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小沢一郎 独占インタビュー 私が憲法改正に反対する理由 『週刊朝日』2013年6月7日号

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小沢一郎独占インタビュー 私が憲法改正に反対する理由
『週刊朝日』2013年6月7日号
「平和主義という日本国憲法の理念を変えることは革命にあたる。だから変えることはできないんだ」。「先に手続きを変えようとするのはあべこべだ」。小沢一郎・生活の党代表は、インタビューで憲法改正に意欲を燃やす安倍首相をコテンパンにやっつけた。「次の総選挙で再び政権交代だ」。政界に新たな嵐を呼ぶか。
──橋下徹・日本維新の会共同代表は現在、逆風の中にありますが、橋下さんには当初、官僚政治の閉塞(へいそく)状況を打ち破ってくれるのではないかという期待がありましたね。
小沢 そう、そう。統治の機構を変えるんだと、僕が20年前から言っていたのと同じ言葉を使ってしゃべり始めたんだね。官僚支配から政治主導に統治の機構を根本的に変える、という掛け声だったんだ。だけど、そのわりにはだんだん自民党と同じになってきてしまいました。しかも、ウルトラ右的な体質がだんだん出てきちゃった。本音が出てきたみたいな。
──そうですね。
小沢 今度の橋下さんの(従軍慰安婦問題などの)発言で、維新人気っていうのはまったくなくなっちゃうんじゃないかな。
──橋下さんは自民党と共同で憲法96条を変えようという考えです。
小沢 政治姿勢の面から言うと、自民党と同じような思想、発想、体質が具体的に表れてきたのではないかと思います。憲法の問題もTPP(環太平洋経済連携協定)の問題も消費税の問題も、もはや自民党と一緒でしょう。
──では、安倍晋三首相が強い意欲を見せる96条改正についてはどう考えますか。
小沢 手続きを変えるところから入っていくというのは、まさにあべこべな話です。そこを変えやすくして、じゃあどのように憲法を変えるんだというしっかりとした理念、ビジョン、青写真がまったく見えてこない。ただただ変えやすくするために発議要件を全議員の3分の2から2分の1にということでしょう。3分の2という要件は憲法の中で他の問題についてもいくつかあります。地方議会でも、民間でもいっぱいあるんです、3分の2というのは。
──なるほど。
小沢 ほかにもいっぱい使われる3分の2なのに、一番大事な憲法改正だけを2分の1にしちゃうというのはおかしい。真正面の議論とは思えない。だから安倍さんでも橋下さんでも誰でもいいけど、憲法を変えたいのならまずはここをこうしたいと言ってくれなければ。ところがそれがない。
──憲法改正の発議には国会議員の3分の2が必要だというのは、世界各国でも多いんですよね。
小沢 多いですよ。憲法は大事な最高法規だから特にそれだけ慎重にしようということですね。
──そういうことですね。
小沢 うん。そして、自民党の草案なるものを見たら、変えようとしているのは主として9条だけなんですね。国防軍を持つということだけであって、あとはほとんど変わっていない。これでは、憲法全体の基本の理念や原則をどのようにしようとしているのかが見えてきません。僕は9条の修正・加筆をするのに頭から反対しているわけではないが、基本の理念がわからないと、まやかしか、いかさまみたいな話になる。
*平和主義の理念 変えるのは革命
──9条は、平和主義という今の憲法の基本理念のひとつですよね。
小沢 そうそう。国民主権、基本的人権の尊重、国際協調と並んで、平和主義が今の憲法の四つの基本理念であり、原理です。だから、これを変えるということはまったく新しい憲法をつくるということと同じになるんです。憲法の理念を変えるということは、一種の革命です。だから、憲法の理念を変えることはできないんです。たとえ百歩譲っても、じゃあ新しい憲法をどのような理念でどのようにするんだということを明確にしなければなりません。自民党案を見ても、それがまったくない。
──その自民党が、今度の参議院選挙で大勝しそうな情勢だと言われますが、どうしてこういう状況になってしまったのでしょうか。
小沢 4年前の夏に、慎重な日本人としては清水の舞台から飛び降りるような決定をしたわけですね、政権交代という。それだけにやっぱり、民主党に対する期待はずれ、その反動というものはすごく大きかったと思う。去年の暮れの総選挙では自民党の得票数は前回と変わらなかったのに、与党で3分の2の議席を取った。小選挙区制だからですが。国民は別に積極的な自民党支持ではないんです。だけど、民主党があまりにも期待はずれだったことと、それに代わる受け皿が結局できないままに選挙に突入しちゃったということでこうなってしまいました。
