「叔父」切り捨てで個人独裁を強化した金正恩、張成沢失脚の謎を徹底検証する
JBpress2013.12.09(月)黒井文太郎
12月3日、韓国の情報機関・国家情報院が、「北朝鮮の張成沢(チャン・ソンテク)・国防副委員長(党行政部長)が失脚した可能性が高い」ことを明らかにし、北朝鮮ウォッチャーを驚かせた。張成沢は金正恩(キム・ジョンウン)第一書記の叔母の婿にあたる人物で、金王朝ロイヤルファミリーの一員として、突出した政権ナンバー2のポジションにあったからである。
北朝鮮側から一切の公式発表はなく、現地点ではその真偽は断定できないが、朝鮮中央テレビは7日、張成沢の出演場面をカットした記録映画を再放送した。彼の失脚はおそらく事実と見ていいだろう。韓国の統一部、国防部、国家情報院などによれば、韓国が掴んだのは以下のような情報だ。
「9月中・下旬頃から張成沢失脚情報があった」
「11月下旬に、張成沢の側近である李龍河(リ・ヨンハ)行政部第1部長と張秀吉(チャン・スギル)副部長が公開処刑され、そのことが内部で通知された」
「彼らの罪状は汚職などの不正行為・反党活動で、処刑は国家安全保衛部や党組織指導部などが主導し、金正恩の裁可で行われた模様」
「張成沢の消息は不明だが、すべての役職から解任され、失脚した可能性が極めて高い。自宅軟禁状態で国家安全保衛部の取り調べを受けているとの情報もある」
「張成沢の関係者に対する粛清が進められている模様」
「張成沢の義兄である全英鎮(チョン・ヨンジン)駐キューバ大使、張成沢の甥の張勇哲(チャン・ヨンチョル)駐マレーシア大使も北朝鮮に召還された」
「党行政部は機能が無力化したか、解体された可能性がある」
「現在、金正恩への忠誠を強調する思想教育が強化されている」
張成沢は故・金正日が晩年に三男・金正恩への世襲を決めたとき、正恩の後見人に事実上指名され、金正日死去後も特別な地位にあった。金正恩政権発足後はライバルの軍最高幹部らを次々と失脚させ、ほとんど政権の黒幕のような存在にまでなっていた。そんな人物はなぜ失脚することになったのか?
*張成沢一派の横暴さが恨みを買った?
その真相は北朝鮮権力中枢の外部にいる誰にも分からないことだが、様々な仮説を立てて推測することはできる。
まず、「金正恩が軍部や政権内部で高まった反・張成沢の動きを止められなかった」というもの。これは、「金正恩が実際には独断で何でも決められるわけではない」という仮説を前提にしている。
北朝鮮の個人独裁システムから考えて、張成沢の失脚に金正恩の裁可がなかったことは、まず考えられない。しかし、その裁可は北正恩が自発的に行ったものなのか、軍部や党幹部などの突き上げで強要されたものなのかでは、事情がまったく異なる。
特に、「金正恩は軍部の突き上げを食っている」との見方は根強くある。しかし、金正恩政権が前述したように軍最高幹部を次々と粛清してきている事実から考えて、軍部内に金正恩にもの申せるような人物がいるとは考えにくい。党幹部はさらにそうだ。したがって、金正恩に張成沢切り捨てを強要できる勢力が、軍や党に存在するとはまず考えにくい。
しかし、強要はできなくとも、進言することは可能かもしれない。例えば、現在の政策に不満があった場合、最高責任者の金正恩を批判することはタブーだが、その代わりに張成沢に批判の矛先が向かうということは十分にあり得る。張成沢はロイヤルファミリーの一員とはいっても、金日成の血統ではなく、権威がないからだ。
張成沢自身、おそらくそれを熟知していたはずで、それゆえに金正恩政権発足後、軍部のライバルを次々と失脚させ、自身に権力を集中させた。しかし、その過程で切り捨てられた勢力からは深い恨みを買ったはずだ。
張成沢ほどの人物なら、それもおそらく警戒していただろう。例えば北朝鮮では2012年末に、金正恩周辺の警備が著しく強化されたが、それは金正恩を守るためというより、傍にいる張成沢が自身を守るために画策した措置だったのではないかと筆者は見ている。
