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朴槿恵大統領「安重根の記念石碑建設計画、順調に進んでいる」 / 菅義偉官房長官「安重根は犯罪者」

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安重根めぐり日韓応酬 菅氏「犯罪者」、韓国反発「あり得ない」
 産経ニュース2013.11.20 10:30
  初代韓国統監を務めた伊藤博文を暗殺した安重根の石碑建立計画をめぐり、日韓両国の対立が深まっている。石碑は暗殺現場の中国・ハルビン駅に建設される計画で、対立は中国を巻き込んだ形で今後も尾を引くことになりそうだ。
 石碑建立計画は韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領が6月、中国の習近平国家主席らに協力を要請した。朴氏は18日、ソウルで中国の楊潔篪国務委員(外交担当)と会談、計画について「(中韓)双方の協力の下、うまく進んでいる」と謝意を表した。
 これを受け、菅義偉(すが・よしひで)官房長官は19日午前の記者会見で、「わが国は、安重根は犯罪者であると韓国政府にこれまでも伝えてきた。そうした中でこのような動きがあるのは日韓関係のためにはならないのではないか」と述べた。
 一方、韓国外務省報道官は同日の定例記者会見で、「甚だしく遺憾だ」と反発。「(安重根は)わが国の独立と東洋の平和のために命をささげた方だ」と主張し、「日本の帝国主義、軍国主義時代に伊藤博文がどのような(役割をなした)人物だったか、日本が周辺国に何をしたかをかえりみれば、発言はあり得ない」と強く批判した。
 菅氏は午後の記者会見で韓国側の反発をふまえ、「随分と過剰反応だなというふうに思う。私は従来のわが国の立場を淡々と述べただけだ」と述べた。
 日韓関係の冷え込みについては最近、韓国の有力紙などで朴政権に改善を促す論調も目立つ。一方で、日本側の不快感を承知で建立計画を持ち出したのは、朴氏に「歴史」で日本を挑発する姿勢を改める意思がないということの表れといえる。
 朴氏は最近も第三国の首脳らに対し、日本の歴史認識を問題視する発言を繰り返しているが、米国のヘーゲル国防長官が韓国の過剰な対日批判をたしなめるなど、国際社会は冷淡な姿勢を示しつつある。一方、日本の外交筋は、「石碑建立計画が具体的に進んでいるという情報には接していない」としている。(山本雄史、ソウル 加藤達也)
 【用語解説】安重根 アン・ジュングン 朝鮮の独立運動家。1879年、朝鮮半島の黄海道海州の両班(ヤンバン=支配階級)の家に生まれる。17歳でキリスト教に入信。朝鮮の日本への従属に反発し、中国の上海やロシアのウラジオストクに移り義勇軍を組織するなど抗日運動を展開。1909年、中国黒竜江省のハルビン駅で到着直後の伊藤博文・初代韓国統監を短銃で射殺。翌年に死刑判決を受け、旅順刑務所で処刑された。
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します 
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「義士」なのか「犯罪者」なのか 安重根の評価巡り対立深まる
 J-CASTニュース 2013/11/20 19:56
   東洋平和のために、韓国と日本、そして中国は手を携えるべきだ――伊藤博文を暗殺したことで知られる安重根(1879〜1910)は、処刑直前の遺著にこう書き残した。
   没後100年、その安重根の評価をめぐり日本・韓国・中国が対立を深めている。
   きっかけは韓国の朴槿恵大統領が2013年6月、伊藤暗殺現場である中国・ハルビンに、安の記念碑を建てる計画を中国・習近平国家主席にもちかけたことだ。
*日本の国会でも「名誉回復」が提起されたことも
   さらに朴大統領はダメを押すように11月18日、訪韓した中国高官に対しわざわざこの話を持ち出し、建造計画が順調に進んでいることに感謝の意を述べた。菅義偉官房長官もさすがにカチンときたのか、
「我が国はこの安重根については『犯罪者である』(との立場を)、韓国政府に対してこれまでも伝えてきております」
 と、不快感を露骨ににじませた。この「犯罪者」発言が韓国に伝わると、即座に「我が国の独立と東洋平和のために命をかけた人物だ。『犯罪者』と表現することは極めて残念」(韓国外務省)とかみつかれた。中国もこれに参戦、「安重根は歴史上有名な『抗日義士』であり、中国でも尊敬を受けている」との声明を発表する。菅官房長官も同日、