──せっかく政権交代したのに、民主党はどうして失敗してしまったのですか。
小沢 やはりまったく経験がなかったこと。だから、よくわからなかったのでしょう、国の仕組みや財政の状況や。だから役人の言うとおり、ウン、ウンという話になっちゃう。自分で何かやろうと思えば責任を取らなければいけないから、言うとおりになっちゃったということです。
──そうですか。
小沢 それでまあ、じゃあ、お前何してたんだと、こう言われるんですけども。僕は鳩山(由紀夫)さんから、「あなたはもう党務に専念して、政府の政策決定については干渉しないでください」と宣告されたから、まあしょうがない。だから別に逃げるわけでも何でもないけれども、僕は関与できない立場になっちゃって、「はい、党務をやります」ということになったわけです。
*小選挙区で容易 3年後の再逆転
──なるほど。2010年9月の民主党代表選で元首相の菅直人さんと戦ったとき、沖縄の普天間飛行場の辺野古(へのこ)移設に絡んで「沖縄や米国とよく話し合って」と演説されました。どういう意味だったのでしょうか。
小沢 「県外、国外」とはまた別次元ですが、沖縄のあの海をこれ以上埋め立てるっていう発想は、僕はとんでもないことだと思います。ましてあそこは白いジュゴンの最北棲息地であって、きれいなサンゴ礁の海ですから。沖縄の資産であるとともに日本の大事な大事な自然資産です。これはもう、僕は絶対反対ですね。
──本当ですね。
小沢 あんなきれいな海を。何考えてるんだっていうことです。世界遺産みたいなものですよ。
 それでどうするかっていう話ですが、米軍の軍事戦略は今や、第一線部隊はもう前線におく必要がない、引き揚げようということなんです。だから海兵隊も事実上、グアム島やハワイのほうに引き揚げてます。またドイツをはじめヨーロッパからも撤退している。だから沖縄には要らないんです、海兵隊の実戦部隊は。沖縄と周辺海域に防衛の空白が出るとしたら、それは日本がやるべき話なんです、日本の領土ですから。アメリカにおんぶしているということがおかしな話です。もうひとつ違うレベルからの話をすると、アメリカはアジア全体を睨(にら)んでの指揮命令系統とその関連施設は沖縄に残したいと考えているかもしれません。それは必要だと思う。だけど辺野古に大きな飛行場は必要ないし、普天間も僕は要らないと思います。
──もうひとつ政策の話をしますと、脱原発の考えは変わらないのですか。
小沢 変わりません。
──自民党は今、再稼働に向けて力を入れ始めているように見えますが、再び本腰を入れて反対していかなければいけないですね。
小沢 そう思います。しかし、本当に自民党がわからない。僕らだって、自民党時代を含めて原発依存の政策を採ってきた責任はあるが、現在、福島で大変な事故を起こして、これだけその深刻さがわかったわけですよね。原子力は、高レベルの廃棄物も何とか処理できるっていうことでスタートしたんです。ところが40年たっても、処理できないってことがわかったわけです。今ね。そうなると、これはもう原発とさよならするしか方法がない。
──そのような基本的な政策を訴えていくわけですが、7月の参議院選挙はどうでしょうか。
小沢 実を言うと、これが難しい。新しい受け皿ができるかと言うと、今の状況ではもう無理でしょう。維新とみんなの党は、なんだか基本政策はみんな自民党と一緒でしょう。そうすると野党代表としては民主党だけれど、民主はなんていうか思考停止状態でしょう。憲法でもTPPでも、全然結論を出せない。選挙協力について民主党に呼びかけたんですが、出てこない。民主は結局、意思決定できない。このままだと参院選までには受け皿の構築は無理ですね。そうすると、これまた去年と同じように自民党に対する積極支持はないけれど、最終的に自民党が勝つということになるでしょうね。しかし、まあそこからですね。
──勝負はそこからということですか。
小沢 と思います。僕は3年後には、絶対また政権交代になると思っています。そのために小選挙区制にしたんだから。得票率、得票数が変わらないのに3分の2取れるということは、小選挙区制だからです。4年前はその逆だったんです。今度また3年後に再逆転するということは必ずできる。むしろ容易なことなんです。年末の惨敗の結果、みんな今、くしゃっとなっちゃっていますね、青菜に塩みたいに。しかし、そんなことではいけません。自由党と民主党が合併したときと同じような勢力になったということです。振り出しに戻っただけのことです。次の総選挙で再び政権を奪取すればいいのです。
