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【靖国参拝】 「明治レジーム」の虚妄 / 安倍氏こそ、朝日新聞より遥かに危険な平和ボケである 池田信夫

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 池田信夫blog 2013年12月28日16:41
「明治レジーム」の虚妄
  アゴラに靖国参拝に対するきつい意見が並んだので、ついでに私もひとこと。今回の事件が日米同盟に亀裂をもたらすことは、安倍首相も覚悟の上だろう。中国や韓国の反応も織り込みずみと思われる。わからないのは、なぜそこまで大きなリスクをおかして参拝する必要があったのかということだ。
 比較的中立な日経の報道からみても、遺族会の票がほしいとか、自民党内の右派を味方につけるとかいう打算でやったようには見えない。それどころか「参拝できなかった心のわだかまりが再登板のきっかけになった」という関係者の話が本当だとすれば、これが政権についた目的だったわけで、日米同盟もアジア外交も眼中にないのは当然だ。
  私は安倍首相と同じ世代だが、靖国神社には何の感情もない。安倍氏に特別な感情があるとすれば、それは祖父を戦犯として裁いた「東京裁判史観」への批判なのかもしれない。しかし岸信介は、首相在任中までCIAの工作員であり、戦前なら処刑されていた。秘密保護法が適用されたら、懲役10年は確実だ。
 もっと重要な問題は、岸の宿願だった憲法改正路線を安倍氏が継承していることだ。私は憲法は改正すべきだと思うが、それは「戦後レジーム」を否定して岸の明治レジームに戻すことであってはならない。それは「部族社会」だった日本に大陸の制度を接合して見かけ上の近代国家に仕立てたものの、最終決定者がいないという致命的な「空洞」を抱えていたからだ。
 岸が北一輝の影響を受けて「五族協和」のために建設した「満州国」は、国家社会主義の楽園だったが、その経営は大幅な赤字であり、彼の盟友だった石原莞爾は満州事変で戦争への道を開いた。国力に見合わない誇大妄想と「空気の支配」による非合理的な意思決定の果てに行き着いたのが、当然の敗戦だった。
 そして憲法は変わったものの、空洞は今も変わらない。戦前は軍部の埋めた空洞を、戦後はアメリカが埋めてきたことがまだ幸いだったが、もうこれは卒業する必要がある。そのために大事なのは「憲法改正は明治憲法への回帰だ」という国内や海外の懸念を払拭することだが、安倍氏はその真逆の行動を取ってしまった。これで憲法改正は、彼の任期中には不可能になったと思う。
 本質的な問題は、彼を初めとする自民党の古い世代が回帰しようとしている明治レジームが失敗国家だったと認識することだ。日本を戦争に巻き込んだのは一部の戦犯ではなく、この「国のかたち」の欠陥であり、それは今も続いている。憲法を改正するなら何よりもこれを是正すべきなのに、失敗国家の象徴である靖国神社を参拝するということは、安倍氏が歴史に何も学んでいないことを示している。
 靖国参拝が「戦争には負けたが日本は正しかった」という戦中派のルサンチマンを満足させるためのメッセージだとすれば、安倍氏はアメリカのもっとも強く警戒する首相になるだろう。彼らは今でも、日米戦争を恐れているからだ。何をしてもアメリカは大目に見てくれると思っている安倍氏こそ、朝日新聞よりはるかに危険な平和ボケである。
 ◎上記事の著作権は[池田信夫blog]に帰属します *強調(太字・着色)は来栖
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◆ 靖国神社に「政教分離」はありえない 池田信夫 2013-12-27 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉 
「靖国参拝という非合理主義」池田信夫 / 【靖国参拝】「隣国の国民感情を傷つける行動すべきでない」台湾 2013-12-26 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉 
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CIAが「統治」した戦後の日本/ CIAと岸信介 自民党にも金の流れ?/「明治レジーム」の虚妄 池田信夫 2013-12-28 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉 
 池田信夫blog 2007年09月27日12:50
CIAが「統治」した戦後の日本
