朝日・毎日への反論(3) 特定秘密保護法案に反対するほど取材しているか!
産経ニュース2013.12.7 07:00 [高橋昌之のとっておき]
このコラムで、朝日新聞と毎日新聞の主張に対する反論を、集団的自衛権などをテーマに2回にわたって書いてきましたが、その度に多くのアクセスをいただきました。これまでもそうでしたが、安倍晋三政権が本格的な保守政治を進めてきていることから、とくに最近は産経、少なくとも私と、朝日、毎日両紙の見解は大きく異なるようになりました。
私としては安倍政権の重要課題が進むのか、後退するのかは、国家、国民の将来を大きく左右すると思っているので、座視することはできません。そこで、今回は朝日、毎日両紙がことのほか熱心な特定秘密保護法案について、両紙の主張に対する私の見解を述べたいと思います。個別具体的な論点は、各紙面で詳細に報道されていますから、ここでは法案に対する基本的な考え方と、特定秘密に対する記者の姿勢のあり方に絞って論じます。
まず、新聞各紙をごらんになっている方はご存じだと思いますが、この法案について「賛成」は産経・読売、「反対」は朝日・毎日とくっきり分かれています。私の見解はもちろん賛成です。ただ、特定秘密も歴史的に検証される必要がありますから、一定期間後は原則公開すべきです。そのための仕組みも作られることになりましたので、後はこれらを確実に実行してもらいたいと思います。
これに対して、朝日、毎日両紙は相変わらず、猛烈な「反対のための反対論」を掲げ、それに沿った紙面づくりをしています。しかし、この主張には国際的な現実という視点が決定的に欠けています。
産経、読売両紙が何度も書いているように、現在そして今後の国際的な安全保障、つまり国民の安全にかかわる外交、軍事の分野においては今や、「情報戦」が最も重要になっています。どんなすばらしい兵器をもっていたとしても、情報で後れをとったら外交、軍事の分野で優位に立つことはできません。それが国際社会の現実です。
その際、重要な情報を他国から得ようと思えば当然、その機密は守られることが前提になります。その国に機密情報を伝えたら、すぐに表に出てしまうということになれば、提供する必要があっても提供できないということになるからです。とくに日本には諜報機関がありませんから、そうした活動による機微な情報は、他国に頼るしかないのが実情なのです。
しかし、朝日、毎日両紙は、そうした国際情勢を踏まえた法案の必要性にほとんど触れず、「国民の知る権利」という国内の観点のみを強調して反対論を展開しています。それも、いろんな例を挙げて「こういうこと、ああいうことをしたら逮捕されてしまう『おそれ』がある」と、不安ばかりをあおる紙面作りをしています。これでは「バランスを欠いた現実無視の反対のための反対論」といわざるをえません。
また、両紙は世論調査をやっては「反対」が「賛成」を上回っていることを掲げて、「国民は反対している」と強調しています。しかし、私はこの問題は一般の方には分かりづらい問題なのではないかと思います。政府に秘密があった方がいいか、ない方がいいかと聞かれたら、当然、多くの方は「ない方がいい」と答えるに決まっています。政府に秘密があるのは「当然」または「仕方がない」と答える方は、かなり国際情勢や外交、軍事の事情に精通されている方です。
ここで、一般の方にも分かりやすいように身近な例で説明しましょう。友人のAさんから「これは秘密だから言わないでね」という前提で聞いた話を、別のBさんに話してしまって、そのことをAさんが知ったら、Aさんはもう信用して秘密を話してくれなくなるでしょう。へたをしたら絶交などということにもなりかねません。
国家と国家の関係も、これと同じことなのです。日本に情報を提供したら表沙汰になると思われたら、機密情報を他国から得ることはできません。しかし、その機密情報が得られなければ、世界各国が激しい情報戦を行っている中で、現在、そして将来にわたって、国家、国民の安全を守ることができません。
朝日、毎日両紙が強調するように、国民には「知る権利」があり、それは憲法で保障されています。そのこと自体に私も異論はありませんし、われわれマスコミの存在理由もそこにあります。ただ、「国民の知る権利」は、国民自身の安全を守るために、時と事案によって一定の制限を受けるのはやむをえないと思います。