「まあずいぶんと過剰反応だな、という風に思いますよ」
 と冷ややかに切り返し、さらに議論が過熱することになる。
   韓国では「義士」「英雄」、日本では「犯罪者」――こうした安の「評価」については、日本の国会でも過去に何度か問題提起されたことがある。1984年には社会党の新村勝雄衆院議員が、安を含む韓国統治時代の「政治犯」の名誉回復を提起したが、安倍晋三首相の父・安倍晋太郎外相(当時)は明確な回答を避けた。87年にも「安重根はテロリストに当たるか」が議論に上っている。
*潜水艦「安重根」、中には遺影も飾られる
   安は1879年、現在の北朝鮮にある海州市に生まれた。実家は裕福で、カトリックの洗礼も受けている。20代半ばから民族運動に身を投じ、愛国的教育活動、そしてのちに武装闘争に身を投じ、最終的に1909年に伊藤暗殺を決行、翌年処刑される。30歳だった。
   韓国では最新鋭の潜水艦に「安重根」の名が付けられるなど、まさに国民的な英雄となっている。同艦の艦内では、その遺影や遺墨が掲げられているという。サッカー日韓戦の応援に安の肖像を描いた垂れ幕が持ち出されることも有名だ。
   ただし当時の韓国皇室では、日本への配慮から、
「伊藤氏が我が国の人間の『凶手』にかかった」(当時の皇太子による電報、「純宗実録」所載)
 と安をテロリスト扱いにしている。首都での歌舞音曲を禁止するなど、日本への徹底した配慮を見せており、韓国にとっては「気まずい」(朝鮮日報の記事より)事実だ。
   同じく半ば「なかったこと」になっているのが、安の遺児・安俊生の存在だ。実業家となった俊生は1939年、満州で伊藤の位牌に手を合わせ、伊藤の息子に「謝罪」した。韓国独立の英雄・金九はこれに激怒し、俊生殺害まで図っている。俊生は戦後間もなく、不遇のうちに死去した。安の孫たちは追悼式典などのためにしばしばメディアに登場するが、俊生の存在は無視されがちだ。
   また安は獄中での遺著で、韓国と日本、中国が共同して西欧列強に対抗すべきとの持論を展開している。ほかの人物なら「親日派」扱いされかねない主張だが、韓国内では「現在の観点でも先駆的な思想」(中央日報)として賛美を惜しまない。
   「犯罪者」か「義士」か、日中韓の緊張が高まる中、誰もが納得する答えは容易には出そうにない。
 ◎上記事の著作権は[J-CASTニュース]に帰属します
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【産経抄】100年たっても彼の国の政治は… 11月20日
 産経ニュース2013.11.20 03:08
 世の中、便利になったもので、五千円札の肖像にもなった新渡戸稲造氏が、昭和初期に書いたエッセーを電子書籍で簡単に読めたのには驚いた。しかも無料じゃあ、神田の古本屋もたまったもんじゃない。▼と、ブツブツ言いながら読んだのが「偉人群像」である。内外の偉人たちのあれこれをエピソードを交えて描いており、彼が実際に会って話をした同時代人の生き生きとした口跡が伝わってくる。▼伊藤博文元首相(公爵)の巻は、ことに感慨深い。東京帝大で植民政策を講じていた新渡戸は、明治41年ごろ、初代韓国統監を務めていた伊藤に会うためソウルに渡った。「韓国併合」に難色を示す伊藤公をなんとか説得してほしい、と友人の官僚に頼まれたのである。▼「朝鮮人だけでこの国を開くことが果たしてできましょうか」と勢い込んで日本人の大規模移住を説いた新渡戸に伊藤はこう諭したという。「君、朝鮮人は偉いよ。この民族にしてこれしきの国を自ら経営できない理由はない」と。▼42年、統監を辞したばかりの伊藤博文は、ハルビン駅頭で安重根の凶弾に倒れた。歴史に「もし」はないが、併合に批判的だった彼が健在だったならば、その後の日韓関係はもっと違った風景になっていたはずである。そんな犯罪者をたたえる石碑をハルビン駅に建立しようという計画が、中韓両国で進んでいる。▼父の朴正煕大統領を狙い、母を殺した文世光の像をソウル駅前に建てるのと同じ愚挙であることを娘の朴槿恵大統領はお気づきでない。新渡戸に伊藤はこうも語った。「(韓国が)今日の有様(ありさま)になったのは、人民が悪いのじゃなくて、政治が悪かったのだ」。100年たっても彼(か)の国の政治は、一向に改まっていないようである。
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テロリストを英雄に仕立てる韓国の幼児的ナショナリズム
