Quantcast
Channel: 午後のアダージォ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 10100

中国の次の一手は空軍力の増強 国産空母の建造で防空識別圏を思いのままに? 古森 義久

$
0
0

「国際激流と日本」中国の次の一手は空軍力の増強国産空母の建造で防空識別圏を思いのままに?
 JBpress 2013.12.04(水)  古森 義久
 防空識別圏を突然発表した中国が、新たな航空母艦の配備によって、尖閣周辺を含む東シナ海上空での空軍力をさらに増強することが確実となった――。
 米国側の新情報で明らかになったのは、中国空母の新建設と追加配備の展望である。日本の安全保障にも重大な影響を及ぼすこととなりかねない。
 中国の防空識別圏の設置というのは、日本の尖閣諸島の領土や領空を一方的に中国圏に含もうとする挑戦的な軍事措置である。日本に尖閣諸島を放棄させようという戦略意図を持った威圧の手段だろう。中国のその対日威圧作戦については前回の当コラムで報告した。
*「遼寧」から飛び立つ戦闘機群が東シナ海に
 さて、この防空識別圏をめぐって改めて懸念されるのは中国の軍事力の増強である。特にその空軍力が脅威の主体となる。
 その点で、中国海軍が最近、新配備したばかりの航空母艦「遼寧」の動向が気がかりとなる。この空母は旧式で機能は低いとはいえ、中国人民解放軍では初の本格パワープロジェクション(遠隔地への兵力投入)能力を誇示する。この空母からは艦載機が自由に飛び立てるのだから、尖閣諸島の近くでの中国の空軍力が増強されることにもなる。今回の防空識別圏の宣言とも密接な関係がある動きなのである。
 中国は旧ソ連のウクライナから1998年に購入した航空母艦「ワリヤーグ」(6万7000トン)を長年の大改装の末に「遼寧」と命名し、2012年9月に実戦配備した。「遼寧」は艦載機のJ-15戦闘機の発着も可能であることを実証し、2013年11月には海南島の基地を出て、台湾海峡を通り、南シナ海へと向かった。南シナ海での初の空母配備は11月26日に中国当局が公式に認めている。
 中国軍のこの初の空母の戦闘能力について、米海軍の当事者らは「極めて低い」と評している。「遼寧」は米軍の近代的な空母や戦闘機にはあらゆる面で劣っており、いざ戦闘となると、格好の標的になるという。
 だが、米軍以外の諸国の海空部隊が相手となれば、話は別だろう。中国の戦闘機群が巨大な艦艇によって海上を自由自在に運ばれるのだ。本来なら中国本土の地上基地からしか飛び立てなかった戦闘機集団が、今度は海洋上を自由に動き、日本の領空や領海にも接近してこられるのだ。その政治的な威嚇や圧力の効果は絶大となる。
 「遼寧」は実際に、現在も南シナ海を、ミサイル駆逐艦2隻、フリゲート艦2隻と艦隊を組んで航行している。その艦載機は、中国当局が東シナ海で宣言した防空識別圏を支える航空戦力を持つことになる。現に南シナ海では「遼寧」は訓練を開始し、その空軍力は、中国との領有権紛争を抱えたフィリピンやベトナムに対して脅威を与え始めたのである。東シナ海で同じ状況が起きるのも、時間の問題だと言えよう。
*今後12年間で合計3隻の空母部隊を保有?
