安保激変 歴史認識問題に揺れる日本 「過去」に負けず、「未来」で勝つ方法
WEDGE Infinity 2013年05月25日(Sat)小谷哲男(日本国際問題研究所研究員)
歴史認識が再び大きな外交問題として浮上してきた。
海外で「ナショナリスト」として知られる安倍晋三首相について、政権発足前からその保守的な言動に懸念が広がっていた。政権奪回後、保守的な「安倍カラー」を抑え経済回復に力を注いだが、いつ「本性」を現すかわからないと警戒する声は消えなかった。そして、安倍首相が国会で「侵略の定義は国際的に定まっていない」と発言し、閣僚の靖国神社参拝を擁護するに至って、ついに「本性」を現したと受け止められてしまった。安倍政権は、海外、特にアメリカで高まる懸念の声を反映してか、「村山談話」の継承を表明するなど、慎重に軌道修正を図った。
一方、橋下徹・日本維新の会共同代表の軍と性に関する発言が、より大きな波紋を世界中に広げている。発言の主旨は、当時はどの国の軍にも慰安所はあったのに、日本だけが責められるのはおかしいということだ。しかし、この発言は、慰安婦の必要性を肯定する女性蔑視の発言として海外で伝えられている。世界では、慰安婦問題は人権問題として認識されており、当時必要だったかどうかは論点ではない。慰安婦が20万人もいたのかどうか、強制的だったのかどうか、という事実関係も人権問題という文脈では争点にはならない。
慰安婦問題については、韓国やアメリカにこれに特化した活動家団体やNGOが存在する。それらの中には慰安婦問題を煽ることで資金を集め、政治に大きな影響力を持つようになっているものもある。日本側が慰安婦問題に関して否定的な発言をすることを手ぐすねを引いて待っているのだ。
■歴史を「政治的手段」として認識していない日本の政治家
日本の政治家は、歴史を純粋に歴史として扱い、事実関係について争おうとする傾向がある。しかし、国際政治において歴史はあくまで政治の延長である。歴史は事実を伝えるためではなく、あくまで政治的手段として使われるのだ。日本の政治家が歴史を政治的手段として認識していないことが、歴史認識をめぐる外交問題が繰り返される大きな理由である。
「勝てば官軍」という故事は、人類の歴史を通じた真理だろう。たとえ道理に背いていても、戦いに勝ったものが正義となり、負けたものが悪となる。力のあるものは思いのままに振る舞い、力のないものは苦しむのみ――トゥキュディデスが2500年前に指摘したこの現実が支配する国際政治の舞台においても、戦争の勝敗が正邪善悪を決定する。
歴史は、特に敗戦国の行動に制約を与える上で便利な道具である。たとえば、昨年9月の国連総会で、中国の楊潔篪外交部長(外相)は、日本が日清戦争の最中に「盗んだ」尖閣諸島を第二次世界大戦後も返さないのは、敗戦を受け入れていない証拠だ、と演説した。中国政府は、日本政府による尖閣諸島の購入を歴史に絡めることで、国際世論戦において優位に立とうとしたわけである。
残念ながら、国際政治を舞台とする歴史解釈というゲームで、日本が勝つことはできない。そうであれば、日本の政治家は勝てない喧嘩に挑むべきではないのだ。第二次世界大戦の解釈や細かい事実関係の修正は研究者が行う。歴史は歴史家に任せればよいのだ。
■勝つことはなくても負けないようにすることは可能
その代わりに、日本の政治家がやるべきことは2つある。
1つは、歴史認識という国際ゲームで負けないことだ。このゲームで日本が勝つことはないが、負けないようにすることは可能だ。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」
これは、1995年に戦後50周年の節目に当たって、当時の村山富市首相の名前で出された「村山談話」の一部である。この明確な謝罪と反省を歴代の政権が継承し、日本政府の公式な歴史に関する見解と位置づけられている。「村山談話」は日本が過去を反省し、謝罪を表明しているということを国際世論に伝えるための政治文書である。慰安婦に関する「河野談話」も同様だ。
