プロ野球特別読み物 バッサバッサと年俸カットされる選手たち 血も涙もない落合博満(中日GM)の大リストラ これでいいのだ
現代ビジネス 2013年11月25日(月)週刊現代
かつて球界最高年俸を獲得した落合がいま、選手に大減俸を宣告している。評価は賛否両論あるが、一つだけ明らかになったことがある。それは落合がいたほうが、プロ野球は盛り上がるということだ。
*プロなんだから当たり前
前中日監督の?木守道が言う。
「結果を残せなかったんだから、私が監督を退くのは当たり前のことです。プロ野球は勝ってなんぼの世界ですからね。そして、弱くなったチームを立て直すために強烈なリーダーシップを持った人間を招き入れる、これも当然です。自分で言うのもなんですが、いまの中日には勝てないチーム特有の緩みがある。それを立て直すには、落合博満を起用するしかないと、球団が判断したということでしょう」
その口調はサバサバしており、そこからは逆に「相手は落合だから、張り合っても仕方がない」という諦めのような感情も伝わってきた。
中日の新GMとなった落合博満(59歳)が、血も涙もない年俸カットを断行している。
吉見一起・1億1600万円減、和田一浩・8000万円減、荒木雅博・6800万円減、浅尾拓也・5500万円減……主力選手に対しても全く容赦はない。11月4日から始まった契約更改の減俸総額はすでに6億円超。最終的には10億円近くのコストカットをすると見られている(年俸・減俸額は推定。以下同)。
この大リストラの口火を切ったのは、2億5000万円から88%ダウンの3000万円を提示され、自由契約を選んだ井端弘和だ。評論家の江本孟紀が言う。
「落合GMは井端に対し、『戦力外の選手に金額は提示しない』とコメントしましたが、いくら何でもその言い方はないだろうと思いましたね。『提示した金額に納得しなかったから、退団した』ということを強調したかったわけでしょ。88%ダウンなんて、実質的にはクビの宣告と一緒です。そう簡単に判は押せないに決まっているじゃないですか。功労者に対する仕打ちとしては、あんまりですよ」
監督時代、落合と井端は師弟関係だった。落合自らバッティング技術を伝授し、セカンドのレギュラーに固定。井端もその期待に応えて、黄金時代を支えた。
しかしそんな蜜月関係にあった井端だからこそ、落合は切って、他の選手への見せしめにしたのだ。
「関係悪化を決定的なものにしたのは、今年のWBCでの井端の大活躍です。'09年のWBCに、落合は中日から一人も選手を出さなかった。大事なキャンプのときに主力に抜けられては、優勝できなくなるからです。しかし井端は、自分が嫌ったWBCに喜んで出場し、国民の英雄になった。そんな井端は落合の『子飼い』の資格を失ったんです」(スポーツ紙中日担当記者)
無情にも追いやられた井端を見てなお、落合に歯向かおうという選手はいない。チーム内ではすでに、「恐怖政治」が始まっている。
前出の?木は言う。
「私は、プロなら他人にとやかく言われなくても責任感を持って野球に取り組むはずだ、という意識で監督を務めていた。しかし落合君は、選手が必死になって野球に向き合わざるを得ない環境を意図的に作る人です。多くの選手へ年俸の大幅ダウンを提示した今回の契約更改にしても、たるんだ選手の気持ちを引き締め直すのが目的でしょう。選手はすでに、『結果を出さないといつクビを切られるかわからない』と緊張感を持っているはずです」
一方、今季頑張った4年目の岡田俊哉の年俸を5倍以上に上げるなど、「アメ」も忘れていない。
「彼らは年俸が安く、コスト削減にあまり影響しないですからね。『やった者は報われる、やらなかった者は落ちていく』という発言はたしかに正しいのでしょうが、正直、外資系の経営者のようで共感はしませんね……」(前出の記者)
*結果がすべて
GM着任早々、軋轢をものともせず、チームに大ナタを振るう落合。しかし、これは「恐い者知らずの強腕」ではけっしてない。
なぜなら落合は、強力な後ろ盾を周到に確保しているからだ。それが、「名古屋のナベツネ」と呼ばれる白井文吾オーナーだ。