 こうした中国の航空母艦について、米国議会の超党派の政策諮問機関「米中経済安保調査委員会」が11月20日に公表した2013年度の年次報告は、興味深い展望を明記していた。
 この委員会は「米中両国間の経済関係が米国の国家安全保障に及ぼす影響を調査する」ことを第一義の目的とし、その調査結果を分析し、政策勧告として政府や議会全体に提案している。
 中国の空母についての報告は次のようだった。
 「中国海軍は2012年9月に初の航空母艦『遼寧』を就航させた後も、防空と攻撃を担う空母拠点の航空機の能力の強化を続けている」
 「中国は『遼寧』の後に少なくとも2隻の国産の航空母艦を建設し、配備することを計画している。1隻目の空母は2020年までには任務に就き、2隻目は2025年までに配備されると見られる」
 以上の展望は、米国の政府や軍が全体として得た情報を基に打ち出されていると見られる。それによれば、中国人民解放軍は中国製の初の航空母艦を2020年までに完成させて、配備するというのだ。「遼寧」に次ぐ2隻目の中国軍空母となるわけだ。
 さらに、中国は国産の空母の第2隻目を2025年までに完成させ、実戦配備するという。中国海軍は今後12年の間に合計3隻の空母部隊を保有するに至るというのだ。
 米中間の軍事力を比較する際、空母はこれまで力の差が最も顕著に現れる領域だった。米国海軍だけが種々の空母を保有し、日本を含む東アジアの平和や安定を保ってきたのである。中国が保有する空母はゼロだった。
 だが中国は、この領域での米国の圧倒的な優位に対し、確固たる態度で挑戦してきたのである。
*米軍との空軍力格差に味わわされた屈辱
 中国が東シナ海の防空識別圏設定を宣言すると、米国はただちにその存在を否定し、B52戦略爆撃機2機を中国への通告なしに圏内で飛行させた。中国は事前の威勢のよい宣言にもかかわらず、対抗や抗議の行動は取らなかった。その背景には、中国の空軍力が米軍に比べ、あまりにも劣っているという現実があると言える。
 今回のこうした米中両国間の軍事展開は、1996年の事態を想起させる。96年に台湾の総統選挙で独立志向の李登輝氏が優位に立つと、中国は台湾近海へのミサイル発射演習を断行した。台湾の選挙民を威嚇して、李登輝氏への投票数を減らそうという意図だった。
 だが米国の当時のクリントン政権はただちに台湾近海に米海軍の航空母艦2隻を急派して、中国側を威圧するという行動に出た。
 米軍の巨大な空母2隻の登場の前に中国軍はそれまでのミサイル発射演習をぴたりと止めてしまった。後に、中国は当時の米軍のこうした動きに対抗する手段を何も持たず、威圧に屈するという屈辱的な思いを強くしたことを明かすに至った。
 今回も、米軍が飛ばしたのは非常に旧式で丸腰のB52爆撃機である。だが、中国側は対抗する構えを見せなかった。B52というのはそもそももう40年も前のベトナム戦争の際によく使われた爆撃機である。それでも中国側は黙って引き下がったのである。今後、空軍力のパワーアップを大幅に図らなければ、この防空識別圏の機能も維持できないということだろう。
 今回、米側が明らかにした中国の自国製航空母艦2隻の建造に、そうした空軍力の増強に寄与させる意図があることは明らかだと言えよう。
 ◎上記事の著作権は[JBpress]に帰属します 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
中国空母「遼寧」 南シナ海へ初の遠洋航行 2013-11-26 | 国際/中国/アジア 
初の空母「遼寧」の期待打ち消す中国 2012-10-02 | 国際/中国/アジア 
中国初の空母「遼寧」 米軍事専門家は“無用の長物”との辛辣な評価 2012-09-30 | 国際/中国/アジア 
中国初の空母「ワリヤーグ」が「遼寧」と命名され、就役 「海軍大国」内外へアピール 2012-09-25 | 国際/中国/アジア 
中国初の空母「ワリヤーグ」が訓練用にしか使えない理由 2011-08-31 | 国際/中国/アジア 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
『帝国の終焉 「スーパーパワー」でなくなった同盟国・アメリカ』日高義樹著 2012/2/13第1刷発行 2012-10-02 | 読書 
------------------------------------------------
国内外問わぬアメリカの影響力低下〜“防空識別圏”問題の解決に米国の援護は見込めない 藤田正美 2013-11-27 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
