転之章〈前篇〉
1. 公務員
「刑事のあほんだら!死んでしまえーっ!」
一件以来、トラックを駆る私は、何度、窓から身を出してそう怒鳴ったことでしょう。
そして今も、自分の留守の間に、刑事が社長にあることないことをほのめかしているのではないかとの杞憂がつきまとい、いたたまれない気持から、つい運転も荒っぽくなるのでした。家に帰れば帰るで口やかましい父の説教を食らい、疲労から抗する性根もなくうんざりしていた日のことでした。
久しぶりに団欒の食卓を前にした私に、
「清孝、学校の先生や友達からお父さんの仕事は何やと聞かれた子供が、トラックの運転手と答えるのと、消防署と答えるのとではどっちが子供のプラスになるか、いっぺんでも考えたことあるのか-----」
と、子供を盾に説教する父でした。
子供のことは一日も気にかけぬ日はありません。父のその一言はまさしく私の心に突き刺さったのです。しかも、父から言い含められたのかどうか、仕事から帰って来るまでは心配で夜もおちおち眠れないと妻からも哀願されたのでした。この妻の愁訴には身をつまされました。そして優柔不断な私をついに決断させたのでした。
かくして、昭和四十七年三月十九日だったかに、公務員採用試験を受けるに至ったのです。しかし本心は、地元でしかも公務員になることは、世間から脚光を浴び、わざわざ苦悩の道を選んで進むような気がして、やはり気乗りがしなかったのです。とはいえ子供のためには、と思う反面、不合格になってほしいという気持ちもあり、複雑な心境で試験を受けたのでした。
ですから合格の報せがあった時も、正直なところ「やった!」という感慨は少しも湧かず、むしろトラックを降りなければならなくなった失望感が大きかったといえましょう。地元で目立ってしまうという懸念が心に重くのしかかり、喜びは二の次でした。迷いがあったのです。しかし、合格通知を心から喜んでいる妻の姿を見ると本音を言えず辛い思いでした。
どうしても会社を辞めたくなかった私は三月二十九日、「おやっさん、やっぱり消防署の方は断るわ」と、社長に本音を打ち明けたのです。しかし、その場に居合わせた同僚とこもごも「公務員になりたくても、わしらはなれんのや。辞められるのは痛いけど仕方ない。おまえのためや。消防士になれ」と逆に激励されてしまったのです。絶対に辞めないでくれ、と慰留される期待感を裏切られたようで寂しい思いでしたが、消防署を辞めた時には再雇用してくれるよう頼むことで心の整理もつき、同日付けでD陸運を退社したのでした。
三月三十一日に地元町民センターで任用式が挙行されました。合格者全員の初顔合わせでした。その時、名前の知らない面識者から「おまえほんまに試験に合格したんけ?」と、けげんそうな面持ちで慢罵されたのでした。これからという矢先のその一言は少なからず身にこたえました。ですが、二十三歳にして人生の門出でもあったので、少しぐらいの批判には耐える心構えでしたから、その時は聞き流すこともできたのです。
こうして私は、翌日の四月一日から開始された二ヵ月間の教育研修を終えて昭和四十七年六月一日、当時は仮庁舎であった消防署で業務開始となったのでした。
2. 罵声
新規発足した消防署が衆目を集めたことは言うまでもありません。PRも行き届き、小さな町では一大ニュースでもあり、町の人たちは消防士のその身なりにわざわざ振り返って見入るほどの関心を示したものです。
そんな地元で、ひったくりや忍び込みなどの悪事を働いた私です。たとえ七年前の凶状とはいえ消防士になった今世間の耳目を引かぬはずがなく、制服を着て歩く肩身の狭さを意識しないでは済まされなかったのです。
仮庁舎で業務開始となった直後から、私と会うのを待っていましたとばかりに驚くほどの雑言を浴びせる人もいました。「税金ドロボー」は何回となく耳にした言葉です。私自身が直接耳にした罵声は、「おまえほんまに試験に合格したんけ?」に始まり、
「おまえが消防士になったと聞いたがほんまけ?」
「消防士になるのに条件なかたんけ?」
「おまえのために税金払う思うたらもったいないわ」
「いまえが受かって、○○みたいな真面目なやつが滑っとる」
「よう入れたなあ、なんぼほど裏金積んだんや」
「○○食品の自衛消防に雇われたんけ?」