「白井オーナーは落合を監督、そしてGMに抜擢してくれた人。素直に恩を感じている面はあると思います。しかしそれだけじゃない。白井さんにさえ好かれていれば、他の球団幹部全員に嫌われても全く問題はない。落合さんはそれをわかっていたんでしょう。人を見る目と戦略分析には非常に長けていますからね。いつからかはわかりませんが、現在の体制を作る青写真は描いていた。実際、見事に返り咲き、支配者になりましたからね。したたかな人です」(中日関係者)
今回、白井オーナーは落合の要請に応える形で、反対派の大粛清をおこなった。?木監督時代のスタッフはほぼ総入れ替えしただけでなく、坂井克彦前球団社長をはじめ、球団首脳陣を総退陣させたのだ。
白井オーナーがそこまで落合に惚れ込む理由は何か。白井は本誌の取材に対し、次のように答える。
--—反対の声が大きいなか、落合氏をGMにしたのはなぜか。
「監督としての手腕や現役時代の実績から見てもわかるように、彼は理にあったことをする人ですから。(GMになっても)ムチャクチャなことをする人ではない。選手となあなあな関係にもならない。チームを作り直すために必要だと判断しました」
--—功労者とも言える井端を実質的にクビにした。その他の主力選手に対しても、契約更改で大幅減俸を提示していることについては?
「現在の(中日のチーム)状況を考えれば、大胆なカットとも言えないんじゃないでしょうか。GMとして、(各選手の)今季の働き具合、体調なんかも全て勘案して『今の君はこれくらいの評価だよ』と評価しているわけですから、そうおかしな話でもないんじゃないかな。最初から『君やめろ』と言っているわけでもありませんしね」--—落合新GMに期待していることはなにか。
「(日本一になれる)チームに仕立てて欲しいですよ。ただ(GMには)先頭に立って、現場で指揮をとるというようなことは要請していない。彼には人を揃えることや、戦術面でのアドバイスなど、そういうことで仕事をしてもらおうと。役割を(谷繁新監督と)分担して、ということです」
井端にも、やめろと言ったわけではない—。落合と同じ理屈である。合理的であること、それが何より優先される。白井の発言には一つ、額面通りに受け取ってはいけないところがある。それは「谷繁との役割分割」だ。
「谷繁をプレーイングマネージャーにしましたが、彼は正捕手として来シーズン以降も試合に出続けるでしょうから、監督として采配を振るうことは難しい。過去に成功したノムさんですら、コーチに頼ることが多かったですからね。谷繁本人もそれはわかっているはずです。そうなると、現場の指揮は誰がとるのか。おそらく、森繁和ヘッドコーチでしょうね。
森コーチは落合の参謀役を務め、GM就任後、真っ先に入閣させた人物。完全に落合の意向に従って働く右腕です。谷繁自身もすでに、選手に指示をするときなど、『これは落合さんに言われているから』と平気で言っている。来シーズンの中日の陰の監督は、落合ですよ」(前出の記者)
*天才は天才を知る
権力を握ること、結果を残すこと、なぜ落合はその二つに異常なまでに執着するのか。その理由を知るためには、落合の野球人生、そして巨人に対するコンプレックスを理解しなければならないだろう。
落合をよく知るベテランスポーツ紙記者が言う。
「'78年のドラフトでロッテに3位指名され、落合はプロ入りしましたが、実は巨人から2位指名を約束されていたんです。しかしこの年、あの『江川事件』があり、巨人がドラフトをボイコットした。そのため、約束は反故にされた。落合の野球人生は最初でいきなり狂ったんです」
さらに、打者として頭角を現した後も、落合はいくども悔しい思いをする。
「ロッテで最初の三冠王を獲ったときは、打率、打点、本塁打、全ての数字が低かったことで、三冠王には値しないと批判されました。2度目、3度目のときも、『消化試合ばかりで打ったからだ』と難癖をつけられた」(前出のベテラン記者)
そこで、落合はロッテからの移籍を決意した。華やかな世界、つまり巨人で打てば誰も文句は言わないだろうと考えたのだ。
「しかしそのときも巨人にプライドを傷つけられた。巨人は斎藤雅樹、水野雄仁とのトレードというロッテ側の要求に難色を示し、落合を獲らなかったんです。そのとき落合は、『巨人は俺のために、斎藤ごときも出せないのか』と怒っていた」(当時のロッテ担当記者)