また、突出した権力を握った張成沢の周囲には、その威光をカサにきて大きな顔をする側近グループが形成されたことも想像に難くない。それが張成沢がトップを務める党行政部で、今回公開処刑された幹部2名も、おそらくは目に余る権力の私物化、あるいは汚職などを行ったのだろう。張成沢失脚の背景に、北朝鮮権力中枢での張成沢一派の権限が突出し、その横暴さに対する不満が権力層全体に高まっていたという可能性はありそうだ。
それで例えば金正恩を補佐する側近の党・軍の実務テクノクラート集団が、それを問題視して金正恩に直訴したのかもしれない。張成沢を快く思わない古参幹部たちも同調し、金正恩も張成沢をかばいきれなくなった・・・そんな構図だった可能性は否定できない。
*可能性が低い崔竜海の「反逆」
他方、韓国メディアでは、「張成沢が政権ナンバー3の崔竜海(チェ・リョンヘ)との権力闘争に敗れた」との見方も出ている。崔竜海はもともと張成沢の側近で、金正恩政権発足後、張成沢が軍部を掌握するために権力圏外から大抜擢し、軍内部の思想警察である総政治局のトップに就任させた人物だ。本来なら張成沢の手駒として“永遠のナンバー3”であったはずだが、「その重責を果たすうちに軍部を掌握し、実力を蓄え、金正恩の信頼を獲得し、張成沢の権威に挑戦する存在に成長した」という仮説が前提となる。
しかし、筆者はその可能性は低いと見ている。主な理由は、北朝鮮権力層でのサバイバルを熟知している張成沢が、そのような脇の甘さを見せる可能性は極めて低いということだ。
張成沢や崔竜海の人間性についてはほとんど知られていないが、漏れ伝わる未確認情報では、張成沢が豪胆な性格らしいのに対し、崔竜海はおべっか使いに長けただけの人物との印象がある。張成沢に歯向かうような気概があることを示す情報はほとんどない。
崔竜海は父親が革命第1世代の元人民武力相という、いわば太子党だが、縁故を重視する北朝鮮権力層で、そのような毛並みの良さにもかかわらず自力では出世できなかった人物である。張成沢はおそらく、崔竜海が自分に従順で歯向かう気概もない性格だからこそ、安心してナンバー3にまで引き上げたのではないか。
そんな崔竜海を、張成沢は軍部に対する粛清に利用してきた。前述したように、張成沢は軍の最高幹部を次々と失脚させてきたが、彼は自身がなるべく恨みを買わないように、その荒療治を崔竜海にさせた。崔竜海は張成沢の意向に従っただけだろう。もともと軍人でもなんでもない崔竜海は、軍ではいわば嫌われ役であって、軍部に自らの支持基盤を確立できるような立場ではない。
張成沢はまた、金正恩に進言して、崔竜海を軍総政治局長と同時に、国防委員会委員、党政治局常務委員、党中央軍事委員会副委員長、朝鮮人民軍次帥に引き上げた。肩書だけなら張成沢本人より上位になるが、北朝鮮では公式な肩書よりも、やはり最高指導者との親密さが絶対である。
ほとんど実績のなかった崔竜海の破格の出世は、張成沢自身が批判の矢面に立たず、崔竜海にすべての責任を押し付ける策だったはずだ。張成沢と崔竜海の関係を見ると、やはり崔竜海は単なる張成沢のダミー以上のものではなかったように思える。
*強力なナンバー2の存在は脅威になる
もっとも、それよりも妥当な見方としては、「金正恩が自らの意志で張成沢を排除した」という仮説がある。個人独裁システムが徹底している北朝鮮権力中枢では、なんといっても金正恩の意志こそがすべてであるからだ。
これに関しては、韓国メディアには「張成沢の横柄な態度が問題になった」との見方もある。金正恩と同席した映像で、張成沢が他の幹部と違い、金正恩に非礼な態度を取っていたとの分析だ。それが他の幹部の反感を買った可能性もあるが、なにより金正恩自身が不快に思ったという可能性もある。