まるで採用試験は縁故採用の隠れミノとばかりの毒舌です。
ある時、「おまえが消防士になったと聞いたがほんまけ?」といぶかしそうに聞かれた私は、つい癪にさわり「俺が消防士になれるわけがないやろ」と、故意に嘘を言ってやったのです。すると案の定「せやろのう、おまえがなれるはずないもんなあ」と露骨に嘲笑されたこともあり、中には「消防士はまじめにせんならんし、おまえも辛いやろ」と冷笑たっぷりの皮肉まで食らいました。
それでも、新規まき直しの意欲とともに、努力さえすれば必ず開ける将来だと私は信じていたのです。だが、万難を排して強く生きる決意をした私でしたが、周囲の冷たい視線を意識しなければならない精神的負担は大き過ぎました。消防署員の自覚を持ち「俺は人の生命を守る要務を帯びているのだ」という初心の意気込みさえ、いつしか萎えてしまうのでした。
のこのこ地元に帰り、しかも公務員になってしまったのですから本当に馬鹿の一語に尽きるのです。さほど図太い神経も持ち合わせていない私が、忍の一字だと自分に言い聞かせていたのですから、まったくお笑い種な話です。予想外に早く雑言に見舞われた私は、トラックを降りて消防署員になったことを早くも後悔し始めていたのでした。
何度も辞職を考え出した私は、それとなく父に相談してみました。しかし、おまえみたいなことを言うてたら世渡りなんかできるか!と一蹴され、結局誰にも胸襟を開けぬまま、飲めない酒を無理に飲み込むことで感情のはけ口とし始めたのでした。
3. 傷害
一ヶ月も経つと、まったくの下戸だった私は急変して飲み歩くようになっていました。小心者で周囲の眼を極度に意識する私は、無茶苦茶に酒をあおりたい心境に追い込まれていたのです。もうどうなったっていい、とヤケな心持ちでした。七月の公休日に私が起こした傷害事件の背景には、そんな荒んだ私の心情があったと思えるのです。
その日、私は妻子を連れ立って、妻の実姉夫婦の住む大阪を訪ねました。あいにく義兄が留守だったもので、妻子を義姉にあずけ、私は時間つぶしにパチンコでもしようと車を走らせていました。
その時です。私は前方の信号が青であることを確認して交差点に進入したのですが、右方向から信号無視の車が突っ込んできたのです。すんでのところで相手が急ブレーキをかけたため、幸い事故には至りませんでしたが、驚愕した私は、日ごろの鬱積もあって相手を睨むや、つい怒鳴りつけてしまったのです。公務員にふさわしい態度、言葉遣いを絶えず厳命されていた私達です。人を怒鳴りつけるなどついぞなかったのですが、腹立ちまぎれの余勢をかってのことでした。
するとその男がいきなり私の顔に唾を吐きかけてきたのです。唾というより痰でした。暴言を吐いた私も悪かったでしょうが、交通事故には至らなかったものの、過失は全面的に相手側にあるのです。バカにされたという思いで頭に血がのぼってしまい、素早く車から飛び出たのです。一瞬殴りつけてやろうといった、怯懦なくせに大胆な気持になったのです。
車から飛び出た私を見るや、相手の男は猛スピードで逃げ出したため、逃がすもんかと信号無視を重ねて逃げる相手の車を、必死に追い掛けました。途中何度も見失いかけながらも五分間位追跡したところ、団地の中に逃げ込む相手の車の後部がちらっと見えたのです。プレートナンバーこそ覚えてはいなかったものの、車種といい色といい追跡していた車に間違いないという確信があったので、迷わず団地内に自分の車を乗り入れたのでした。そして車を発見したのですが、エンジンのぬくもりを残し運転手の姿はすでになかったのです。
いずれ車に戻ってくるだろうと考えた私は、二、三台離れた場所に車を止め、執念深く見張っていました。この時の私は、相手を殴りつけてやらねば気が済まないほど憤慨していたのです。しかしその反面、逆に殴られるかもしれない脅えもあって、車に置いてあった果物ナイフを持つことで威嚇しようともくろんでいたのです。
多分一時間くらいは待ち構えていたと思うのです。そろそろしびれを切らし始めた私はなかば諦めかけたのですが、「バタン」とドアの閉まる音を聞いて慌ててその車まで走ったのです。そして素早く運転席のドアを開け、これ見よがしにナイフを構えたところ、はからずも運転席にいたのは女性だったのでした。
ナイフを見た女性が悲鳴を張り上げました。