その斎藤との因縁がモロに出た試合がある。中日に移籍して3年目の'89年、ナゴヤ球場で行われた8月12日の巨人戦だ。
この試合で落合は、9回裏一死までノーヒットノーランを続けていた斎藤雅樹から逆転のサヨナラ3ランを放った。落合がバットで見せた強烈な意地だった。
「自分は絶対に正しい」、そう信じて疑わない。そんな落合の人間性を表すエピソードがある。
「たとえば、サインをするとき。落合は色紙の金箔や装飾があるほうに書くんです。普通は白いほうに書きますよね。落合はどこかで『実は白いほうが裏』だと聞いたんでしょう。確かにそれは間違っていない。ただ本来は、謙遜を示すという意味で裏に書くんですよ。しかし落合は一度そうだと信じ込むと絶対に曲げない。『表に書くのが常識だろ』といまだに金箔側にサインしています」(前出の中日関係者)
できたばかりのFA制度でやっと巨人に移籍できたのは'94年。ただ、落合はすでに40歳で、最盛期はすぎていた。巨人は落合の入団から3年後、次世代の4番として清原和博を西武から獲得し、結局は落合を使い捨てにした。
打っても打っても、ヒーローにはなれない。それが「天才・落合」の野球人生だった。最後までなじめなかった巨人は、落合にとって「勝って見返す相手」となった。
「'09年のWBCに選手を一人も出さなかったのは、大会を『読売の興行』だと思っていたからです。選手を出して、わざわざ監督である原辰徳を英雄にするつもりは、落合にはさらさらなかった」(中日担当記者)
*一番の喜びは勝つこと
そんな落合の内面を表すような出来事もあった。
「WBCで優勝した年、最初の巨人戦のことです。試合前に監督同士でメンバー表の交換をしたんですが、落合は出て来なかった。ベンチから2~3歩出て手招きで審判を呼び付けて、メンバー表を取りに来させたんです。普通は両監督が握手して始める。そして、『優勝おめでとう』くらいは言う。しかし落合は顔を合わせることすら拒んだ」(前出の中日担当記者)
「誰よりも実力があるのに、正当に評価されてこなかった」その現役時代の鬱屈した思いは、監督という立場になったとき、勝利至上主義となった。人気者にはなれない、しかし実力は示したい。それならば勝つしかないというわけだ。
'04年から3シーズン、二軍監督として落合を支えた佐藤道郎が言う。
「選手を教える、育てる、そういうタイプの監督ではないですね。原監督のように、打てなくても坂本勇人を使い続けるというようなこともありません。勝つために足りないものはなにか。その時々にあわせ、使える駒のなかでやりくりしていく采配でした。
そして、判断は早く、自分で決める。『二軍にいるあの選手切りました』と事後報告を受けたこともある。相談は一切ありませんでした。それだけ自分の判断に自信を持っていた」
自らの判断に対する絶対的な自信、チームを勝利に導く徹底した戦術、そして最後には自分を認めさせたいという意地—これらをあわせもっているのが、落合博満という男だ。
だからこそ、その采配や選手起用は、冷酷や自己中心的といったネガティブな評価にもつながる。しかし逆に言えば、味方になって落合ほど頼りになる存在はいない。
元中日コーチの小林誠二は言う。
「コーチを含め、プロ野球の世界にいる人間にとって、一番の喜びは勝つことです。そういう意味で、監督時代の落合さんの下にいた選手たちは、本当にいい思いをさせてもらいました。
今回の契約更改にしても、厳しいと言われていますが、選手たちは覚悟していると思います。落合さんの場合、過去の実績ではなく、今後の可能性で判断しますからね。フェアですし、プロの世界はそういうものでしょう。落合さんは監督としては素晴らしい。選手にとっては、それで十分であり、そんな指導者の下にいる以上の幸せはないと思いますよ」
来シーズン、落合GMのもと生まれ変わった中日が、優勝争いを演じれば、野球ファンは「落合野球はこれでいいのだ」と思うのかもしれない。 (文中敬称略)
「週刊現代」2013年11月30日号より
◎上記事の著作権は[現代ビジネス]に帰属します *リンクは来栖
