新聞・週刊誌「三面記事」を読み解く 松坂大輔の不調と、マーくんの23連勝 人生はいいときばかりでも、悪いことばかりでもない
Diamond online 2013年9月6日 降旗学[ノンフィクションライター]
海外では、いい話と悪い話があるけど、どっちを先に聞きたい――、という慣用句がある。そんなものは映画の中の台詞だけかと思っていたら、海外に暮らしたころ、何度も同じことを言われて、これが日常的に使われていることを知った。
たとえば、ハイウェイを飛ばしていたとき。後方からサイレンが聞こえてくるので、路肩に車を停めると、オートバイを降りたポリスマンまでがやっぱり同じことを言った。××マイルオーバーだ、いい話と悪い話、どっちを先に聞きたいとか何とか。
ちなみに、あのときの悪い話は、罰金ン百ドル。いい話は、私が外国人だったからか、始末書のような反省文を提出すればお咎めなし、というものでした。海外って、案外とアバウト。でも必死で反省文を書きました。
どーでもいい話ですが、下書きしたものを現地の方に添削がてら読んでもらったところ、これは使えると言われ、コピーまで取られました。彼が勤務していた会社の始末書は、おそらく、私が書いたものがベースになっているはずです。本当にどーでもいい話でした。
クリーブランドインディアンズの傘下コロンバスにいた松坂大輔くんが自由契約になり……、と思ったら二日後(八月二二日)にはニューヨークメッツと契約。その五日後には今季初先発を果たした。約一〇ヵ月ぶりの、先発登板である。
しかし、結果はさんざんなものだった。5回を投げて被安打6の5失点。
続く二試合目の登板も、5回途中4失点で敗戦投手。三試合目の登板は3回6失点でノックアウト。登板した三試合は全て敗戦投手となった。たいへんまずいのである。というか、松坂大輔のすごさを知っている人には、信じられないような成績だ。
松坂大輔と言えば、横浜高校で史上五校目となる春夏連覇(一九八八年)を成し遂げ、おまけに夏の甲子園決勝では、京都成章高校を相手にノーヒットノーランを達成するなど、鳴り物入りで西武ライオンズに入団した“怪物”だった。
強豪PL学園と延長一七回を戦った準々決勝を覚えている方も多いだろうと思う。
あの試合を松坂はひとりで投げ抜き、その投球数は二五〇球を数えた。現在の甲子園大会は、延長一五回で引き分け再試合になっていますが、あの試合が高野連にそういうルール改正をもたらしました。
私は、というと、その当時の横浜高校と松坂くんに一年半ほど密着していた。正確な時期は、横浜高校が選抜大会で優勝してから、松坂くんがプロ一年目のオールスター戦で投げるまでです。なので、当然、PL学園との死闘も、イチロー選手との初対決で三振を奪った場面も見ています。
スカウトの知りあいに、横浜高校にすンごいピッチャーがいると教えられたのは、松坂くんが高校二年生のとき。彼は、秋の神宮大会で球速一四七キロをたたき出していました。
ほお、それはすごい。
と思いつつ春の選抜大会をテレビ観戦していると、なるほどすごい。いいピッチャーの球は、テレビで見ていてもわかります。すぐ取材に向かいたかったのだけど、タイミング悪く書き下ろしの単行本の最終章を書いていたさなかで、ようやく脱稿したときには横浜高校は優勝していた。
で、しょうがないから横浜高校の体育館で行なわれた優勝祝勝会に駆けつけ、個別に三〇分のインタビュー時間をもらったのが始まりだった。正しくは、松坂くんに取材していたら、祝勝会が始まります、とお迎えがきて取材を打ち切ったのが始まり。
それからはほとんど毎日、横浜高校に通ったものです。
合宿所の松坂くんの部屋に入れてもらったり、夕食をいただいたり、部長さんの部屋で仮眠を取らせてもらうくらい入り浸ってました。こちらは押しかけただけなのに、記念だと言って名前入りの横高ウィンドブレーカーまでいただきました。
ブルペンでのピッチング練習で、審判の位置で彼の投球を見させてもらったけど、高校生がこんな球を投げちゃいかんだろ、というくらいすごかった。ベース手前でワンバウンドしそうな球が、グンと浮き上がってキャッチャーミットに収まる。高速スライダーは、文字どおりの“消える魔球”だ。
「よくこんな球、捕れるな」
と私は、当時のキャッチャー小山良男くんに訊く。
小山くんは、中学生時代に本牧シニアというチームで全国優勝、横浜高校では春夏連覇、進学した亜細亜大学でも大学選手権、神宮大会で優勝……、と、ことごとく頂点を経験した選手だ。