国際政治の舞台では、日本から国際世論に真実を伝えることよりも、揚げ足を取られて日本の否定的なイメージを作り上げられないようにする方が重要である。この「村山談話」と「河野談話」を踏襲すれば歴史ゲームで負けることはない。日本の政治家は、これらの政治文書の細かい事実関係にこだわるべきではなく、その政治的な価値を受け入れるべきだ。
■日本は「勝てるゲーム」に集中せよ
もう1つ日本の政治家がやるべきことは、日本が勝てるゲームに集中することだ。過去を振り返るのではなく、アジアの未来を日本そして地域にとってより良いものにするためのゲームで勝負するべきだ。
たとえば、公平・公正で自由な経済・貿易制度をめぐるゲームだ。中国の輸出規制措置や知的財産権保護などに関してWTOで違反認定が続いている。環太平洋経済連携協定(TPP)や東アジア地域包括的経済連携(RCEP)、日中韓FTAなど、様々な経済統合に向けた動きが加速している。日本はこのような動きの中で、公正なルール作りを主導することに専念すべきだ。
また、安全保障面でも、中国の国際法を無視した強硬姿勢、北朝鮮の核・ミサイル問題、領土紛争などが地域安全保障秩序を脅かしている。安全保障のゲームにおいて、国際法に基づいた紛争の平和的解決を推進することが、今の日本に何よりも求められている。
これらアジアの未来に関するゲームでは日本は勝つことが可能だ。そして勝たなければならない。日本の政治家が取り組まなければならないのは、まさにこのアジアの未来を左右する問題なのだ。過去を振り返るより、未来を作り上げることが日本の使命である。
■単一的な解釈を押しつける歴史教育からの脱却を
最後に、歴史教育について一言ふれたい。
歴史認識問題は、「あの戦争」を侵略戦争ととらえるか、自存自衛のための戦争とみるかという二者択一の議論から発生する。しかし、戦争の本質は騙し合い、奪い合い、殺し合いであり、弱い者、判断を誤った者が負けるのである。これが国際政治の冷徹な現実である。
第二次世界大戦では日本だけでなく、アメリカも、中国も、ソ連も、ドイツも、すべての国が判断を誤った。日本が負けたのは、中国との泥沼の戦争を継続しながら、勢いが弱まり始めたドイツと組み、アメリカの参戦を招いて二正面戦争を戦うという愚を犯したからだ。対照的に、スターリンのソ連はドイツに攻められながらも慎重に欧州とアジアでの二正面戦争を回避し、戦勝国となった。
日本にとって「あの戦争」は侵略戦争でもあり、自衛戦争でもあった。戦後「自虐史観」が蔓延し、侵略戦争の側面のみが教育の場で強調されたことは決して健全ではなかった。他方、「侵略戦争は濡れ衣」と目くじらを立てるのも、国際政治の冷徹な現実を理解していないと言わざるを得ない。両側面から20世紀前半の歴史を検証することで、はじめて将来への教訓を得ることができるだろう。
麻田貞雄・同志社大学名誉教授は、原爆投下をめぐる日米の教科書を比較し、その質の差を指摘している。日本の教科書の中には、1945年8月に2発の原爆が落とされ戦争が終わったとし、どの国が原爆を投下したのかさえ書いていないものがあるという。一方、アメリカの教科書では、原爆投下について、戦争を早期に終結するために必要だった、原爆投下は不要だったが戦後のソ連との関係で優位に立つために使用した、日本人に対する人種的偏見から投下した、など複数の解釈を列挙し、読者にどれが最も説得力があるのかを考えさせるようになっている。
日本では歴史と言えば年号を覚えることと思われがちだが、本来歴史とは1つの史実に複数の解釈があることを学ぶ学問である。日本の歴史教育も、単一的な解釈を押しつけるのではなく、様々な解釈を教えるべきだろう。
自民党は、見解が分かれる歴史上の出来事を説明する際、複数の見解を紹介すれば生徒らが混乱するため本文には掲載しないよう、教科書検定基準の見直しを求めていく方針だという。果たして、それで日本とアジアの未来を担う若者が育つだろうか。是非再検討してもらいたい。 *強調(太字・着色)は来栖
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「過去」に負けず、「未来」で勝つ方法/歴史を「政治的手段」として認識していない日本の政治家 小谷哲男
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