そのすさまじい悲鳴にうろたえてしまった私は、団地内を逃げ回り、一分もたたずしてあっさり住民にねじ伏せられたのでした。事情を話せば必ず納得が得られたはずだと、逃げ回った後になって思ったものの、何せナイフを持っていたため、不利な立場を直感し女性の悲鳴に動転してしまったわけです。城東警察署に連行された後も、ナイフさえ持っていなければ自分なりの弁明も出来たし、逃げ出しもしなかったのだがと自分のうかつさを悔いたものです。
ですが、私の持っていたナイフで女性が手に負傷したと聞かされ、刃物沙汰に及んだ経緯など、警察にとってはもうどうでもよかったわけなのです。車好きの私が相手の車種を見間違えたとは思えず、負傷した女性に主人かあるいは恋人がいるなら是非会って話し合いたい気持ちもありましたが、ついに会えずじまいでした。
それはともかく、逮捕され留置場に放り込まれた時、私はすでに懲戒免職を覚悟していたのです。消防学校での苦労も三ヶ月で水泡に帰すが、精神的な現実の苦悩から解放されるのなら喜んでもいいはずだと、自答を繰り返していたのです。その一方で、このまま刑務所に押送されるかも知れないと考えると、辛く長かった六ヶ月余りの少年院生活がありありと甦り、何としても釈放されたい願望も強くあったのです。しかし三日後に、まったく予期しなかった不起訴の寛大な処置に恵まれたのでした。
ところで、痰をかけられてカーッとした私ですが、相手が逃げ出したからこそ強気になれたのです。相手が逃げず、もし開き直ってきたら、おそらく私は何も言い返せなかったに違いないのです。人前では粉飾しどこまでも虚勢を張る私ですが、その実自分でも嫌になるほど小心かつ神経質なのです。ですから烙印を押された私の心はとにかく周囲の目ばかりを意識し、打ちのめされるほどの深い打撃をもろに受けてしまうのです。くよくよと深く考え込み、気になることがあればたちまち寂しい孤独感に包まれる私には、周囲の蔑みに屈せず、乗り越えるだけのしたたかさは本当になかったのです。
4. 刑事
少年院上がりという過去を意識する私は、それゆえ人一倍に努力する気概は絶えず胸に秘めていました。でも正直言って、過去を背負って苦悩する者への世間の眼は冷たく、むしろ追い討ちをかけるようでした。少年院上がりのくせに公務員になるとは許せない、という態度を露骨に見せる人も一人や二人だけではありませんでした。常に自分の凶状を意識していなくてはならない精神の窮屈さから、ともすれば自分の過去を悔やむより、執念深く過去を思い出させる世間が憎くさえ思えるのでした。
それが自暴自棄を育て、人間不信を募らせては自己中心に物事を見る独善的な人間に、私をさせたのです。でも負け犬にはなりたくないという意識から、小心者と人から見破られないよう虚勢を張ってごまかしていたのですが、胸中は世間の重圧にあえいでいたのです。どうか、そのことは信じていただきたいのです。
浮かぬ日々を一人で悩み続けていた、そんなある日のこと、受付勤務に服する私の目前に突如として、また、刑事が現れたのでした。加茂町の殺人事件のことです。上司や同僚達と背中合わせに座る狭い事務所の受付に、二人の刑事は私を名指しでやってきたのです。職権とはいえまったく人の気持ちや立場を軽視し、警察手帳さえ見せれば誰にでも否応なしに尋問できるのだという高飛車な態度で権力を振り回す刑事に、私は無性に腹が立ちます。背中に上司や同僚の視線を感じながら、なぜこうも自分だけがさらし者にされなければならないのか、本当にみじめでみじめで仕方がありませんでした。
「人の信用にかかわる問題を、おまえらはいったいどう考えているんだ!」
と怒鳴りつけたい気持でいっぱいでした。しかし、烙印さえなければ誰にはばかることなく言える文句も言えず、みじめに屈辱にじっと我慢しなければならなかったのです。過去を持つ人間は、人から何を言われても言われるがままに耐え忍ばなくてはならないのかと思うと、実に悲しくなるのでした。
刑事が帰ったあと、誰もが不信の念を起こした目で自分を見ていました。二重にさらし者にされたようで耐えられない気持ちでした。