教員免許を持ちながらJR東日本へ進み、落合監督(当時)の目に留まり、中日ドラゴンズに入団した。現在はブルペン捕手(試合には出ず、次に投げるピッチャーの投球練習を受ける専門のキャッチャー)を務めているが、WBCでは松坂くんのブルペン捕手にも選ばれている。その彼が言う。
「いえ、逆球(構えたところの逆方向にくるボール)は捕れません」
だろうな、と思った。
だからだろう。監督さんも部長さんも、松坂くんを鍛える以上に、小山くんをキャッチャーズノックで鍛えていた。キャッチャーズノックというのは、キャッチャーのノックです。そのまんまやんけ。
カーテン式のネットを引いて、ネットの向こうで小山くんはしゃがんで構える。キャッチャーの姿勢だ。その小山くんめがけ、ほんの五メートル離れたこちら側から、ノッカーはカキンカキンと容赦のない猛烈なノックを浴びせるのだ。ネットがなかったら大怪我します。
早い打球に目が馴れると、今度はネットをはずし、再びノックが始まる。
ショートバウンドあり、真正面の打球あり、手を伸ばして捕球する打球あり……、小山くんはそれらを見事に受け止めるのだが、しかし、そのくらいの反射神経がなければ松坂くんの球は捕れないのだという。
ちなみに、松坂くんは二年生のときから横浜高校のエース、小山くんは正捕手でした。二年の夏、神奈川県予選の準決勝で横浜高校は敗れているのですが、敗戦理由は松坂くんのサヨナラ暴投でした。スッポ抜けた速球を、小山くんが捕れなかったからです。
余談ですが、そのときの三年生が、タレントの上地雄輔くんです。本来は彼がキャッチャーだったのですが、負傷して正捕手の座を小山くんに譲っていました。
私はお目にかかったことがないのだけど、たまたま知りあいが上地くんと親しくしていて、あいつは優しすぎて、人に騙されないか心配だ、というくらいの好青年だそうです。そーいえば、ドッキリで、財布を落としたというお婆さん(仕掛け人)に、電車賃を貸してましたね。すっかり騙されてました。
という話は措いといて、松坂大輔という投手は、それほどすごい投手だった。
西武ライオンズ(一九九九〜二〇〇六)では七年間で108勝60敗(一セーブ)、登板イニング数1397回、奪三振1353(奪三振率9・65)、防御率2・94という信じられないような数字を残し、メジャーに挑戦した ← 野球に詳しい方は、この数字を見て興奮します。
野武士集団ボストンレッドソックスに移籍してからも、メジャー一年目に一五勝を挙げ、二年目は一八勝と、日本の大投手はメジャーでも大投手なのだ、ということを証明しているかのような成績を残した。
が、スポーツ選手にありがちな故障が松坂を襲い、二〇〇九年からの成績は、四勝六敗、九勝六敗、三勝三敗……、と低迷し、一昨年には肘の手術に踏み切ったが、復帰した昨年も一勝七敗と大きく負け越し、契約期間満了でボストンを退団した。チームは契約を更新しなかったということですね。
今年二月にクリーブランドインディアンズとマイナー契約を結ぶも、先月二〇日に自由契約。すぐにニューヨークメッツとメジャー契約し、二八日の初登板の運びだったが、いまのところ三試合に登板し、いずれも序盤で大量失点し敗戦投手になっている。
3A(メジャーリーグのひとつ下の野球リーグ。日本で言えば二軍、サッカーで言えばJ2……、かな?)での成績は、五勝八敗、防御率は3.92だった。決して優れた数字ではないが、メジャーへの切符を手にした。
鷲田康さんが週刊文春に書いた記事によると、メッツにはマット・ハービーという入団二年目の好投手がいる(現在九勝六敗、防御率2.27、奪三振率9.6)。メジャーリーグではピッチャーの“投げ過ぎ”を回避するため、彼の年間投球回数を二〇〇イニングに留める方針らしく、すると、今季の登板も残りかぎられてくる。
また、メッツの投手陣には予想外の故障者が続出し、ピッチャー不足から松坂の獲得に至った――、というようなことが書かれている。今季初登板の松坂にかつてのスピードボールはなく、変化球を交えた“躱すピッチング”に今後の活路を見出すしかないだろう、とかなり手厳しい。
ダルビッシュ有投手は今季一二勝を挙げ、奪三振に至っては二四〇(野茂英雄さんの二三六個を超え、日本人投手のシーズン最多奪三振を更新)と化け物のような数字を残している。岩隈久志投手も一二勝、黒田博樹投手は一一勝で四年続の二桁勝利を挙げている(いずれも九月五日現在)。イチロー選手に至っては、日米通算四〇〇〇本安打というアンビリーバボーな大記録を達成したばかりだ。すみません、他の日本人選手は省略します。