◇ 中国海軍高官 「太平洋を分割し、米国がハワイ以東を、中国が同以西の海域を管轄してはどうか」 2011-01-12 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉 
 日本抹殺を目論む中国に備えはあるか?今こそ国家100年の計を立てよ、米国の善意は当てにできない
JB PRESS 2011.01.12(Wed) 森 清勇
 今日の国際情勢を見ていると、砲艦外交に逆戻りした感がある。そうした理解の下に、今次の「防衛計画の大綱」(PDF)は作られたのであろうか。「国家の大本」であるべき国防が、直近の政局絡みで軽々に扱われては禍根を千載に残すことになる。
 国家が存在し続けるためには国際社会の現実から目をそらしてはならない。日本の安全に直接的に関わる国家は覇権志向の中国、並びに同盟関係にある米国である。両国の国家としての在り様を検証して、国家百年の計を立てることこそ肝要である。
*中国は日本抹殺にかかっている
 1993年に中国を訪問したポール・キーティング豪首相(当時)に対して、李鵬首相(当時)が「日本は取るに足るほどの国ではない。20年後には地上から消えていく国となろう」と語った言葉が思い出される。
 既に17年が経過し、中国は軍事大国としての地位を確立した。日本に残された期間はわずかである。
 中国の指導者の発言にはかなりの現実味がある。毛沢東は「人民がズボンをはけなくても、飢え死にしようとも中国は核を持つ」と決意を表明した。
 当時の国際社会で信じるものは少なかったが実現した。?小平は「黒猫でも白猫でも、ネズミを捕る猫はいい猫だ」と言って、社会主義市場経済を導入した。
 また香港返還交渉では、交渉を有利にするための「一国両制」という奇想天外なノーブルライ(高貴な嘘)で英国を納得させた。
 政治指導者ばかりでなく、軍高官も思い切ったことをしばしば発言している。例えば、朱成虎将軍は2005年に次のように発言している。
 「現在の軍事バランスでは中国は米国に対する通常兵器での戦争を戦い抜く能力はない。(中略)米国が中国の本土以外で中国軍の航空機や艦艇を通常兵器で攻撃する場合でも、米国本土に対する中国の核攻撃は正当化される」
 「(米国による攻撃の結果)中国は西安以東のすべての都市の破壊を覚悟しなければならない。しかし、米国も数百の都市の破壊を覚悟せねばならない」
 他人の空言みたいに日本人は無関心であるが、日米同盟に基づく米国の武力発動を牽制して、「核の傘」を機能不全にしようとする普段からの工作であろう。
 2008年に訪中した米太平洋軍司令官のティモシー・キーティング海軍大将は米上院軍事委員会公聴会で、中国海軍の高官が「太平洋を分割し、米国がハワイ以東を、中国が同以西の海域を管轄してはどうか」と提案したことを明らかにしている。
 先の尖閣諸島における中国漁船の衝突事案がらみでは、人民解放軍・中国軍事科学会副秘書長の要職にある羅援少将が次のように語っている。
 「日本が東シナ海の海洋資源を握れば、資源小国から資源大国になってしまう。(中略)中国人民は平和を愛しているが、妥協と譲歩で平和を交換することはあり得ない」と発言し、また「釣魚島の主権を明確にしなければならない時期が来た」
 こうした動きに呼応するかのように、中国指導部が2009年に南シナ海ばかりでなく東シナ海の「争う余地のない主権」について「国家の核心的利益」に分類したこと、そして2010年に入り中国政府が尖閣諸島を台湾やチベット問題と同じく「核心的利益」に関わる問題として扱い始めたと、香港の英字紙が報道した。
*中国の「平和目的」は表向き
 1919(大正8)年、魚釣島付近で福建省の漁民31人が遭難したが、日本人が救助し無事に送還した。それに対して中華民国長崎領事が「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島・・・」と明記した感謝状を出している。
 中国が同諸島の領有権を主張し始めたのは国連の海洋調査でエネルギー資源が豊富にあることが判明した1970年代で、領海法を制定して自国領に組み入れたのは1992年であるにもかかわらず、「明確な日本領」を否定するためか、最近は「古来からの中国領土」とも言い出している。
 実際、首相が横浜APECで“首脳会談を開けた”だけで安堵している間に、ヘリ2機搭載可能で機銃まで装備していると見られる新鋭漁業監視船を含む2隻が接続水域に出没している。
 海保巡視船の警告に対しては「正当に行動している」と返事するのみである。