また、金正恩が進めようとした政策に、張成沢が反対することもあったようだ。特に経済改革の必要性では両者の方向性は一致していたものの、その進め方をめぐって対立があったとの指摘がある。
例えば、金正恩が経済特区を全国14カ所に拡大しようとしたり、国営企業に裁量権を認める独立採算制を導入しようとしたりと、かなり急進的な改革を志向したことに、張成沢が反対したという情報がある。あるいは逆に、金正恩が開城工業団地の閉鎖に動いたとき、張成沢が反対したとの情報もある。
もっとも、その程度の対立であれば、絶対的権力者である金正恩が張成沢の主張を退ければいいだけのことであるし、あまりに目障りなら権限を縮小させればいい。なにも今回のような事実上の粛清まで踏み込む必要はない。
それに対して、「金正恩の個人独裁を完成させるための措置だった」という見方もある。年若くして最高権力者になった金正恩は、自身の権力基盤を確立するため、当初は最も関係が近い親族の張成沢を側近として重用したが、政権の黒幕としての発言力が高まりすぎたため排除したとの仮説だ。
これも真相は不明だが、北朝鮮のような極端な独裁システムを維持するためには、合理的な判断でもある。個人独裁の維持には、強力なナンバー2の存在は脅威になるからだ。現時点では韓国政府もそのような見方をしているようだ。
実際、金正恩の張成沢離れの兆候は、すでに1年前あたりからあったらしい。韓国統一部の柳吉在(リュ・ギルジェ)長官が12月4日に語ったところによると、張成沢の公開活動は昨年は106回だったが、今年は52回と半減しているという。金正恩の視察などでの随行回数でも、2010年から2012年までの3年間は常に誰よりも多かったが、今年は3番手に落ちていたとのことだ。
いずれにせよ、“突出したナンバー2”が切り捨てられたことによって、金正恩の個人独裁はさらに強化される。独裁者との運命共同体的な結びつきが強固な“親族”であり、それゆえに本来なら金正恩にとって最も信頼できる人物だったはずの張成沢を排除したことで、今後、金正恩を守る防波堤はなくなったとの見方もある。だが、独裁基盤がそれなりに固まっていれば、当面、独裁者はそんな防波堤をもう必要としないだろう。
*金正日が息子に遺した遺訓だったのか
韓国メディアの一部には、「金正恩は、父・金正日(キム・ジョンイル)が後見人に指名した張成沢を排除したことで、いわゆる遺訓政治を終わらせ、ようやく自分自身の独裁政治に乗り出した」との分析もある。
しかし、ここで筆者はどうしても、1つの想像をしてしまう。もしかしたら、張成沢の粛清も、父・金正日が息子に遺した遺訓だったのではないか、と。
これはなんら具体的な根拠のある話ではなく、あくまで筆者の推測にすぎないが、可能性としては十分にあり得ることだと思う。それというのも、国内経済的にも対外関係的にも厳しかった時代に、これほどまでの極端な独裁体制を死去するまで維持してきた老獪な金正日ならば、年若い息子にそのくらいの指示を遺していても不思議ではないと思えるからだ。
例えば、自らの最期を悟った金正日は、息子・正恩を枕元に呼び、こう告げたかもしれない。
「私の死後、国の運営は張成沢に頼るがいい。血縁は何よりも信頼できるものだ。だが、これだけは忘れるな。彼が力を持ちすぎたら、迷うことなく切り捨てよ。国家に指導者は1人いればいい。私の死から2年の後、その判断を下すがよい」
政治経験に乏しい金正恩がこれまで政権を采配してきた過程では、張成沢の尽力が少なからずあったことは事実である。そんな功労者である叔父を粛清するという決断は、金正恩にとっても簡単なものではなかったはずだ。
その背後に、金正日という妖怪の存在を見てしまうのは、穿ち過ぎだろうか。
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