──改憲と並んで、アベノミクスの評価が参院選後の勝負を分けますよね。
小沢 結論が出るのにそうはかからないと思う。安倍さんは早々につまずくんじゃないかと思います。安倍さん自身がつまずくと同時に、一方で国民のほうが冷めてくると思います。
──冷めますか。
小沢 アベノミクスって何だっていう話です。具体的には何もやってない。従来の自民党と同じ、公共事業を増やして、日銀が国債をむやみやたらと買い入れるだけの話だから。日銀買い入れの国債をぼんぼん増発するということは、制度的には禁止されていることなんです、本当は。それでカネがジャブジャブしてきたから必要な庶民に貸せばいいんだけれど、絶対に零細企業なんかには貸さない。そうすると、結局、株か不動産に流れるわけです。またバブルですよ。株が上がって、じゃあどれだけの国民が儲かってるんですか。
──一部ですよね。
小沢 ほんの一部でしょう。為替は円が安くなっている。それで誰が儲かってるか。消費税も払わない輸出大企業だけです。円安でガソリンは上がる、漁業、農業の燃費は上がる、飼料は上がる、食料は上がる、化学製品は上がる、みんな値上げになります。円安はちょっと歯止めがきかなくなる可能性があります。そうすると日常の物価上昇がものすごいことになる。
*アベノミクスで 国民格差は拡大
 結局アベノミクスは、格差をどんどん大きくする。大多数の国民は所得は上がらないままに物価高に苦しむという話になるんです。僕は今年中にそうなると思う。ですから、アベノミクスという幻想は近いうちに崩れてしまうと思いますね。
──なるほど。
小沢 安倍政権はこの参院選まではもつでしょうけど、そう長くはもたないと思います。
──そして次の総選挙に向けて政治はまた大きく動いていくということですね。
小沢 そう思います。だから一番のポイントは、やっぱり民主党です。
──しかし、今の民主党はTPP賛成、原発OKっていう方々なのでは。
小沢 大多数の民主党の人たちはそうではないと思います。ただ、幹部の中に自民党志向の人たちが多いわけです。だから、民主党の中で考え方の相違がいずれ出てくるんじゃないかと思います。今でもそれはわかりきってることなんですが、具体的な動きとして出てくる。そうするとやっぱり、ある意味で政界の新しい再編になるのではないかと思います。
──民主党には連合の問題があります。中心を担う電力総連は原発推進ですね。小沢さんたちは脱原発の立場ですから、折り合いが難しいですね。
小沢 今、連合は、組合員と意識が乖離してるんじゃないですか。農協もそうです。TPP反対で、これに賛成する人は政治家でも断固落選させると言っていた農業団体が、自民党を応援してるんだもの。そんなばかな話ないでしょう、人をばかにしてる。それと同じで、連合だって消費増税賛成、原発も推進、TPPも賛成でしょう。これ、経団連と同じですよね。勤労者の代表の連合も、経営者と同じ話になっちゃってる。ですから、このような状態が続けばいずれ必ず破綻します。農協も同様です。いつまでも国民をだませるものではありません、私はそう思う。
──選挙も近づいていますが、普段の生活は健康に気をつけてエンジョイされてますか。
小沢 はい、そうですね。僕は選挙のことで地方出張するのが仕事だから。東京では別に何というわけでもないんですが、地方に出て、それぞれの地域の人たちや伝統的な文化に触れるのが楽しみですね。
 構成 本誌・佐藤 章
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〈来栖の独白2013/6/2 Sun. 〉
 弊ブログで小沢一郎氏についてのエントリを開いたのは、小沢氏の元秘書 石川知裕氏が逮捕されたときからだから、長い歳月を重ねている。小沢氏裁判等、多くを考えさせられた。が、昨年12月16日の衆院選、そして年を越しての[日本未来の党]との顛末は、私に小沢一郎という人物が如何なる政治家であるか、示唆してくれたように思う。結論するなら、氏には「国家観」がない。歴史観も乏しい。したがって、氏の憲法論は、いわゆる浅薄な「左翼」の論と大差なく、粗雑でもある。およそ国民をリードし得るものではない。恐らく、氏は、憲法について悩んでないのではないかと思う。他人事なのだ。
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渡邉恒雄著『反ポピュリズム論』新潮新書2012年7月20日発行