 中国の言う「正当な行動」とは中国の領海法に基づくもので、尖閣諸島に上陸しても正当化されるということにほかならない。現に、石垣市議2人が上陸したことに対し、中国外務省は「中国の領土と主権を著しく侵犯する行為」という談話を発表した。
 漁船がさほど見当たらないにもかかわらず漁業監視船が接続水域を彷徨しているのは、日本人の感覚を麻痺させる(あるいは既に上陸しているかもしれない)のを隠蔽する作戦のように思われる。
 係争の真っ只中で、そうした行動が取れるはずがないという識者も多いが、「尖閣は後世の判断に任せる」、あるいは「ガス田の協議をする」などの合意を平気で反故にしてきた中国である。何があってもおかしくない。
 20年余にわたって2桁台の軍事力増強を図ってきた中国に透明性を求めると、「平和目的」であるとの主張を繰り返す。中国の「平和目的」は異常な軍事力増強の言い逃れであり、露わになってきた覇権確立のカムフラージュでしかない。
 軍事力増強と尖閣沖漁船衝突のような異常な行動、さらには北朝鮮の無謀をも擁護する中国の姿勢が日米(韓はオブザーバー)や米韓(日本はオブザーバー)の合同軍事演習の必要性を惹起させたのであるが、中国はあべこべに自国への脅迫であるとクレームをつけている。
 現時点では指導部の強権でインターネット規制などをしながら、人民には愛国無罪に捌け口を求めさせることで収拾している。
 しかし、矛盾の増大と情報の拡散で人民を抑えきれなくなった時、衣の下に隠された共産党指導部の意図が、ある日突然行動に移されないとは言えない。
*米国を頼れる時代は終わりつつある
 日本人で米国の「核の傘」の有効性に疑問を呈する者は多い。歴史も伝統も浅い米国は、「国民の国民による国民のための政治」を至上の信条としており、行動の基本は世論にあると言っても過言ではないからである。
 フランクリン・ルーズベルトは不戦を掲げて大統領選を戦い、国民はそれを信じて選んだ。しかし、第2次世界大戦が始まるや、友邦英国の苦戦、ウィンストン・チャーチルの奮戦と弁舌巧みな哀願を受けた大統領は、米国民のほとんどが反対する戦争に参加する決心をした。
 当初はドイツを挑発して参戦の機会を探るが、多正面作戦を嫌うドイツは挑発に乗らなかった。
 そこでルーズベルトは日本を戦争に巻き込むことを決意し、仕かけた罠が「ハル・ノート」を誘い水として真珠湾を攻撃させることであった。
 日本の奇襲作戦を「狡猾(トリッキィー)」と喧伝し、米国民には「リメンバー・パールハーバー」と呼びかけて国民を参戦へと決起させたのである。
 逆に、世論が政府を動かないようにさせることも当然あり得る。核に関して言うならば、被害の惨状に照らして、国民が政府に「核の傘」を開かせないという事態が大いにあり得る。
 虎将軍ら中国軍高官の発言は、普段から米国民にこうした意識を植え付けて、米国が日中間の係争に手を出せないように仕向ける下地つくりとも思われる。
 米国初代のジョージ・ワシントン大統領は「外国の純粋な行為を期待するほどの愚はない」と語っている。
 日米安保が機能するように努力している現在の日本ではあるが、有事において真に期待できるかどうか、本当のところは分からない。能天気に期待するならば、これほどの愚はないということではないだろうか。
 今こそ、日米同盟を重視しながらも、「自分の国は自分で守る」決意を持たないと、国家としての屋台骨がなくなりかねない。
 中でも「核」問題が試金石であると見られる。親米派知識人は、「日本の核武装を米国が許すはずがない」の一点張りであるが、あまりにも短絡的思考である。
 日本の核論議が日米同盟を深化させ、ひいては米国の戦略を補強するという論理の組み立てをやってはいかがであろうか。
 米国が自国の国益のために他国を最大限に利用し、また国家戦略のために9.11にまつわる各種事象を操作(アル・ゴア著『理性の奪還』)したりするように、日本も自立と国益を掲げて行動しないと、米中の狭間に埋没しかねない。
 核拡散防止条約(NPT)は高邁な趣旨と違って、保有を認められた5カ国の核兵器削減は停滞しているし、他方で核保有国は増大している。
 「唯一の被爆国」を称揚する日本であるゆえに、道義的観点並びに核に関するリアリズムに則った新条約などを提案する第一の有資格者である。
 同時に、地下鉄サリン事件の防護で有効に対処できた経験を生かし、核にも有効対処できるように準備する必要がある。
 その際、形容矛盾の非核三原則ではなく、バラク・オバマ大統領の言葉ではないが、「日本は核保有国になれるが、保有しない」(Yes, we can, but we don’t)と闡明し、しっかり技術力を高めておくのが国家の使命ではないだろうか。