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◇ 落合博満『オレ流采配』/「完全試合直前」山井の交代、アライバ謎のコンバート、WBCボイコット・・・ 2011-11-28 | 野球・・・など
落合博満「今明かされる『オレ流采配』の真実」
現代ビジネス2011年11月28日(月)フライデー
■落合博満監督の信念は〈最大のファンサービスは、あくまで試合に勝つこと〉。最後までブレることはなかった
例えば0-1の敗戦が続いたとする。普通なら、打線の奮起を促すところだが、中日・落合博満監督(57)は違う。
〈投手陣を集め、こう言うだろう。「打線が援護できないのに、なぜ点を取られるんだ。おまえたちが0点に抑えてくれれば、打てなくても0対0の引き分けになる。勝てない時は負けない努力をするんだ」〉〈試合は「1点を守り抜くか、相手を『0』にすれば、負けない」のだ〉
0―1ではなかったものの、第1戦、第2戦ともに延長戦を2―1のロースコアで制した日本シリーズの戦いぶりに、確かに?オレ竜野球?の真髄が見て取れた。〈 〉内の言葉はすべて、落合監督の10年ぶりの書き下ろし作―その名もズバリ、『采配』(ダイヤモンド社)内での言葉だ。本誌は11月21日発売の本書をいち早く入手。そこには?不言実行の男?が胸に秘めていた「オレ流采配の真実」が記されていた。いくつか抜粋しよう。
*采配(1)絶対的信頼
3度も三冠王を獲った男が「投手力」を中心とした守りの野球を推し進めたのは〈私の好みではなく、勝つための選択〉だった。そしてその大事な投手陣を、落合監督は完全に任せ切った。
〈監督を務めて8年間、私が先発投手を決めたのは一度しかない。就任直後の2004年、開幕戦に川崎憲次郎を先発させた試合だ。つまり、私が監督になってからの2試合目からはすべて、森繁和ヘッドコーチが決めていた〉
誰が先発か知らない日もあった。
〈顔は怖いし、言葉遣いが少々乱暴に聞こえることもあるが、選手に対して並々ならぬ愛情を持っているのがよくわかる男だ〉
とは彼の森コーチ評だ。一度、実力を認めたら、責任持って100%任せ切る。この胆力と信頼が部下を育てるのだ。
*采配(2) 勝つことが最優先
'07 年の日本シリーズ第5戦。先発の山井大介(33)は8回まで日本ハム打線をノーヒットに抑えていた。完全試合達成となれば日本シリーズ史上初の快挙だったが、落合監督が9回のマウンドに送ったのは守護神・岩瀬仁紀(37)だった。
〈この日本シリーズの流れを冷静に見ていった時、もしこの試合に負けるようなことがあれば、札幌に戻った2試合も落としてしまう可能性が大きいと感じていた〉〈私はドラゴンズの監督である。そこで最優先しなければならないのは、「53年ぶりの日本一」という重い扉を開くための最善の策だった〉
ここで降板させたら、何と言われるか。だが、点差はわずかに1点。山井は右手薬指のマメを潰している―邪念を振り払い、選択したのが岩瀬の投入だった。
〈私の采配を支持した人には日本シリーズを制した監督が多いな、ということ以外、メディアや世間の反応については、どんな感想を抱くこともなかった。(中略)采配の是非は、それがもたらした結果とともに、歴史が評価してくれるのではないか〉
周囲に惑わされず、勝利のために最善を尽くす。リーダーはブレてはいけないのだ。
*采配(3)「アライバ」シャッフル
落合采配・最大のミステリーとしてファンの間で語られているのが、セカンド・荒木雅博(34)&ショート・井端弘和(36)の「アライバコンビ」のシャッフルだろう。6年連続でゴールデングラブ賞を獲った二人の守備位置を、 '10 年シーズンから落合監督は入れ替えたのだ。
〈彼らの適性だと判断した〉〈?慣れによる停滞?を取り除かなければいけない〉
というのがその理由。この年、荒木は自己最多の20失策を記録。井端は体調不良もあり、リタイア。コンバートは失敗に見えた。だが、指揮官はへこたれない。
〈この先、(荒木が)二塁手に戻るようなことがあれば、間違いなく以前を遥かに超えたプレーを見せるはずだ。遊撃手を経験したことにより、荒木の守備力は「上手い」から「凄い」というレベルに進化しているのだ〉