こんな屈辱を二度と受けたくないという思いで、非番となった翌朝、木津警察署へ抗議に行きました。しかし応対に出て来たのは、前日の刑事ではなく、制服姿の若い警察官でした。さんざん疑いの目を向けた後、刑事の不在を無愛想に答えるだけでした。それで私は、「消防署には二度と来ないよう刑事に伝えてほしい、必ず」と自分の名前を告げ、さらに「用があれば家の方へ来るように伝えてほしい」と念を押してお願いしたのでした。
なのに、その後、また刑事が職場に来たのでした。その時は、私は今にも殴りかからぬばかりの興奮の極限状態に達してしまったのです。そんな様子に刑事は何かを感じ取ったのか、ほんの一、二分で帰って行きましたが、若しその時、一言でも私を疑う言葉を言ったら、おそらく私は血迷って殴りかかっていただろうと思うのです。
そんなこともあったのです。
5. ノミ行為
こんなこともあったのです。
「清孝、役所いうたらな昔の軍隊と同じや。上司から白いものでも黒いと言われたら、はい黒です、と逆らわんと答えるのが部下や」
消防署発足間もない頃、そのような世渡りの秘訣とやらを父から聞かされました。消防署は階級組織です。とはいえ、間違いは間違いとして、たとえ上司であっても正すべきだと私は、一人前の口を利いて父に反論したものです。しかし実際に勤務して、消防署は階級組織に加えてひどい派閥組織でもあることを知りました。不器用な私には、上手に遊泳できないのです。そこへもって、私の過去を知る同僚のみならず幹部の人達と一緒に働かなくてはならなかったのですから、胸中は毎日おろおろして、もう地獄の日々でした。
当時、消防署の近くに「宮ノ裏」と言う喫茶店がありました。仕事を終えて気分的に解放された非番の朝は、ここに寄るのが楽しみの一つでした。朝のことでもあって知人の目に触れにくいことから一時間くらいいるのが常だったのです。
ぼんやりとした気持ちでコーヒーを飲んでいたある日のこと、マスターから「勝田はん、競馬するんやろ?」と訊ねられました。当時の私はボーリングかパチンコをするぐらいで、かけ事には、全く関心がありませんでしたから、「競馬なんか知らんねん」と答えた私に「なにか買いや。おもしろいで・・・」とマスターは言って、競馬新聞を初めて見せてくれたのでした。
さっぱり訳のわからない新聞でした。
「運だめしや思うて買うてみたら? 当たるかも知れへんで」
と、これから京都競馬場へ行くというマスターの誘いです。買えと言われても何をどうして買っていいのか分からず、自分の好きな数字を二つ選ぶといった方法で、結局マスターに千円を借りて頼んだのでした。
そのようなことがあって一週間ほど後でした。上司のBさんから唐突に詰問されたのです。Bさんとは消防署以前からの面識です。
「勝田、おまえ競馬のノミ行為してるやろ?!」
Bさんは署内のもう一つの派の実力者でもあります。嫌悪をはらんだBさんの口調に連れて私は同僚の視線を一斉に浴びたのです。これはBさんの個人的な私への面当てではないかと勘繰らずにはいられませんでした。なにかとスパイごとのようなことを強いるBさんに対して、私は忠実な部下ではなかったからです。
「競馬のノミ行為ってなんですか?」
事実、ノミ行為が実際にどんな行為のことをいうのか私にはわからなかったのです。単刀直入に訊ねた私に、Bさんはにべもなく、
「緊急電話(一一九専用電話)で馬券を申し込んでるそうやないか!」
と、職場のシステムからして到底あり得ないことを、さも現認したかのごとく言うのでした。傍目に気を病む私です。事の信憑性を確かめもせずいきなり同僚の面前で罵倒され、実に情けない痛撃を受けました。しかしさらにBさんは、
「しかも署長がその電話を取ついだという噂や!」
と噂話を真に受けてなのか、そうまで言って詰問するのでした。知らないことは知らないとしか答えようがなく、私はおろおろとすっかり困惑してしまいました。いわれのない責苦に耐えるしかない自分がみじめでしょうがありませんでした。
幸い、その嫌疑は、この時に奥の執務室で話を聞いていた署長のAさんが側に来てくれて、「私はそんな電話を勝田君に取次いだ覚えはない。何かの間違いだろ」と、根も葉もない噂だと断言してくれたので、身の潔白が証明されました。