p79〜
 野中さんと小沢さんによる自自連立は成功したが、その9年後の2007年、私が再び橋渡し役を務めた大連立工作が失敗に終わったのは何故か。
 結論からいえば、福田康夫首相の「慎重さ」と、小沢民主党代表の「過信」が、悪い形で重なり合ってしまったのだと思う。
 福田さんの前任の安倍晋三首相で臨んだ2007年7月29日の参院選は、旧社会保険庁の年金記録漏れや相次ぐ閣僚不祥事による辞任などから急速に国民の支持を失い、獲得議席が37という惨敗を喫した。それに対して小沢さん率いる民主党は60議席と大躍進。非改選議席を合わせた両党の議席は民主109、自民83となり、自民党は1955年の結党以来はじめて参院第1党の座から滑り落ちた。
p81〜
 X氏の電話は「小沢さんが大連立をやるべきだといっている」というものだった。(略)
 X氏との大連立の準備は、安倍内閣がすでに死に体だったので、福田さんを「ポスト安倍」の最右翼とにらんで、8月下旬から具体的に動いた。(略)
p82〜
 福田さんが自民党総裁選で麻生さんを破り、後継首相の座を手にしたのは9月23日である。しかし実際は、これよりかなり以前の段階に小沢さんと福田さんは大連立で基本合意に達していた。むしろこの時点では、小沢さんの方がずっと前のめりだった。(略)
p83〜
 小沢さんは、福田さんの返事を不承不承受け入れて、当面の組閣はできるだけ小幅にとどめ、実質的に安倍「継承内閣」とするよう求めた。そのうえで、こう伝えてきた。
「今は参院選で勝った直後だ。だから今なら党内も私の思うようになるが、時間が経てば経つほど私の指導力はなくなっていく」
 この伝言を聞いたとき、小沢という人はさすが政治達者な人だと思ったものだ。残念ながら、小沢さんが危惧したとおりになってしまった。このとき福田さんが決断していれば、大連立は実現していたに違いない。
 この後も福田さんの慎重主義は続いた。(略)
p84〜
 ともかく小沢さんの矢のような催促と、福田さんの相次ぐ引き延ばしとで、私は「もうここで一切手を引こう」と何度思ったことか。(略)
 しかし、このときのやりとりでも、小沢さんは「万事急がねば与野党対決ムードが高まり、党内の主戦論を抑えられなくなる」と気にしていた。事実、直近の世論調査で自民党と民主党の支持率が27%で並び、民主党内では「総選挙でも勝てる」というムードが蔓延していた。(略)
p86〜
 会談を終えた小沢さんは民主党本部に意気揚々と戻り、そこではじめて居並ぶ民主党幹部を前に代表選連立構想を披歴した。
 一方、首相官邸に戻った福田さんは、「政策を実現するするための体制を作る必要があるということで、新体制を作るのでもいいのではないかと話をした」と記者団に語り、会談が大連立目的であることを公式に認めた。
 しかし内心は不安だったのだろう。この直後、私は福田さんから電話を受けている。
「話は全部うまく行ったんですが、本当に民主党はこれでまとまるんですか」
 私が「小沢さんが大丈夫と言っているんだから、大丈夫でしょう」と言っても、福田さんは「本当に大丈夫かどうか、もう一度念押ししてください」と頼むので、X氏に電話をして小沢さんに確かめてもらったら、X氏の返事も「絶対大丈夫」だった。それから1時間も経たないうちに、大連立構想は民主党の役員会で否決され、すべてパーになった。
 後で聞いたところでは、民主党役員会では、「衆院選で勝って政権をとらないとだめだ」の大合唱だったという。それで小沢さんもプツンと切れてしまい、ご破算にしてしまった。(略)
p88〜
 税と社会保障の一体改革のこと以上に残念でならないのは、民主党が政権に就く前に行政経験を積んで統治能力を磨く機会が、永遠に失われてしまったことだった。
 小沢さんは構想挫折後の記者会見(2007年11月4日)で、大連立をめざした理由についてこう語った。
「民主党はいまださまざまな力量が不足しており、国民からも『自民党はだめだが、民主党も本当に政権担当能力があるのか』という疑問を提起され続け、次期衆院選勝利は厳しい情勢にある。国民の疑念を払拭するためにも、あえて政権運営の一翼を担い、政策を実行し、政権運営の実績を示すことが、民主党政権を実現する近道だと判断した」
 この小沢さんの率直な発言に対し当時、民主党の多くの議員が「侮辱だ」と激しく反対した。しかし、鳩山・菅ニ代の民主党政権の混乱ぶりを経験した今日、小沢さんがどれほど正しいことを言っていたかがわかる。