*采配(4) ベテラン重用の理由
落合政権下でレギュラーを奪取した生え抜きの野手はなんと、森野将彦(33)だけ。「若手を使わず、ベテランを贔屓する」と批判される所以(ゆえん)だが、この点、落合監督は否定しない。まだ時間がある若手と先がないベテラン、〈どちらがここ一番の場面で力を出すのか。それを考えると、ベテランを起用せざるを得ない〉と明言しているのだ。実際、日本シリーズで和田一浩(39)、谷繁元信(40)らが活躍しているだけに重い言葉である。
冷や飯を食わされている側にも目を向けよう。1年目から3割近い打率をマークしたのに出場機会が激減。「落合にスポイルされている」とファンに噂されている藤井淳志外野手(30)については、新聞紙上でのコメントと同様、〈勝負どころの打球判断に不安を感じていた〉と語っていた。だが、他の選手もエラーはする。彼が目の敵にされた理由はおそらく、別頁のこんな記述の中にある。
〈何も反省せずに失敗を繰り返すことは論外だが、失敗を引きずって無難なプレーしかしなくなることも成長の妨げになるのだ〉〈注意しなければ気づかないような小さなものでも、「手抜き」を放置するとチームに致命的な穴があく〉
*采配(5) WBCよりも契約
輝かしい成績を残したオレ竜、唯一の暗部が第2回WBCだろう。落合監督は代表監督就任を固辞。ドラゴンズの選手たちも辞退したことで、「球団をあげてボイコットするのか!」と批判されたのだ。
監督は今も納得がいっていない。自分は「優勝に向けて全力を尽くす」という中日との契約を優先させるべきであり、選手たちは〈契約書には明記されていない仕事をする場合には本人の意思が第一に尊重されるべき〉だったからだ。
「辞退理由を述べろ」との当時の論調はこう退けた。〈(故障など)選手のコンディションとは、言わば一事業主にとって?企業秘密?なのである〉と。
連覇しても解任。その無慈悲な現実を突きつけられた落合監督が口にしたのは、「契約だから」という一言だった。
オレ流とミスターとの比較、若手を伸ばすコツなど、同書には他にも落合節がビッシリ。自らの人生を采配するヒントになること、うけあいだ。
「フライデー」2011年12月2日号より
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原優勝手記で落合挑発? WBC選手出さず、故障者隠し…
2009年9月25日16時56分配信 夕刊フジ
優勝手記での巨人・原辰徳監督(51)の挑発的な発言に対し、中日・落合博満監督(55)がどう反撃するか。消化試合になった28日からの今季最後のナゴヤドーム3連戦にも興味がわき、本番のクライマックスシリーズ(CS)が面白くなってきた。
24日付の読売新聞のスポーツ面に載った原監督の優勝手記。興味深かったのは、今年3月に行われたWBCの日本代表選手に中日が1人も派遣しなかった件に関してだ。
「WBCに中日の選手は一人も出場しなかった。どんなチーム事情があったかは分からないが、日本代表監督の立場としては『侍ジャパン』として戦えるメンバーが中日にはいなかったものとして、自分の中では消化せざるを得なかった」
全員出場辞退した中日勢抜きでWBCを連覇した結果があるから言える言葉だが、その後に刺激的な発言が続いている。
「野球の本質を理解した選手が多く、いつもスキのない野球を仕掛けてくる中日の強さには敬服するが、スポーツの原点から外れた閉塞感のようなものには違和感を覚えることがある。今年最初の3連戦、しかも敵地で中日に3連勝出来たことは格別の感があった」
チームの機密を盾に故障者も明かさない落合流管理野球を真っ向から批判したようなもの。それだけに、落合監督としても黙って受け流せる言葉ではないはず。
巨人のリーグ3連覇が決まった後、「オレがこの状況に手をこまねいていると思うか? 見くびるな」と声を大にし、10月17日から始まる3位とのCS第1ステージ、21日からのリーグ優勝の巨人との第2ステージへ向け万全の備えを宣言している。
