三部
■対米従属の実態
p157〜
天木 私がイラク戦争に反対したのはあの戦争が間違った戦争だったからです。アメリカが間違うのは仕方ないにしても、なぜ日本がそんな戦争を支持したのか。中東のことを何も知らない小泉首相が、どうせ感謝されるのだったら世界に先駆けて支持してやろうじゃないかといわんばかりに世界に向けて米国支持を打ち出した。このことに対して、同僚たちは誰一人、止めろといわずに沈黙し、追従した。情けないじゃないかと私は声を上げたのです。
田母神 しかし日本がアメリカに守ってもらっているという現状からすれば、あの時の小泉総理の決断は止むを得なかったのではないでしょうか。国際社会では、正義か不正義か、あるいは善か悪かで国の行動を判断すべきではないと思います。
(p158〜)判断基準はあくまでも我が国の国益に利するかどうかです。あの時、我が国がフランスのように強硬にイラク攻撃に反対したら、我が国の立場はどうなったでしょうか。おそらく日米関係を大きく損ない、結果として我が国の安全保障は危機的な状況になったでしょう。核武装もして自分の国を自分で守る態勢ができているフランスと同じ行動を、我が国は取れないのです。現状では日本はいつでもアメリカを支持せざるを得ないのです。
 あの時、アメリカは、イラクは大量破壊兵器(化学兵器や核兵器)を保有するテロ国家だと宣伝して攻撃を仕掛けたけれど、終わってみればそういうものは出てこなかったわけです。アメリカは、最初から持っていないことは知っていたんです。そうでなければ攻撃するはずがない。むしろ、イラクに核を持たせないために攻撃したということだと思う。そのためにアメリカはイラクのフセイン大統領を極悪人と断定し、そのことを世界中アピールして納得させようという情報戦を仕掛けたということ。フセインが善人だとはいわないけれど、別に彼がイラクで飛びぬけて異常な独裁者だったわけじゃないでしょう。彼が交代してもイラクではまた同じような人が大統領になるでしょう。アメリカは昔から自国の利益のための情報戦に長けていますから。
p159〜
田母神 私が対米従属の情けなさを一番実感したのは、中曽根総理の時代です。当時、私は防衛庁航空幕僚監部にいましたが、当時はF1の後継機として三菱重工が中心になってF2戦闘機の開発にとりかかっていました。
(p160〜)戦後、我が国はアメリカから図面を買ってきて機体は日本でつくるというライセンス生産をくり返してきたのです。いずれ国産体制にもっていくつもりで着々と技術を磨いていた。そして戦後はじめてF1という戦闘機をつくり、その後継機としてF2の国産開発に着手しようとしていたのです。それをアメリカが日米共同開発の提案をしてきて、中曽根総理が鶴の一声でこれを受け入れることを決めてしまった。あれで日本の国産戦闘機への道は閉ざされたばかりか、日本の優位な技術ももっていかれるという悔しい思いをしたわけです。
 それから、いま日本が買おうとしているF35でも、開発が遅れて、おまけにカネがなくなると、今度は日本にも国際共同開発に加わってほしいと要請があり、そのあげくにバカ高い戦闘機を買わされるわけです。
p161〜
■「自主防衛を目指す」と書かれた自民党結党時の政綱
田母神 やはり独立国家というのは、自主防衛の体制がきちんとしていることが基本だと思うんですね。自分の国を自分で守るということが基本で、それがあって初めてよその国といろんな対等な関係を築くことができていくわけですよね。
(p162〜)けれども戦後の日本の場合は、国の守りをアメリカに依存したというか、戦争に負けてアメリカの占領下にあったからしょうがないんですけれど、そこからスタートするしかなかった。
 だからこそ昭和30年代に自民党ができた時、党の綱領とともに掲げられた「党の政綱」の中で、日本は独立したとはいっても、まだ自分の国を自分で守れない半人前の独立国家だから、いずれ占領下で仕方なく受け入れた憲法を正し、自衛隊もきちんと強化して自分の国は自分で守る体制をつくるんだと書いたわけですね。いわば、自主防衛を目指すんだ、としっかり書いたわけですよ。けれども、そういうことが全然改善されないまま70年近くたっていまったということですよね。
p165〜
田母神 戦後間もなくの頃の政治家の中には、占領下にあっても戦前からずっと国を司ってきた人たちがいて、まだまともだったと思うんです。だから今は甘んじていても「いつかは自分たちの手に取り戻すんだ」という気概があった。55年の自民党の綱領もそういう気概を持っていた人たちがつくったわけです。
 しかしその後、多くの日本人が戦後教育の洗礼を受けて、結局、日本は悪い国なんだから反省しなければならぬと刷り込まれた。そうしているうちに、下手に自己主張なんかしないでアメリカに守ってもらってアメリカの言うとおりにすればいい、というような世代が社会の中枢を占めるようになってしまった。しかも冷戦時代までは経済がうまくいったものだから、今のままでいいじゃないか、余計なことはしないでおこうとなっちゃったわけです。
 そうなると政治の世界でも、国を守るということが独立国家の基本なんだということさえ頭にないような人がたくさん大臣になってくる。それが一番の問題で、そういう状況の中で、自民党も立党の精神を忘れてしまったと思うんです。
 私は日本も普通の国になるべきだというんですが、普通の国とはなんだといったら、アメリカに対してイギリス、フランス、ドイツといった国の政治家がいっているようなことを、日本の政治家も普通にいえるというようにならなければ、おかしいのではないかと思う。
p166〜
 今の日本には、とにかく中国に遠慮する、いわゆる親中派といわれる政治家が一杯いますね。これに対して保守派といわれる人たちがいるけれども、この保守派というのは、「アメリカ派」なんだね。彼らの多くは親米の保守派で、アメリカ派なんです。日本には日本の国益のために考えて動く「日本派」の政治家がほとんどいない。だからアメリカ派と中国派が政治抗争をやってるみたいななのが今の日本の政治の状況。それで自民党と民主党に分かれているようなところがあります。だから私は、日本の国益を徹底的に考える人たちが集まった日本派の政党ができていかないと、日本は立ち直れないのではないかと思うんですよね。
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