【一筆多論】NHKで歌えなかった 島倉さんの「おっ母さん」 乾正人
産経ニュース2013.11.16 06:48
歌の神様は、一世を風靡(ふうび)した歌手がこの世を去る間際に、素晴らしいプレゼントを贈るのが、お好きなようである。
美空ひばりさんには「川の流れのように」、石原裕次郎さんには「我が人生に悔いなし」を。そして島倉千代子さんは、亡くなる3日前に「奇跡の歌声」(南こうせつさん)で、「からたちの小径(こみち)」をレコーディングした。
島倉さんのヒット曲は数あれど、代表曲を1つだけ選ぶとすれば、「東京だョおっ母さん」(昭和32年)を挙げたい。
老いた母を故郷を出て久しい娘が東京見物させる、という野村俊夫さんの歌詞に、船村徹さんのメロディーがぴったりとあい、150万枚の大ヒットとなった。
だが、35回も出場したNHK紅白歌合戦で、島倉さんが「東京だョおっ母さん」を歌う機会はついぞこなかった。
この話は、先月19日付の産経抄でも書いているが、こんなに早くお千代さんが旅立ってしまうとは夢にも思わなかった。なので、故人を偲(しの)び、いま一度詳しく書くことをお許し願いたい。
ではなぜ、NHKは、この曲を毛嫌いしたのだろうか。
関係者に聞くと、「やはり2番が引っかかったのでは」という。歌詞は、1番で母娘が皇居前広場で記念写真を撮り、2番で戦死した「やさしかった兄さんが」待つ九段(靖国)に向かう。この部分が、問題視されたと推測される。
推測なのは、今に至るまでNHKが明確な理由の説明をしていないためである。さきの関係者は、「放送局はNHKだけじゃない。民放でどんどん歌えばいいじゃないか」と彼女を慰めたという。
「東京だョおっ母さん」が発表されたのは、連合国軍総司令部(GHQ)による占領が終わってからわずか5年。
GHQは、治安維持と「戦争罪悪感」を日本人に植え付けるため、占領直後から民間情報教育局(CIE)と民間検閲局(CCD)を車の両輪として新聞、ラジオ、雑誌の検閲はいうに及ばず、電話の盗聴、手紙の開封を大々的に実施した。GHQによる「洗脳工作」は、江藤淳氏が昭和の末期に「閉ざされた言語空間」を発表するまでタブー視され続けてきたが、今夏出版された山本武利氏の「GHQの検閲・諜報・宣伝工作」(岩波現代全書)でより詳しく工作の一端が明かされている。ことに占領初期のラジオ放送は、GHQが定めた「ラジオ・コード」に従って一言一句にわたって厳しい検閲を受けたという。
音楽番組も「民主化」の先兵となり、「戦時歌謡」はすべて封印された。靖国を連想させる「九段」という地名が入った曲も放送できなくなった。
検閲の記憶も生々しかったあのころ、担当者が条件反射的に2番を「放送できない」と判断した可能性は高い。その呪縛は、ついにお千代さんが亡くなるまで解けなかった。日曜の午後、NHKは追悼番組を放送するが、果たして2番は流れるのだろうか。
見えない「被占領意識」という黒い霧は、この国のメディアをいまだに覆っているようである。(論説委員)
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◇ 書評 『GHQの検閲・諜報・宣伝工作』 山本武利著 岩波現代全書 2013-11-16 | 読書
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NHKで歌えなかった島倉さんの「おっ母さん」 被占領意識 靖国を連想させる「九段」という地名を問題視か
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