今季ペナントレース最後の顔合わせになる28日からのナゴヤドーム3連戦にも興味が出てくる。本来なら単なる消化試合に過ぎないが、原監督の刺激的な優勝手記で何が起こっても不思議ではなくなったからだ。見どころ満載のCSのリハーサルとしてハプニングがあるのかどうか。乞うご期待だ。(夕刊フジ編集委員・江尻良文)
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◇ 他の監督とはここが違う 落合博満だけに見えるものがある 2011-11-03 | 野球・・・など
他の監督とはここが違う 落合博満だけに見えるものがある
2011年11月03日(木)週刊現代
「観客が入らない」「人気が落ちている」「つまらない」と言われた。それでも彼は「勝つこと」にすべてを捧げてきた。「強いチーム」作りから「勝てるチーム」作りへ。確かに彼は野球を変えた。
■仕事はクビを切ること
野球解説者の若松勉氏は、ヤクルト監督時代に対戦した落合・中日を称して「不気味だった」と語っている。「落合監督がやっている野球それ自体は、非常にオーソドックスなものなんです。でも常にベンチにどっしり構えて、何を考えているのかわからない。メンバー交換のときも一切、無駄なことは話さない。やりづらかった」
「不気味な」落合監督がチームを率いたこの8年間、中日はセ・リーグ最強のチームだった。4度のリーグ優勝に日本一1回。今年は首位に最大10ゲーム差をつけられながら、逆転優勝を果たした。
では落合監督が目指した「オーソドックスな野球」とはどんなものなのか。落合監督の元で二軍監督を務めた佐藤道郎氏が言う。
「最近の野球はどのチームも、点を取られなければ勝てるというのが基本戦略。落合君はそれを突き詰めようとしていた。だから打者が打てなくても諦められるけど、打たれることをとても恐れる。4~5点勝っているのに、ゲームセット後に握手をすると、掌が汗でびっしょりだったこともあった」
落合監督の「点を取られない野球」が、他球団を圧倒するまでになった要因は何か。それは毎試合ベストの戦力で闘うために、選手たちの状態を見極めることだった。
その根底には、落合監督の卓越した「見抜く目」がある。
佐藤氏が補足する。
「落合君には他の監督では気づけないような選手の能力を見抜く眼力がある。スカウトの方が適しているのではと思うくらいだ」
その好例が、河原純一である。西武を解雇され1年ブランクのあった河原を、'09年、テストを経て獲得。その年河原は貴重な中継ぎとして活躍。40試合以上に登板を果たした。
「落合君は、年齢やちょっとした怪我では選手の評価を変えない。考えるのは、今のチームに足りないものを補ってくれるかどうか、それだけ。そもそもベテランは落ち目でも実績がある。能力が保証された上で安く済むしね」(佐藤氏)
「守りのチーム」の要である二遊間の荒木雅博、井端弘和に関しても、落合監督は慧眼を発揮している。6年連続でゴールデングラブを獲得した二人の定位置を交換したのだ。
落合監督は、その理由を、
「オレが記憶している二人の動きと微妙にずれていたんだ」と答えているが、それを聞いた荒木は、
「自分が思っていた以上に無理が来ていた。監督の目だけはごまかせない」
と唸った。
本人ですら気づかないような変化を、監督の目は見抜いてしまう。それは試合直前にも発揮された。
「その日のコンディションを見極めるのがうまい。中日は同じようなレベルの選手が多いから落合君は、悪ければ代えるし、良ければ使う。井端がケガしても、岩崎(達郎)がいる、堂上(直倫)がいるという風に調子のいい者を使うんです」(佐藤氏)
しかし見切りも早い。佐藤氏が続ける。
「使えるか使えないかの評価を常にしていた。すべて自分で決めるので、我々も全く知らないうちに、育ちかけていた選手が切られていくこともあった」
このとてもドライで、ある意味徹底された「プロ意識」が、落合野球のもう一つの特徴でもある。
監督に就任した'04年、開幕投手を務めた川崎憲次郎氏は、落合監督が選手たちの前で初めて発した言葉を鮮烈に覚えている。