でも、事実が証明された安堵感より、打ちのめされた悔しさが後々まで残り、腹が立つよりとても情けなかったのです。上司にへつらい、うまく泳げばよかったかも知れませんが、烙印と周囲の目ばかり常に意識しなければならない私は、できるだけ人目に目立つまいと考えるばかりで、とてもそんな芸当はできなかったのです。せいぜい昼間のうっぷんをこらえて、夜毎のやけ酒でうさを晴らすぐらいしかできませんでした。
6. 零落
何が無くとも酒さえあれば・・・と、飲み屋にはところかまわず出入りするようになりました。常に懐の寒い私は、小銭をポケットに、田舎では数少ない自動販売機を探し回ることもちょいちょいありました。酒にはアレルギー体質であるため、受付けない酒を無理に飲まねばならない自分が、ふと寂しくなることも度々ありました。でも素面でいるよりは、飲めば幾らかでも悩みが消え去るような気がし、一方、飲めば飲むで恨みつらみが高まり一層やるせなくなってますます深酒になるのでした。
お好焼き屋、ホルモン屋、屋台、スナックとところかまわず店に出入りする私は、そこで自分と同じように不機嫌に飲む人を見つけたりすると、なんとなく親近感を覚えたものです。そしてにわかに楽天家になって現実を忘れ、その人の支払い分まで勘定してしまうのです。ですから、私は自分がどういう性格の人間なのか、自分ながら分からなくなる時があります。
私を知る人にいわせると、私は気前がいい人間、ひとが良すぎる性格というふうに言うのです。だがこれは、私の欠点である虚栄心の成せる業です。それが証拠に一人になると、身銭を切った愚挙に後悔し、めっきり塞ぎ込んでしまうのです。「虚栄心ばかりが増大し・・・」と判決文にありますが、常識を欠如した二重人格の私が、自分でも自分を律しきれない人間であることを裏打ちしているようにも思うのです。
最初の頃は少しの酒で酔っ払ってしまい、一度の飲み代もせいぜい二、三千円でした。常連になるとツケも利き、ついつい調子に乗ってホステスやバーテンに「飲めや」と勧めるのでした。ややもすれば自分が飲んだ酒量の倍以上ものツケになりました。それにも懲りずに夜毎に飲み続けていたのです。
ある夜、以前に勤務していたSレンタカー奈良営業所近くのクラブRという店に入りました。いっぺん飲みにおいでや、とバーテンに誘われていたのを思いだし、ビールくらいなら安いだろうと初めて入店したのです。
薄暗い店内に心細い思いをしながら隅っこのボックス席に腰を下ろした時でした。隣席のソファーに二つ折りの財布が落ちているのを見つけたのです。つい魔がさし、その財布をポケットに入れてしまった私は、トイレでその中身を調べてびっくりしてしまいました。一万円札ばかりが十二枚。私の給料の三倍分もの大金が入っていたのです。歓喜の声を胸中で上げ、ビール一本もそこそこに大急ぎで店を出たのでした。
猫ばばをしてしまったわけです。当時、職場での不快と世間の薄情さを憎んで後先も考えず酒にただれる身勝手な私には、借金がかさむばかりだったのです。十二万円もの大金も、ほとんどが酒代のツケに消えました。その後も一度、約二万円の拾得物を猫ばばしたことがあります。こうした不正が、いま思えば、いつしかおのずと悪事への誘因となっていたのでした。
酒を飲み、金が無ければツケ。ツケが溜まれば支払いに窮するのは当然です。他に収入がなく、支払いに頭をかかえる状態でまた酒を飲んで借金を重ねていたのですから、まさに先は見えていたのです。それに気づかない自分でした。そしてついに、堕落した私の頭に浮かんだのが、高校時代の悪事つまり食堂への侵入、という空巣だったのです。夜中であれば誰にも見咎められず、また午前様の余暇を利用すれば家族の者にも疑われないと狡知をめぐらせ、空巣をすべく夜の街中を徘徊するまでに凋落してしまったのでした。
そしてその結果、昭和四十七年九月十三日の朝まだき、忍び込んだアパートの住民に見つかり、前後の見境なく殺人という大それた罪まで犯してしまったのでした。
◇ 勝田清孝の手記『冥晦に潜みし日々』(1) まえがき 起之章
◇ 勝田清孝の手記『冥晦に潜みし日々』(2) 承之章
◇ 勝田清孝の手記『冥晦に潜みし日々』(3) 転之章〈前篇〉
◇ 勝田清孝の手記『冥晦に潜みし日々』(4) 転之章〈後篇〉
◇ 勝田清孝の手記『冥晦に潜みし日々』(5) 結之章〈前篇〉
◇ 勝田清孝の手記『冥晦に潜みし日々』(6) 結之章〈後篇〉