  9/4の記事で紹介した「CIAと岸信介」の話を今週の週刊文春が追いかけている。日本も、ブログがマスメディアの情報源になる時代が来たのだろうか。
  岸がCIAのエージェントだったのではないかという話は、当ブログでも書いたように、昔からあり、アメリカの公文書公開審査に立ち会ったマイケル・シャラーの『日米関係とは何だったのか』(pp.219-220)にも少しだけふれられている。シャラーは週刊文春の取材に対して、CIAの未公開文書に「1958年にアイゼンハワー大統領の命令で、自民党の選挙資金として1回について20万〜30万ドルの現金が何度もCIAから岸に提供された」と書かれていた、と証言している(当時の30万ドルは、当時の為替レートで約1億円、現在では10億円ぐらい)。
  岸だけでなく、佐藤栄作も1957年と58年にCIAから同様の資金提供を受けたという。その後も、4代の大統領のもとで少なくとも15年にわたって自民党への資金提供は続き、沖縄に米軍が駐留できるように沖縄の地方選挙にまで資金提供が行なわれたが、その出所は岸しか知らなかった。彼は自分でも回顧録で「資金は入念に洗浄することが大事だ」と語っている。
 おもしろいのは、ロッキード事件との関係だ。これをCIAの陰謀とみる向きも多いが、逆にこれはCIAにとっては、児玉誉士夫や岸への資金提供が明るみに出るかもしれないピンチだったという。しかし検察は本筋の「児玉ルート」を立件せず、児玉は任侠らしく秘密をもって墓場に入ったが、彼と中曽根氏との関係から考えると、CIAの資金が(直接あるいは間接に)中曽根氏に渡っていた可能性もあるのではないか。
 だから安倍前首相が否定しようとしていた非武装・対米従属の「戦後レジーム」をつくったのは、皮肉なことに彼の祖父だったのである。岸は「自主憲法」の制定を宿願としていたが、それは「対米独立」という表向きの理由とは逆に、日本が独自の軍備を増強してアメリカの「不沈空母」となるためだった。核の持ち込みについても、「秘密協定」があったことをライシャワー元駐日大使が明らかにしている。
 保守合同から安保条約をへて沖縄返還に至るまで、何億円もの資金を自民党がCIAから提供されていたという事実は、岸個人の問題にはとどまらない。岸・佐藤兄弟というCIAのエージェントが日本の首相だったというのは、元CIAのフェルドマンがいうように、日本がCIAに「間接統治」されていたようなものだ。これはイギリスのフィルビー事件や西ドイツのブラント首相を辞任に追い込んだ「ギョーム事件」に匹敵するスキャンダルである。民主党は、参議院で得た国政調査権を使って、この疑惑を解明してはどうだろうか。
 ◎上記事の著作権は[池田信夫blog]に帰属します 
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 池田信夫blog 2007年09月04日23:56
CIAと岸信介

     

  『Legacy of Ashes: The History of the CIA』
 NYタイムズで20年以上、CIAを取材してきた専門記者が、膨大な資料と関係者の証言をもとに、その歴史を描いたもの。全体として、CIAが莫大な資金とエネルギーをつぎ込みながら、肝心のオペレーションではほとんど失敗してきた(最新の例がイラク戦争)ことが明らかにされている。日本についての記述は少ないが、第12章では、終戦後CIAがどうやって日本を冷戦の前線基地に仕立てていったかが明らかにされている。
 CIAの武器は、巨額のカネだった。彼らが日本で雇ったエージェントのうち、もっとも大きな働きをしたのは、岸信介と児玉誉士夫だった。児玉は中国の闇市場で稀少金属の取引を行い、1.75億ドルの財産をもっていた。米軍は、児玉の闇ネットワークを通じて大量のタングステンを調達し、1280万ドル以上を支払った。
 しかし児玉は、情報提供者としては役に立たなかった。この点で主要な役割を果たしたのは、岸だった。彼はグルー元駐日大使などCIA関係者と戦時中から連絡をとっていたので、CIAは情報源として使えるとみて、マッカーサーを説得して彼をA級戦犯リストから外させ、エージェントとして雇った。岸は児玉ともつながっており、彼の資金やCIAの資金を使って自民党の政治家を買収し、党内でのし上がった。
 1955年8月、ダレス国務長官は岸と会い、東アジアの共産化から日本を守るための協力を要請した。そのためには日本の保守勢力が団結することが重要で、それに必要な資金協力は惜しまないと語った。岸は、その資金を使って11月に保守合同を実現し、1957年には首相になった。その後も、日米安保条約の改定や沖縄返還にあたってもCIAの資金援助が大きな役割を果たした。
