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米国カリフォルニア州グレンデール市 慰安婦の像に「ノー」をつきつけた米国在住の日本人たち 古森 義久

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「国際激流と日本」 慰安婦の像に「ノー」をつきつけた米国在住の日本人たち
JBpress 2013.08.07(水) 古森 義久
 米国カリフォルニア州グレンデール市で7月30日、日本軍の慰安婦の像なるものが設置された。日本の将来に禍根を残す出来事だった。米国の他の各地でも同じ慰安婦像が建てられる気配がある。在米の韓国や中国のロビー勢力が組織的に進める反日の政治運動なのだ。
 だが、今回のグレンデール市での「像」設置に際しては、地元の日本人社会代表たちの反対意見が明確に表明され、その声の内容は全米に知られることともなった。
 日本人社会からのこうした意見表明は、米国を舞台とする慰安婦問題論議では初めてである。しかも、この草の根の意見表明は、近くの市での同種の動きにすでにブレーキをかけ始めたようだ。
 米国でのこの種の日本糾弾の政治的な動きに日本はどう対応すべきなのか。その答えを模索するにあたって今回の現地日本人たちの言動は貴重な指針となりそうである。
*政治家を味方にした中韓ロビーの組織
 グレンデール市はロサンゼルスのすぐ北に隣接する人口20万人ほどの都市である。韓国系住民は5%ほどだが、その代表の活動家たちが中国系組織の支援を得て、2013年3月まで市長だったフランク・クィンテロ市議にアピールし、慰安婦像の設置を請願した。
 4月にはクィンテロ氏を韓国に招待し、慰安婦だったと称する韓国女性たちに会わせたりしていた。韓国側の主張の前提は「日本軍は韓国女性ら20万人を強制連行し、性的奴隷として、いまもなお謝罪も賠償もしていない」という趣旨だった。
 グレンデール市はその対応を決めるために7月9日に市議会で公聴会を開いた。事前に申し込みをした証人たちが個別に数分間ずつ意見を述べた。韓国系や中国系が圧倒するだろうと予測されていた。
 ところが同公聴会では証人27人のうち20人までが像の設置に明確な反対を述べたのだった。その反対意見の表明者の大多数はグレンデール市内外に住む日本人男女だった。傍聴まで含むと同公聴会への参加は総数100人ほどだったが、うち7割が日本側の立場の参加者で、反対の意を議事の合間にも明示したという。これは前例のない未曾有の事態だった。
 米国内で韓国や中国の意を体する勢力が超大国を利用して日本を攻めるという構図の慰安婦問題は、河野談話が出た翌年の1994年頃から始まった。
 93年に出た「河野談話」は、証拠のない日本軍の女性大量強制連行説を自虐的に受け入れて謝るものだった。談話が出ると、当時の日本政府の弱腰に勢いづいたかのように、米国ではすぐに「慰安婦問題ワシントン連合」という組織が登場し、連邦議会や各大学での宣伝活動を始めた。「日本軍が20万人の性的奴隷を連行した」という非難である。
 同じ94年に、中国政府の意を反映する「世界抗日戦争史実維護連合会」(略称「抗日連合」)という組織も、カリフォルニア州主体の在米中国人たちによって結成された。対日講和条約も沖縄の領有権も認めず、日本を叩き続けることが目的の反日組織である。2012年にニュージャージー州やニューヨーク州で慰安婦記念碑が建設されたが、この設置を同会の活動の成果として宣伝している。
 この抗日連合も慰安婦問題での日本糾弾を米国内で早くから開始した。90年代後半に抗日連合は、当時カリフォルニア州議会議員だったマイク・ホンダ氏に政治献金を続けて陣営に引き込み、日本非難の決議案を99年に同州議会で採択させた。ホンダ氏は連邦議会の下院議員となった2001年からも、毎年のように抗日連合が起草したのとまったく同じ内容の決議案を下院に提出した。そして2007年に、4回目の提出となる決議案を下院本会議で可決させてしまったのだ。