「新体制最初の全体ミーティングでした。『オレの仕事はお前たちのクビを切ることだ』と言ったんです。それが僕らへの監督の第一声でした。『使えなかったら切られる』というのは、プロなら当然のこと。でもそれを改めて口にする監督は、他に聞いたことがない」
■選手と心中はしない
前述のとおり、落合監督の野球では、「打つ」ことより「守り」が優先されている。選手を見るときに、自分の現役時代の能力を基準にしているからである。打つことに関して、現役時代の自分を超える選手はいない。だから、多くを期待しない。
滅多に選手をほめない落合監督は、
「オレ以上の実績を作った選手がいたらほめてやる」
というのが口癖だった。
川崎氏が言う。
「落合さんから見れば、現役選手達は全員、自分以下としか映っていない。
だからこそ『選手と心中』なんてことはしないんです。選手を信じ切らないから、油断がない。試合への準備はどのチームより緻密に行っているはずです」
落合監督は常に情報収集に気を配った。中日にはスコアラーが他球団に比べて3倍近くいるというのは有名な話だ。
情報収集はチーム内に向けても積極的に行った。目の届かない二軍についても、毎日トレーナーの報告を聞き、各選手の状態を正確に把握していた。佐藤氏にはこんな経験がある。
「リリーフ専門の鈴木義広が二軍に落ちてきたとき、調整法の一環として先発させたら、すぐ監督から、『なぜリリーフを先発に使うのか。二軍でもリリーフで使ってくれ』という電話が入った。堂上(剛裕)を外野で使っただけでもそう。二軍の試合のスコアブックまで読み込んでいるんだよ」
「監督はどこで何を見ているかわからない」---中日の選手の間には、常に緊張感と競争意識が植えつけられていった。そして落合監督が植えつけた競争意識は、チームに最大の変化をもたらした。
練習量の増加である。
若松氏はヤクルト監督を辞任した後、評論家として訪れた中日キャンプで、選手たちのハードな練習ぶりを目の当たりにして「度肝を抜かれた」という。
「他のチームのキャンプは、大抵4日練習して1日休むペースで行います。でも中日は6勤1休だった。要は開幕後のスケジュールに合わせて練習しているんです。全体練習後もほとんどの選手が残って必死にバットを振っていました」
最近の中日の練習を見た元プロ野球選手が、思わず「こんなに練習するんですか」と感嘆すると、落合監督はニコリともせず言い放った。
「俺の現役の頃は、もっと練習していた」
無駄を嫌う落合監督が猛練習を行う理由、それは単純に練習が無駄ではないからだ。
川崎氏がさらに言う。
「チャンスが突然来るという怖さもあるんです。失敗すると次はないかも知れないですしね。『誰が使われるかわからない』という、落合さんの起用法だと、選手は準備がとても大変なんです。スタメンにもベンチスタートにも対応できるように、常にコンディションを整えておかないといけないですから」
■「見られている」という意識
日本一の「野球眼」をもつ監督に、見られている。選手は常に競争意識を保ち、準備を怠らないように練習を繰り返す。そうして中日は、チーム力を高めていった。落合監督は、同様の効果をコーチにも求めていた節がある。
'05年~'06年にかけて捕手コーチを務めた秦真司氏は、就任要請のタイミングにまず驚かされた。
「電話があったのが、前シーズンが始まったばかりの6月だったんです。そんな時に来年のチーム編成を考えている監督なんて他にいません。そもそも、現役時代に落合さんとは何の接点もなかったですしね」
落合監督にとっての「勝てるチーム」に、義理や人間関係のシガラミは邪魔だったのかも知れない。
秦氏が続ける。
「私のような外様を呼んだのは、中日OBのコーチばかりがつるんだ、なあなあ体質を払拭しようという意図があったんです」
そして落合監督は、すぐに秦氏に役割を与えた。当時怪我がちだった主戦捕手・谷繁元信のコンディションをケアすること。監督は一切口を出さなかった。
「谷繁の調整だけに集中し、全力を注ぎました。
2年契約が満了した時、更新の話はもらえなかった。それでも切られたという意識はありません。責任をもって自分の仕事をさせてもらえましたから」
一度任せたら口出しはしない。ただしチームに必要かどうかは、シビアに判断する。選手からコーチ、スタッフに至るまで、「見られている」という緊張感が充満し、落合流の「プロ意識」が浸透していった。