そういった輝かしい今季成績の中にあって、松坂の成績は翳りを帯びてくる。
他の日本人選手が活躍すればするほど、松坂の栄光は過去のものになってゆく。
日本でも、マーくんこと東北楽天ゴールデンイーグルスの田中将大投手が、開幕一九連勝、昨年からの連勝記録も二三に伸ばし、プロ野球新記録をつくった(九月五日現在)。これまでの記録は、遡ること五六年、一九五七年に“神さま仏さま稲生さま”と謳われた稲生和久さん(故人)がシーズン二〇連勝を達成して以来の快挙だ。
半世紀以上も破られなかった記録をすいすいと塗り替えたのだから、私たちは歴史の目撃者になったと言ってもいい。夏の甲子園、早稲田実業との決勝戦は三七年ぶりの引き分け再試合、ハンカチ王子こと斎藤佑樹投手との投げあいは、つい最近のように思えるのに。
今年の甲子園大会では、群馬県代表の前橋育英高校が初出場初優勝という快挙を遂げた。県予選の出場校は全国で三九五七校。ということは、残る三九五六校の全てがトーナメントのどこかで負けを経験していることになる。
私が常々思っていることは、人生は、負けの連続だということだ。
全てにおいて勝ち続けられる人生なんてのはあり得ないのだ。学業でも、スポーツでも、仕事でも、ときには恋愛においても、常に“上を行くやつ”がいて、“先を行くやつ”がいる。違いますか?
負けて負けて負け続けて、そのときどきで悔しさを噛みしめて、ここぞというときに勝つ――、それが、ものすごくいい人生になるのではないかと私は思う。
プロアスリートの世界と公務員、民間企業での生き方や生き残り方は違うが、松坂がここ数年置かれた境遇を、サラリーマンの人生に置き換えみるといい。
大手企業の内定をもらい、必死で仕事を覚え、一〇年一五年と勤めて中堅と呼ばれ、勤続二〇年を過ぎたあたりから管理職へ……、でも、気づけば本部は人員削減を図り、リストラを断行する。早期希望退職者を募り、追い出し部屋なんて部署を用意する企業もある。
定年まで勤め上げる自信のある人は、いま日本にどのくらいいるのだろう。
俺は肩たたきとは無縁だと言い切れる人は、いったいどのくらいいるのか――?
すると、だ。メジャーリーグではなくマイナーリーグと契約し、自由契約となり、コマ不足からメッツと契約したはいいがまだ結果を出せていない松坂の奮闘は、将来に不安を抱えるお父さんたちの心理と重なるのではないだろうか。
と、私なんぞは思ってしまう。
二年越しで二三連勝という偉業を達成したマーくんは、記録更新が近づくにつれメディアも騒がしくなり、ファンもまた期待をする。精神的な重圧は相当なものだったと思うが、それでも重圧をはねのけ、メディアとファンが願ったとおりの記録を打ち立てた。すごいよね。
思うような結果を残せずに苦しんでいる松坂大輔投手。対して、イケイケどんどんのごとく連勝記録を伸ばしている田中将大投手。彼らほど華麗だったり苛酷ではないかもしれないが、似たようなことは私たちの人生にも起こり得る。
負けが続いて、松坂くんはここで諦めてしまうのか。
それとも、来季につながるような快投を見せてくれるのか。
まだ三二歳の怪物が、こんなところで終わっていいわけがない。
マーくんだって、いずれは連勝が止まる日が来る。
そのとき、リズムを崩してばたばたと連敗を重ねてしまう可能性だってある。
だから、彼らの“いま”から、学ぶこともあるような気がする。
人生は、いいことばかりがあるわけでもなければ、悪いことばかりでもない。
耐えることを知っている人は、きっと強い。
*上記事の著作権は[Diamond online]に帰属します
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◇ 松坂大輔がどんなに落ちぶれても「メジャー」にこだわる3つの理由 臼北信行のスポーツ裏ネタ通信 2013-09-05 | 野球・・・など
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松坂大輔の不調と、マーくんの23連勝 耐えることを知っている人は、きっと強い 降旗学
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