 CIAの資金供与は1970年代まで続き、「構造汚職」の原因となった。CIAの東京支局長だったフェルドマンはこう語っている:「占領体制のもとでは、われわれは日本を直接統治した。その後は、ちょっと違う方法で統治してきたのだ」
岸がCIAに買収されたのではないかという疑惑は、私も以前の記事で書いたように、昔からあったが、本書は公開された文書と実名の情報源によってそれを実証した点に意義がある。
 ◎上記事の著作権は[池田信夫blog]に帰属します
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岸信介とCIAの密接な関係 自民党にも金の流れ? 2013-05-17 | 政治 
  岸信介とCIAの密接な関係 自民党にも金の流れ? dot.(ドット) 2013年05月17日07時00分 
 米国の戦後アジア政策は、米国の権益を守ってくれる、その国の「ストロングマン」を探し出すことから始まる。巣鴨プリズンを釈放された岸信介(後に首相)は、「強い男」として米国保守派に見いだされ、CIAの庇護を受け続けていた。
 実態を垣間見ることのできる「聖地」がワシントン郊外にある。米国国立公文書館別館。米軍諜報組織や米中央情報局(CIA)の機密解除書類を手に取って読むことができる。「岸信介」ファイルの閲覧を請求すると、30分ほどでひとつの箱が出てきた。そこには一体何が入っているのか。しかし、その中身は意外に拍子抜けのするものだった。
 書類の束は薄く、CIAが作成した資料はわずか5枚しかなかった。しかも岸の政治的プロフィルの紹介ばかりで、CIAとの深い関連が指摘される人物のファイルとは到底思えないようなものだった。
 しかし、実を言えばこのこと自体が、研究者には意味をもっている。「岸のCIA関係資料はほんの薄いものです。しかし、われわれにしてみれば、逆にそのことが両者の深い関係を疑わせるに十分なものになっているのです」。こう語るのは、一橋大学名誉教授の加藤哲郎だ。
 CIA内部では、各国の諜報エージェントや諜報対象者について暗号名で呼び合う。日本関係には「PO」を頭につける。解明されているものの一部を挙げると、自由党総裁だった緒方竹虎はPOCAPON、読売新聞社社主で原子力委員会委員長などを務めた正力松太郎はPODAM、あるいはPOJACKPOT‐1、などだ。
 しかし、岸については暗号名すらわかっていない。
 加藤は、緒方や正カの分厚いCIA関係資料を手に取って見せた。緒方は1千枚近く、正力は500枚ほどもある。戦後の日本政界とCIAとの関係を追究してきた加藤は、岸のCIA関係資料はまだ、ほとんどが機密指定を解除されていないとみている。「岸資料の5枚目のあとには、『not declassified』、まだ公開されない、という紙が1枚だけ挟まっている。この1枚の紙の後ろには、何百枚もの秘密資科があるかもしれないのです」。
 岸とCIAの知られざる関係を追って、米アリゾナ州ツーソンに飛んだ。アリゾナ大学の歴史学研究室で教鞭を執る同大教授、マイケル・シャラーは、歴史資料と学生たちのリポートの束に囲まれていた。シャラーは米国務省の歴史外交文書諮問委員会委員を務め、非公開資料にも目を通していた。文書を公開するかどうか国務省に参考意見を述べる立場にあった。
――岸元首相に対してCIAから資金提供があったという話をどう思いますか?
「そういう証拠はあると思う。賄賂的な意味合いよりは、派閥の運動資金や政治キャンペーン資金というような形で提供されたと理解している」
――資金はどのような形で渡されたのでしょうか?
「当時、CIAから経済団体や企業を通じて岸のほうに資金が流れたという記述を米国側の書類で私は目にしたことがある」
――経済団体とは経済団体連合会のことですか?
「それも一つだと思う。それから個々の企業と何かしらの契約を結んで資金を流していくということがあったと思う」
 シャラーは、委員として知りえたことは具体的には明らかにしなかったが、研究者として発掘した機密解除資料については明確に語った。その概略はシャラーの著書『「日米関係」とは何だったのか』にも記されている。シャラーによれば、のちに岸内閣の蔵相になる岸の実弟、佐藤栄作は1957年、米国に対し何度も秘密の資金提供を要請していた。
 このため、CIAから自民党にカネが流れ、「CIAによる資金は、1958年5月の衆議院選挙運動をはじめ、さまざまな方面に使われた」(『「日米関係」とは何だったのか』)。
※週刊朝日 2013年5月24日号
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