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「憲法制定とは主権の最高度の発動 主権をもたない国がどうして憲法を制定できるのであろうか」佐伯啓思 2013-05-31 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉 
 日の蔭りの中で】京都大学教授・佐伯啓思 戦後憲法 正当性あるか
 産経新聞2013.5.27 03:12
 5月3日は何の日かとたずねても、すぐに返事が返ってくる学生はきわめて少ない。彼らにとっては連休の真っただ中の楽しい1日に過ぎないようだ。
 それは彼らに限ったことではない。「日本人」にとって現憲法はずっと「そこにある」もので、誰も制定に参加したわけではない。だからまた今日、改正論議がでてきても、どこかひとごとのようにも見える。
 このようにいうと、「いや、あれは押しつけではない。日本政府も参加したし国民が歓迎した。だから日米合作だ」という意見がでてくるが、私には意味ある見解とは思われない。決定的な点は次のことなのである。
 昭和27(1952)年の4月28日、サンフランシスコ条約の発効とともに日本は主権を回復した。ということは同20(1945)年8月15日(正確には9月2日の降伏調印の日)から7年間日本は事実上、主権をもたなかった。そして主権をもたない国がどうして憲法を制定できるのであろうか。
 これは法的な問題ではない。憲法なるものの根幹にかかわることだ。憲法制定とは主権の最高度の発動である。ところが憲法を制定すべき主権がなかった。逆に憲法によって初めて国民主権が定義されるのである。
 通常は、主権者であることを標榜する国民(市民)が憲法を制定し、自らの支配を改めて正当化する。それが必要なのは、歴史的には、革命などによって旧体制が打倒され、新しい支配体制ができるからである。フランス革命のように市民革命が起きれば、それを正当化するために市民による憲法制定がなされる。だから「革命」のような歴史の断絶がなければ近代憲法を理解するのは難しい。
 戦後の日本では、つじつまを合わせるために、20年8月15日に「革命」が生じて国民が主権者になったと「みなそう」とした。「8月15日革命説」である。もちろんいくら「みなす」といっても、黒いものを白いというわけにはいかない。事実は、20年8月15日から占領、つまり主権の喪失が始まった。したがって現憲法は、押しつけであるか否かというより以前に、近代憲法としての正当性をもたないのである。
 実際には、現憲法は明治憲法の改正手続きをとることになった。だがそれはそれでまた矛盾がでてくる。いわゆる護憲派の憲法学者はしばしば、憲法なるものの性格上、憲法の根本的な部分は改正できない。だから現憲法の3原則は改正できない、という。しかし、だとすれば、明治憲法の根幹的な改正は、憲法の精神からすれば正当性をもたないことになるだろう。
 いずれにせよ、まずは現憲法の正当性の基盤がきわめて脆弱であることを知っておく必要がある。今年の4月28日に政府は主権回復の式典を執り行った。ということは実は、政府が現憲法の正当性について、暗黙のうちに大きな疑念を表明したことになると了解すべきなのである。もし改正をいうなら、このような前提のもとでの改正でなければならない。(さえき けいし)
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【日の蔭りの中で】京都大学教授・佐伯啓思 「尖閣・竹島」が示すもの
産経ニュース012.10.22 03:06
 尖閣・竹島問題をめぐるわが国と中国・韓国との間の緊張は、この8月、9月の危機的な状況を脱したかにみえている。一時は、連日、新聞紙上におどっていた尖閣・竹島の文字もめっきり減った。もっとも、先週、また中国海軍の艦船が尖閣近くの先島沖の接続水域を航行などと報ぜられているが。
 もちろんのこと、9月以降、事態が沈静化したわけでもなく、また状況が変化したわけでもない。海上保安庁の巡視船はずっとこの領域を航行し続けている。事態はこれからも続く。日本、中国、韓国、いずれも言い分を変えるとは考えられないから、この問題には解決のめどはたたない。いわば潜在的な紛争状態が続くことになる。ただ、それが顕在化すると文字通り危機は爆発しかねない。その危険があまりに高すぎるために双方とも事態を先送りしようとしているのである。
 尖閣・竹島問題は、われわれ日本人にとっては明白に日本の領土であり、それは、いかに国際法というものが曖昧なものだとしても、法的な常識からして正当性は揺るがないと考えている。にもかかわらずどうして中国・韓国が、両島を彼らの領土と主張して譲らないのか。2つの事情がある。ひとつの事情は、将来からやってき、もうひとつは過去からやってくる。