外から見た落合野球も、「何をするかわからない」という意外性がある。冒頭で若松氏が言っていた「不気味さ」である。
たとえばそれは、勝てば優勝もある10月14日の対巨人戦でも見られた。その試合、落合監督は入団1年目の新人投手・大野雄大に、プロ初登板初先発を命じたのである。しかも先発マスクは谷繁ではなく、2年目の松井雅人だった。
「驚きましたね。優勝のかかった試合でデビュー登板させるなんて、普通では考えられません」(若松氏)
一見、奇策に見える落合監督の投手起用だが、前出の川崎氏は、「落合さんらしい」と指摘する。
「落合監督本来のスタンダードな野球を行う上で、ああいった思いもよらないことをすると、敵に『中日は何をしてくるかわからない』と思い込ませることができる。『わからない』と、意識させれば、落合さんの術中にはまってしまう」
対戦相手である巨人以上に、今後CSや日本シリーズで戦う相手に、警戒心を植えつける効果もある。
落合は2回に打ち込まれた大野を、4回までマウンドから降ろさなかった。結果敗れたが、試合後の落合監督は「いい勉強だよ」と笑顔だった。
解任決定後も落合監督は、自分が去った後のチームの将来を見つめ続けている。その様は、「プロ」としての仕事を、貫徹しようとしているように見える。
■「勝て」と言われたから勝った
思い起こせば落合監督の用兵は、奇策から始まった。'04年の広島との開幕戦、先発マウンドには、川崎憲次郎氏が立っていた。
「落合さんが就任した直後の1月2日に、電話がかかってきた。そこでいきなり『今年の開幕投手はお前で行く』と言われたんです」
当時肩の故障を抱えていた川崎氏は、3年間一軍で投げていない状態だった。
開幕戦、川崎氏は序盤にKOされてしまった。しかしチームは逆転勝利。この日の奇襲は落合野球の「不気味さ」の象徴となり、そのシーズン、1年目にしてリーグ優勝を果たした。
一方で川崎氏は、この登板に落合監督からのメッセージを感じ取っていた。
「当然監督は私の投球に期待していたわけではない。暗に、『これが今のお前の実力だよ』と知らせたかったのだと思います」
川崎氏は、その後再登板のチャンスを与えられたが、またもKO。直後二軍に落とされ、3度目のマウンドに立ったのは自身の引退試合だった。1年で、たった3回の登板機会。そして引退。それでも川崎氏は今も監督に感謝している。
落合監督は、川崎氏の実績に「開幕投手」という形で敬意を払った。その上で、能力の足りない者は、容赦なく切り捨てる。そこには一貫したプロ意識がある。
10月19日、中日優勝の翌日、スポーツ紙に落合監督の手記が掲載された。優勝できたのは、9月の対巨人戦で敗れた後、坂井球団社長がガッツポーズをしたことが最大の要因だったと激白している。
《負けてなんでガッツポーズされるんだよって。(略)負けじ魂に火がついた》
非情と言われた落合監督。その根底には確かなプロ精神が流れている。そんな彼は、今回の仕打ちをどう捉えているのだろう。監督と親しい記者が、その胸中を忖度する。
「解任宣告も、球団に呼び付けられた監督は、朝一番の新幹線で立ったまま名古屋に行き、『ご苦労さん』の一言で済まされたと言います。名監督の最後としては寂しすぎますよ」
優勝した中日は、当然今季のセ・リーグで、最も結果を出したチームだ。落合監督にも選手にも、その自負がある。「勝て」と言われて、勝った。それでも切られる理不尽に、落合監督は憤っている。自分がプロとしての責任を果たしたと信じているからだ。
いま監督が一番心配しているのは、彼の緻密な野球を支えたスコアラー陣の今後なのだと言う。
「『彼らをクビにしないでくれ』と事あるごとに球団幹部に頼んでいます」(前出記者)
「名選手に名監督なし」という言葉がある。3度の三冠王を獲得した史上最強の打者は、球界の常識をいとも簡単に打ち破ってみせた。
落合監督は最後の夢、リーグ優勝&日本一の栄冠に挑む。
「週刊現代」2011年11月5日号より
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