 ヒラリー・クリントン米国務長官は「尖閣には日米安保条約第5条が適用される」と言明した。
 しかし、かつて一時的にせよ、ウォルター・モンデール元駐日米大使が「適用されない」と発言したように、政権により、また要人により、すなわちTPO(時・場所・状況)に左右されると見た方がよい。
 米国では従軍慰安婦の議会決議に見た通り、チャイナ・ロビーの活躍も盛んである。
 ましてや、既述のように決定の最大要因が国民意思であるからには、核兵器の惨害が米国市民数百万から1000万人に及ぶと見られる状況では、「核の傘」は機能しないと見るのが至当ではなかろうか。「有用な虚構」であり続けるのは平時の外交段階だからである。
*先人の血の滲む努力を無にするな
 日本は明治維新を達成したあと、範を欧米に求めた。新政府の要路にある者にとって自分の地位が確立していたわけでもなく、また意見の相違も目立つようになり内憂を抱えていた。
 しかし、それ以上に外患に備えなければ日本の存立そのものが覚束ないという思いを共有していた。そこで、岩倉具視を団長とする米欧使節団を送り出したのである。
 一行には木戸孝允、大久保利通、伊藤博文などもいた。1年10カ月にも及ぶ長期海外視察は、現役政府がそのまま大移動するようなもので、不在間の案件処理を必要最小限に留めるように言い残して日本を後にしたのもゆえなしとしない。
 よく言われるように、英国を観ては「40年も遅れている」とは受け取らず、「40年しか遅れていない」と見て、新興国日本の明日への希望を確認した。
 また、行く先々で文明の高さや日本と異なる景観に感服するところもあったが、その都度、好奇心を発揮して記憶にとどめ、また瀬戸内海などの素晴らしい景観があるではないかと、「日本」を決して忘れることはなかった。
 米国のウエストポイント陸軍士官学校を訪れた時は射撃を展示され、そのオープンさにびっくりするが、日本人ならばもっと命中させると逆に自信の程を高めている。
 ことほどさように、初めて外国を視察しているにもかかわらず、その目は沈着で、異国情緒に飲み込まれることもなく、基底に「日本」を据えて比較検証しようとしている。
 こうした見識はひとえに、為政者として日本の明日を背負って立たなければならないという確固たる信念がもたらしたと見るほかはない。
 代表団が特に関心を抱いたことは、小国の国防についてである。オランダ、ベルギー、デンマーク、さらにはオーストリア、スイスなどを回っては、日本の明日を固める意志と方策を見出そうと懸命である。
 もう1つ、国際社会に出ようとする日本が関心を持ったのは万国公法(今日の国際法)についてであった。プロシアの鉄血宰相ビスマルクの話には真剣に耳を傾け、また参謀総長モルトケの議会演説にも強い関心を持った。
 概略は次のようなものだった。
 「世界各国は親睦礼儀をもって相交わる態度を示しているが、それは表面上のことでしかない。内面では強弱相凌ぎ、大小侮るというのが実情である。万国公法は、列国の権利を保全する不変の法とはいうものの、それは大国の利のあるうちでいったん不利となれば公法に代わる武力をもってする」(ビスマルク)
 「政府はただ単に国債を減らし、租税を軽くすることばかりを考えてはならない。国の権勢を境外に振るわすように勤めなければならない。法律、正義、自由などは国内では通用するが、境外を保護するのは兵力がなければ不可能である。万国公法も国力の強弱に依存している」(モルトケ)
 このことは、現在にも通用する。しっかり反芻し、記憶することが大切である。
 日本は「唯一の被爆国」や「平和憲法」を盾に、国際情勢の激変にもかかわらず官僚的手法の「シーリングありき」で累次の「防衛計画の大綱」を策定してきた。
 こうした日本の無頓着で内向的対応が、周辺諸国の軍事力増強を助長した面はないのだろうか。
 明治の為政者たちが意識した外国巡視に比較して、今日の政治家の海外視察はしっかりした歴史観も日本観も希薄に思えてならない。
*歴史の教訓を生かす時
 ここで言う歴史の教訓とは、明治の先人たちが命懸けで体得した「国際社会は力がものをいう」というリアリズムである。今日ではそのことが一段と明確になっている。
 アテネはデモクラシー(民主主義)発祥の地であり、ソクラテスやプラトンを輩出したことで知られている。
 そのアテネでは人民(デモス)の欲望が際限なく高まり、国家はゆすり、たかりの対象にされ、過剰の民主主義が国力を弱体化させていく。
 専制主義国家スパルタとの30年戦争の間にも国民は兵役を嫌い、目の前の享楽に現を抜かし道徳は廃れ、ついに軍門に下る。