 将来の事情とは、ここに原油などの自然資源および漁業資源が存在するからであり、いずれ、資源確保は国家の重要な生命線になると思われているからだ。とりわけ尖閣の場合には、1968年にこの地域における石油資源の埋蔵が指摘されるようになってから、中国・台湾ともに領有権を主張しはじめた。
 ところが、ここにもうひとつやっかいな問題があって、それは過去からやってくる。中国・韓国とも、この問題を歴史問題と結び付けているからである。韓国の場合には、1905年の日本による竹島の領土化は、1910年の日韓併合へつながるものだ、という。日本の朝鮮半島の植民地化は竹島から始まったという。中国もそれと呼応するかのように、1895年の日本による尖閣の領土化は日清戦争と切り離すことができない、という。つまり、これも、日本の中国進出への第一歩が尖閣から始まった、ということだ。
 いかにも「さかのぼり戦争史」のようなもので、われわれからすれば、いいがかりもはなはだしい。にもかかわらず、中国・韓国ともに、日本のアジア大陸に対する侵略戦争という歴史観をもちだす。韓国の場合には、竹島を日本の朝鮮半島植民地化の象徴とする教育が徹底されているようで、言いかえれば、竹島(独島)を死守することが、韓国独立の象徴だという。
 繰り返すが、日本からすれば、両者ともそれこそ歴史の歪曲(わいきょく)であり、認めるわけにはいかない。しかしいまここで考えておかなければならないことは、この2つの事情を重ねあわせるとどうなるか、ということだ。
 ここで、将来の資源をめぐる国境紛争と、過去の歴史認識が重なり合ってくる。言いかえれば、20世紀初頭のあの状況が将来の展望のなかで現在に重ね合わせられる、ということである。
                   ◇
 20世紀の初頭のあの状況、それは資源と市場の獲得をめぐる帝国主義であった。西洋列強がアジアを植民地化し、おくれて列強へ参入してきた日本が、これに負けじとアジアへの足がかりを求めた。そこに横たわるのは、資源と市場の確保であった。その結果として生じた日中戦争や日米戦争は、戦後、アジアの支配を意図する日本の侵略戦争である、と見なされた。この歴史観を明白に表現したのはアメリカである。
 さて、そうするとどうなるか。まず、資源と市場をめぐる国家間競争という20世紀初頭の状況が、将来の資源確保という事情を軸にして、現在へ回帰している、といわねばならない。今日の過度なグローバル競争が、世界をふたたび20世紀初頭の帝国主義へと回帰させている、といってもよいだろう。尖閣をめぐる中国、竹島をめぐる韓国、そして北方領土をめぐるロシアとの間の潜在的な国境紛争は、このような帝国主義への回帰という現状のなかで理解しなければならない。そして、それがほとんど連想のように20世紀初頭の情景へとわれわれをいざない、歴史問題が持ち出されてくるのである。
 中国・韓国は、かつて、尖閣や竹島を日本がぶんどったという。大陸進出という日本の帝国主義の第一歩だったという。この中韓の言い分を、今日、裏返して、日本から見れば、尖閣をうかがい、竹島を実効支配する中国・韓国は、このグローバル化の時代の帝国主義の第一歩だ、ということになろう。歴史問題は、この状況のなかで、中国・韓国に対する日本の批判をあらかじめ封じ込めるためにもちだされているといいたくもなるのだ。
 さて今日の世界が、徐々にではあるが20世紀初頭の資源や市場をめぐる国家間の軋轢(あつれき)の時代へと回帰しているとすればどうか。もちろん、私は、かの時代のように一気に大戦争が生じるなどといっているのではない。歴史がまったく同じことを繰り返すわけもない。しかし、局地戦は生じえる状況ではある。とすれば、もはや世界から戦争はなくなり平和な時代になった、という前提で書かれた戦後憲法の前文はもはや意味をなさないことになるであろう。平和憲法に象徴される日本の「戦後」というものが、いかに特異な時代であったかをわれわれは改めて理解しなければならないのだ。(さえき けいし)
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日本は、専門家でさえも他人事のように自国の主権・領土に関わる問題を語る/地球市民を気取っている 2012-10-14 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉
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