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【 しっかりして!永田町】 自主憲法制定は苦労した先人たちの悲願 細川珠生

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【しっかりして!永田町】自主憲法制定は苦労した先人たちの悲願 ★(5)
産経新聞2013.05.26
 現在の日本国憲法は昭和21(1946)年2月13日、連合国軍最高司令部(GHQ)から当時の幣原喜重郎内閣に草案が手渡された。場所は外相官邸。ホイットニー民政局長は、吉田茂外相の側近、白洲次郎氏を中庭に呼び、青空を飛来するB29を指さして、「あれを見ろ」と言ったという。つまり、これを受諾しなければ、再びB29の爆撃を受けることになるぞ、という意味が隠されていたということだ。
 GHQのマッカーサー元帥は、日本の民主化を急いだ。そのためには、憲法の制定が、何よりの優先事項と考えた。それは、占領軍の上部機構である、米国、ソ連、中国、英国、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、オランダ、インド、フィリピンを構成国とする極東委員会が、天皇を戦犯とし、天皇制廃止を求めていたからである。
 マッカーサー元帥は、日本の民主化の中心に、また日本国民統合の中心に、天皇陛下が必要であるというゆるぎない信念から、天皇制を維持した民主憲法を一刻も早く作らなければならない。そうでなければ、日本の民主化は失敗すると考えたのだ。
 現憲法で、必ず大騒ぎになるのが9条である。9条の「戦争放棄」の考え方は、幣原首相とマッカーサー元帥の間で異論はなかったようであるが、問題は、原案で示されていた「日本は一切の軍隊を持たない」という点であった。
 これには、憲法制定会議で、民主党の芦田均衆院議員が厳しく追及した。「占領下といえども、日本は国家である。国家には当然、自衛権を認めるべきだ」と、GHQ相手に食い下がり、結果、今日の「自衛権」が盛り込まれたのである。芦田氏は後に、短命ではあったが、首相となった人物である。
 日本国憲法の問題点はたくさんある。多くが「急ごしらえ」であったことよる。GHQ民政局が25人のメンバーを集め、わずか7日間で憲法草案を完成させた。この中に、憲法の専門家は1人もいなかった。
 言論の自由を奪われ、すべての記事に検閲が入った時代。当時、毎日新聞の記者だった私の父(=故細川隆一郎氏)は、「占領軍備(の費用)」という言葉を「終戦処理費」に書き換えさせられるなど、たった1語すら自由に表現できない屈辱感を幾度となく味わった。
 戦争で多くの同志を失い、敗戦によって味わったさまざまな屈辱。当時の人々が「再び独立国となったならば、自らの手で憲法を」と願ったことを、なぜ今の今まで実現できないのだろうか。
 96条の先行改正の是非にこだわるのは、苦労した先人たちに申し訳ないと思わないのだろうか。すべての政治家はそのことに心を留めてほしい。もちろん、私たち国民もである。 =おわり
 ■細川珠生(ほそかわ・たまお) 政治ジャーナリスト。1968年、東京都生まれ。聖心女子大学卒業後、米ペパーダイン大学政治学部に留学。帰国後、国政や地方行政などを取材。政治評論家の細川隆一郎氏は父、細川隆元氏は大叔父。熊本藩主・細川忠興の末裔。著書に「自治体の挑戦」(学陽書房)、「政治家になるには」(ぺりかん社)。
 * 【しっかりして!永田町】(1)〜(5)より(5)のみ収録 〈来栖〉
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