 その後、経済も復興するが、もっぱら「平和国家」に徹し続け、スパルタに代わって台頭した軍事大国マケドニアに無条件降伏を突きつけられる。一戦を交えるが惨敗して亡国の運命をたどった。
 例を外国に求めるまでもない。日本にも元禄時代があった。男性が女性化し、風紀は乱れ、国家の将来が危ぶまれた。この時、出てきたのが「武士道といふは死ぬことと見つけたり」で膾炙している『葉隠』である。
 ことあるごとに死んでいたのでは身が幾つあってもたまらないが、真意は「大事をなすに当たっては死の覚悟が必要だ」ということである。 
 こうした考えが、自分たちのことよりも国家の明日を心配した米欧派遣の壮挙につながった。日本出発から1カ月を要してようやくワシントンに着くが、いざ条約改正交渉という段になって天皇の委任状のないことを指摘され、大久保と井上博文はその準備に帰国する。
 往復4カ月をかけて再度米国に着いた時には、軽率に条約改正する不利を悟り代表団が米政府に交渉打ち切りを通告していた。
 何と無駄足を運んだかとも思われようが、当時の彼らにとっては、国力の差を思い知らされる第1章と受け取る余裕さえも見せている。
 国家を建てる、そして維持することの困難と大切さを身に沁みて知ったがゆえに、華夷秩序に縛られた朝鮮問題で無理難題を吹っかけられても富国強兵ができる明治27(1894)年まで辛抱したのであり、三国干渉の屈辱を受けても臥薪嘗胆して明治37(1904)年までの10年間を耐えたのである。
 佐藤栄作政権時代に核装備研究をしていたことが明らかになった。「非核三原則」を打ち出した首相が、こともあろうにという非難もあろう。
 しかし、ソ連に中立条約を一夜にして破られた経験を持つ日本を想起するならば、「日本の安全を真剣に考えていた意識」と受け取り、その勇気に拍手喝采することも必要ではないか。
 国際社会は複雑怪奇である。スウェーデンもスイスも日本人がうらやむ永世中立国である。その両国が真剣に核装備を検討し、研究開発してきたことを知っている日本人はどれだけいるであろうか。また、こうした事実を知って、どう思うだろうか。
 「密約」を暴かずには済まない狭量な政治家に、そんな勇気はないし、けしからんと難詰するのが大方ではないだろうか。しかし、それでは国際社会を生き抜くことはできない。
*終わりに
 漁船衝突事案では、横浜APECを成功させるために、理不尽な中国の圧力に屈した。日本は戦後65年にわたって、他力本願の防衛で何とか国家を持ちながらえてきた。
 しかし、そのために国家の「名誉」も「誇り」も投げ捨てざるを得なかった。今受けている挑戦は、これまでとは比較にならない「国家の存亡」そのものである。
 米国から「保護国」呼ばわりされず、中国に「亡失国家」と言われないためには、元寇の勝利は神風ではなく、然るべき防備があったことを真剣に考えるべきである。
 そのためにはあてがいぶちの擬似平和憲法から、真の「日本人による日本のための日本国憲法」を整備し、名誉ある独立国家・誇りある伝統国家としての礎を固めることが急務であろう。
〈筆者プロフィール〉
森 清勇 Seiyu Mori星槎大学非常勤講師
 防衛大学校卒(6期、陸上)、京都大学大学院修士課程修了(核融合専攻)、米陸軍武器学校上級課程留学、陸幕調査部調査3班長、方面武器隊長(東北方面隊)、北海道地区補給処副処長、平成6年陸将補で退官。
その後、(株)日本製鋼所顧問で10年間勤務、現在・星槎大学非常勤講師。
また、平成22(2010)年3月までの5年間にわたり、全国防衛協会連合会事務局で機関紙「防衛協会会報」を編集(『会報紹介(リンク)』中の「ニュースの目」「この人に聞く」「内外の動き」「図書紹介」など執筆) 。
著書:『外務省の大罪』(単著)、『「国を守る」とはどういうことか』(共著)
 国防 日米安保条約が締結されてから50年目が経ち、いつしか日米安保は空気のような存在となった。そんな折、日本では自民党政権が倒れ、沖縄にある普天間基地の国外・県外への移設を掲げる民主党政権が誕生した。普天間基地の移設問題では早くも日米間できしみが生じるなど、日本の国防が根底から揺らぎそうな雰囲気だ。一方、中国が軍事力、なかんずく海軍力を大幅に増強、北朝鮮からは核ミサイル発射の危険性も現実のものとなり、国を守ることを国民一人ひとりが真剣に考えなければならない時代を迎えている。 *強調(太字・着色)は来栖
.............


Viewing all articles
Browse latest Browse all 10100

Trending Articles