 これら中韓ロビーの組織が主体となり、2000年には「慰安婦だった」と主張する中国、韓国の女性15人がワシントンの連邦地裁に訴えを起こした。日本政府に損害賠償と公式謝罪を求める訴訟だった。このことは日本側ではあまり知られていない。
 米国では誰でも国際法違反への訴えを起こせるが、相手が主権国家の場合、その案件に「商業性」が含まれることが条件となる。つまり、慰安婦に「商業性」があったと認めなければ訴えは起こせないわけであり、そもそも訴えは自己矛盾を含むものであった。
 この訴訟は地裁から高裁、そして米国最高裁判所にまで持ち込まれ、いずれの段階でも完全に却下された。日本政府側の「この種の案件はサンフランシスコ講和条約や日韓条約で補償も謝罪も済んでいる」という主張が、2006年2月の最終判決でも認められたのである。米国政府も裁判の過程で「講和条約で解決済み」とする見解を公式に表明した。
 司法と行政の両方から排された日本攻撃活動は、残る立法府をその舞台に選んだ。連邦議会の下院に、マイク・ホンダ議員が慰安婦問題で前述の日本非難の決議案を出したのだ。
 安倍晋三氏が最初に首相になったときに慰安婦問題への発言をしたためにこの決議案が出された、というような解説が日本側ではいまだに多い。しかし、以上のように事実は異なる。
*米国メディアが報じた日本側からの反論
 20年にわたるこの長い対日糾弾工作に対し、日本側が米国の公式の場で反論や反撃したことはまず皆無だった。ところがグレンデール市での今度の証言がその記録を破った。しかも日本人たちによるその証言は韓国側の主張を根底から突き崩していた。
 この公聴会のすべてを傍聴した現地在住の今森貞夫氏が報告してくれた。
 「韓国側は慰安婦を性的奴隷と決め、日本の謝罪も賠償も済んでいないと主張しましたが、日本人証人たちはこれに対して、慰安婦は商業的な売春であり、国家間の清算が済んでいることを中心に反論しました。外国政府間の案件に米国の地方都市が関与することの不当性も強調しました」
 今森氏は在米26年、経営コンサルタントを職業とするという。その今森氏の話によると、証言した日本人はみな地元の米国社会のメンバーであり、大多数が永住権を持つ。ただし米国生まれの日系米人はいない。日本の政府はもちろん大企業の駐在員も留学生もおらず、文字通り米国社会に根を下ろした日本人たちなのだという。
 公聴会後の市議の表決では慰安婦像設置が決まったが、その日本人の証言は米国メディアで幅広く報じられた。
 「慰安婦像設置に反対する日本人証人たちは、慰安婦たちは自ら志願した売春婦であり、性的奴隷ではなかったと述べた」(NBCテレビ)
 「証人の1人は、日本軍が女性を強制連行したことはなく、米国の市が日韓問題に関わるべきでないと主張した」(ロサンゼルス・タイムズ)
 「日本人の女性証人からは、碑の設置は戦時の憎しみをあおりたて、子供たちに悪影響を残すだけだとの意見が出た」(NPRラジオ)
 特に地元の日系社会で読まれている「羅府新報」英語版は日本側の証人たちの名前を挙げて、主張をキメ細かく紹介していた。
 中でも各メディアが特に詳しく報じたのは、証人たちのリーダー格の目良浩一氏(元ハーバード大学助教授)の発言だった。「慰安婦についての韓国側の主張は、日本軍が強制連行をしたとか日本政府の対応について捏造ばかりだ」とする目良氏の証言は、ニュースの中で広く報道された。
*自分の意見を堂々と述べなければ不利になるだけ
 周知のように、当時の日本軍が、慰安婦となる女性を組織的、政策的に強制連行したという事実はない。従軍慰安婦を新聞広告で募集していたくらいだった。だから悲しむべき慣行だったとはいえ、活動の本質は商業的な売春だった。
 借金などを理由に、やむを得ず慰安婦になった不運な女性も多数いただろう。だが日本の軍や政府が民間の一般女性を無理やりに大量連行したという事実はないのである。だから「性的奴隷(セックススレーブ)」という定義づけは当てはまらない。