次に特定秘密に対する記者の姿勢のあり方について論じたいと思います。外交や軍事などの分野の機密情報は、法案が成立したら突然できるわけではなく、過去も現在もあります。実際、私は外務省も防衛省も長く取材してきましたので、機密情報には頻繁に接触してきました。その度に私は報道することが国家、国民にとって利益、つまり国益になるかどうかを考え、伝える必要があると判断した事案はスクープという形で報道してきました。一方、国益に反すると判断した時は控えてきました。
たとえば、外務省にはその内容から「機密」に指定される文書が存在します。私は何度もその文書を入手して、スクープしてきました。しかし、その機密文書が外部に流出することは許されることではありませんから、私は入手しても、入手していないように配慮して、記事を書いてきました。たとえば言葉の順番を入れかえたり、意味が変わらないように表現を変えたりしてです。
そうしてきたのは、私に機密文書を提供してくれた取材源を守るためです。機密文書が流出したと明らかになると、その文書に接することができるのは限られた人ですから、犯人捜しが始まれば特定されてしまいます。しかし、われわれマスコミは国民に真実を伝えていく責務からも、取材源は守らなければなりません。そうした取材源秘匿の権利は過去の判例でも、「国民の知る権利」の観点から正当と認められたものについては認められています。
ここで、西山記者事件について詳しく述べる余裕はありませんが、彼の取材手法や、入手後、報道をせずに国会議員に機密文書を渡したことを考えれば、有罪となるのは当然だと私は考えています。少なくとも私は、これまでの取材において記者としての矜持(きょうじ)は保ってきたつもりですし、機密文書を入手して国益にかなうと判断すれば堂々と報道し、彼のような他人に手渡すなどということをしたことはありません。
それを踏まえて、朝日、毎日両紙の反対論に「記者としての姿勢」という観点から反論します。まず、両紙の記者は「国民の知る権利」を振りかざすほど、きちんと取材して応えていると言えますか。胸に手を当てて考えてみてください。私は最近の各紙を読んでいて国家の機密に触れたスクープが少なすぎると思います。わが産経新聞も含めて、今の若い記者は「国民の知る権利」に応えるだけの取材をしていないのが現状ではないでしょうか。
私は今年5月まで、政治部記者として永田町、霞が関で取材してきましたが、今の若い記者のほとんどはサラリーマン化してしまっていて、機密情報を入手するほど取材先に食い込めていないのが現状です。しかし、記者にとって情報は「与えてもらうもの」ではなく、「取材先に食い込んで自ら取るもの」なのです。
普段は自分がそこまで取材していないにもかかわらず、特定秘密保護法案に対して目の色を変えて反対論を展開するというのは、記者の姿勢としていかがなものでしょうか。自分自身のが「国民の知る権利」に応えられていないサラリーマン記者には、法案に反対する資格はないと思います。
ただ、朝日、毎日両社の中にも、機密情報を得ながら国益に反するという理由で報道していない記者が、少なからずいることを私は知っています。そうした「できる記者」ほど、特定秘密保護法案の必要性を実感していると思いますが、おそらく社内事情で主張できないのでしょう。しかし、それもまた「サラリーマン記者」であることを反省してほしいと思います。
私が考えるに、記者は特定秘密保護法があろうとなかろうと、報道することが国家、国民の利益になるという情報を得たときは報道すべきなのです。それで罪に問われるなら、裁判で堂々と「自分は正しい」と主張して戦えばいいだけです。自分の体を張る覚悟がなければ「国民の知る権利」に応えるべき記者、ジャーナリストは務まりません。特定秘密保護法ができたら萎縮してしまうような記者は今すぐ、仕事を変えるべきです。
朝日、毎日両紙の記者、とくに社説を書いている論説委員に問います。あなた方はそういう覚悟を持っていますか。国家、国民のためよりも、会社の中で何とかうまくやっていきたい、出世したいという根性でやっていませんか。会社の方針に安穏と従って特定秘密保護法案にも反対していませんか。
もうこれ以上、「反対ありきの反対論」で国民を誤った方向に導くのはやめてほしいと思います。 「国民の知る権利」が守られるかどうかは、特定秘密保護法案ではなく、われわれ記者の気概と姿勢にかかっているのです。
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◇ 『防衛省と外務省 歪んだ二つのインテリジェンス組織』 福山隆著 幻冬舎新書 2013年5月30日第1刷発行 2013-07-28 | 読書
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