 エコノMIX異論正論  池田信夫 2013年11月19日(火)14時57分
 安重根という名前を知っている日本人はほとんどいないと思うが、韓国では「抗日闘争の英雄」である。といっても彼は建設的な事業をしたわけではなく、1909年に日本の初代韓国統監だった伊藤博文を暗殺したテロリストである。
 ところが韓国の朴槿恵大統領は、彼が伊藤を暗殺した中国のハルビン駅に記念碑を建設することを中国側に提案し、それが「順調に進んでいる」と表明した。テロリストを英雄として賞賛することも先進国では考えられないが、暗殺事件から100年以上たって記念碑を建てようと他国に提案する大統領も普通ではない。
 この一つの原因は、韓国があおっている反日感情の歴史的根拠がないことにある。韓国は1910年の日韓併合から終戦までの時期を「日帝36年」として批判しているが、その時期に日本の朝鮮総督府が韓国人を虐待した記録はほとんどない。一時は「強制連行」や「従軍慰安婦」などを持ち出したが、それも事実と異なると判明したころから、日韓併合前の事件を持ち出すようになった。
 確かにこの時期には抗日運動があり、当時の大韓帝国が日本の支配に抵抗したことも事実だ。しかしもともとは、李氏朝鮮の改革派が近代化の先輩だった日本の支援を求めたのが始まりだ。これが日清戦争の原因となり、勝った日本は朝鮮半島に介入せざるをえなくなった。
 それは近代化を始めたばかりの日本にとっても重荷であり、伊藤は韓国併合には反対した。しかし国内の強硬派や軍は朝鮮を満州侵略への足がかりにしようとしたので、彼はみずから統監となった。文官が軍を統括するのは異例で、軍は天皇の統帥権を理由にして反対したが、彼は軍を抑えるため、みずから現地の司令官を指揮したのだ。
 伊藤は直接支配には消極的で、「韓国八道より各十人の議員を選出し衆議院を組織すること」など、日本をモデルにした自治政府を考えていたが、日露戦争に勝った国内では対外的な膨張主義が強まり、最終的には彼も併合を了承した。しかし伊藤が暗殺されたため強硬派と慎重派のバランスが崩れ、抗日運動を弾圧して日韓併合が行なわれた。
 韓国の側からみると、中国との関係で格下と考えていた日本に支配され、民族としての誇りは傷ついただろう。しかし客観的に見て、今の北朝鮮に近い状態で多数の餓死者が出ていた韓国が独立することは、財政的に不可能だった。日本が支配しなければ、ロシアが支配しただろう。
 日韓併合のとき1300万人だった朝鮮の人口は、占領末期の1942年には2550万人に倍増し、工業生産は6倍以上になった。この時期の朝鮮の資本蓄積の90%は日本の資本によるものと推定されている。逆にいうと、日本の朝鮮統治は大幅な赤字だった。それは植民地支配という西洋的な概念とは違い、「東亜の盟主になる」という思い上がりで日本が朝鮮を「同化」しようとしたものだが、結果的には大失敗だった。
 戦争が終わると、韓国人は日本のインフラ投資に感謝しないで、反日感情を刺激してナショナリズムをあおり始めた。これは終戦直後にスターリンの指令で北朝鮮が始めたものだが、歴代の軍事政権は政治的危機に直面すると「民主化運動は日本の謀略だ」という宣伝を繰り返した。
 これに朝日新聞が「従軍慰安婦」の誤報で火に油を注ぎ、日韓関係は決定的に悪化した。親日的な言動を禁止する多くの法律が制定され、植民地時代の親日的な行動に刑事罰を課す親日反民族特別法が成立し、戦時中に遡及して親日派を摘発することになった。
 韓国政府は「朝鮮総督府は40%の土地を接収し、生産されたコメの半分を収奪した」などと国定教科書に書かせているが、総督府は基本的に朝鮮人の土地所有権を確認し、国有地は全国の土地の3%程度だった。コメの半分が日本に輸出されたのは日本の米価が朝鮮より30%ぐらい高かったからで、代金は朝鮮人の所得になったのだ。
 このような歴史を歪曲する教育は、事実と照合すればすぐ嘘とわかる幼稚な政治的宣伝である。朴大統領は「日韓共同で歴史教科書をつくろう」と呼びかけているが、そのためには今までの反日教育を清算することが条件だ。その気もないのに日本を攻撃する舞台を設定しようという政治的意図で言っているなら、日本は拒否すべきだ。安重根をめぐる彼女の言動をみても、反省する兆しはまったく見えないからだ。
 ◎上記事の著作権は[NewsweekJapan]に帰属します
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