 しかし米国で日本側は正面から誰もこの基本的な事実を主張してこなかった。ニュージャージー州の慰安婦像の設置に抗議するため現地を訪れた日本の古屋圭司衆議院議員(現拉致問題担当相)らが性的奴隷を否定したことがあるぐらいだった。
 日本政府はその点の主張を一切したことがない。日本政府としては「河野談話」で強制性を自虐的に認めてしまったために、いまさらその強制連行を否定できないのだろう。とにかく米国を舞台とする論争では、日本側は韓国側の虚偽の主張を正面から否定してこなかったのである。
 だが今回のグレンデール市での日本人20人の反対証言はその前例を打ち破ったのだった。
 その結果、日本側も草の根のレベルで韓国側への反論があることが全米に知らされたことになる。この間、日本からグレンデール市に直接メールで送られた像設置反対の意見も数多く、同市側が気にかけざるを得なかったとされる点は注視しておくべきだろう。
 グレンデール市でのこの動きは、近くのブエナパーク市で2週間後の7月23日に開かれた同種の公聴会に影響を及ぼした。ブエナパーク市でも韓国系勢力が慰安婦碑の設置を目指しており、その是非を決める公聴会が開かれた。その公聴会ではグレンデール市での激しい反対意見が提起され、言及された。そして審議にあたる市会議員5人のうち3人が設置反対に傾いたというのだ。
 その理由は「日本側がこれほど激しく反対する問題であり、なお論議の余地が多くあり、ブエナパーク市への関連が不明確だから」(フレッド・スミス市会議員)だという。
 こうしたブエナパーク市での市会議員たちの態度も、グレンデール市での激烈かつ明確な反対意見が原因の一部となったことは明白である。そうなると、日本側はこのグレンデール市での20人の証言者たちに感謝してもよいことになろう。
 米国ではやはり自分の意見は堂々と述べなければ、物事は自分に不利に動いてしまう。黙っていても嵐は去らない。沈黙は後退を招くだけなのである。
 *上記事の著作権は[JBpress]に帰属します
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【産経抄】8月5日
 産経新聞2013.8.5 03:34
 米ロサンゼルス近郊のグレンデール市で、慰安婦像が設置された。他の都市でも計画が進んでいる。連日の暑苦しさが倍増するような不愉快な出来事である。そんななか、先週末にワシントンの古森義久記者から送られてきた記事は、一服の清涼剤のようだった。地元の日本人社会の反対が、初めて全米に知られるようになったという。▼20年前の「河野談話」を奇貨として、日本のイメージ低下を狙う韓国系団体のロビー活動は着々と成果を挙げてきた。この間、日系社会から目立った反対運動は見られなかった。2007年に慰安婦問題をめぐる下院の対日非難決議案に対して、敢然と異を唱えた故ダニエル・イノウエ上院議員の硬骨ぶりが記憶に残るぐらいだ。▼中西輝政・京大名誉教授によると、日本の文明は本質的に日本列島という土壌の上に成り立っている。ゆえに海外に住みついても、何代にもわたって本国とのネットワークを維持する中国人などと違って、同化してしまう(『日本文明の肖像』展転社)。▼とりわけ米国の日系人には、戦争中「敵性国民」とみなされた特別な事情がある。「よきアメリカ人」として、事を荒立てたくないという気持ちが強いのかもしれない。そんな彼らの苦難の歴史が、日本で広く知られるようになったのは、最近のことだ。▼米国への愛国心を示すために、血みどろの戦いを繰り広げた「日系部隊」を描いたドキュメンタリー映画に、衝撃を受けた人も少なくないだろう。五輪開催都市決定をひかえて、前回の東京五輪招致に尽力した日系実業家、フレッド和田勇の生涯が再び脚光を浴びている。▼「遠い祖国」の名誉を守るために声を上げ始めた日系人と、ともに闘う日がようやくやってきた。
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